前の私のブログで二つほど山本義隆氏の著作について批判的とも思われるととられる記事を書いた。
率直に書いたのだが、どうも山本氏に批判をもっていると思われるのも心外なので、弁解をここでしておく。
確かに、批判ととられてもしかたがないが、彼くらいの大人物になれば、それほど気にはしないと思われるので、単なる小人の僻みだとはとるまいと思っている。
最近になって、彼の大著『熱学思想の史的展開』(現代数学社)の第22章を読んで私の知らない難しい言葉を使っているから、もっとわかりやすい言葉で書くべきではないかと書いた。
これは彼の能力からすれば、そういうことも十分できるはずだという意味で言ったのであって、彼が衒学的であるとは思っていないということをそのときにも述べた。
最近だが、アマゾンの彼の著作の評を読んでいたら、H. Yamagataという方の評が辛口の評であった。
推測で申し訳がないが、このH. Yamagataという方が評論家(?)の山形浩生(失礼、名前がまちがっているかもしれない)さんなら、彼は山本さんの予備校での教え子の一人だと山形さん本人がどこかで書いていたので、その書評はあまりいい評価ではなかったが、それは率直な批判というか感想だと思った。
それらの小さなことを気にする山本さんではなかろうと思っている。