なんでも流行りすたりがある。
私の属しているドイツ語のクラスも盛衰があり、いまは「衰」の時代に入った。
多いときには8,9人のメンバーがいたが、それぞれ事情は異なるが、いろいろな事情で辞めていき、来季からはまた一人の方が別のクラスへ移って行くという。だから4人のクラスメンバーとなる。
元々このクラスは松山市のコムズでされていた、ドイツ語のボランティア講座が源である。それ以前の話もあるが、直接にはこのドイツ語のボランティア講座が源と言っていいであろう。
ドイツ語が少し話せたからといって、それほど自慢できるような話ではない。これがフランス語が話せるとでもいうのなら、英語を話す人でも少しは尊敬をしてくれることだろうが、残念である。
それに私などはいつまでたっても、ドイツ語の片言もいいところである。もっとも片言でも話せるようになるには何十年もの間のたゆまぬ努力があることはいうまでもないが、努力そのものは特にほめられるとかいう筋のものでもない。
世の中にはすいすいと外国語を習得する天才みたいな人がいることは事実だが、そういう特別な方々を除けば、大抵は涙ぐましい努力の結果であろう。
特に外国語を聞いてわかる力は一朝一夕にはできないので、これがなんでも大きな障害となる。たくさんいろいろな状況にあたる以外には方法がない。
外国語を聞いて理解できるようになるには最低2000時間その言語を聞き続ける必要があるという。
また、いつだったか応用数理学会の研究会で聞いた話では英語のTOIECテストだったかの900点以上をとった英語を母語とはしない人は、アメリカのIBM本社でもTOIEC900という特別のグループをつくっているという。
だれかがTOIECテストで900点以上をとるにはどうしたらいいかと講演をした人に質問したら、英語の新聞を自分の身長と同じか身長の2倍くらい読めばいいとかの答えを聞いて、みんながシーンとしてしまった。
もちろん、英語を母語にしている人なら、そんなことは当然のことであろうが、普通の私たちにできることではなかろう。
この講演をした人は数学者であったが、数学者は外国語もできる方が多い。