1月末くらいから準備してきた「ドイツ語圏とその文化」2号がほぼできあがった。原稿の読み直しを何回も何回もしているのだが、そろそろ読み直すのに飽きてきた。
もっとも昨日まで読めばそのときに文章のあいまいなところにいつも気がついて直してきた。
よく、インスタントラーメンのCMに「ますますおいしくなりました」という文句があるが、あれに似ている。自嘲気味に妻に「またまた文章がよくなったよ」と言っている(注)。
妻も心得たもので、「あ、そう」とか相槌を打ってくれるが、多分いつものこととあきれているのだろう。
けっきょく、1回の読みではなかなか自分の書いた文章の不備に気がつかないので、何回も何回も読まなくてはならないということなのだろう。
いつももう今回の読みで完璧だと自信満々なのだが、それでももう一度読んでみようかと読んでみるといつもどこか文章の悪いところが見つかるというだらしなさである。
高林武彦さんという科学史の分野でも著名な素粒子物理学者がおられたが、彼の書く文章は名文でほれぼれするようなものであった。これは私が主観的に言っているだけではなく一般に定評がある。
ただ、これは書いた文章についてであって、いつだったか高林さんを大学の集中講義に呼ばれたらどうですかと大学院生のときにO教授に言ったら、即座に「高林さんの話は聞いても何を言っているのかわからないのですよ」と即座に否定された。
「高林さんの文章は名文ですばらしいが、多分文章は推敲を何回もされているのでしょうね」とのことであった。高林さんの書いたものはすばらしいが、講義はあまり上手ではないということらしい。
別に高林さんに倣ったわけではないが、私の講義がわかり難いというのも定評があった。学生から「なにがなんだかわからなかった」とよく言われたものである。
自分ではよく考え抜いて講義をしていたつもりだったが、相手の数学の知識のレベルとかを考慮していなかったのかもしれない。もっとも私は初等的なことから話をはじめたつもりであったが。
これはE大学を定年になった後にM大学で非常勤講師を務めたときに、女子学生が自分の友人のE大学生に聞いたところでは「あの先生は熱い」人だと聞いたと感想に書いてあった。
ただ、「熱い」ことが学生に必ずしも有効に作用したという感じでもなかった。ただ、そういう感じだけは感じとられたのであろうか。
(注) 昔、読んだ「日本の技術者」(勁草書房)に「いくらインスタントラーメンがうまくなっても生のラーメンの味には及ばない」というインスタントラーメンの製造に関与している食品技術者の述懐があった。