物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

売れるから「嫌中憎韓」とか

2014-02-11 11:53:23 | ニュース

今日の朝日新聞に『売れるから「嫌中憎韓」』と題する記事が先に書いた「佐村河内氏問題問題への自戒」の記事の真横に出ている。

ということは朝日新聞の編集部の意図があるのであろうが、この記事のタイトルを見ただけで昔の話を思い出した。

これは太平洋戦争に日本が踏み切るか踏み切らないかのころかその後のことである。

日本では上からの方針として押し付けられて英語を学ぶことが、悪いこととして取り扱われた。多分英語の文献とかを読む人も肩身が狭いというような風潮があっただろう。中学校や女学校で英語を教えていた先生も肩身が狭かっただろう。

ところがアメリカでは日本との戦争に勝つためには「日本のことをよく知らないといけない」ということで日本研究や日本語を学ぶことが奨励されたという。

もちろん、日系のアメリカ人をどこかの片田舎に収容所をつくって市民社会から隔離したというような間違った政策もとられたが、日本語を学ぶことや日本研究を奨励したあたりが日本の政治家や軍部の考え方と大いに違った。

また、戦後に日本語もできて、日本研究の専門家として一家をなした人の多くがこの戦中の日本語を学んだ人たちであった。

もちろん、現在は資本主義の社会だから、あくまで売れるものを売って利益を得る。そのような本を出版社が著者に書かせて売るとか、週刊誌で特集をしてその週刊誌の売り上げを増やすというのはしかたがないかもしれない。書店だってそういう売れ筋の書籍の書棚のコーナーをつくるのだって非難される筋ではなかろう。

だが、マスコミはそれもある程度の社会の良識を代表していると思われるメディアはそれにあまり依拠してはならない。そういう風潮があるということは報道することは社会の様子として報道することは許されるだろうが、やはりよほど注意してそれを報道しなければならない。

これは対中国とか対韓国とかの問題となると、国際外交問題にもなることだから、単に一個人の佐村河内さんの問題よりももっと大きい。

そういうときでも中国なり、韓国なり、北朝鮮のことを深く理解している人に記事を書かせることをマスコミとしてはしなければならない。出版社としてはそういう深い洞察に満ちた種類の本を出版しなければならない。政治を正さねばならない。

それがエリート出版社や新聞社や公共放送としてのNHKの役目のはずである。そういう姿勢を忘れたら、たとえばNHKは聴取料をとることは詐欺でしかない。


佐村河内さんとHiroshima2

2014-02-11 11:27:53 | 音楽

今日の朝日新聞に「佐村河内氏問題への自戒」という氏に取材して記事を書いたことのある、Y記者の記事が載った。

それによると交響曲「Hirosima」の専門家の評価は必ずしも高くなかったらしい。ということは専門家はある程度きちんと曲のレベルを分かっていたのかもしれない。専門家の評価のことは分かった。

問題はその評価を知りながら、あるストーリを記事にしたり、放送番組にした担当者の識見が問われる。

なんでもあるストーリの記事をつくったり、番組を編成するにはそれは曲を鑑定をした専門家の仕事ではない。担当の記者の役割であったり、ディレクターの役割であろう。ある重要な役割をその担当をした人は担っている。

朝日新聞のそういうコラムの担当者ともなれば、私のような音楽の素人であるとは考えられない。NHKの番組のディレクターもそうであろう。そのときに自分の構想とは違った意見も聞いたのであろうが、自分の記事や番組のためにはそれらを切り捨てないことには記事や番組ができない。

そういうことがあるのである程度はしかたがないが、それでも常に報道に携わる者としてはいつでもそのストーリから外れた意見や考えにも注意しておかなくてはならない。

Y記者は書く。「しかし、音楽を聴くことは、そうした評価を越える、極めて個人的な体験である。」と。そのときにご自身の個人的な体験まで含めておられるのであろうか。そこら辺が知りたい。

一般にいろいろなストーリに私たちは惑わされやすい。それでできるだけそういうストーリを知らない方に音楽を聴いてもらい、その方々の意見を参考にする方法でしか惑わされた自分を正す方法がない。

朝日新聞の記事を書いたY記者やNHKの担当だったディレクターを糾弾するというそういう意図を私はもっていない。

いつでも私たちはそういう間違いをする可能性をもっているのだから、いかにそれから逃れる術を身につけたらよいかということについての一提言にしかすぎない。