物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

Feynmanの積分法

2014-02-21 14:33:31 | 数学

ストロガッツ『ふたりの微積分』(岩波書店、2012)を購入した。

アマゾンの書評で「積分記号下での微分」について書いてあると読んだからである(注)。

n!の積分表示である、x^{n}e^{-ax}の0から無限大までの定積分について書いていた。他にもたくさん例があるのかと思ってこの書を購入したのだが、ちょっとこの1時間ほど探したところではこれ以外の例は載っていない。

これなら、私の小著『物理数学散歩』(国土社)に書いた「微分をして、積分を求める」のエッセイの方が「積分記号下での微分」についての例が多い。

もっとも『ふたりの微積分』はもっとちがったテーマを扱っているので、この「積分記号下での微分」での記述が少ないからといってこの本の価値が減じることはない。

Feynmanは「積分記号下での微分」をWoodsの”Advanced Calculus" (Ginn,1926)で学んだおかしな積分法という風に『御冗談でしょう、ファインマンさん』(岩波書店)で紹介している。私が「微分をして、積分を求める」というエッセイを書いたのもファインマンの本を読んで感銘を受けたからである。

そのWoodsの著書のタイトルとか出版社等の書誌情報が出ていたので、出所がわかった。

この『ふたりの・・・』によればこの書の141-163ページが「積分記号下での微分」の記述にあてられているとあるから、大学の図書館に頼んでこのコピーを取り寄せてみようか。

試みに日本の古書店でこの書を売っていないかと調べたら、どこかに1冊だけあったが、1万円の高値がついていたので、その購入はあきらめた。私が30歳代だったら、購入したかもしれないが、70歳半ばのいまではあまりに遅すぎる。379 pageの大著である。

(注)「積分記号下での微分」を「Feynmanの積分法」と名付けたのは私である。正式の名前があるのかもしれないが、私は知らない。

よく読んだら、e^{-ax}sin x/xの0から無限大の定積分も例として挙がっているようだ。もっともその計算法の言及は簡単なもので詳細な計算はない。

(2018.1.8付記)「数学・物理通信」7巻9号と10号に「積分記号下での微分」による積分について書いた。これは以前に書いたエッセイの修正版とか新しいエッセイである。この分野の手法に関心のある方々はインターネット検索でこれらの記事を読まれたらいい。もっとも「数学・物理通信」7巻10号はまだ谷村さんがアップして下さっていないかもしれない。少なくとも近日中にアップして下さるであろう。

(2018.9.27付記) その後、E大学の図書館の書庫にWoodsの”Advanced Calculus"があるのを知って借り出して、コピーをとった。もっともコピーを取ると安心してそれをもっと読もうという意欲が薄れて困る。

(2023.6.28付記) ここで「Feynmanの積分法」と表しているエッセイは、「数学・物理通信」7巻9号と10号では、そのタイトルはすべて「微分をして積分を求める」1,2,3である。たとえば、googleの検索で「数学・物理通信」と入力して検索すると、名古屋大学の谷村省吾先生のサイトにたどり着くからそこで目次を見て当該のエッセイをご覧ください。

いつも谷村先生ご尽力ありがとうございます。



「ドイツ語圏とその文化」2号余話

2014-02-21 11:08:40 | 日記・エッセイ・コラム

そろそろ「ドイツ語圏とその文化」2号を発行したいと思っているが、まだ発行をしていない。その編集段階で経験したことを書いてみよう。

創刊号を読んだ、ある読者の方から英語のタイトルと目次をつけることを提案された。

それで「ドイツ語圏とその文化」をGerman Speking Areas and thier Culture (ドイツ語タイトル: DACHL und ihre Kultur)と訳をつけてみた。それを読んで共同編集者のR氏がこのタイトルの前に定冠詞のTheをつけてくれた。

それで思ったのだが、私には定冠詞とか不定冠詞をつけるという感覚がまったくないということであった。

どうもそれだけならまだいいが、これはまったく「ドイツ語圏とその文化」とは関係がないが、日本語で書かれた文章とか短文を外国語で表現しようとするとき、過去だとか未来だとかの時制の感覚がなくていつでも現在形で表現しようとする。そういう欠陥を私の外国語の能力はもっている。

季節が季節なので2号にファスナハト(カーニバル)について書いたが、このときにファスナハトは北ドイツの方にはないという感覚もなかった。

この事実を知らないわけではなかったが、私の書いた文ではそのことが明瞭ではなかったので、R氏がそのことをコメントしてくれた。それでそのR氏のコメントのドイツ語と日本文をそのままとりいれた。

もっともR氏は彼のコメントを取り入れて日本語で文章を私がそのことを書くと期待したらしかったが、それは面倒だし、いろいろな人の個性が出た方がおもしろいので、彼のコメントをそのまま取り入れて、記事は共著となった。

人は他人の失敗とか秘密を知ることは本来の性質として好きだと思うので、わざと好奇心をそそるためにこぼればなしを書いた。

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