とは言ってもほとんど私が以後乗るわけではなかろう。私があるちょっとした自損事故を起こしたことが車を1台にする原因となった。
それで妻と私と別々の車で近くのホンダの営業支店まで出かけて古い車を引き渡し、新しい車を受け取ってきた。今後、私も少しはこの車の運転をするだろうが、運転はもっぱら妻がすることとなろう。
これはほとんど妻が車を使うからである。したがって、私は同乗者となることが多かろう。自分の車をもつことは行動の自由があるわけだが、これからはそうもいくまい。
とは言ってもほとんど私が以後乗るわけではなかろう。私があるちょっとした自損事故を起こしたことが車を1台にする原因となった。
それで妻と私と別々の車で近くのホンダの営業支店まで出かけて古い車を引き渡し、新しい車を受け取ってきた。今後、私も少しはこの車の運転をするだろうが、運転はもっぱら妻がすることとなろう。
これはほとんど妻が車を使うからである。したがって、私は同乗者となることが多かろう。自分の車をもつことは行動の自由があるわけだが、これからはそうもいくまい。
である。もっとも使い方を知らない人にはごみの山だろうが。
先日ある複素解析の本を探してE大学の書庫をさまよったということをブログに書いた。私も自分でもかなりの本の数を持っているほうだが、やはりなかなか自分の資力には限界があり、何でも貴重な本を持っているというわけにはいかない。だが、大学の図書館にはいろいろの書籍とか論文とかがある。
それがしかし、うまく使われているかというともはや使われてはいないという残念な状況にある。これはいろいろな先生方が定年となり、それで付属図書館に研究図書として購入した書籍を返却するからである。
たくさん同じ本があるとそれを図書館としても民間の古本業者に売却するということもあるだろうが、それにしてもいくばくかの書籍は残してあるだろう。
だが、それが誰にでも使いやすい形になっているかといえば、どうもそうでもないらしい。先日も私が目当ての本を探しあぐねていたときに、ちょうどある図書館員さんとであい、それで目的の書籍にたどりつくことができた。
その人曰く、「この図書館は迷路だといわれているんです」という。それくらい目当ての本を探すことが難しいということであろう。
人々の知的欲求があり、それに対する知識の宝庫としての書籍とか論文とかが蓄積されているのに、それを有効に使うことにはなっていない。まことに残念である。