虚無思想とはどんなものかよくは知らない。
しかし、太陽系の寿命が20億年か50億年かであるとすれば、私たち人類はそのころまでは生き残れないのはほぼ明らかである。
しかし、そういう私たち人間にはどうしようもない事実に惑わされないで、現在を精一杯生きるのが人間というものだと思って生きている。
こういうことをぼんやりと考えたのは実は18,9歳のころであるから、そういう意味では私の虚無思想は50年以上の年季が入っている。
高校生の頃に国語の先生が教えてくれたのが、中国の老子とか荘子の思想である。これは私の気に入っている。
それでもちょっとした名誉心を求めたりしないとはいえないが、国が授与する勲章とかには関心がなくて、もう10年前くらいにそれを断る手続きをした。
哲学者の鶴見俊輔さんが徹頭徹尾勲章をもらわないことにこだわって、生きたのは私の一つのいいお手本になっている。もっとも鶴見さんの偉大さと比べて自分をここに引き合いに出すのはとてもおこがましい。
朝日新聞では一つの目標として、国連のSDGsをこれからの主張に入れているようだし、カール・マルクスの再評価についても新聞社の主張として挙げて行こうとしているように思われる。いや、しかしこれは一新聞社の問題ではなく、世界的な傾向なのであろう。
朝日新聞社がどれだけのことができるのかはわからないが、それでもそういう志は社会にとって大切だと思う。
これはいつだったか、NHKのテレビか何かで科学者たちの討論していたのを見た。
そのときに科学の研究などは長期間で見れば、まったく無駄なものだとの意見が出たのはさすがに深く考えれば、そうだよなと納得させられた。
最近では5年10年で目鼻がつきそうな科学技術の研究にしか研究費が出ないというが、だいたいそういう考えではいい研究などできないというのは最近の日本人のノーベル賞受賞者が異口同音に主張していることである。
だが、国全体の国家収入とかが足りないためあって、科学技術とか大学の運営交付金は毎年大幅減となってだれも大学での研究職がいいものとは思えなくなってきている。
それでも国はいまの政策を変えようとはしない。禍根を日本の将来に残すことはほぼ明らかであるのに。