11月11日11時11分にはドイツ語圏のカーニバル(Fastnacht)のはじまる日である。
これから勘定されたFastnachtである。冬の厳しい季節を通り抜けて春の訪れを感じるころにFastnachtがある。
11月11日11時11分にはドイツ語圏のカーニバル(Fastnacht)のはじまる日である。
これから勘定されたFastnachtである。冬の厳しい季節を通り抜けて春の訪れを感じるころにFastnachtがある。
Ich habe keine Sehnsucht nach Tokyo. (私には 東京にあこがれがない)
これは先日のドイツ語のクラスで私のした発言である。
die Sehnsuchtは「あこがれ」とか「憧憬」のことである。ドイツの冬は厳しいので春来るのを待ち焦がれる。だから、ドイツ人は春へのあこがれがある。いわゆるSehnsucht nach Fr"uhlingである。
昔の文化人、ゲーテがイタリアに憧れたように冬でもある程度暖かい地中海地方に面したイタリアに憧れる。
もちろん、たぶんイタリアとかスペインに旅行できる人は限られていたろう。だれでも、いまのドイツに住んでいた人々が旅行できたわけではあるまい。
昔、イタリア人の化学者ロラと友人だったが、その彼の母は銀行の頭取の娘だったとかで、リビエラに別荘をもっているとのことであった。ロラに来ないかと誘われたことがあったが、なかなかそこまで行くことはできなかった。
ロラは馬に乗るのが好きだと言っていたが、いつだったか馬から落ちて脚を折ったとか聞いた。それでちょっと脚をひずって歩いていた。彼とはフライブルクのゲーテ・インステュイートで同じクラスではなかったが、一緒にドイツ語を学んだ仲であった。
多くの論者が書かれている、「武谷三男論」との生の武谷三男とのずれがかなりあるという気が現在している。
ごく最近では、金山浩司さんの「武谷三男論」(『昭和後期の科学思想史』(勁草書房))が出色の出来栄えなのだが、それですらなにかとイメージがちがう。
『武谷三男著作集』『武谷三男現代論集』(勁草書房)だけを読んで武谷三男を論じると、どうしても金山浩司流の武谷三男のイメージになってしまう。これはこれで、やはり武谷の一面かとは思うが、武谷三男には、やはりそこにはつきない側面があると思える。
菅孝行の「反核思想と科学思想」(『日本の原爆文学』(ほるぷ出版)所収)などともやはり違うという感じを深くする。菅さんの論文の批判はすでに自著論文「他人から見た武谷三男4」(「徳島科学史雑誌」)である程度したのだが、それでもまだ十分ではなかった感じが今はする。
菅さんの論文は、ある人々からは優れた武谷三男批判であると評価されているのだが、やはりかなり一面的なとらえ方の感じがする。もちろん、そういう批判されるような側面を武谷がもっていたということは言えるのかもしれないが、そこからこぼれ落ちてしまった側面があるという風に感じている。