物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

三角方程式を解いたことがない

2019-11-15 21:14:52 | 数学

科学や工学の分野において、三角方程式を解いたことがないと思っていた。

いつだったか、「arcsin x+arccos x=\pi /2を理解する」というタイトルのエッセイの旧稿を改訂したときに、三角方程式を解く羽目になったと記憶する。もちろん、これはarcsin x+arccos x=\pi /2を理解する方法のたった一つにしかすぎない。

それ以外に高校で数学の三角方程式の問題を解いたことがあるが、それだけかなと思い、よく考えてみた。そうしたら、三角方程式を解くことにあたるのかどうかはわからないが、tan \delta =・・・とかを解いて\delta を求めるというようなことを研究の一部として、していたことを思い出した。

やはりこれも大きな意味では三角方程式を解くことにあたっているのではなかろうか。これは量子力学の散乱問題でphase shift \delta が決まれば、散乱の断面積が決まるといった問題である。大学院のころにしていたのは、それからphase shiftを求めることである。そればかりをやっていた。

やさしい問題なら、解析的に解けることもあるが、そういう場合はほとんどまれである。だから、ポテンシャルが与えられたときに、そのphase shiftの数値を決定することはそれほど簡単なことではない。

プログラム言語Fortranにはそれで二つだったか、arc tanの値を求めるサブルーチン・ライブラリーがあったと思う。それらがどう用途が違うのかは先輩から聞かされていたが、いまっちょっと思い出せない。そして、そのことをいつか数学エッセイとして書こうと思っていたが、そのままになっていたことも思い出した。

三角関数の話題を実際的な観点から書いてみたいと思っているためである。そのときに、三角方程式をどういう場面で解くことがあるのかなと思った。

しかし、私の経験はかなり特殊な経験であったのかもしれない。

 


コンビニの営業時間

2019-11-15 12:32:34 | 日記
コンビニのセブン・イレブン、ローソン、ファミリーマートの三つの系列の中でファミリーマートが7時ー23時の営業を認めた。これは店主の希望通りにするという。これでコンビニの営業時間の改革が一歩進んだ。

先月だったか、私もこのブログで5時ー23時の営業を提案したが、ファミリーマートの方が私よりもはるかに進んでいた。

私は深夜のコンビニで勤務する人の人権を考えたら、5時ー23時の営業が妥協できるところかと思った。

第一、ヨーロッパでは日曜の商店の営業はない。それでもそういうものだと慣れてしまえば、なんとかなるのだ。

深夜営業をしても売り上げが319円ぽっちだったという例があがっていた。コンビニは犯罪抑止の役目をしているとの話もあるが、やはり犯罪抑止は警察に任せるべきものだろう。

犯罪抑止の役目をたとえしているとしても、それがコンビニの深夜営業の理由となるべきではない。

英語、中国語、ハングル

2019-11-15 11:54:40 | 日記
姪の子(防衛大学の4年生)が言っていたのだが、防衛大学で重要な言語は第一に英語、第二に中国語、第三にハングルだという。

フランス語やドイツ語はその範疇には入っていない。そういえば、NHKのEテレの外国語で夜中の12時前に放送のあるのは、中国語、ハングル、ドイツ語、フランス語の4つである。もちろん、英語はこの4つの言語のそのまた一段上の取り扱いである。

私などはイタリア語が真夜中の11時30分からにでもあれば、見たいが残念ながらそうはなっていない。イタリア語とスペイン語の放送は真夜中の12時を過ぎてしまう。

この時間帯だから、イタリア語とスペイン語の放送を見る気が起きない。しかし、こういう事実とは別にハングルを学習する知人や友人を知っているから、ハングルや中国語の重要性は明らかなのであろう。

ちなみに姪の子は自分の父親の中国の深圳への赴任に伴われて、カナダ系の高校での数年を深圳で過ごしたから、英語と中国語がある程度は話せると思われる。

それにハングルを加えれば、「鬼に金棒」ということになるのだが、ハングルを学んでいるかどうかは知らない。

現在の韓国と日本との間の不和は周知の事実だが、そういう政治とは別に韓国とか北朝鮮との隣国としてのつきあいも重要だとの認識は世間には十分に浸透しているのであろう。

これは現在すこし韓国からの観光客や日本製品の韓国での売り上げが減少しているとはいえ、いつまでもそうであるはずはない。そのうちに国と国との和解へと進まないと展望はお互いに開けない。

譲るところは譲らないといけない。原則論だけでは外交はできない。国の全体として損得だけ考えただけでも明らかなはずなのに、日本政府の対応はあまりいいとは評価できない。


かすかだが、社会の雰囲気が変わりつつある

2019-11-15 10:59:37 | 日記

「社会の雰囲気が変わりつつある」と感じている。資本主義の行き過ぎに対する大きな反省である。

世界の富の半分はたった1%の人が持ち、世界の富の95%は世界のたった5%の人がもっていると言われる。残念ながら、これは現在のところは本当なのであろう。しかし、それがそのままでいいはずがない。

アメリカの富豪の中には自分たちにもっと課税してもよいと主張する人まで現れている。

やはり、明らかに資本主義の行き過ぎであろう。過激な主張をする人なら、資本主義の過ちだとまで言うかもしれない。

これらの富裕な人にすくなからぬ割合の課税をして、それぞれの国の政府が多くの人々にもっと富がいきわたるように、平等に分配する機能をもたなければならない。

もし、そのような政策を行わない政府や政党はもう国民から信用されないように早晩なるであろう。しかし、まだこれは現状ではこの考えは、まだ単につぼみの段階かもしれない。しかし、そういう政策をとらないかぎり、世界は持続的には、存続しないようになる。

国の枠を外れて度外れに利潤をあげている、GAFAのようなグローバル企業に関しても、国際的な国家間の協定を結んで、それ相応の税金を支払わせるようにしなければならない。

どこかのtax havenはその存在を認めないようにする必要がある。そういう見識のあるリーダーのみが、それぞれの国のリーダーとして認められるようになるのは、まだ10年も待たなければ、ならないのだろうか。 

これはベルリンの壁崩壊から30年目の私の考えである。しかし、こういう考えは人々の間や生活実感の中にすでに底流としてある。私は単にそれらの人々の声を単に代弁しただけである。