物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

書いてきた数学エッセイの数2

2024-07-08 17:54:15 | 数学
私の書いてきた数学エッセイの数の大雑把な全貌がわかってきた。

これは一部を本として出版した四元数とか、これはそんな本にはまったくなってはいないが、ベクトル代数、ベクトル解析に関係したものたちを全部除いたそれ以外のエッセイのおよその数である。

小学算数の関係はあまり多くなく、まったく関係がないエッセイを含めてだが、14編およそ56ページである。

つぎに中学・高校数学の関係だが、49編で272ページである。

最後に大学程度の数学に関係したエッセイが、シリーズで書いたものも含めて49編で総ページ数をあたってみたら、およそ355ページとなった。

私の判断では大学程度の数学の話は私には興味があるが、一般にはおもしろくはないだろう。

それでも、以下には大学程度の数学の分野のいくつかの掲載したシリーズ名を書いておこう。カッコ内の数はその編数である。

1.微分をして積分を求める (3)
2.n次元の球の体積 (4)
3.自然数のべき乗の級数 (4)
4.Cauchy-Lagrangeの恒等式の再論(5)
5.平方根の近似値 (3)
6.ラプラス演算子の極座標表示 (2)
7.直交座標系から極座標系へ(2)

等である。

6.7は3次元のラプラス演算子の極座標への直交座標系からの変換に関係している。量子力学を学んで直交座標系から極座標系への変換をやってみたくなり、1週間ほど学校から帰ったらそれに取り組んでみたが、大学3年生の時には成功しなかったといういわくつきの計算もその後文献を見て行ったことがある。

この計算は『数学散歩』や『物理数学散歩』にも所収されたが、その計算をもっと省力化したような計算も「数学・物理通信」で発表している。

もちろん、ラプラス演算子の極座標表示は、円柱座標を経由して極座標への変換できることは、どの物理数学のテクストにも書いてあり、これを行うことは大学3年のときにでもできたが。




ビヴァリヒルズに住む夢

2024-07-08 13:56:15 | 本と雑誌
ビヴァリヒルズに住む夢を持った親しい友人がいた。もっとも金持ちの人が住むという町だから、長い間住むつもりはなかったらしい。

定年退職後の3か月でもいいからビヴァリヒルズに住むつもりだと聞かされていた。それで君がそこにたとえ一時でも住むなら「ぜひそこを訪れるからね」とこのH君と約束していたのに彼は高専を退職後にまもなくして事故で亡くなってしまった。

もう何年になるのかも分からないくらい前である。ひょっとしたらまだ私は定年退職前だったかもしれない。

彼はUCLAに一年留学をした経験をもっていたから、ロサンジェルスは親しい町だった。かなり近しい親戚もカリフォルニアのその近くに住んでいるとか聞いたことがあった。

わたしなんかと比べれば頭のいい彼だったが、あまり頑張るほうではなかった。そういうのは彼の美学に反していたのかもしれない。うまく立ち回れば学位くらい簡単に取れるはずの男だったが、結局取らずじまいだった。

大学院の博士課程の5年間をほぼ一緒に過ごした。もっとも彼はK市に実家があり、そこから通っていた。もちろんH市に住んだこともあったが、私とは違ってずっと住んでいたことはなかった気がする。

学部の頃のことだが、試験の前に試験勉強をしても試験前日には私も彼も何もわからなくてもつぎの日に来たときには彼はほぼ理解しているのに私はまだまるっきりわからないということが何回もあった。

そういう頭の良さを彼は生かしきれなかった。私は頭が悪いなりに努力して博士課程を終えるときには3年で学位をもらって課程を修了した。もっとも頭のわるいやつがノロノロうろついているのを見かねた先生の一人であった、Yさんが面倒をみてくれたので大いに助かった。

それも博士課程2年の終わりころまで全く論文が書けなかった。もちろん共著の論文だが、フルペーパーと言われるレターでない論文を書いたのは、博士課程2年の終わりの正月すぎであり、その論文が雑誌に掲載されたのは博士課程3年目の5月ころだった。

そこまではH君と一緒に研究をしていたが、そこで1967年4月に二人が別れてそれぞれの個別の研究をすることになった。彼のもらった課題が私のもらった課題よりも難しかったことは事実である。

だが、頭のいい彼ならば難なくこなすことができたはずだ。kinematicsが私の与えられた課題に必要なものよりも難しかっただろうとは思うのだが。

だから、私には彼が結局のところ学位を取らないですますとはとても思えなかったのだが。人生とはままならぬものである。