物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ゲイルサックとシャルル

2014-02-12 17:45:34 | 物理学

理想気体のしたがう方程式として高校の化学の時間にボイル・シャルルの法則PV=RTを学んだ。

ところが最近になって熱力学第一法則を一番初めに提唱したと言われている、マイヤーのことを調べていると私がシャルルの法則として覚えていた法則をゲイルサックの実験結果としてマイヤーは用いていると山本義隆氏の『熱学思想の史的展開』には書いてある。

それでゲイルサックの実験の方が早かったのかと思って、ちょっと年代を調べてみるとどうもシャルルの方が時代的には早そうなのである。

ところがマイヤーはシャルルの結果を知らなかったのだろうか。昔は同時代または自分よりも前の時代にわかったことでも知らないということがあったのだろうか。

そういえば、ジュールの方はマイヤーが知っていた、ゲイルサックの気体の温度変化の結果を知らなかったらしい。

それでマイヤーは熱力学第一法則についてまったく実験的根拠を欠くと思っていた。それがジュールは熱力学第一法則の最初の提唱者は自分だと主張する一番大きな理由だったらしい。


西洋科学者ゆかりの地 in Japan

2014-02-12 12:03:47 | 本と雑誌

出版社から西條敏美先生の『知っていますか? 西洋科学者ゆかりの地 in Japan (Part II)』(恒星社厚生閣)を送ってもらった。これは科学者の記念碑とかお墓への紀行文25人分をまとめたもののPart IIである。

しかし、なかなか一気に読む時間がない。しかたがないから、一昨日くらいから2人または3人くらい分を就寝する前の1時間くらいに読むことにした。

昨夜、日本近代医学の父とも言われるベルツの項を読んだら、印象的な文が引用されていた。下に引用しておく。

「西洋の科学の起源と本質に関して日本では、しばしば間違った見解が行われているように思われる。人々はこの科学を、年にこれこれだけの仕事をする機械であると考えています。これは誤りです。西洋の科学の世界は決して機械ではなく、一つの有機体でありまして、その成長には他のすべての有機体と同様に一定の気候、一定の大気が必要なのであります。・・・日本では今の科学の成果のみを彼らから受け取ろうとしたのであります。この最新の成果を彼らから引き継ぐだけで満足、この成果をもたらした精神を学ぼうとしないのです」 (1901年12月22日)

これを読んで思ったことはつぎのようなことである。武谷三男の三段階論が科学の歴史としてはあっていないという議論がある。

それはひょっとしたらそうかもしれないとも思っているが、武谷が三段階論のような見解をもつようになるときの動機は実は上に引用した科学が生まれるための一定の気候とか大気が日本に欠けているという欠点を少しでも補いたいという意図から生まれている。

どうもそういう歴史的な背景とか問題意識を抜きにして、単に三段階論が科学の歴史としては間違っているというような議論はそれ自体はもしかして間違っていないとしてもやはり議論の前提とか背景を理解していないということではないかと考えている。

現在ではもう日本は科学の後進国ではないだろう。それは先人の方々の尽力のお蔭である。だから、現在では武谷三段階論とかをうんぬんしなくてもいいくらいの科学の伝統ができているのかもしれない。

だが、それはまだ1930年代ではそうではなかった。

もちろん、ベルツは20世紀のはじめごろに、日本人の科学の受け取り方を批判したが、それはその当時はそうとられてもしかたがなかったであろう。

しかし、その後の日本の科学の業績を見てみると100年以上を経て、日本人は大いに科学の分野で健闘していると考えてよいだろう。

だから科学の成果だけを取り込むと思われたものもはじめはそうであったかもしれないが、それははじめだけであったのだろう。

ただこれがこれからも日本の科学の伝統を持続できるかどうかは、これからの日本における科学政策がどうなるかにも依存してくると思われる。科学など国家の体制にすべてのみ込まれるにしても、個人としてどうしようもないなどとは考えてはいない。


売れるから「嫌中憎韓」とか

2014-02-11 11:53:23 | ニュース

今日の朝日新聞に『売れるから「嫌中憎韓」』と題する記事が先に書いた「佐村河内氏問題問題への自戒」の記事の真横に出ている。

ということは朝日新聞の編集部の意図があるのであろうが、この記事のタイトルを見ただけで昔の話を思い出した。

これは太平洋戦争に日本が踏み切るか踏み切らないかのころかその後のことである。

日本では上からの方針として押し付けられて英語を学ぶことが、悪いこととして取り扱われた。多分英語の文献とかを読む人も肩身が狭いというような風潮があっただろう。中学校や女学校で英語を教えていた先生も肩身が狭かっただろう。

ところがアメリカでは日本との戦争に勝つためには「日本のことをよく知らないといけない」ということで日本研究や日本語を学ぶことが奨励されたという。

もちろん、日系のアメリカ人をどこかの片田舎に収容所をつくって市民社会から隔離したというような間違った政策もとられたが、日本語を学ぶことや日本研究を奨励したあたりが日本の政治家や軍部の考え方と大いに違った。

また、戦後に日本語もできて、日本研究の専門家として一家をなした人の多くがこの戦中の日本語を学んだ人たちであった。

もちろん、現在は資本主義の社会だから、あくまで売れるものを売って利益を得る。そのような本を出版社が著者に書かせて売るとか、週刊誌で特集をしてその週刊誌の売り上げを増やすというのはしかたがないかもしれない。書店だってそういう売れ筋の書籍の書棚のコーナーをつくるのだって非難される筋ではなかろう。

だが、マスコミはそれもある程度の社会の良識を代表していると思われるメディアはそれにあまり依拠してはならない。そういう風潮があるということは報道することは社会の様子として報道することは許されるだろうが、やはりよほど注意してそれを報道しなければならない。

これは対中国とか対韓国とかの問題となると、国際外交問題にもなることだから、単に一個人の佐村河内さんの問題よりももっと大きい。

そういうときでも中国なり、韓国なり、北朝鮮のことを深く理解している人に記事を書かせることをマスコミとしてはしなければならない。出版社としてはそういう深い洞察に満ちた種類の本を出版しなければならない。政治を正さねばならない。

それがエリート出版社や新聞社や公共放送としてのNHKの役目のはずである。そういう姿勢を忘れたら、たとえばNHKは聴取料をとることは詐欺でしかない。


佐村河内さんとHiroshima2

2014-02-11 11:27:53 | 音楽

今日の朝日新聞に「佐村河内氏問題への自戒」という氏に取材して記事を書いたことのある、Y記者の記事が載った。

それによると交響曲「Hirosima」の専門家の評価は必ずしも高くなかったらしい。ということは専門家はある程度きちんと曲のレベルを分かっていたのかもしれない。専門家の評価のことは分かった。

問題はその評価を知りながら、あるストーリを記事にしたり、放送番組にした担当者の識見が問われる。

なんでもあるストーリの記事をつくったり、番組を編成するにはそれは曲を鑑定をした専門家の仕事ではない。担当の記者の役割であったり、ディレクターの役割であろう。ある重要な役割をその担当をした人は担っている。

朝日新聞のそういうコラムの担当者ともなれば、私のような音楽の素人であるとは考えられない。NHKの番組のディレクターもそうであろう。そのときに自分の構想とは違った意見も聞いたのであろうが、自分の記事や番組のためにはそれらを切り捨てないことには記事や番組ができない。

そういうことがあるのである程度はしかたがないが、それでも常に報道に携わる者としてはいつでもそのストーリから外れた意見や考えにも注意しておかなくてはならない。

Y記者は書く。「しかし、音楽を聴くことは、そうした評価を越える、極めて個人的な体験である。」と。そのときにご自身の個人的な体験まで含めておられるのであろうか。そこら辺が知りたい。

一般にいろいろなストーリに私たちは惑わされやすい。それでできるだけそういうストーリを知らない方に音楽を聴いてもらい、その方々の意見を参考にする方法でしか惑わされた自分を正す方法がない。

朝日新聞の記事を書いたY記者やNHKの担当だったディレクターを糾弾するというそういう意図を私はもっていない。

いつでも私たちはそういう間違いをする可能性をもっているのだから、いかにそれから逃れる術を身につけたらよいかということについての一提言にしかすぎない。


音楽と数学

2014-02-10 13:16:29 | 音楽

昨日の朝日新聞に桜井進さんが音楽の音階のことを説明されたコラムを書いていた。

以前から音階と数学との関係についてきちんと知りたい思っていたので、そこを読んだのだが、まずピタゴラスの音律のつくり方がわからない。

ド、ソからレをつくり、それからラをつくるとあるのだが、その原理がはっきりしない。妻がこたつにそばに一緒に入ってテレビを見ていたのだが、冬季オリンピックを見たくない私はこのコラム記事を妻に読んでもらった。

だが、その原理はわからなかった。つぎに12平均率の方へ行ったが、これはなんとかわかったつもりであるが、本当にわかったか疑わしい。

そうこうしているうちに妻がスマホでgoogle検索してくれたが、なにせ画面が小さいのでうまく読めないし、画面では読みにくいので明日(それは今日のことだが)もう一度パソコンで検索をしてそれをプリントして読むことにした。

前から、一度そういうことを音階と数学との関係を調べてみたいと思いながら、今まで一度もしたことがなかった。今回もそれができたわけではないが、そういう関心を私がもっているということを妻も知ってくれた。


MIT白熱教室(第1回)

2014-02-08 15:57:15 | 物理学

NHKのEテレでMIT白熱教室の再放送の第1回が昨夜あった。

これは前の再放送だが、前のときにあまりよくは見ていなかったので昨夜は楽しんだ。

普段こういう番組に興味を示さない妻も趣味の習字を終えてちょうど居間に出てきたが、一緒にコタツに入って、しばらく興味深そうに見ていた。

Lewin先生は76歳とかで私よりも1~2歳年取っているということだが、この教室を撮影したのは数年前になるだろうから、4~5歳年上であろうか。

式をあまり黒板には書かないが、それでも実験とか測定で、面白い発見をしていく。

人の身長が立っているときよりも横になっているときが、数cmだけ人の身長が伸びているとか振り子の周期が重りの重さにはよらないで、ひもの長さの平方根に比例するとかいったことから、結構おもしろいことを実験とか測定で確かめていく。

式で書くと振り子の周期Tは

   T=2\pi \sqrt{L/g}

である(式の表示はLatexの記法による)。

たったこれだけのことを黒板に書いてその周期を来ている学生たちに実際に振り子を10回降らせて計測で確かめさせる。もちろんストップウッチを押すのはLewin先生自身だが、そのときに周期の測定でもその数値の測定誤差のことにちゃんと言及されていた。

こういう風にして測定誤差のことを学べば、誰でも測定誤差のことを忘れないであろう。

また上の振り子の周期では振れる角度があまり大きくなるとこの公式で与えれる周期とは合わなくなるはずだが、振れの角度が5度のときには十分に公式の精度はいい。つぎに振れの角度が10度のときも調べるが測定誤差の範囲で当てはまっていることが示される。

つぎに、自分が重りの上に乗って重りを振らせて、重りの質量には周期がよらないことを実証する。

さらに最後の圧巻は13キロの重りを顔の前から振らせて力学的エネルギーの保存が成り立っていることを身をもって出席者全員に示すことで講義を終えた。

ただ、やはりこの最後の重りの振動の実験の前の晩は自分でもよく眠れないとか、重りが自分の眼前まで迫って来るので目を開けておれないと言われていた。

それはそうだろう。力学的エネルギー保存則をいくら信じてはいても大きな重りが自分のほんとに眼前まで迫ってくるのだから。それに眼をあけていれば、恐怖を感じない方がおかしい。

さて、来週はどういう講義だろうか。


外国語辞書の訳

2014-02-07 18:15:08 | 外国語

外国語辞書の訳が最近こなれた現代的な訳語になっている。

私が知っている辞書はドイツ語とフランス語くらいしか知らないが、木村・相良の『独和中辞典』(博友社)とかを学生の頃に使っていたが、訳語が今から見るととても古かった。

最近の大学生の学習用の独和辞典などもこなれた訳になってきている。フランス語の辞典にしても私の学生のころには大修館の『仏和辞典』がいいとのことで先生から勧められたが、いまでもときどきは引いてみることがあるが、もう訳語が古い。

もっともこの辞書も多分改訂されているのだとは思うが、少なくとも新しい版をもっていない。それに比べて『Le Dico現代フランス語辞典』(第2版)(白水社)などは訳語が現代的になっている。

もちろん、訳語が古くてもいいとか言われる辞書が存在することも事実であるが、なかなか自分では実感ができていない。たとえば、斎藤秀三郎の『英和中辞典』(岩波書店)はいつだったか朝日新聞で古いけれどもちょっと他に代えられない辞書として紹介されていた。

もっともその実感を自分でいまだに感じることができていない。

中学校のころに学習塾に通って英語の手ほどきを受けたのだが、このときの老先生が斎藤秀三郎のことをいつも賞賛していたのを覚えている。そして斎藤秀三郎の『和英大辞典』をどこかの書店主がお金の払いは後でもいいから、「持ち帰っていいよ」と言われたときには飛び上がって喜んだと話してくれたのを今でも覚えている。

この老先生は旧制の中学校しか出ていなかったが、愛媛県のどこにもまだ中学校が開校されていなくて、岡山の中学校まで学びに行った方であったが、その中学校にはもちろんイギリス人の先生がいて、そのイギリス人の先生のごひいきの生徒であったらしい。

だから今で言うとその老先生は大学教育で英語を専攻したくらいの学力であったと思われる。さらに中学校の数学もその先生から学んだので、私はそこで多くを学んだことになる。

この武田先生(白星堂)は実は私の母が女学校の受験のときに学んだ先生であったから、経験豊富で、教え方も上手であった。


佐村河内さんとHiroshima

2014-02-07 12:05:07 | 音楽

佐村河内さんは全聾の作曲家で現代のベートベンとまで言われていたが、彼は曲を18年前から他人に頼んでつくってもらっていたと本人と代わりに作曲をしていた当人の新垣さんが発表して問題となった。

これらの方々のした行為は簡単には許されるようなものではなかろう。コマーシャリズムに走ったことはあまりほめられたことではない。だが、ここでは彼らのしたことを断罪することが目的ではない。

一つの考え方として言いたいのだが、佐村河内さんの作曲と称する交響曲「Hiroshima」が賞賛されたのにはマスコミでほめられたということも少なからずある。

ストーリ性もあり、話題になるということもあったろうが、NHKにしても他のマスコミにしても音楽がわからない人たちばかりであるということはなかろう。そうだとすれば、やはりいくばくかのよさをこの交響曲がもっていたはずである。

もしそうだとすれば、当面この曲を演奏することは交響楽団も自粛すべきではあろうが、何年かの停止期間の後にストーリ性とかとは別に再度演奏するときがきてもいいのではなかろうか。

その演奏停止の期間が10年なのか、20年なのか、30年なのか私には判断がつかないが、いつか曲を曲として純粋にストリー性とは別にして鑑賞できるときが来ることを願っている。

このことがまず第1点である。第2点はストーリ性とから離れて”交響曲「Hiroshima」”を本当のところはどう評価していたのだろうかということである。これは私のような素人の出番ではないが、音楽の玄人である、専門家はいるはずである。それらの方々の判断はどうだったのであろうか。

クラシックとしてはCDが18万枚も破格に売れたということである。NHKの放送を見た後で私もCDを購入して聞こうかと心が動いたが、私自身は音楽に暗いのとあまりCD店に行くこともないので、そのうちに忘れてしまっていた。

これはCDを買って聞いた人がどう思ったのか。率直にどう思ったのか知りたいところである。私自身の判断ではNHKの放送で部分的に聞いた限りではそう悪くはなかったと思う。

言いたいのはウソをつくのは悪いが、曲そのものがいいなら、ある期間をおいた後に復権の機会が与えられてしかるべきだということである。

(注) 音楽業界に詳しくないので、著作権とか何かの問題とか要するに経済的な収益の問題があるのかもしれない。

こういう場合に著作権等がどうなるのか知らないので、何とも言えないが、著作権とかのすべての権利をCD製作会社とか作曲者が放棄するとかいう処理のしかたもあるのかもしれない。

だが、この点については全く疎いので、もしかしたらとても大きな問題があるのかもしれない。その場合には私のようなあまちょろい意見は通らないことはいうまでもない。


著作批評反省

2014-02-06 11:57:48 | 本と雑誌

前の私のブログで二つほど山本義隆氏の著作について批判的とも思われるととられる記事を書いた。

率直に書いたのだが、どうも山本氏に批判をもっていると思われるのも心外なので、弁解をここでしておく。

確かに、批判ととられてもしかたがないが、彼くらいの大人物になれば、それほど気にはしないと思われるので、単なる小人の僻みだとはとるまいと思っている。

最近になって、彼の大著『熱学思想の史的展開』(現代数学社)の第22章を読んで私の知らない難しい言葉を使っているから、もっとわかりやすい言葉で書くべきではないかと書いた。

これは彼の能力からすれば、そういうことも十分できるはずだという意味で言ったのであって、彼が衒学的であるとは思っていないということをそのときにも述べた。

最近だが、アマゾンの彼の著作の評を読んでいたら、H. Yamagataという方の評が辛口の評であった。

推測で申し訳がないが、このH. Yamagataという方が評論家(?)の山形浩生(失礼、名前がまちがっているかもしれない)さんなら、彼は山本さんの予備校での教え子の一人だと山形さん本人がどこかで書いていたので、その書評はあまりいい評価ではなかったが、それは率直な批判というか感想だと思った。

それらの小さなことを気にする山本さんではなかろうと思っている。


幕末の佐賀藩

2014-02-05 11:59:57 | テレビ番組

昨夜のNHKEテレの「知恵泉」は再放送であったが、幕末の佐賀藩のことをとりあげていた。とりわけ若くして藩の跡目を継いだ鍋島直正のやり方に焦点を当てていた。

これは幕末の佐賀藩からは有用な人材が輩出し、また日本の科学技術の先端を当時担っていたからである。

幕末に西洋式の大砲をつくろうとしたが、失敗続きで家臣の責任者が責任をとって腹を切って殿様にお詫びしようとしたら、それを止めたどころか、ほめてその大砲の製作の継続を強く要請したという。

鍋島直正は失敗した責任者がいちばんいままでの製作法の欠陥をよく知っているであろうから、もしつぎに大砲の製作を成功へと導けるとすれば、その責任者しかおるまいと考えたというからなかなか透徹した考えの持ち主である。

直正は

「失敗は何事にも替えがたい財産だと考えていた」

というから、現代の企業の経営者もその知恵を少しは学んだ方がよい。

文脈はまったく異なるが、大学院生のころ、ある先生から理論物理学の研究などはその大部分が失敗であると聞かされた。その先生は成功しない道を一つ一つつぶしていって、成功への道を探るのだと常に言っていた。

そういう文脈からいえば、確かに直正の判断と処置は正しい。横道にまたはずれた。

直正のモットーの第二は

「自ら率先して模範を示せ」

であった。オランダの軍艦がやってきたときに、その軍艦に乗り込んであれやこれやと質問をしたそうである。それも午前中に質問をして、途中に昼食のため下艦したが、また午後にやってきて、さらに質問を続けたという。

そうやってある意味では無様ともいえる、自分の様子を家臣たちに曝したという。その後、家臣が大砲の製作に成功したのだが、それが実戦に耐えるかどうかで、どれだけの火薬を使って、テストしたらいいか皆目見当がつかなかったときに、「オランダ人に聞きに行け」と言ったという。

そして長崎出島に滞在しているオランダ人から大砲のテストのための火薬の量を聞き出して大砲のテストをして、製作した大砲が実戦に耐えることを知ったという。

日本広しと言えどもその当時、大砲を独自に製作できる技術をもった藩はなかったので、幕府から50砲の大砲の注文を受けたという。そして、その大砲は今の東京のお台場に据えつけられたという。


読む人

2014-02-04 11:30:55 | 本と雑誌

岩波書店のPR誌『図書』の巻頭は「読む人、書く人、作る人」である。

そして毎月このどれかの範疇に入る人が巻頭言を書いている。もっとも今日の話題はこの『図書』のことではない。

わたしは基本的に書く人であって、読む人ではないと思ってきたが、最近はそうでもない。というのはサーキュラー『ドイツ語圏とその文化』2号の原稿を書くために私としては珍しく「読む人」に徹している。

とはいえ、読むだけでは仕事にならないのはいうまでもない。読んだことのいくばくかはこれらのサーキュラーの原稿に反映しなくてはならない。

ということで、数日前から『ドイツ語圏とその文化』2号の原稿を細々と書き始めている。書き始めたからと言ってそんなに簡単に完成はしない。

だが、今回はかなり読むことが必要だった。まだ十分に読んだとは思っていない。だが、書きながら、読み、読みながら、書く段階に至ったと思ったので、書き始めた。

だが、今は書き始めてはいるが、基本的には読む作業が中心であろう。


外国語を話す力

2014-02-03 13:14:57 | 外国語

You speak good English.

と言われた日本人は私も含めてたくさんいるだろう。だが、これはある種のほめ言葉ではあろうが、そんなに高い評価ではないという。

これは「あなたの英語はなんとかわかる」くらいの評価なのだという。

ではもうちょっと上手な英語を話すとどういわれるかというと、「あなたの英語はなまりがある」といわれるとか。

そして本当に上手に話すようになると、「何とも言われなくなる」のだそうである。確かにとても上手に日本語を話す外国人がいたとして、確かに私たちも何も言わない気がする。

ロバート・キャンベルさんが日本人と変わらない日本語を話しているのをテレビで見たとき、はじめは驚嘆していたが、いまでは当然だと思っている。

そして、もし彼に「日本語がお上手ですね」などと言ったら、彼を軽蔑しているような表現だと感じてしまう。


ドイツ語クラスの栄枯盛衰

2014-02-03 12:52:57 | 日記・エッセイ・コラム

なんでも流行りすたりがある。

私の属しているドイツ語のクラスも盛衰があり、いまは「衰」の時代に入った。

多いときには8,9人のメンバーがいたが、それぞれ事情は異なるが、いろいろな事情で辞めていき、来季からはまた一人の方が別のクラスへ移って行くという。だから4人のクラスメンバーとなる。

元々このクラスは松山市のコムズでされていた、ドイツ語のボランティア講座が源である。それ以前の話もあるが、直接にはこのドイツ語のボランティア講座が源と言っていいであろう。

ドイツ語が少し話せたからといって、それほど自慢できるような話ではない。これがフランス語が話せるとでもいうのなら、英語を話す人でも少しは尊敬をしてくれることだろうが、残念である。

それに私などはいつまでたっても、ドイツ語の片言もいいところである。もっとも片言でも話せるようになるには何十年もの間のたゆまぬ努力があることはいうまでもないが、努力そのものは特にほめられるとかいう筋のものでもない。

世の中にはすいすいと外国語を習得する天才みたいな人がいることは事実だが、そういう特別な方々を除けば、大抵は涙ぐましい努力の結果であろう。

特に外国語を聞いてわかる力は一朝一夕にはできないので、これがなんでも大きな障害となる。たくさんいろいろな状況にあたる以外には方法がない。

外国語を聞いて理解できるようになるには最低2000時間その言語を聞き続ける必要があるという。

また、いつだったか応用数理学会の研究会で聞いた話では英語のTOIECテストだったかの900点以上をとった英語を母語とはしない人は、アメリカのIBM本社でもTOIEC900という特別のグループをつくっているという。

だれかがTOIECテストで900点以上をとるにはどうしたらいいかと講演をした人に質問したら、英語の新聞を自分の身長と同じか身長の2倍くらい読めばいいとかの答えを聞いて、みんながシーンとしてしまった。

もちろん、英語を母語にしている人なら、そんなことは当然のことであろうが、普通の私たちにできることではなかろう。

この講演をした人は数学者であったが、数学者は外国語もできる方が多い。


熱学思想の史的展開

2014-02-01 13:40:18 | 物理学

山本義隆氏の『熱学思想の史的展開』(現代数学社)の22章を必要があって読んだ(注)。

それと同時並行的に高林武彦氏の『熱学史』(海鳴社)のそれに対応した章も読んでいる。

高林さんの『熱学史』の対応した章は読み終わってはいないのだが、つまらない些細な感想を述べておく。

明らかに山本氏の方はきちんと全部論文を読んで、それをフォローした記述であり、氏のきちんとした姿勢が伝わってくる。

だが、些細なことだが、言葉に難しいところがところどころある。山本さんが衒学的な人だとは思わないが、どうも私などは絶対使わないと思うような漢語の語が使ってある。これでもわかる人にはわかるのだろうが、やはりもっと平明な言葉で表現をしてもらいたい。

その点が高林さんの方にはない。高林さんは名文を書く人と知られていた。この熱学史がその名文で綴られているかどうかはわからないし、高林さんも難しい語を知らないわけではないのだろうが、少なくとも私が首をひねるような語句は使われていない。

山本さんは、もちろん高林さんの書も読んだ上で『熱学思想の史的展開』を書かれているので、表現が難しいということはよくわかるが、それでもやはり平明な言葉を使うべきだと思う。

大著のたった1章を読んでの感想であるから、「群盲象をなでる」の類の評であるだろう。だが、他の章を読む気を私にいつ起こるかの心配をさせた。

(注) 『熱学思想の史的展開』は筑摩書房の文庫として3巻にわけて今では出版されている。しかし、こちらの方は山本さんによって新しくの改訂されたということではあるが、まだ手に入れていない。

このアマゾンの書評を読むとこの書が優れた書であることは多分判断できると思う。だが、読み難い書でもあると思う。そこら辺が読者としては残念に思う。