小田実のことを書いたので、松田道雄のことも書いておかなくてはいけないだろう。
小田実が思想家として出現するまでの間に、私の思想の模範となったのは松田道雄であった。
彼は京都で開業していた小児科医であった。それだけではなく、彼は岩波新書にかなり多くの啓蒙書を書いている。はじめは小児科医としての経験に裏打ちされた子育ての話であり、これは大阪の朝日新聞に連載された「私は赤ちゃん」という連載であった。続いて、「私は二歳」という連載を書いた。
そして、それらは岩波新書の『私は赤ちゃん』『私は二歳』として発行された。これは私が大学の学部生であったころである。思考が柔らかく、自由な思考である。思想として社会主義に理解のある思想に近かったが、それにはひどくは拘泥しないところがよかった。
その後、5年ほど前に、この2つの岩波新書は孫の育児の参考に子どものところへ送ってやったので、もう私の手元にはない。
かなり老齢になるまで松田さんは開業医をされていたが、私が大学院を出て、ある研究所の非常勤講師をしているころだったか、開業医を止めて思想家として著作を発表されていた。
そして、その中に多くの岩波新書もあった。あまりに多いので、1,2だけをあげると『母親のための人生論』『自由を子どもに』他6冊がある。
上に挙げた著書と合わせると10冊を岩波新書として書いていることになる。若いときには結核の専門家として対策にあたっていたらしく、そういう種類の岩波新書もある。
1968年の大学紛争のときにも朝日新聞にコメントを求められたりしている。それくらい思想家としての地位をもっていた方である。
もっともこのときのコメントは私にはピンとこないところがあったが。