物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ベクトルの創造の追体験

2022-09-13 11:21:59 | 数学
ベクトルの創造の追体験を昨夜した。いや別に驚くようなことをしたわけではない。

「ベクトル解析」という分野が数学にある。いまでは数学の分野という感じだが、実はベクトル解析という数学の分野をつくったのは狭い意味の数学者ではない。

アイルランドの数学者ハミルトンが四元数を発見してから、少し経ってこの四元数のベクトル部分と言われるようになった部分の積をとると

 (ai+bj+ck)(xi+yj+zk)=-(ax+by+cz)+(bz-cy)i+(cx-az)j+(ay-bx)k

となる。この四元数のベクトル部分の積から今ベクトルと言われているもののスカラー積とベクトル積を考え出したのはGibbsというアメリカの物理学者であった。

\bm{a}=a\bm{i}+b\bm{j}+c\bm{k}
\bm{x}=x\bm{i}+y\bm{j}+z\bm{k}

という2つのベクトルを定義し、この2つのベクトルから二つの積を定義した。一つはスカラー積であり、もう一つはベクトル積と言われるものである。

スカラー積は

\bm{a}・¥bm[x}=(ax+by+cz)

で定義され、ベクトル積は
yousyryni
\bm{a}\times \bm{x}=(bz-cy)\bm{i}+(cx-az)\bm{j}+(ay-bx)\bm{k}

で定義される。

要するに、うまく四元数の積から二つのベクトルの積を新たに定義したに過ぎないのだが、このベクトルの概念は四元数よりもわかりやすく四元数は廃れて、ベクトルが全盛を誇ってきた。

最近でこそ四元数が生き返っているが、それでも失地回復とまではなかなかいかない。






「数学・物理通信」12巻5号を発行した

2022-09-12 15:45:24 | 本と雑誌
「数学・物理通信」12巻5号を発行した。8月の終わりころから編集していた12巻5号を今日発行した。

いつもなら、続いて12巻6号を発行するのだが、今年はできないので、たぶん10月に入っての発行となるだろう。

これは10月1日が締め切りの論文に投稿をしたいからである。今日からはその論文にとりかかるつもりである。

もっともこれについては少し8月中に文献をすこし読んである。だがまだ十分ではない。



auberge, devoirs, impermeable

2022-09-12 10:06:22 | 本と雑誌
auberge, devoirs, impermeableはいずれもフランス語である。順にオベルジュ、ドゥヴォワール、アンペㇽメアーブルと発音する。カナで発音を書くとちょっと変な感じなのはお許しいただきたい。またアクサンが落ちているのもお許しをいただきたい。

devoirsは別だが、auberge,  impermeableはフランスやスイスのフランス語圏で覚えたフランス語である。

aubergeはちょっと古い日本語での「はたご」とか「旅館」というイメージなのだろう。スイスのジュネーヴ郊外でその日の宿を探していて、あるホテルで空いている部屋はないかと尋ねたときに、うちは空いた部屋はないが、連携したホテルにauberge~何とかがあると教えてくれたのである。これはフランスに入ったところにあった。

このやりとりは、もちろん私のカタコトのフランス語である。そして、このaubergeを探し当てて、そこで一晩を過ごしたのだが、そのaubergeの前の広場で夕方にペタンクをやっていたのが、印象的であった。

つぎは、 impermeableはそれから半年ほど経ってから、2月末だったかパリのオペラ座の近くの、あるブティックの前で妻が店頭にあったコートを見つけて、あれを買いたいと言い出した。

しかたなくお店に入って、あのコートを見せてくれと、これもたどたどしいフランス語で言ったら、あれはコートではない。C'est un impermeableだと言われた。聞いたことがある語だったが、わからなくて、へどもどしているとrain coatと言い直してくれた。だから impermeableという語はいまでも覚えている。

結局そのコートを購入したのだが、日本に帰ったら、妻はまったくそのコ-トに関心がなくなって、妹にすぐそのコートをやってしまった。その後、妹がそのコートを着ているところを見たことがないから、タンスの肥しになったことだろうか。

devoirsという言葉はごく最近のことである。ラジオのフランス語講座のテクストにクイズが出ている。この中に挿絵があり、それを見てクイズの答を探り当てて書くのだが、宿題というフランス語を思い出せなかった。妻にスマホで宿題のフランス語を検索してもらったら、devoirsという語であった。

この語も知らなかった言葉ではなく、すでに知っていた語ではあったが、すぐには思い出せない語の一つだった。だが、もう忘れないであろう。

ちなみに、そのクイズの答えはfaire ses devoirs(彼の宿題をする)であった。







「数学・物理通信」12巻5号の発行の準備ができた

2022-09-10 17:16:36 | 数学
9月に入ってから準備してきた12巻5号の発行の準備ができた。週明けに発行する。

今回は編集委員のSさんのアディアの球面線形補間の導出を、私のエッセイの付録で述べた。これは私の書いたエッセイを読んで、こんな面倒なことをしなくても球面線形補間の式は導出できますとコメントされたのである。

気がつけば簡単であるが、そういう導出法を私は知らなかった。このエッセイの主題は「金谷の方法」による球面線形補間の導出であったのだが。小著『四元数の発見』の中にも少なくとも4つの方法を書いたのだが、ここで導出法は急に2つ増えたわけである。導出法は少なくとも6つになった。

頭のいい人がいるものだと思うが、Sさんにしたらなんでもなさそうにされているから、謙虚な人である。本当に賢い人は謙虚でもある。

私などは自己顕示欲が強いと思うが、謙虚さのお手本を示されたような気がしている。しかし、これは真似ができない。


9月の子規の俳句

2022-09-10 15:16:32 | 本と雑誌
今日は9月10日である。

9月の子規の俳句を紹介しておこう。

  船に寝て我に並ぶや天の川  子規
  Lying in a boat
       in line with
       the River of Heaven     Shiki    (1894)

いつも送ってもらっているE大学の校友会のカレンダーでは天の川の写真が載っている。

「並ぶや」とか「寝て」の漢字がちがっているが、これは許して頂こう。


新しいメールソフトに慣れていないので

2022-09-10 11:04:39 | 本と雑誌
友人にメールを送ったつもりだが、まちがったメールアドレスに送っていたことに気がつかなかった。やれやれ。

今日になって、メールが届いてないことに気がついて、再度送り直してみた。これで何度か送るテストをしたことになる。

さて、今度はうまく届くだろうか。それに添付書類のつけ方がわらなない。

なんでも次の段階に行くには時間がかかる。慣れだたとはいうものの戸惑うことの多い、今日この頃である。





メールソフトの交代

2022-09-09 16:11:26 | 本と雑誌
メールソフトは長年Outlookを使ってきたが、どうもなんらかの配慮があったのかうまくこのOutlookが使えなくなった。

それで、たまたま友人から教えてもらったThunderbirdというソフトに切り替えた。いつもメールとかインターネットとかが故障したら、その修復になにがしかの費用がかかっていたが、今回は寄付の500円ちょっとで新しいメールソフトに乗り換えることができた。

先回の故障のときは2019年であったらしい。3年目にやはり不良があったことになる。

それにここ数日どうしようかと思い悩んだ。いつもインターネットの恩恵を受けているわけだから、時々は仕方がないのかもしれないが、困ったものである。

『四元数与三维旋转』

2022-09-08 17:34:25 | 数学
『四元数与三维旋转』というレビューが中国語で出ている。

中国語は昔少しかじったことがあるくらいでまったくわからないのだが、『四元数与三维旋转』は英語でいうならば、
 Quaternions and Three-Dimensional Rotations
とでもいうのだろうか。実はこのレビューの末尾の文献欄に私の名前が載っている。

「数学・物理通信」に四元数のことを連載していたこととか、それが本にまとめられて、2014年に発行されたこととかも書かれているらしい。そして、本の文章も連載時と、ほぼ同じだとかも書かれているらしい。

四元数の発見の歴史とか、四元数の応用とかが書かれてあると書いてあるとか。よくご存じである。日本語がわかる中国人なのであろうか。名前は本名かどうかは知らないが、Krasjetという人らしい。多分ハンドルネームであろうか。

いまQuarternionと書いたら、その箇所に赤でアンダーラインが入った。正しくはQuaternionでカナで発音を書けば、クォタ―ニオンである。

vie priv'ee

2022-09-08 13:06:14 | 本と雑誌
フランス語では形容詞は名詞の後におくのが原則である。vie priv'eeというと英語ならばprivate life(私生活)に相当する語であろうか。

このとき、形容詞のpriv'eeは名詞vieの後ろに来ている。もっとも形容詞のうちのいくつかは名詞の前に慣用的にくるものも数はそんなに多くはないがある。

un bel amiだとか、le petit frereとかあまり長くない形容詞で名詞の前に来るものがある。それでも形容詞は名詞の後に来るのが原則だと言われている。

動詞を除いてフランス語の文法はあまり難しくはないが、それでも英語からのずれはいくらかはある。もっともそれでもドイツ語ほどは語順が英語とはちがわないので、英語から入ってもあまり戸惑わないと思っている。


なかなか推敲が終わらない

2022-09-08 10:16:22 | 本と雑誌
「数学・物理通信」12巻5号の原稿の推敲がなかなか終わらない。これは自分の書いているところの原稿である。

昨日もプリントをして帰って、就寝前に見たら、いくつも直したくなった。それで急ぎ修正をしたが、今日はそれを入力しなければならない。

はじめは、読んで、書いた文章がわるいのはわかったが、どう修正したらいいかわからず、呆然とした時間があったが、それでも時間が経つと考えの方向が決まってくる。

少なくともディスプレイ上で見て、文の修正箇所を気がつくのは私には難しい。作家の人などはどうしているのだろうか。

最近は作家もパソコン上で入力をしている作家が多いという風に聞くが。
いつだったか作家の大江健三郎さんの原稿の一部を新聞紙上で見た気がするが、これなども推敲の跡がすさまじいものがあったように思う。




一時latexも変だったので

2022-09-07 11:33:16 | 本と雑誌
一時latexも変だったので、パソコン全体が壊れてしまったのかと思った。

どうもそうではないらしい。latexの方は入力を変更したりして、再起動したらどうも従来通りに復旧したらしい。もっともこれは今日また使ってみなくてはいけないが。

球面線形補間のエッセイの方は昨日修正を施した。「三角関数の還元公式4」の方はまだ付加する文書の入力ができていない。少し文章の修正もしたけれども。

それがすんだら、そこでようやくメールの不調のことにとりかかれる。

物事には順序がある。



メールが使えない

2022-09-06 14:40:26 | 本と雑誌
メールが使えなくなった。どうもメールのアドレスが書き換えられているようだ。

これはマルウエアのせいなのか。それともウィンドウズの設定によるものかはわからない。どちらの可能性もある。

インターネットは使えるようだ。

人がちがうと発想がちがう

2022-09-05 13:35:33 | 数学
いや、いま返事のメールを書いたところである。

土曜日に数学・物理通信の12巻5号の編集をとりあえず終えて査読をお願いしたら、球面線形補間の別の導出法をその査読者から教えてもらった。

今まで考えたこともなかった方法であり、解析幾何学的な方法といえるかもしれないが、簡単な方法である。

いや、目から鱗が落ちた。この方法だとGram-Schmidtの方法とかいう必要もないし、その他の方法もいらない。

小著『四元数の発見』に5つの方法で球面線形補間の導出を書いたのだが、それ以外にも簡単な方法があった。まさに人がちがうと発想法がちがうというが、そのことを実感した。感謝、感謝である。

(2023.8.5付記)この「球面線形補間の導出法」の7番目の簡便な導出は札幌在住のSさんの考案である。この導出と四元数の日本での紹介の先駆者である、Kさんの6番目の導出法は『四元数の発見』にはまだ述べられていない。

Kさんの導出法はKさんにもきちんと認識されていなかったと思われるのだが、これもきちんとつじつまが合うように分かったのは昨年の秋だったと思う。これは「数学・物理通信」の既刊号にはきちんと説明をしておいたのでインターネットで探して読んでみてほしい。

私はKさんが彼の本の改訂した版をもっていないので、Kさんがご自分の説明を補足して修正しているとしても知らない。少なくとも前の古い版は説明が十分ではなかったと思っている。

これは非難みたいだがそういうつもりではない。Kさんは日本における四元数の紹介の先駆者としての役割を十分に果たしたと思う。

「他人から見た武谷三男8」

2022-09-03 14:03:56 | 物理学
「他人から見た武谷三男8」という論文がこの9月中に書き上げたいと思っている科学史の論文である。タイトルに数字8がついているのはすでに昨年までに7まで書いたからである。

タイトルについた数字がどこまで伸びるのかということを8月27日のオンラインでの「徳島科学史研究会」の後で、参加者から聞かれた。私自身はあと一人の人中村静治さんを取り上げれば終わりとなる予定である。

いずれにしてもタイトルについた数字は9か10で終わりになる。私が思想的に影響を受けた人には小田実や松田道雄以外にも武谷三男や遠山啓がいる。

1980年代後半は遠山啓の著作を暇にあかせて読んでいたと思う。ベルリンの壁の崩壊のころである。

それからほぼ15年ほどして大学を定年退職して、それからでもほぼ17年が経った。

現在、継続してしていることは
(1)このブログを書くこと
(2)月に一度友人や知人と雑談会を開くこと
(3)数学・物理通信の発行すること
私の生活は基本的にこの3つから成り立っている。



思想家としての松田道雄

2022-09-02 12:16:26 | 本と雑誌
小田実のことを書いたので、松田道雄のことも書いておかなくてはいけないだろう。

小田実が思想家として出現するまでの間に、私の思想の模範となったのは松田道雄であった。

彼は京都で開業していた小児科医であった。それだけではなく、彼は岩波新書にかなり多くの啓蒙書を書いている。はじめは小児科医としての経験に裏打ちされた子育ての話であり、これは大阪の朝日新聞に連載された「私は赤ちゃん」という連載であった。続いて、「私は二歳」という連載を書いた。

そして、それらは岩波新書の『私は赤ちゃん』『私は二歳』として発行された。これは私が大学の学部生であったころである。思考が柔らかく、自由な思考である。思想として社会主義に理解のある思想に近かったが、それにはひどくは拘泥しないところがよかった。

その後、5年ほど前に、この2つの岩波新書は孫の育児の参考に子どものところへ送ってやったので、もう私の手元にはない。

かなり老齢になるまで松田さんは開業医をされていたが、私が大学院を出て、ある研究所の非常勤講師をしているころだったか、開業医を止めて思想家として著作を発表されていた。

そして、その中に多くの岩波新書もあった。あまりに多いので、1,2だけをあげると『母親のための人生論』『自由を子どもに』他6冊がある。

上に挙げた著書と合わせると10冊を岩波新書として書いていることになる。若いときには結核の専門家として対策にあたっていたらしく、そういう種類の岩波新書もある。

1968年の大学紛争のときにも朝日新聞にコメントを求められたりしている。それくらい思想家としての地位をもっていた方である。

もっともこのときのコメントは私にはピンとこないところがあったが。