中城からは、沖縄在住の知人の方によるご案内での移動となった。
中城城から程近いところには、国指定重要文化財の中村家住宅があり、戦前の木造建築を残す貴重なものである。
中村家は、中城城主護佐丸盛春が座間味城よりこの地に移った際に、同行した賀氏がその後の護佐丸自害後もこの地に残り、間切(まぎり:村)の庄屋となって続いた家である。
琉球王国時代には茅葺であったという屋根は、明治時代以降、台風にも耐える漆喰で固められた瓦に変わり、古き良き「沖縄の屋根」を印象付けている。内部は本土の農家とさほど変わらないが、家の役割からか、やや格の高い調度である。また、入口は直接内部が見えないよう顔隠しの塀(ヒンプン)が設けられ、中国文化の名残がみられる。そして、台所(とぅんぐわ)には火の神(ひぬかん)を祀っているが、神社神道の火防の神「秋葉大権現」や、仏教の火盗消除、伽藍守護を担う「韋駄天」(いだてん)と形は違うものの同様の役目を持っているようである。
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(最初と最後の写真は、沖縄県立博物館内復元家屋)
また、外部からの防御として「シーサー:獅子」がある。一般民家に魔除けとして置かれるようになったのは明治以降であり、それまでは本土同様、信仰対象の前に置かれる狛犬(唐獅子)と同様の役割のものであった。然し沖縄では、それ以外にも集落の入口や、城郭の魔除けとして置かれていたようである。
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この他、沖縄の建物には「石敢當」と刻まれた石が置かれたり、貼られていたりすることがある。これは、魔物(まむじん)が道を直進して入ってくると考えられているため、道の突き当たりや岐路の付け根にある家に石敢當を置き、魔除けとする中国伝来の風習である。
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この後は、本島北部方面へと向かった。
(関連記事:琉球の墳墓)
中城城から程近いところには、国指定重要文化財の中村家住宅があり、戦前の木造建築を残す貴重なものである。
中村家は、中城城主護佐丸盛春が座間味城よりこの地に移った際に、同行した賀氏がその後の護佐丸自害後もこの地に残り、間切(まぎり:村)の庄屋となって続いた家である。
琉球王国時代には茅葺であったという屋根は、明治時代以降、台風にも耐える漆喰で固められた瓦に変わり、古き良き「沖縄の屋根」を印象付けている。内部は本土の農家とさほど変わらないが、家の役割からか、やや格の高い調度である。また、入口は直接内部が見えないよう顔隠しの塀(ヒンプン)が設けられ、中国文化の名残がみられる。そして、台所(とぅんぐわ)には火の神(ひぬかん)を祀っているが、神社神道の火防の神「秋葉大権現」や、仏教の火盗消除、伽藍守護を担う「韋駄天」(いだてん)と形は違うものの同様の役目を持っているようである。
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(最初と最後の写真は、沖縄県立博物館内復元家屋)
また、外部からの防御として「シーサー:獅子」がある。一般民家に魔除けとして置かれるようになったのは明治以降であり、それまでは本土同様、信仰対象の前に置かれる狛犬(唐獅子)と同様の役割のものであった。然し沖縄では、それ以外にも集落の入口や、城郭の魔除けとして置かれていたようである。
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この他、沖縄の建物には「石敢當」と刻まれた石が置かれたり、貼られていたりすることがある。これは、魔物(まむじん)が道を直進して入ってくると考えられているため、道の突き当たりや岐路の付け根にある家に石敢當を置き、魔除けとする中国伝来の風習である。
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この後は、本島北部方面へと向かった。
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