(岐阜県可児市兼山 県指定史跡)
古城山を下り、歴史民俗資料館の職員さんがお勧めと言っていた、木曽川兼山湊に向かった。
兼山は、金山城の時代からこの川湊を基に発展していった。然し、道路が整備され始めた明治時代以降は、次第に衰退し、やがて跡という言葉が付くようになった。

往時は賑やかであったであろう湊は、その暮れる日が如く、寂しく長い影を映し出していた。
古城山を下り、歴史民俗資料館の職員さんがお勧めと言っていた、木曽川兼山湊に向かった。
兼山は、金山城の時代からこの川湊を基に発展していった。然し、道路が整備され始めた明治時代以降は、次第に衰退し、やがて跡という言葉が付くようになった。

往時は賑やかであったであろう湊は、その暮れる日が如く、寂しく長い影を映し出していた。