(愛知県丹羽郡大口町/扶桑町)
小口城を後にし、暫く五条川沿いに歩く。「水神」「暴水流亡各霊墓」と刻まれた石碑が視野に入った。今は穏やかに流れる五条川ながら、ときに暴れ川となることを示していた。
北に歩を向ける。わかしゃち国体記念運動公園を過ぎ、上小口白山神社を経ると再び扶桑町に入る。周囲は住宅地ながらポツンと森の場所があった。そこには長泉塚(ちょうせんづか)古墳が存在する。
長泉塚古墳は、県指定史跡に指定されている古墳時代中期の円墳で、直径25m,高さ4m,二段築成で周囲に周濠の痕跡がみられる。古墳の前には、「長泉大明神」「御嶽山大権現」の石碑があるが、以前は墳丘上に置かれていたものである。また、「長泉塚」の由来は、寛文年間(1661-73)この場所に長泉院九郎衛門という人物がおり、古墳に人を近づけなかったからという伝承による。
ここから更に北に向かった。
小口城を後にし、暫く五条川沿いに歩く。「水神」「暴水流亡各霊墓」と刻まれた石碑が視野に入った。今は穏やかに流れる五条川ながら、ときに暴れ川となることを示していた。
北に歩を向ける。わかしゃち国体記念運動公園を過ぎ、上小口白山神社を経ると再び扶桑町に入る。周囲は住宅地ながらポツンと森の場所があった。そこには長泉塚(ちょうせんづか)古墳が存在する。
長泉塚古墳は、県指定史跡に指定されている古墳時代中期の円墳で、直径25m,高さ4m,二段築成で周囲に周濠の痕跡がみられる。古墳の前には、「長泉大明神」「御嶽山大権現」の石碑があるが、以前は墳丘上に置かれていたものである。また、「長泉塚」の由来は、寛文年間(1661-73)この場所に長泉院九郎衛門という人物がおり、古墳に人を近づけなかったからという伝承による。
ここから更に北に向かった。