(山王権現宮 岐阜県高山市城山 旧県社)
屋台の出ている宮川周辺から、その山王祭の中心である日枝神社へ向かった。境内は御旅所への神輿渡御によって静まり返っているように感じた。
(樹齢千年の大杉)
永治元年(1141)三仏寺城(高山市三福寺町)の飛騨国司平時輔が、狩の際に狼を仕留めようと矢を放ったところ、その狼はおらず、杉の大木に矢が突き刺さっていたという。平時輔は「大山咋神(オオヤマクイノカミ)が、使いである狼を救われたものであろう」と神の力を感じ、鎮護神として近江国日吉大神(滋賀県大津市)から勧請し、日枝神社を創建したのが始まりという。
養和元年(1181)平景家のとき、源義仲臣手塚光盛によって攻められ三仏寺城は落城し、日枝神社も兵火により焼失した。神体は無事であったため、現在地に程近い片野村に移転し再建された。そして、天正十三年(1585)金森長近が高山城主となると、日枝神社はその鎮護神として現在地に移されている。
この後は、再び宮川中橋へと向かった。
(関連記事:還御祭)
屋台の出ている宮川周辺から、その山王祭の中心である日枝神社へ向かった。境内は御旅所への神輿渡御によって静まり返っているように感じた。
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永治元年(1141)三仏寺城(高山市三福寺町)の飛騨国司平時輔が、狩の際に狼を仕留めようと矢を放ったところ、その狼はおらず、杉の大木に矢が突き刺さっていたという。平時輔は「大山咋神(オオヤマクイノカミ)が、使いである狼を救われたものであろう」と神の力を感じ、鎮護神として近江国日吉大神(滋賀県大津市)から勧請し、日枝神社を創建したのが始まりという。
養和元年(1181)平景家のとき、源義仲臣手塚光盛によって攻められ三仏寺城は落城し、日枝神社も兵火により焼失した。神体は無事であったため、現在地に程近い片野村に移転し再建された。そして、天正十三年(1585)金森長近が高山城主となると、日枝神社はその鎮護神として現在地に移されている。
この後は、再び宮川中橋へと向かった。
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