沖縄の墓所形式は、亀甲型、破風型及び屋形型といった、住居を成した形式が殆どである。その形は、遺体及び遺骨を納める言わば厨子であり、内部には広い空間を持っている。
亀甲墓(かーみなくーばか)は、斜面や崖面に横穴を開けて造られた、それまでの形式「堀込墓」を踏襲するものであり、屋根にあたる部分が亀の甲羅の形状を成している。また、死後に母の胎内に戻るという意味合いも持っていて、最古とされるのは、首里伊江御殿(いえうどぅん)の亀甲墓であるという。
(堀込墓 伊寿瑠按司の墓)
(亀甲墓、中城大城)
破風墓(はふーばか)及び屋形墓(やーぐぁばか)は、沖縄では琉球国王第二尚氏歴代玉陵(たまうどぅん:御霊御陵)が最初であり、中国東南部の華南系墓式が伝わったものである。廃藩置県後に一般にもこれら形式が許され、次第に広まっていった。
(一般的な破風(屋形)墓)
中国二十四節季の一つ、清明(旧暦三月)に行われる清明祭(しーみー:祖先祭)のときには、墓前で門中(むんちゅー:一門)が先祖と共に宴を催し、一体となって喜び楽しむ。
(関連記事:琉球の古民家)
亀甲墓(かーみなくーばか)は、斜面や崖面に横穴を開けて造られた、それまでの形式「堀込墓」を踏襲するものであり、屋根にあたる部分が亀の甲羅の形状を成している。また、死後に母の胎内に戻るという意味合いも持っていて、最古とされるのは、首里伊江御殿(いえうどぅん)の亀甲墓であるという。
(堀込墓 伊寿瑠按司の墓)
(亀甲墓、中城大城)
破風墓(はふーばか)及び屋形墓(やーぐぁばか)は、沖縄では琉球国王第二尚氏歴代玉陵(たまうどぅん:御霊御陵)が最初であり、中国東南部の華南系墓式が伝わったものである。廃藩置県後に一般にもこれら形式が許され、次第に広まっていった。
(一般的な破風(屋形)墓)
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