(春の高山祭 岐阜県高山市 国指定重要民俗文化財)
五台山の屋台蔵から南へ向かうと、三番叟の屋台蔵がある。このすぐ隣りが昨日火災が発生した場所であるが、延焼は免れた。更にその少し南には、神楽台の屋台蔵があり、屋台が入っていた。からくり奉納場所に置かれていた神楽台も、屋台蔵に一時しまわれていたようだ。
その後暫くし、夜祭に向けて、宮川中橋へ曳かれて行った。

上一之町上組の屋台である神楽台は、それまで担ぎ台であったのを文化年間(1808-14)に台車化したものである。祭礼の際には神楽、獅子舞の主管の司り、先導をする別格の屋台である。嘉永七年(1854)の改修の際、金具の部分に純金が使用され、そして恵比須台と同じく、江戸時代後期の彫刻家谷口与鹿(よろく)の彫刻が施された。平成7年に解体修理が行われている。
この後は、山王祭の中心である日枝神社に参拝した。
五台山の屋台蔵から南へ向かうと、三番叟の屋台蔵がある。このすぐ隣りが昨日火災が発生した場所であるが、延焼は免れた。更にその少し南には、神楽台の屋台蔵があり、屋台が入っていた。からくり奉納場所に置かれていた神楽台も、屋台蔵に一時しまわれていたようだ。

その後暫くし、夜祭に向けて、宮川中橋へ曳かれて行った。




上一之町上組の屋台である神楽台は、それまで担ぎ台であったのを文化年間(1808-14)に台車化したものである。祭礼の際には神楽、獅子舞の主管の司り、先導をする別格の屋台である。嘉永七年(1854)の改修の際、金具の部分に純金が使用され、そして恵比須台と同じく、江戸時代後期の彫刻家谷口与鹿(よろく)の彫刻が施された。平成7年に解体修理が行われている。
この後は、山王祭の中心である日枝神社に参拝した。