田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

石狩浜ミニトリップ

2011-06-22 17:32:58 | 札幌(圏)探訪
 サンドアートを見るために行った石狩浜は歴史のある地区のようだった。周辺一帯は弁天町と呼ばれ、明治時代には鮭漁で非常に賑わったという。往時を偲びながら周辺を散策した。 

 周辺一帯は「弁天歴史公園」として整備されていた。
 その中でひときわ目立つのが、かつてあった運上屋を再現した運上屋棟だ。運上屋とは北海道内各地に交易の中心として置かれたものだが、やがて漁場の経営や宿場、さらには行政機能までももった地域にとって重要な施設だったようだ。

        

 その隣には「石狩弁天社」が建っている。鮭漁の豊漁を願って1694年に創立されたというからすでに300年の歴史を誇り、石狩市最古の建物だという。

        

 運上屋棟と「石狩弁天社」に囲まれ、「太郎代曝観音」に護られるようにして小さな観音が三十三体立っている。「西国三十三箇所霊場」なのだそうだ。

        
        ※ 奥に赤い衣装を着せられているのが太郎代曝観音で、
         その傍らに小さな観音が並んでいます。

 その奥には旧石狩医院の和室を昭和12年建築当時の姿で再現している。前庭の日本庭園(石庭)も小規模ながら素晴らしいものだ。

        

 弁天歴史公園から外れたところに「いしかり砂丘の風資料館」があるが、当日は残念ながら休館日だった。その横には「旧長野商店」が建つ。明治27年に建てられたという木骨石造りの店舗は反映する石狩の「顔」として親しまれたそうだ。

        

 私にはもう一つぜひ見てみたいところがあった。
 それは大河石狩川が日本海に注ぐ河口をぜひ見てみたいと思った。
 弁天地区は石狩川の左岸だったが、左岸は途中から車は進入禁止となっていて近づけなかった。近くにいた石狩川の監視員に伺うと右岸だとかなり近くまで行けるということだった。
 右岸に渡り、砂利道をかなり進むとやがて侵入禁止のマークに出会った。
 そこからは徒歩で河岸を目ざした。
 しばらく歩くと眼前が広がり、そこは石狩川が日本海に注ぐ河口だった。
 河口は想像していたほど幅広くはなく、静かに日本海に注いでいる感じだった。
 もともと川の形状から察すると、石狩川が多くの土砂を運びそれを海沿いに堆積して石狩浜が形成されたのではないかと推測される。(素人の推測である)したがって川幅も形状に沿っていろいろと変化しているようだ。

        
      ※ パノラマ撮影に挑んだのですがちょっと失敗作です。右手が日本海です。

 鮭漁に沸き、早くから人々が住みついた石狩浜にはまだまだ魅力ある歴史が隠されていそうである。

        
        ※ 石狩浜に立つ石狩灯台です。映画「喜びも悲しみも幾年月」
         のロケに使われた灯台で現在も現役だそうです。