ご存知高倉健さんのヤクザ映画である。強きを挫き弱きを助ける任侠ものを演じる高倉健さんは寡黙なイメージも相俟って庶民からおおいに支持された。共演の藤純子さんの美しさにも目を惹かれた。
※ 珍しくポスターをコピペすることができた。
高倉健さんの代表的シリーズとなった「日本侠客伝」は1964年から1971年にかけて11作品が作られ、「日本侠客伝 昇り龍」はその第10作とのことだ。
制作年は1970(昭和45)年、高倉健さんは当時39歳、共演の藤純子さんは25歳ということである。
※ 高倉健さんの当時のプロマイドではないかと思われる。
時代は大正時代半ば、北九州の若松市の港で石炭の荷降ろしに従事する組の「玉井組」の小頭というのが健さんの役どころである。
時代背景が大正時代だったから、というわけではあるまいがフィルムの保存状態がよくなかった。肝心なところでフィルムが切れてしまった箇所が何度かありちょっと残念だった。(もっとも映画館側では入場する際にそのことを断ってはいたが)
健さんの映画のあまりの人気に全国を何度も巡り歩くうちにフィルムも擦り切れてしまったということだろうか?
高倉健さんは当時39歳と書いたが、その背中に刺青を入れる場面がある。映画俳優として摂生し鍛えていたからだろうか、39歳には見えない肌の張りが印象的だった。
また、当時25歳の藤純子さんのスクリーンを圧するような妖艶な美しさも瞼に残った。25歳にして妖艶な雰囲気を醸し出というのは彼女の一つの才能だったのだろう。
※ こちらは時代がだいぶん経ってからの藤純子さんの写真である。
昨日も述べたが1970(昭和45)年というと日本は高度経済成長の真っ盛り、世の中は好景気に沸いていたのだろうが庶民の暮らしはというとまだまだその恩恵に浴していない時代だったといえるだろうか?そうした背景があって強きを挫き弱きを助けるこうした任侠映画が人気を博していたのではないかと想像される。
当時の私は?というとちょうど大学を卒業して就職した頃である。当時の生活を振り返ってみると、「私たちのような庶民でもマイカーが持てる時代が来るのかなぁ」と思っていた。それがその後間もなく私はマイカーを手にすることができた。
私が就職した時代から以降、庶民にも高度経済成長の恩恵が行き渡り始めたのかな、との思いがある。
高倉健さんの軌跡を見ても、この後5年くらいでヤクザ映画から遠のいているところに日本の時代の変遷を伺うことができる…。