サホロ湖フットパスコースは、理想的なコースあり、ワイルドなコースあり、山道あり、と多彩な貌をもった楽しいコースだった。特に前半の旧狩勝線跡の素晴らしい林間コース、続くワイルド感丸出しのリバーサイドコースは圧巻だった。

※ 「サホロ湖フットパス」のコースマップです。ダイヤモンド社製。
「サホロ湖フットパス」コースのスタート&ゴール地点は、国道12号線から少し脇に入った旧国鉄狩勝線の「旧新内駅」にあった。旧駅周辺は蒸気機関車に連結された寝台車が保存されていたり、トロッコ乗場があったり、と公園化されていた。

※ スタート&ゴール地点の「旧新内駅」の駅舎です。

※ 旧新内駅構内には写真のようにSLに繋がれた寝台列車が保存されていました。
コースの最初は、その旧狩勝線を往くルートだった。このコースが素晴らしかった!この道は「狩勝ポッポの道」とも称されているようだ。
旧狩勝線は昭和41年に廃止されているから、廃止されてからすでに50年が経過しようとしているからだろうか、周りの木が伸びてまるで緑のトンネルを往くようなコースだった。そのうえ、こうした廃線跡は普通は舗装したり、砂利を入れたりする場合が多いと思われるのだが、ここのコースは火山灰と山砂を混ぜたような非常に歩きやすいコースだった。コースがホーストレッキングのコースにも利用されているからだろうか?

※ どうでしょう!? 私が絶賛したい気持ちを分かってもらえると思います。
緑のトンネルです!!

コース上に「まりも橋」という小さな橋があったが、実はこの橋は国鉄時代に寝台急行「まりも号」がこの小さな鉄橋で事件性を帯びた脱線事故を起こしたことで有名な橋だそうだ。事件は迷宮入りとなってしまったそうだが、詳しく語ると長くなるので、興味のある方は調べていただきたい。

※ この小さな鉄橋で脱線事故が起こり、事件となったようです。
続いて、「小笹川橋梁」というこれも小さなレンガ造りのアーチ橋が架かっていた。
また、コースの脇にはいかにも鉄道跡らしい標識も遺されていて往時の名残をとどめていた。

※ 土木学会選奨土木遺産に選ばれている「小笹川橋梁」です。

※ コース脇に見られたこうした標識が線路跡であることを偲ばせてくれます。
線路跡は、狩勝峠の急勾配を列車が登るために大きく湾曲したコースとなっていたが、それがまた全国屈指の難しい線路ともなっていたようだ。そのことから昭和41年には別ルートの狩勝新線に代わったという。そして私が歩いた旧線は鉄道脱線事故の原因を探るための実験線として利用されたという。
そのデータ送信のための鉄塔が今もコースわきに遺されていた。

※ 実験線のデータ送信のために立てられた鉄塔です。
気持のよい旧狩勝線跡を5キロも歩いたろうか? コースは国道を跨いで、ファームレストラン&ペンションの「ヨークシャーファーム」を経て、佐幌川沿いに出る。

※ こじゃれた印象を与える「ヨークシャーファーム」です。
この川沿いのコース脇に羊を飼う牧場が広がっていた。間近に羊を見ることなどあまり記憶にないのだが、いや~、羊たちの食欲には驚いた!どの羊を見ても、誰もが脇目も振らず懸命に牧草を頬張っているのだ。それはいいかげん顎が疲れるんでないかい?と心配したいくらいだった。あるいは彼たちにとって食事時だったのかもしれないが…。

※ 佐幌川の流れを右手に見ながらのフットパスです。前に見えるのマンパスです。

※ 羊たちの旺盛な食欲には驚きました。
それから少しの間、このコース最大のワイルドなコースに突入した。ガイドブックにはこう書いてあった。「少しわかりにくい部分があるが、探せば川沿いに踏み跡がある」と…。
コースが判然としない草だらけの道を、私は指示どおり踏み跡を探しながらなんとか事なきを得た。
途中には牧場との境に設けられた「マンパス」も二か所あった。

※ こんな草だらけのところを踏み跡を探して前に進むところもありました。

※ これもマンパスの一つ。ヒトはこの台を使って鉄線を乗り越えます。
草深いコースを終えると、長い長い直線コースが待っていた。この直線が退屈な舗装道路だった。何の変哲もない長い道路を私は「サホロ湖」目ざしてひたすら歩いた。空が曇っていたのが幸いだった。(以後は後編でレポします)

※ なんとも退屈な直線の舗装道路でした。

※ 「サホロ湖フットパス」のコースマップです。ダイヤモンド社製。
「サホロ湖フットパス」コースのスタート&ゴール地点は、国道12号線から少し脇に入った旧国鉄狩勝線の「旧新内駅」にあった。旧駅周辺は蒸気機関車に連結された寝台車が保存されていたり、トロッコ乗場があったり、と公園化されていた。

※ スタート&ゴール地点の「旧新内駅」の駅舎です。

※ 旧新内駅構内には写真のようにSLに繋がれた寝台列車が保存されていました。
コースの最初は、その旧狩勝線を往くルートだった。このコースが素晴らしかった!この道は「狩勝ポッポの道」とも称されているようだ。
旧狩勝線は昭和41年に廃止されているから、廃止されてからすでに50年が経過しようとしているからだろうか、周りの木が伸びてまるで緑のトンネルを往くようなコースだった。そのうえ、こうした廃線跡は普通は舗装したり、砂利を入れたりする場合が多いと思われるのだが、ここのコースは火山灰と山砂を混ぜたような非常に歩きやすいコースだった。コースがホーストレッキングのコースにも利用されているからだろうか?

※ どうでしょう!? 私が絶賛したい気持ちを分かってもらえると思います。
緑のトンネルです!!

コース上に「まりも橋」という小さな橋があったが、実はこの橋は国鉄時代に寝台急行「まりも号」がこの小さな鉄橋で事件性を帯びた脱線事故を起こしたことで有名な橋だそうだ。事件は迷宮入りとなってしまったそうだが、詳しく語ると長くなるので、興味のある方は調べていただきたい。

※ この小さな鉄橋で脱線事故が起こり、事件となったようです。
続いて、「小笹川橋梁」というこれも小さなレンガ造りのアーチ橋が架かっていた。
また、コースの脇にはいかにも鉄道跡らしい標識も遺されていて往時の名残をとどめていた。

※ 土木学会選奨土木遺産に選ばれている「小笹川橋梁」です。

※ コース脇に見られたこうした標識が線路跡であることを偲ばせてくれます。
線路跡は、狩勝峠の急勾配を列車が登るために大きく湾曲したコースとなっていたが、それがまた全国屈指の難しい線路ともなっていたようだ。そのことから昭和41年には別ルートの狩勝新線に代わったという。そして私が歩いた旧線は鉄道脱線事故の原因を探るための実験線として利用されたという。
そのデータ送信のための鉄塔が今もコースわきに遺されていた。

※ 実験線のデータ送信のために立てられた鉄塔です。
気持のよい旧狩勝線跡を5キロも歩いたろうか? コースは国道を跨いで、ファームレストラン&ペンションの「ヨークシャーファーム」を経て、佐幌川沿いに出る。

※ こじゃれた印象を与える「ヨークシャーファーム」です。
この川沿いのコース脇に羊を飼う牧場が広がっていた。間近に羊を見ることなどあまり記憶にないのだが、いや~、羊たちの食欲には驚いた!どの羊を見ても、誰もが脇目も振らず懸命に牧草を頬張っているのだ。それはいいかげん顎が疲れるんでないかい?と心配したいくらいだった。あるいは彼たちにとって食事時だったのかもしれないが…。

※ 佐幌川の流れを右手に見ながらのフットパスです。前に見えるのマンパスです。

※ 羊たちの旺盛な食欲には驚きました。
それから少しの間、このコース最大のワイルドなコースに突入した。ガイドブックにはこう書いてあった。「少しわかりにくい部分があるが、探せば川沿いに踏み跡がある」と…。
コースが判然としない草だらけの道を、私は指示どおり踏み跡を探しながらなんとか事なきを得た。
途中には牧場との境に設けられた「マンパス」も二か所あった。

※ こんな草だらけのところを踏み跡を探して前に進むところもありました。

※ これもマンパスの一つ。ヒトはこの台を使って鉄線を乗り越えます。
草深いコースを終えると、長い長い直線コースが待っていた。この直線が退屈な舗装道路だった。何の変哲もない長い道路を私は「サホロ湖」目ざしてひたすら歩いた。空が曇っていたのが幸いだった。(以後は後編でレポします)

※ なんとも退屈な直線の舗装道路でした。