田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

保阪正康の私的ノンフィクション論

2018-11-10 19:44:54 | 講演・講義・フォーラム等

 保阪氏が言うには、今ノンフィクションが衰退してきているという。それはフィクションとノンフィクションの間には同じ表現者の活動として決定的な違いがそこに存在するからだという。その決定的な違いとは?

          

 11月9日(金)午後、道新プラザDO‐BOXにおいて評論家・保阪信康氏の道新文化賞受賞記念トークが開催された。たまたま私は保阪氏の新著「歴史を見つめて」を購入していたので参加することができた。

 

 保阪氏は冒頭にノンフィクションとフィクションの違いは、ノンフィクションは社会事象について調べたうえで文章化するが、フィクションの場合はその過程を必要としない、という原則論を述べられた。

 そのことについてさらに言及し、例示として「犬が走っている」という現象を見てどう感ずるかということが大切であると述べた。ただその現象を「あゝ、犬が走っているなぁ」と見たのではノンフィクションは成り立たないという。

 「犬はなぜ走っているんだろう?」、「犬は何かを追いかけているのか、あるいは追いかけられているのか?」、「その犬は、飼い犬か、野犬か?」etc.etc.…。

保阪氏は、ノンフィクションの場合は、少なくとも次の3点について考察し、そのうえで文章化する必要があるという。その3点とは…。

 (1)事実と真実の見極め

 (2)時代と歴史への洞察

 (3)現実と理想の考察

つまりノンフィクションの場合は、物事を“立体化”して見る必要があるという。

                    

 保阪氏によると、日本においてノンフィクションという分野が確立したのは立花隆著の「田中角栄研究」がその端緒ではないかという。それ以来、ノンフィクション分野は一時は活況を呈したが、今や衰退化の一途を辿っているという。

 それは、ノンフィクションの特徴でもあるのだが、社会現象を調べてから文章化するという特質から取材に膨大に費用がかかるからだという。その費用を捻出していたのは主として出版社だったそうだ。活況を呈していた時代は出版社が取材対象を提案し、取材資金を提供していたのだが、出版不況によって出版社に資本的な体力がなくなってきたことによって取材費用を担保できない状況が生まれているそうだ。

 

 その他、保阪氏はご自身の専門である昭和史についても触れたが、「なぜ昭和史か?」という問いについては、「昭和という時代は人類史の全てが詰まっている」というのが氏が研究の対象にしている理由だそうだ。

 そして氏の持論である昭和史について語り始めたのだが、時間の関係(1時間という短時間の講演だった)もあり、本格的に語るには時間がなかったようだ。

           

 最後に氏は、現在79歳と高齢になったがまだまだノンフィクションの世界を究めたいと意気軒高に語り講演を終えたが、この日は氏の新著「歴史を見つめて」を購入することが受講の条件となっていたため、講演後すぐにサイン会となった。

 私も著書にサインをいただいて会場を後にした。