冒頭からひふみん節が炸裂しっぱなしだった。自分は若い時から“天才”と言われてきたが、今をときめく藤井聡太七段に対しては20歳までにA級八段に定着した時に、ひふみんは初めて藤井七段を“天才”と呼びたいという。自分とはまだ格が違うと言わんばかりなのだが、それが嫌味に聞こえないところがひふみんの愛されキャラなのだろう…。
11月9日(金)午後、札幌流通総合会館(通称:アクセスサッポロ)において将棋の加藤一二三元名人が「勝負と人生」と題して対談形式の講演をするのを聴く機会を得た。
この講演は、「ビジネスEXPO2018」のビジネスセミナーの一環として特別ゲストとして加藤元名人が招かれたということのようだ。
対談形式の講演と記したが、確かに加藤氏の質問する役として札幌市内の女性社長(氏名不詳)が登壇したのだが、彼女が必要ないほどひふみんは喋り続けた。
講演はタイトルのように加藤名人の将棋人生を振り返るものだった。
加藤名人の主な語録を記すと…、
プロのとしての対局数は2,505局(歴代1位)で、勝敗は1,324勝、1,180敗だそうだ。
ひふみんは言う。将棋を始めたとき(幼少の頃)新聞の棋譜を見て、「良い手を指し続ければ勝てる」と確信し、そのまま成長し14歳でプロになったという。
ちなみにひふみんがどれくらい凄い棋士なのか調べてみると、最高齢現役(2017年6月20日引退)、最高齢勝利、最高齢対局、現役勤続年数、通算対局数、通算敗戦数は歴代1位であり、1950年代、1960年代、1970年代、1980年代、1990年代、2000年代の各年代で順位戦最高峰A級に在籍したことがある唯一の棋士だそうである。
リード文で触れたひふみんがA級に昇級したのは18歳3ヵ月だそうだが、この記録は次々と最年少記録を更新している藤井聡太七段でも更新は不可能ということだ。
ひふみんは言う。藤井聡太七段のことを“秀才”“大器”とは称しても、“天才”というには20歳までにA級に昇級したときに初めてそう呼びたいというところにひふみんの自負を見て取れる。
ひふみんは、一つ質問をすると、そこから話が次々と広がっていく。あることについては話をしていると、「あっ、そうだ」と言って次の話に移っていく。そういうことを二度三度と続けて止まることを知らないのだ。そんな中から印象的な言葉をいくつか…。
小学校6年生の時に関西の棋士・升田幸三氏から「この子、凡ならず」と言われたという。
昭和40年代はエンジン全開で絶好調だったそうだ。(昭和43年には大山名人を十段位戦で制して初タイトルを獲得)この時期は大山名人、中原名人らと数々の好勝負を演じた加藤氏にとっては最も脂が乗りきっていた時期だったのかもしれない。
加藤氏は、大山康晴十五世名人、中原誠十六世名人、米長邦雄永世棋聖を相手に、それぞれ100回以上対局しているが、対戦成績は負け越していても、そこから「相手の良いところを認め、学んでいた」と語った。
加藤氏の話を聞いているとさすがであるが、非常に記憶力に優れていることをうかがわせてくれた。氏はご自分が対局した2505局のうち95%はその棋譜を思い出せると言う。それは将棋というのは理詰めの戦いであるから、それは可能だと語った。
そして将棋に対する加藤氏の信条は「敵と戦うときは勇気をもって戦い、相手に弱気を見せない」ことだったそうだ。
自由奔放に、話はあちこちへと飛びながら、加藤氏は自分を、そして勝負人生を語った。
昨年6月、62年にわたる現役生活を引退したが、78歳になった今も加藤氏は“ひふみん”の愛称で精力的に活動を続けている。まだまだやりたいことも多いらしい。
最後にひふみんは「一日の苦労は、一日で去れり」との言葉を残して会場を後にした。
※ なお、ビジネスEXPO2018セミナーは、前日(18日)にも「新型『aibo』の誕生秘話と今後の可能性」と題して、ソニー(株)AIロボティクスビジネスグループの事業企画管理部統括部長の矢部雄平氏の興味深い講演があり受講したのだが、レポすることが他にあるので、割愛することにしたい。