田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

日本経済再生の処方箋は?

2011-06-20 18:35:14 | 講演・講義・フォーラム等
 近畿大学公開講座が開催され、その演題が「復興から日本経済の再生へ」というものだったので、日本経済再生の処方箋を聞けると期待して足を運んだのだが…。

 6月18日(土)、札幌ファクトリーホールにおいて近畿大学公開講座が開催され参加してきた。
 開催の趣旨は大学のPRと受験生の勧誘にあったようだ。
 そのためもあってか、近畿大学が最も世の中にアピールしたことの一つである世界初のクロマグロの完全養殖に成功したことをPRするイベントで迎えられた。
 会場入り口ではそのクロマグロの試食会が開かれていた。

        

        

 試食させてもらったクロマグロは養殖特有の脂分がやや多く、軟らかく感じたが、私にはバチマグロなどよりは美味しく思えた。今では「近大マグロ」として市場にも出荷されていると聞く。

        

 マグロのことはさておいて、講演の方だが近畿大学世界経済研究所長の本間正明教授が「復興から日本経済の再生へ」と題して話された。
 私は講演題から日本経済再生の処方箋が話されるものと思って期待していた。
 ところが氏の口から発せられる言葉は、失われた20年からの出口が見え始めたところで起こった東日本大震災によって日本経済は非常に厳しい局面に立たされているという趣旨に終始したものだった。
 例えば氏が項目的に述べたことを羅列しても、
 「3月の生産指数は過去最大の落ち込み」
 「消費支出も過去最大の下落」
 「円高進行で株価も低調に推移」
といった具合だ。
 また、国債の格付けは下落し続け、国際競争力は地盤低下が著しいという。
 その上、少子高齢化の進展によって社会保障給付の伸びが顕著となり、負担がますます増加するという。

        

 各種の資料を数多く提示し、言われている内容から日本経済の厳しい現状を理解することができたが、こうしたことは他のところでも今まで何度も聞いてきたことだった。
 問題はそうした現状からの脱却をいかに図るのか、経済学者としてどのような処方箋を描くのかということを私は期待していた。
 しかし、氏は最後までそのことには触れることがなかった。最後になってかつてどこかの首相が「強い経済、強い財政、強い社会保障」と空虚な言葉を唱えていたが、その空虚な言葉を紹介するにとどまったのは何とも期待外れの講演会と言わざるを得ないものだった。


ラグビー 慶明戦

2011-06-19 21:53:11 | スポーツ & スポーツ観戦
 札幌で大学ラグビーの雄、慶応大学対明治大学の対戦が実現した。エキジビジョンマッチとはいえ両チームの真剣な戦いぶりが好試合となり、ラグビーの面白さを堪能した。

          

 慶応が常にリードする展開から、明治が追いかけるというスリリングな試合となり、最後は1点差で勝負が決まるという好試合だった。

 今日(6月19日)、北海道ラグビー協会の招待試合という形でラグビーの慶明戦が札幌で実現した。
 ふだんテレビでしか見ることのできない両チームの対戦に、会場の月寒ラグビー場には多くのラグビーファンが詰めかけ熱戦を見守った。

 試合は慶応のトライに始まり、それを明治が追いかけるという面白い展開となり、前半は互いに2トライを挙げたものの、コンバートの成否の違いから14対12と慶応リードで終えた。

        

 私はバックグランドの中央付近で試合を見守ったのだが、隣に慶応大学のOBと思われる中年の方が座った。かなりラグビーに詳しい方で、かつ慶応フィフティーンについても詳しい方で、問わず語りに話しかけてきたので、私もそれに応じているうちに、一人で観戦するよりはより専門的に試合を見ることができた。

        

 後半もやはり慶応がフォワードの展開力で勝り先に2トライを挙げ試合は決まったかに思えたのだが、そこから明治の猛反撃が開始された。勢いの止まった慶応に対してプレッシャーをかけ続け2トライを奪取し、試合終了間際にはさらに1トライを加え、その時点で1点差となった。
 ここまで慶応は4トライしてコンバートも4度の機会をことごとく決めていたのに対し、明治は1度しか成功してしなかった。最後のコンバートに明治が成功すれば逆転勝利という展開だったが、最後のコンバートも失敗し、慶応が28対27の1点差で逃げ切った試合だった。
 慶応OB氏は「試合には勝ったけど、トライ数で負けたので不満が残る」と言いながら席を立った。

        

 大学ラグビーのシーズンはまだまだこれからで、この時期は新チームができてチームとしての力を推し量る段階だと思われる。これからそれぞれ夏合宿でチームとしての熟成を図り、秋のシーズン本番を迎えるということになる。
 選手たちにとっては「まだまだこれから」という思いだったかもしれないが、目の前で繰り広げられる肉弾戦(いや~、我ながらかび臭い表現だと苦笑しています)は迫力十分であり、ラグビーの面白さを堪能させてくれた一戦だった。

映画 49 殯(もがり)の森

2011-06-18 22:30:58 | 映画観賞・感想

 2007年度のカンヌ映画祭の審査員特別賞グランプリを獲得した作品だという。しかし、正直言ってこの映画の感想をレポートするのに戸惑った。それはこの映画の良さがいま一つ私には伝わってこなかったからだ。

          

 映画を見ながら眠くてしかたがなかった。
 それは私が映画の中に入っていけていないという何よりの証拠だった。
 なぜそんな思いになったのか、考えてみた。

 6月15日(水)札幌市生涯学習センターで月例(?)の「ちえりあ映画会」があり、カンヌ映画祭受賞作の「殯の森」が上映されるということで友人を誘って出かけた。
 昼間の開催、しかも無料となればシニア層が対象である。この日もシニアの人たちで会場はほぼ満杯だった。

 映画は妻を早くに亡くし痴呆症を患っている老人の男と、子どもを不慮の事故で亡くした介護福祉士の交流を描いたものである。映画のキャッチコピーは「人間の生と死を厳かに見つめる人間ドラマ」とあった。
 
 私が映画の中に入っていけなかった理由の一つは、映画が劇映画でもあるにかかわらずドキュメンタリータッチに描いたためかセリフがクリアでなかったことがある。つぶやくような声であったり、周りの声と重なったり、まるでセリフは重要ではないとさえ思われるような映画に思えた。
 理由の二つ目は、ストーリーの説明が十分でなかったことだ。例えば冒頭に映画の舞台となった奈良地方に伝わる葬送のシーンが延々と続く。作者(監督)は「人間の生と死」というテーマを暗示しようとしたのだろうが、そのシーンが私にはストーリー全体の中でどれだけの必要性があったのか理解できなかった。

 私には葬送の列を追う映像の中で麦畑が風にそよぐシーンとか、痴呆の男と介護福祉士が茶畑で戯れるシーンなどの美しい映像が印象に残ったが、残念ながら映画が主張しようとしていたことは伝わってこなかった。

 映画はエンターテイメント性を伴いながら、その中に作者(監督)の思いや主張、あるいは芸術性を織り込みながら提供するメディアではないだろうか。また、そのことを期待して私たちは映画館に足を運ぶのではないだろうか。
 しかし、この映画には私たちが映画に求めるエンターテイメント性が欠けていたように私には思えた。その思いは一緒に観賞した友人たちにも共通の思いだったようだ。

 ネット上の評判も全く両極に分かれているようだ。
 ある映画評論家が「河瀬直美という監督の映画は、普通の人が何気なく見るにはまったく適していないということだ。世界でもっとも適さない監督の一人と断言してもよい」と言っている。
 私はその普通の人の一人だったようだ…。


札幌Cafe紀行 №70 Chocolate Bar RHAPSODY

2011-06-17 17:35:15 | 札幌Cafe紀行
 窓からの新緑が目に優しいおしゃれなカフェだった。チョコレートが売りのカフェということだが、昼時とあって私はランチを楽しんだ。

 久しぶりのカフェ探訪である。このところは新しいカフェを探訪するというよりも、いままで訪れて気に入ったカフェに行くことが多くなっていた。
 今回は「ちえりあ映画会」を友人と観賞した帰り、一緒に昼食を共にすることになってここを訪れた。

        
        ※ カフェ ラプソディのエントランスです。

 店は北海道神宮前の北1条宮の沢通りを挟んだ道向かいに3店の飲食関係の店が入っているビルの2階にあった。
 店の大きな窓は交通量の多い宮の沢通りに面しているのだが、そこをたくさんの木が遮っていて、目に入るのは木の葉ばかりでとても落ち着けた。

        
        ※ ご覧のように窓から入る緑の光が目に優しいお店です。

 店内の席はカウンター形式になっていて、フード関係は別の厨房で調理するが、ドリンク関係はオーナーと対話しながら提供を受けるタイプとなっている。

        
        ※ 店内は写真のようなカウンターと、その一部が対面式と
         なっている席があります。

 店はチョコレートを使用したスィーツがお勧めのようだが、私たちはランチを摂ることにした。
 オーダーしたのはパスタのランチセット。私は「豚肉とキャベツの塩味パスタ」にサラダ、スープ、ドリンクが付いたもの(1,000円)をオーダーした。
        
        ※ 私がオーダーした「豚肉とキャベツの塩味パスタ」です。

 パスタは薄い塩味で上品に仕上がっていた。細麺でスープがよく絡み、ボリュームも十分でお勧めである。
 ドリンクには最近ちょっとはまっているアイスのカフェラテにした。冷たいこともあって、私には正直いってその優劣を判断することはできない。

        
        ※ グラデーションの色合いがなんともいえず最近はまって
         いるアイスカフェラテです。

 カウンター奥にはたくさんの高級ウィスキーが並んでいて、夜の部も賑わっていそうなカフェである。

【Chocolate Bar RHAPSODY データ】
札幌市中央区宮の森1-10 ヒルズLA’BO 2F
電  話 011-614-1478
営業時間 12:00~23:00(日祝 ~19:00)
定休日  水曜日
座  席 11席
駐車場  あり(4台)
入店日  ‘11/06/15


“ART”文字再び…

2011-06-16 22:12:30 | ボランティア
 今日、昨年に引き続き近代美術館の前に“ART”文字を描くことができた。まだ苗が小さく見映えがするようになるにはもう少し時間が必要だが、久しく何もない状態が続いていた空間を埋めることができホッとしている。

 苗(アルテルナンテラの苗)を注文していたホームセンターに入荷するのが遅れていたためになかなか取り組めないでいた。
 このほどようやく入荷したために、昨年より遅れること約2週間、今日ようやく整備することができた。

 描く文字は昨年と同じく“ART”と決めていたのだが、昨年と同じ黄葉だと代わり映えがしないと思い、今年は赤葉を使うことにした。
 ところが…。
 実際の赤葉を見ると、頭の中で描いていたような赤ではなく、緑が混じった赤色だった。
 ちょっと思惑とは違ってしまったが、これからの生長につれて変化していくことを期待したいと思っている。

        
      ※ 文字のデザイン化を狙ったがはたして見る方々はどう思うか?

 また、今年は黄葉を自宅で越冬させ、それを挿し芽したものを現在市立大通高校の生徒さんたちに育ててもらっている苗を周囲に配したいと思っている。
 苗の生長が芳しくないと聞いているが、多少見映えが悪くともこのコラボレーション(?)だけはぜひともやり遂げたいと思っている。
 そのレポートはまた後日に。

 ところで近代美術館前の空き地で私が“ART”文字と同じように力をいるのがジャンボヒマワリの栽培である。昨年以上に早く栽培に取り組み、5月8日に苗を定植し、現在のところ順調に生長してくれている。
 今日、“ART”文字を描くときに高さを測ってみたら50Cmにまで生長していた。
 生長する度に支え木に結わえる紐の位置を修正しなくてはならないが、これまでもう3度の修正をしている。しかし、この作業は嬉しい作業である。

        
      ※ 栽培しているヒマワリは6本、その中で最も大きいのが50Cmです。

 田舎人(いなかびと)が都会に住んだとき、一番寂しいのが植物を世話する機会を失ってしまうことである。
 その点私は幸運である。
 猫の額のような空間であるが、自分がお世話をしながら植物の生長を実感できる機会を与えられている。
 その生長の様子をこれからも時折レポートしたいと思っている。

歩くということ ~ でっかいどうオホーツクマーチを終えて

2011-06-15 19:29:12 | 札幌ウォーク & Other Walk

 わざわざ遠くからウォーキング大会に馳せ参じる人たちはなぜ“歩く”という単純な行為に夢中になるのだろう。私はまだ夢中というレベルではないが、4日間の「でっかいどうオホーツクマーチ」に参加しながら考えてみた…。 
 
 ウォーキング大会に参加してみると全国各地から参加されている方がとても多いのに気付く。(私は道内の大会しか経験がないが…)もちろん北海道から全国各地の大会に参加されている方も多いと聞く。
 参加層のほとんどはシニア層である。女性が目立つのも特徴の一つだ。

 なぜ多くの費用をかけ“歩く”ために遠くからやってくるのだろう?
 今大会の三日目、四日目に一緒に歩くことになったウォーキング大会の参加経験が豊富なベテラン氏は、その話題になったときに、「そこに山があるからじゃないが、そこに道があるからだろうね」と話していた。かの有名な登山家マロリーが遺した言葉を引用したものである。
 ベテラン氏が言いたいのは「明確な理由などないよ」ということなのだろうか?
 そういうことかもしれないが、私は敢えてその理由を考えてみたいと思った。

        
      ※ スタート直後はこのようにたくさんのウォーカーが見えるが…。       

 私の場合で考えてみた。
 現職の頃は、こうした大会の存在自体すら知らなかった。
 “札幌を知る”ために札幌市内のコースをウォークしているうちに大会の存在を知ることとなり、好奇心から札幌市で行われた大会に参加してみた。
 すると、ふだん取り組んでいるウォーキングより数倍長い距離をこなす大会は私にとってかなりの負担となるものだった。
 しかし、そのことがかえって私を奮起させたようだ。その後散発的ながら道内の大会に参加し続けている。
 なぜ負担となり、苦しい思いをしてまで大会に参加し続けているのか、と自分に問うた時に、一つは自分が「健康である」ことを確認できたという歓びであるような気がした。そしてもう一つは「生きている」実感を感じ取れることではないだろうか、と思っている。

        
      ※ 大会の楽しみの一つ、歓迎レセプションの様子です。写真は
       北見会場で焼き肉を楽しんでいるところです。ちなみに網走は 
       海鮮バーベキューでした。
       
 他の多くの参加者はどうなのだろう?
 ベテラン氏が言うように明確な理由などないのかもしれない。
 しかし、大なり小なり私が思うようなことをウォーカーたちはどこかで感じているのではないだろうか…。
 各地の大会に参加し顔を真っ黒にしている人。私よりははるかに高齢なのに元気そうな人。脚を故障しながらも杖を頼りに懸命にゴールを目ざす人。
 そうした参加者を見ていると、「生きていること」「健康であること」を実感し、歓びを味わうために参加し続けているのではないかという気がしてくる。

 またそのことを後押し、参加者を奨励する日本ウォーキング協会の表彰制度も巧みである。私はまだ十分には理解していないがさまざまな表彰制度があるようである。大会参加者の中にはその表彰を楽しみに参加し続けている人も多いようだ。

 大会から二日が経過しているのに、私の体はまだ筋肉痛から解放されていない。
 今大会の完歩賞4枚を前にしながら、これからも「生きていること」「健康であること」を実感するために時折大会に出てみようかな、と思っている私である。
        
        
        ※ かわいい完歩賞を4枚いただきました。       


網走にて 五十集屋

2011-06-14 18:41:45 | その他
 今回の網走・北見遠征(?)はどこにも出歩かずひたすら体力温存に努めた。唯一大会前日の夜、網走で懐かしの五十集屋(いさばや)を訪れた。しかし、そこにあった五十集屋は以前の五十集屋とは似ても似つかぬ店だった…。

 拙ブログでは基本的にお酒や酒屋の話は自分自身でご法度としている。
 しかし、今回だけはちょっと触れてみることにした。

 今回はウォークすることが第一の目的だったから、ふるさとではあったが誰とも連絡を取らず、外出は控え体力を温存することを優先した。
 唯一、大会前夜だけは網走の後輩と一献傾けることにした。
 そこで懐かしの「五十集屋」を訪れることにした。

 五十集屋というと、繁華街から離れてオホーツク海に面したところに、以前は漁業者が倉庫として使っていたような古い建物の二階を居酒屋風に改造した店だった。(一階は倉庫そのものという感じで何の造作もしていなかった)
 中に入ると大きな炉端が三つあって、客はその炉端を囲むようにして座り、目の前で海の幸を豪快に焼いて提供するという店だった。音楽などもかかっておらず、装飾など一切なくオホーツクそのものを食するといった店だった。
 私は、その建物、その焼き方、その雰囲気、全てを気に入っていた。

        
        ※ 移転した現在の五十集屋のエントランスです。

 久しぶりの網走の夜はぜひそこへ行ってみたいと思った。
 ところが…。
 店が移転して、飲食街に出店しているという。
 いやな予感がした。
 店を探して入店してみると…。

        
        ※ 店内にデコレートされた和舟の回りがカウンター
         のようになっていました。

        
        ※ 大漁旗が壁に貼ってありましたが、どこかで見たような…。

        
        ※ 鮭の干物もぶら下がっていましたが、これも単なる
         デコレーションの一つのような気がして…。

 店内に和船がデコレーションされていた。「いさばぶね」を意識したものだろうか。
 しかし、炉端はどこにも見えない。どうやら別所で調理されるらしい。
 私たちは小部屋に案内された。
 五十集屋はどこにでもあるような居酒屋になってしまっていた…。
 メニューを見ると、生魚や干物の焼き物は変わらず提供されているようだが、当時の豪快な店の雰囲気を知っている者にとっては別の店に入ったような感覚が最後まで拭えなかった。

        
        ※ 提供される焼き魚はさすがにビッグです。これはナメタガレイです。

 そのように変わったのは経営者の経営的な判断なのだろう。
 私のような旅の者がノスタルジーに浸って嘆いたとしても、それは現実を知らない者の勝手な思いでしかないということだろう。
 う~ん。それにしてもちょっぴり残念な大会前夜の網走の夜だった…。

 ちなみに「五十集屋(いさばや)」とは、魚、干物、塩物などを売る店という意味のようである。

でっかいどうオホーツクマーチ 第四日(北見編)

2011-06-13 21:51:44 | 札幌ウォーク & Other Walk

 「でっかいどうオホーツクマーチ」の第四日目の30キロを無事歩き終えることができ、先ほど車で約4時間半かけて午後6時半過ぎ帰宅しました。

 「でっかいどうオホーツクマーチ」の最終日は、昨日のコースとは反対の北見市の西方面を巡る30キロだった。
 コースは「美しい日本の歩きたくなる道 500選」にも選定されている「ハッカの風薫る屯田の道」を含んだ緑豊かなコースだった。
 四日目とあって体力的に心配もしていたが、気温が肌寒いくらいだったことが幸いし、思っていたほどきつい思いをしないでゴールすることができた。
 これで当初の目標だった総計127キロを歩き終えることができた。

        
      ※ 第四日目も緑多い風景の中を歩いた。写真の女性がザック
       に付けているいるのがウォーキング大会独特のゼッケンです。

 この種のウォーキング大会では参加者は独特のゼッケンを着用することになっている。
 どのように独特かというとゼッケンナンバーというのはなく、代わりに在住の都道府県や市町村名、氏名、歩く距離を自分で書き込むことになっている。さらに、それぞれがその大会への意気込みや思いなどを自由に書き込むメッセージ欄がある。
 私はそのメッセージ欄に「ふるさとで127Kmに挑戦!!」と記して歩いた。

        
        ※ 北見市郊外を流れる武華川沿いの堤防上を歩いています。

 私にとっては4日間にわたって毎日30キロ以上を歩くことは初めての経験であり「挑戦」そのものだった。
 そう記したことで何人もの人から声をかけられた。
 声をかけるほとんどの人が「一日に127Km歩くのですか?」と問いかけてきた。
 私はもちろん「いえいえ四日間の合計ですよ!」と答えていた。

 このことは何を意味するかというと、声をかけてきた人たちにとっては四日間で127Kmなんて「挑戦」などには値しないということのようだった。
 ウォークしているときに耳に聞こえてくる話や会場での交歓会で聞く話では、相当多くの人が全国を股にかけて各種のウォーキング大会に参加している人が多いということだった。その人たちにとっては一日に30Km程度はなんとも思っていない距離であり、100Kmを超えるような距離だと少し注目しようかな、ということで声をかけてきたようだ。

 ことほど左様に、こうした大会で参加してみるといろいろな猛者に出会うことがある。
 今大会で聞いた話では、全国47都道府県の大会を全て制覇したという人。大会に参加する費用が年間500万円は下らないという人。日本だけに収まらず世界の大会に出かけている人、などなど…。
 それを聞いて「それぞれの趣味の世界にはやはり凄い人がいるもんだ」との思いを深くした。
 いろいろと気の多い私はけっしてそのようにウォーキングだけに集中するということはないだろうし、できないとも思った。
 しかし、「歩く」という単純な行為であるウォーキングも健康なればこそとの思いもあり、これからもぼちぼちと継続していきたいものと思っている。

        
        ※ 四日間のウォークを終えて記念のゴールです。

 「思ったほどきつい思いをしなかった」と冒頭記したが、疲れはそれなりに蓄積している。疲れが取れたときにゆっくりと今大会を回想してみたいと思っている。


でっかいどうオホーツクマーチ 第三日(北見編)

2011-06-12 19:32:33 | 札幌ウォーク & Other Walk

 北見市にステージを移しての第三日(32Km)は二日間で積み重なった筋肉痛はあったものの、好条件が重なって楽しくウォークを終えることができた。

 スタートして5キロを超えたころだろうか、私は前を行く若者に声をかけた。
 「そこのお若い人は学生さん?」と問いかけたところ、すると一人でウォークすることに寂しさを覚えていたのだろうか、その若者は私の傍に寄ってきた。
 話を聴くと、今春大学を卒業して地元市役所に勤め始めたばかりということだった。
 彼はこうした地域のイベントに出ることも初めて、もちろんウォーキング大会に出ることも初めてということだった。
 いろいろな話をしながら一緒に歩を進めた。

        

 するとそれから2キロも行ったところで私たちに話しかけてくる人があった。
 私と同世代、恵庭から参加しているという人で、全国の大会にもかなり参加しているというベテランだった。
 そこから三人の行脚が始まった。三人それぞれが思いつくまま話題を提供し、それに応えるという形で歩の歩みを止めることなく話は続いた。
 
 結局、三人はゴールするまで一緒だった。
 他愛ない話が疲れを忘れさせゴールまで導いてくれた。
 この会話がなかったら、今日のウォークはこれまで以上に辛いものになっただったろう。

        

 天候が幸いした。
 朝は肌寒いくらいだった。そしてスタート後もそれほど気温が上がらなかった。
 汗もほとんどかかず、持参したペットボトルの水はほとんど残ったままだった。
 今日のような天候でなかったら、今日のウォークはこれまで以上に辛いものなっただろう。

 第三日目は北見市の東方面の田園風景の中をウォークする32キロだった。
 北見市街地の東陵運動公園、野付牛公園などの緑豊かな場所と、端野地区の水田地帯、玉葱・甜菜・小麦などの畑作地帯などはいずれもいつか見た風景だったが、そのどの風景も懐かしく、北見の素晴らしさを思い出させてくれるウォーキングだった。

 「でっかいどうオホーツクマーチ」も残すところ明日一日、最後の30キロをしっかり歩いて所期の目的を完遂したいと思う。


でっかいどうオホーツクマーチ 第二日(網走編)

2011-06-11 16:53:46 | 札幌ウォーク & Other Walk

 網走での二日間のステージが終わった。二日間とも私にとっては懐かしさを感じながらのウォーキングだった。かつては何度も車で行き来したことのあるコースだった。そこを自分の足で辿ることは辛いながらも、楽しい二日間だった。

 一日目は主として「感動の径」を含めた農道を
 そして二日目は主として網走湖を含めて水の見える風景を、巡るコースだった。

 そのいずれもが私にとっては懐かしいコースだった。
 網走市を始め、周辺町村も含めると12年間も過ごした土地だ。車では縦横に走ったことのある道路だった。
 ◇一日目 桂が丘の坂 → 潮見の町並 → 道立オホーツク公園 → 東京農大網走キャンパス → 東網走の農村地帯(「感動の径」) → 網走原生牧場 → オホーツク海を見ながら藻琴・鱒浦の海岸地帯(35㎞コース)

        
        ※ 第一日目「原生牧場」からオホーツク海を望む。

 ◇二日目 天都山 → 網走湖を望む呼人の展望台 → 呼人のスポーツトレーニングフィールド → 網走湖の脇を走る道 → 網走川沿いの道(30kmコース)

        
        ※ 網走湖を横に見ながらウォークは続きます。

 どれもどれもが懐かしい風景だった。
 しかし、そこを自分の足で辿るとなると、改めてその距離の長さを思い知らされた。
 私には懐かしさに浸っているほどの余裕はなかった。体力に劣る私はひたすら歩くことに専念しなければならなかった。そうすることで2日間ともなんとか当初の目標をクリアすることができた。
 
 一つ残念なことがあった。
 実は昨日の大雨、そして本日未明のどしゃ降り(私は爆睡中で気付かなかった)で、本来30kmコースに含まれていた「呼人探鳥遊歩道」が決壊しカットされたことだ。私が唯一未体験のところだったのだが…。

 足には豆が出来、下半身全体が筋肉痛に襲われているが、楽しい二日間だった。
 その第一は、大会運営者の心のこもった運営を随所に感じることができたからだ。
 そのことについては後日レポートしてみたい。
 そして第二は、現れる風景の一つひとつがかつて日常的に接していた懐かしい風景だったからだ。
 そしてもう一つは、昨日の思わぬ網走市民の親切に接したことだった。

        
        ※ 二日目のスタート時、東京農大の応援団が名物のダイコン
         踊りで参加者を励ましてくれました。

 私はそのまま網走を去ることは自分自身の中に何か心残りを作ることになるのではと思い始めていた。その親切にもう一度感謝の意を表したいと…。
 私はささやかな手土産をもって「奥谷」様を訪れ、奥様に深謝したのだった。

 北見へ移動した。
 明日からさらに32Km、30Kmと続く、筋肉痛に耐えながらなんとか当初の目標を達成したいと思っているのだが…。