羊・羊・羊…、やはりニュージーランドは羊大国
飛行機がダニーデン空港に向けて降下体制に入ったときだった。快晴の空の下、下界がよく見通せた。すると緑の丘に点々と米粒のようなものが見えた。
「羊かな?」と一瞬思い、目を凝らしたのだが、その白い粒がいっこうに動いているように見えなかった。私は何か別のものを目撃したようだった…。
※ ニュージーランドの典型的な郊外の風景といっても良いでしょう。
飛行機を降りて、空港からダニーデン市に向かっているとき、牧場で草を食む羊の群れを見た。すると、羊たちは一向に動こうせず頭を下げて一心に草を食んでいた。「あゝ、やはり飛行機から見えた米粒は羊たちだったんだ」と、そのときようやく得心したのだった。
※ 牧場の多くではやはり羊たちが飼育されていました。
ダニーデンからタイエリ峡谷鉄道に乗ってダニーデン郊外を通ったときは、典型的なニュージーランドの農村風景が目に飛び込んできた。広い牧場ではたくさんの羊たちが飼育されていた。
羊ばかりではなかった。肉牛や乳牛、馬などの牧場も目立った。珍しいところでは鹿を飼育する牧場もあった。
一時に比べてニュージーランドにおける羊の飼育頭数は減少傾向にあると聞いたが、目に見えたかぎりにおいては圧倒的に羊の牧場が目立っていた。
※ カーギル山登山の際に迷い込んだ牧場です。
ダニーデンでの最後の日(1月31日)、私は一人でダニーデン郊外のカーギル山に登った。その時、登山口を探して丘の上をあちこちと歩き回ったのだが、その右往左往したところも羊の牧場内だった。
羊は臆病の性質のようで近くによると逃げてしまい、写真を撮ることがままならなかったのは残念だった。
ことほど左様にあちらへ行っても、こちらへ行っても、都市部を離れるとやはり羊の牧場が目立っていた。
※ こちら側も牧場、谷を一つ越えたあちらの丘も牧場です。
そのように畜産や酪農が多いためだろうか、国民の食生活にもそのことが反映されているのかもしれない。特に中高年の肥満がとても目立った。きっと肉食や乳製品の摂取が多いためなのでは?
※ 南米産のアルパカです。最近はニュージーランドでも良質の毛を生産するために飼育されているとか…。
日本の国土の3/4の面積に人口がわずか440万人というのだから、そのあり余る土地を利用した農業が盛んになるのは自然のことかもしれない。
一説によると、飼育されている家畜の数は人口の10倍に上るという…。
ダニーデンの街中にはいつも賑わいがあった
今回の旅のホームタウンだったダニーデンで、私は毎日のように中心街に食事や買い物に出た。
その際いつも感じたことだが、街中に賑わいが絶えなかったことだった。
ダーニーデン市の人口はこれまでも触れているように12万人弱である。北海道でいうと小樽市や我が故郷北見市とほぼ同じ規模である。しかし街中の賑わいの様子はまるで違っているように見えた。オープンカフェにはいつも人々が憩っていた。商店街は買い物をする人、ウィンドーショッピングをする人たちが絶えなかった。
確かにダニーデン市は周辺地域の中心都市であり、観光地的要素も兼ね備えた街ではあるのだが…。
僅かな滞在期間ではあったが、私はダニーデンの街と日本の街と比べたときに一つの明らかな違いが見えてきた。
ここまで書くと、あるいはもう気付かれた方もいるかもしれない。そのとおり、日本の街の場合は大型店が郊外に進出し、中心街の空洞化現象が生じていることである。
対してダニーデン市の場合は、市内で最も大きなショッピングセンターも、大きな集合商業施設も中心街に位置し、その周辺に個人的な商店も広がっているという具合であった。
だから市民は自然に中心街に集まってくるという街のつくりになっていたように思う。
※ 写真を撮るときはあまり人をねらえなかったので寂しい感じがするが、実際はたくさん人々が行き交っていた。
日本の街は大型店の進出攻勢によって街のつくりがすっかり変えられてしまったようにも思われるが、少子高齢化が進展する中で街の在り方が問われているという。
いわゆる“コンパクトシティ”への街の再構成である。
法的な整備も必要と思われるが、日本の多くの街がダニーデン市のように中心街に人々が集い、賑わいが創出されるような街が戻ってきてほしいと思ったのである。
美しくきらめくワカティプ湖
冒頭に大きな写真をもってきたが、写真の技術や解像度はさておき、とても美しい光景と感じられませんか?
ニュージーラドにも景勝地は数あるのだろうが、私が訪れたクイーンズタウンも間違いなくその一つである。
そのクイーンズタウンの前に広がるのが氷河湖のワカティプ湖である。
荘厳にそびえる山々に囲まれ、光の加減によっては透き通るようなブルーの水面が周りの山々とのコントラストで見せてくる光景は息を呑むばかりだった。
できるかぎりの角度からカメラに収めたので、いつもより大きな画面で堪能していただきたい。
けっして景色を楽しむ旅ではなかったが、この光景に接したときにはやはり嬉しさを隠しておけなかった私である。
ダニーデン市と小樽市は姉妹都市だった!
昨日、ボルドウィン・ストリートの投稿をしたら、私のブログにしばしばコメントをいただいている出ちゃっ太氏から「小樽市内?」と題するコメントをいただいた。
そのコメントをいただいて「そういえば!」と思い当たることがあった。
ダニーデン植物園を見学しているときだった。植物園の一角に「小樽庭園」と書かれたボードがあり、小さな日本庭園が造られていた。
その時はあまり深くも考えず「へぇー」という感じで見ていたのだが…。
※ ダニーデン植物園の一角にあった「小樽庭園」と書かれた案内板です。
出ちゃっ太氏のコメントをいただき改めて調べてみると、なぁ~んと、小樽市とダニーデン市が1980(昭和58)年に姉妹都市の提携を結んでいることが判明したのだ。
姉妹都市の提携を結んでいると知ると、そういえば両市には共通点がいくつかあることが分かってきた。
※ ダニーデン市のちっょと郊外にあるセント・クレア・ビーチです。
まずは緯度である。小樽市は北緯43°19′、対するダニーデン市は南緯45°87′と赤道を挟んでほぼ対極に位置している都市どうしである。
さらに両市とも海に面した港町であり、坂の多い街であることも共通している。
そして人口も小樽市が13万弱、ダニーデン市が12万弱と似通っている。(1980年当時はどうだったのだろうか?)
これだけ共通点があるとやはり互いに意識するところがあったのかもしれない。
※ ダニーデン市はとにかく坂の多い街でした。小樽市と共通します。
そしてさらに調べていると、小樽商科大学とダニーデン市が誇るオタゴ大学がやはり1992(平成4)年に国際交流の提携を結んでいることも判明した。小樽商科大学にとってはオタゴ大学が初めての海外の大学との国際交流を始めた大学ということのようだ。
※ 小樽商大と国際交流を進めるオタゴ大学の象徴クロックタワーです。
どちらから持ちかけて実現した姉妹都市かは分からないが、私が今回の旅でホームタウンとした街が、私が住む街の近くの街と姉妹都市だったという事実は面白い発見だった。
ダニーデン市の「小樽庭園」は造成されてからかなり日が経っているのだろうか?少し整備が滞っている感じがした。できれば日本庭園の専門家を派遣して、整備された日本文化の良さを伝えてほしいと思ったのだが…。
はてさて小樽市にはダニーデン市に縁のあるものがあるのだろうか? そのことを探るのも興味深いことである。
世界一急な通りボルドウィン・ストリート
「地球の歩き方 ニュージーランド編」のダニーデン市を紹介するページに次のような記述があった。
【ボルドウィン・ストリート Baldwin St.】
ノース・ロードNorth Rd.から住宅地に入るボルドウィン・ストリートは、坂の街ダニーデンを象徴するような急勾配。長さにすると約100mだが、実際に歩いてみると斜度のきつさに改めて驚く。それもそのはず、ここはギネスブックに載っている世界でも最も角度がきつい坂道なのだ。沿道の家屋は地形に合わせて地面にへばりつくように建ち、通行する車はアクセルをふかしながら登ってくる。坂の入口脇にはツーリスト・ショップがり、坂を登った認定証(A4サイズ$2)を発行してくれる。
※ ストリートの下から撮るとどうってことのない通りなのだが…。
私は友人Tにぜひともこのボルドウィン・ストリートに案内してくれるように頼んだ。
ボルドウィン・ストリートはホームスティ先があるマオリヒルから谷一つ隔てた丘の斜面に造られた通りだったので、谷の中に造られたトレッキングコースを歩いて行くことにした。
※ 水平に立つ建物と、坂を歩く人の角度でその勾配が分かっていただけるだろうか?
ボルドウィン・ストリートに着いてみると、さすがにギネスブックに載った世界一の斜度の道である、たくさんの観光客の人たちがいた。
う~ん、なかなかの勾配で道路が向うへ続いていた。
友人T氏は以前に来たとき登ったということで「今回はパス」と下で待っているという。まあそれくらいきつい登りということである。
遠くに自転車が登っているのが見えた。道幅を一杯に使って、左右に蛇行しながらゆっくりと登っていた。
※ こちらの2枚はホームページに載っていたものを拝借した。さすがに上手く撮っている。
さて、私の番である。夏の暑い日だった。最初はやや勾配が緩かったのだが、途中から急になり始めた。横に建っている家を見ると、その勾配のきつさが分かる。
歩道部分は階段状になっているところもあった。
車が(これも観光用の車だろう?)アクセルを吹かしながら登っていく。
ウィキペディアで調べたところ、最大勾配は35%(斜度19度)いうことだ。
ようやく最高到達地点に立つと、上がり口が遠く下の方に見える。
そこでは先ほど自転車で登ってきた若い人たちが陽気に騒いでいた。
※ 自転車の若者たちはブレーキをいっぱい効かせて坂を下っていった。
見ていると観光客が続々と登ってくる。
ちょっと急な坂道というだけの何の変哲もない道路だが、世界一と名が付くと立派な観光資源となる典型のようだ。
私は下に下りツーリスト・ショップで$2を払い、坂を登ったという認定証をいただきボルドウィン・ストリートをあとにしたのだった…。
※ こうして私と同じように観光客が次々と坂を登ってきた。
スポーツ大好きのKIWI(ニュージーランダー)
私はニュージーランド人のことをニュージーランダーと称してきたが、調べていくと彼らのことを愛称でKIWIと呼ぶこともあるそうだ。そこでタイトル名を本日のようにしてみた。
話しは変わって、オタゴ博物館に入ったときだった。
入館して直ぐのところにガラスケースに護られて一本のピッケルが展示されていた。
見ると、世界初のエベレスト登頂を果たしたニュージーランダーのエドモンド・ヒラリー氏が登頂の際に使用したピッケルだと説明書きがあった。
続いて、彼が使用したゴーグルとか、ナイフなども同じくガラスケースに護られて展示されていた。
エドモンド・ヒラリー氏の偉業がニュージーランドの人たちにとって誇りであり、彼がいかに敬愛されているかの証しだと私は感じた。
※ ヒラリー氏がエベレスト登頂に使用したピッケルです。
後になってから気付くのだが、ニュージーランド紙幣(5ドル札)に彼の肖像がデザインされていることからも国民から敬愛されている人物であることが理解できるのである。
※ 写真のように5ドル紙幣にヒラリー氏の肖像が印刷されています。
このヒラリー氏のことでも分かるように、KIWIたちはかなりのスポーツ好きであり、スポーツを大切なものと考えているようである。
街を歩いていて気付くのだが、とてもたくさんの人たちがランニングやウォーキングに取り組んでいる。真夏の昼下がり、全身に汗を拭きだしながらランニングに取り組んでいる姿を見ると、健康のためというより、積極的に身体を鍛えているというように思えた。
そういえばニュージーランド人はラグビーをこよなく愛する国民である。
※ オークランド市内で見かけたクリケットの試合の様子です。
友人T氏にうかがうと、ニュージーランドの人気スポーツは①ラグビー、②クリケット、③バスケットボール、④サッカーの順だそうである。
私が訪れたオークランドでも、ダニーデンでも、クイーンズタウンでも、ちょっとしたところにグリーンが広がっていて、市民がいつでもスポーツに取り組むことができる環境のように思えた。
※ 写真のようにちょっとしたところに広々としたグリーンが広がっていました。
その最たるものが、ダニーデンで見た全天候型のスタジアムではないだろうか。
ダニーデンというと人口12万人弱である。ちょうど私の故郷北見市と同規模の街である。そんな小さな町に全天候型のスタジアムが存在するのだ。
おそらくラグビーやクリケットに主として使用されるのだろうが、はたして北見市に全天候型の野球場、あるいはサッカー場が造られることはあるのだろうか? あるとしたら何時のことなのだろうか?
※ サイクリングを楽しむKIWIも目立ちました。
旅の友 ~「地球の歩き方」
私は旅立つ前に次のようなメモ(マニュアル)を作成し、持参した。
【オークランド国際空港からホテルへ行く方法】
1)空港内の観光案内所i-SITEでAirbus Expressのチケット購入
(観光案内所i-SITEは到着出口左手にある)
2)到着ロビー正面にあるバス乗り場でAirbus Express(青い車体)を見つけて乗車
3)乗車したらドライバーにホテル名とアドレスを示し、降車場所を尋ねる。
Hotel Name AUCKLAND CITY HOTEL
Address 157 HOBSON STREET AUCKLAND, NEWZELAND
私はオークランド空港に着き、入国審査を終え、到着出口を出た後、自分が作成したマニュアルどおりに行動し、一度も迷うことなくホテルに着くことができた。
上記マニュアルをどのようにして作成したかというと、ダイアモンド・ビッグ社発行の「地球の歩き方 ニュージーランド編」を参考にして作成したのである。
多くの個人旅行者がそうしていると思われるのだが、私は個人的な海外の旅の場合は必ず「地球の歩き方」を購入し、参考にしてきた。
「地球の歩き方」は創刊当初はバックパッカー向けに発刊されたと聞いているが、今やあらゆる海外旅行者(特に個人旅行者)を対象としたつくりになっている。
こんなこともあった。
オークランドで一日遊ぶことになった。
「地球の歩き方」中に、「オークランド1日満喫街歩き」というページがあった。それは個人旅行者がオークランド観光の欠かせぬスポットを効率よく巡るコースが紹介されていた。
私はそれを参考にほぼ同じような行程でオークランド市内をフェリー、トラム(市電)、市内バスを駆使して巡り歩いたのだった。
※ 指南書(?)に従い私はフェリーを駆ってオークランドの対岸の街に渡った。
また、クイーンズタウンで生きたキーウィを目撃することができそう、との情報を得ることができたのも「地球の歩き方」によってだった。その他にもあらゆるところで…。
※ 忍耐強く待ち続け、なんとか生きて歩き回るキーウィを目撃することができた!
このように私のサイドバック(という表現でいいのかな?)の中には「地球の歩き方」がいつも潜んでいた。
旅の友として…、というより旅の指南書として…。
充実している博物館施設
今回の旅で私はニュージーランドの四つの博物館を訪れた。その四つとは…、
《ダニーデン市》
◇オタゴ博物館
◇オタゴ入植者博物館
《オークランド市》
◇オークランド戦争記念博物館
◇トーピードゥー湾海軍博物館
の四つである。
断っておくが、私は別に博物館マニアではない。ただ、博物館を覗くとその国の、その地方のあらましを把握することができるのではないか、との思いから覗いてみたに過ぎない。
ダニーデン市は人口12万人である。そこに二つの博物館が存在している。
オタゴ博物館は本格的な総合博物館だった。マオリ族の歴史に始まり、オタゴ州の歴史的な遺産を展示し、そしてオタゴの豊かな自然を誇り展示しているものだった。
印象的だったのは、博物館スタッフがマオリ紋様と思われる紋様をプリントしたシャツを着用していたことである。
※ オタゴ博物館の名称が入った建物側面を撮った。
※ 博物館スタッフが着用していたマオリ族文様(?)が入ったシャツを撮らせてもらった。
オタゴ入植者博物館は、その名のとおりスコットランド人の入植以来の歴史を展示するものだったが、こちらもなかなか本格的なものだった。
人口12万にして、本格的な博物館を二つも有していることに私は日本の現状を顧みて驚きを禁じ得なかった。
※ 開拓当初にこの地方を走っていた機関車が展示してあった。
オークランド市はニュージーランド最大の都市といわれているか、それでも人口は約43万人である。
オークランド戦争記念博物館は、その名称から戦争物だけを扱った博物館のように錯覚するが、実際は総合博物館である。3階構造になっていたが、1階は主としてマオリ族に関する展示だった。オタゴ博物館でもそうだったが、まず最初に展示されているのがマオリ族に関する展示だったところに、ニュージーランドが国として先住民族であるマオリ族を敬愛しようとする姿勢を感じ取れた。
2階はニュージーランドの自然を主として展示し、3階になってようやく戦争に関した展示となっていた。(戦争関係はやはり戦勝国側から見た展示となっていた)
※ オークランド戦争記念博物館の堂々たる建物である。
※ オタゴ博物館でも、ここでもマオリ族に関する展示が充実していた。
そして最後のトーピードゥー湾海軍博物館は、どちらかといえばローカルな海軍だけに特化した博物館といえた。
※ トーピードゥー湾海軍博物館の外観です。
私はこうしたニュージーランドの充実した博物館施設を前にして、日本、ひいては札幌の現実に立ち帰らざるを得なかった。
人口190万都市を誇る札幌市に道立はおろか、市立の博物館も存在しないのである。類似施設はあるとはいっても、まだ総合的な博物館が存在しないことを私たちはどう考えたら良いのだろうか?
ニュージーランドの充実した展示を誇る博物館を前にして、日本人である私は考え込まざるを得なかった…。
裸の山が多いニュージーランド
※ 写真のように道路の横の大して高くない山にも木は生えていません。
オークランドからダニーデンへ向けて飛行したときだった。
天候は快晴で雲一つない天候だった。私は運良く窓際の席だった。
地上の様子が良く見えたのだが、山と思えるところはそのほとんどに木が見えないのだ。
ニュージーランドというとトレッキングなどが盛んな「緑豊かな国」というイメージだったのだが…。
※ ダム湖の近く木が成長する水分は十分にあると思えるのだが…。
そしてまた、ダニーデンからクイーンズタウンへ南島を横断したとき、道路の周囲に見える山々にはまったくと云ってよいほど木が生えていなかった。
それほど標高の高いところを通ったとは思えなかったのだが…。
景勝地クイーンズタウンは氷河に削られた跡にできた湖ワカティプ湖を中心にできた街だからやはり周りの山は裸の山々だった。
※ クイーンズタウンの前に広がるワカティプ湖の背後の山もご覧のとおりです。
その印象を友人Tに話したところ、友人は「森林限界だから…」ということだった。森林限界というと、かなり高い山を想像するのだが、そんなにも高いところには思えなかった…。
帰国してから調べてみた。すると、確かに日本では2,500mくらいが森林限界らしいが、ニュージーランドでは1,000mほどだという。
なぜ、日本とニュージーランドではそんなに森林限界が違うかということについては、森林限界の要因がさまざまな要素が絡み合ったうえでのことなので、一言では説明できないらしい。ただ、緯度の違いがその一つの要因ではあるということなのだが…。
広大な大地のほとんどに木が生えないというのももったいない気がするのだが、森林限界と言われてしまえばしたかのないことか…。
それにしても「緑豊かな国ニュージーランド」という私のイメージは少し壊されてしまった感じである。
※ こんな特異な風景が映画のロケ地として選定されたのだろうか?
ルートバン・トレッキングの案内をしてくれたガイドによると、そうした特異な地形が大ヒットした映画「ロード・オブ・ザ・リング」のロケ地として有名になったということだった。
動き回るKIWIを見た!!
執念の目撃劇だった。
ニュージーランドの国鳥キーウィ(KIWI)を野生で見ることは不可能と言われている。それほど激減してしまっているようだ。
私は旅に発つ前からクイーンズタウンの「キーウィ&バードライフ・パーク(Kiwi & Birdlife Park)」で生きて動き回るキーウィをこの目で見ることを旅の一つの目的にしていた。
※ この円筒形の建物が「Kiwi & Birdlife Park」のエントランスです。
1月29日、私は朝一番で「Kiwi & Birdlife Park」を目ざした。この施設はクイーンズタウンの小高い丘の中腹にユニークな姿で建っている。
開館時間の9時、入場料$38(約3,000円位か)を支払い入場した。
園内を案内する日本語のオーディオガイドを無料で貸与してくれるのは嬉しい措置だ。
いきなり「KIWI HOUSE 1」があった。(KIWI HOUSEには1と2があった)
早速、中へ入ると遮光された暗い空間に暗赤色のライトが点灯している。暗い空間に目が慣れてもガラス越しには何も見えない。しばらくいたが、何も見えない中で他の客も次々とHOUSEを後にするので、私も他のところを見ようとHOUSEを出た。
実は10時から餌付けがあるというので、その時に再び来ると見られると思ったのだ。
※ この建物がキーウィが飼育されている「KIWI HOUSE 1」です。
園内にはニュージーランドでは貴重な鳥たちが飼育されていたが、私にとってはそれほど関心のあるものではなかった。類するものが円山動物園などで見ることができると思われたからだ。また、先住民族マオリのハンティングの道具などを小型化して展示してあったが、それとても私の興味の対象外だった。興味はただ一つ、キーウィの生きた姿を見ることである。
餌付けの10時に再び「KIWI HOUSE 1」に行った。
他の客たちもたくさん詰めかけていた。スタッフが飼育小屋の中に入り、餌を土の中に埋めて、キーウィの出現を待った。臆病だというキーウィが出てきやすいように皆が息を潜めて待った。15分待っても、20分待っても現れない。するとスタッフが我々の前に出てきて長々と説明している。彼女の説明はまったく解せなかったが、おそらく言い訳をしていたのだろう。
待っていた客たちは潮が引くようにHOUSEを出て行った。
※ 「Kiwi & Birdlife Park」のエントランスにはこのようにキーウィが象られていました。
私はあきらめきれずいたが、時計が10時30分を指し、「KIWI HOUSE 2」がオープンする時間と知っていたのでHOUSE 2を覗いてみた。しかし、こちらもキーウィは姿を現してはいなかった。ところがこちらには巣の中に暗視カメラが設置されていて、その様子がモニターに映し出されていた。巣の中ではつがいのキーウィが狭い中で動いていた。
いっこうに巣から出る様子を見せないキーウィをなんとか出そうとスタッフが餌の入った筒を巣の中に持ち込みおびき出そうとした。一羽が巣から出る素振りを見せてカメラから消えたので期待をして待った。ところが間もなくまたカメラの前に現れ、待っていた客たちのため息を誘った。
他の客たちはあきらめてHOUSEを後にしたが、私は一人残ってキーウィが現れるのを待った。何せ、ブログタイトル名を「マルちゃんKIWIの国を往く」と題しただけに目撃しないわけにはいかないのだ…。
※ 私が買い求めたキーウィグッズの一つ、ガラス製のキーウィのつがいです。
とは言いながら、私もしびれを切らしてしまった。まだ見ていない園内を一通りは見ておこうとHOUSEを後にした。しかし落ち着かない。一応園内を一周した後、私はまたHOUSE 2に戻った。HOUSEの中は私一人だった。依然としてキーウィは巣の中に閉じこもったままだった。
何度HOUSEと外を行き来しただろうか…。暗視カメラで動いたところを見ることができたから、それで納得して帰ろうと思うのだが後ろ髪をひかれる思いが募り、どうしてもあきらめることができない。
※ こちらのグッズはコースターよりは大型の鍋敷きでもなるのでしょうか?
何度目の行き来の末だったろうか?
なななんと!キーウィが姿を現したのだ!!
つがいが揃って飼育室の中に出てきたのだ! 長い嘴をあちこちの土に突き刺して餌を探しながら、窓越しに私のすぐ前を歩き回ってくれた!
興奮した私は他の客にも知らせようと外に出たのだが、ちょうどその時、外では園内の鳥を呼び寄せるショーが行われていたので迷惑になると考え止めることにした。
※ オークランドの博物館に展示されていたキーウィの剥製です。
時計を見ると11時半を過ぎていた。入園してから2時間半が経過していた。
文字どおり執念の目撃劇である。
私はようやく納得して「Kiwi & Birdlife Park」を後にしたのだった。