田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

表現の自由と民法

2015-08-11 17:44:47 | 大学公開講座
 「表現の自由」は憲法に定められた基本的人権の根幹をなすものといってもよいかと思うが、民法においては同じ「表現の自由」もさまざまな配慮しなければならない点が多い。そしてその枠は近年ますます狭められているという印象を持った今回の講義だった。 

 北大公開講座「表現の自由と秩序」の第3回講座が8月6日(木)夜にあった。この日のテーマはタイトルのように「表現の自由と民法」と題して、法学研究科の池田清治教授が講義を務めた。

            

 池田教授は最初に、表現の自由と法律の関係について次のように整理した。

 “憲法”における表現の自由の権利については、強大な国家権力が国民の自由を圧迫しないように国家権力の抑制を求めるように規制されたものであるとして、いわば『国家 vs 国民』という視点で見ることができるとした。
 次に“刑法”においては、表現の自由を犯した者に対して刑罰に処するということから、やはり『国家 vs 国民』という視点で見ることができるとした。
 一方,“民法”であるが、表現の自由に関わって加害者と被害者が生ずるケースが多々あるが、その判断の基準となるのが“民法”である。ということは、民法は『国民(私人) vs 国民(私人)』という構図となるとした。

 次に「表現行為(言論活動)と民法」と題して、時代を昭和30~40年代、昭和50~60年代、それ以降と、時代を三つに区分けして、表現行為と民法の関係の変遷について紹介した(論じた)。
 池田教授は、昭和30~40年代を“古典的事例”と称して、いわば今から見ると表現の自由を侵す典型的事例を紹介した。それは、事実適示による名誉棄損、私的生活の暴露といった私からみても当然というような事例だった。
 そして古典的事例の特徴としては、違法性の判断が比較的簡明であり、表現の仕方が問題ではなく、表現された内容が問題となるような事例で主であるとした。

 続いて、昭和50~60年代を“拡張事例”と称して三つの事例を紹介した。
 ここでの事例で新たな言葉が出てきた。それは「総合判断」という単語である。
 つまり、被害者の感情に配慮した判例が出てきたのがこの時代の特徴であるという。言葉を替えていうと「表現の自由」から守られるべき利益はその対象となる人たちの「気持ち」まで配慮する必要性が出てきたということだろう。

 そして、さらに時代が進んで平成に入ってから、民法に関して「表現の自由」に関する判例はさらに複雑化してきたとされる。
 例示として、作家・城山三郎が著した「落日燃ゆ」の中で主人公として描いた元首相・広田弘毅の遺族から名誉棄損で訴えられた民法裁判の件が例示された。これは遺族の「感情」について問われた事件である。
 また、北朝鮮拉致事件に関わって、関係者が既に死亡していると報じられた件について、近親者の安否に関わる家族の心情を問うた裁判事例も例示された。
 このことは「表現の自由」に対する制限の枠がさらに広げられたと解釈すべきなのだろう。

 これらの変遷から感じられるものは、対国家という憲法上、刑法上の「表現の自由」と、対個人に対する「表現の自由」の間にはかなりの隔たりが見られる点である。
 対国家ということに関しては、私たち庶民は直接的な関与は大きいとはいえないが、マスコミの報道や著名人の発言を注意深く見守る必要があると思われる。
 一方、対個人ということになると、私たちは日常の発言において不用意な発言を慎まなければならないと改めて感じたところである。
 特に私のようにブログを発信している者にとっては留意しなければならない点であると強く感じた今回の講座だった。

札幌麺紀行 113 増田うどん店

2015-08-10 20:20:35 | 札幌麺紀行 & グルメ紀行
 千客万来!うわさ通りの美味しい店だった。薄口醤油でダシの効いたつゆが抜群である。清潔感のある店内も、スタッフの対応も、私の中ではかなりポイントが高い。もう少し自宅から近かったらなぁ~。 

            
            ※ 増田うどん店の外観である。ごてごてしていないところもGoodである


 Salon du Brilliaでお薦めの店を交流し合ったとレポしたが、その中で未体験の店をぜひ訪れたいと妻と話をしていた。
 先日9日の日に妻と考えが一致して、自宅からはやや遠いのだが、「増田うどん店」を訪れることにした。
 増田うどん店は辺りがビル街になっているところの一階に店を開いていた。
 私たちが訪れたのは正午を少し回った昼どきとあって、店はかなり混んでいた。それでも少し待たされただけでカウンター席に案内された。

            
            ※ 店の入口のところには麺を打つところが見られる部屋があった。

 メニューにたくさんの種類があり、目移りしたが私が店イチオシの「肉うどん」(750円)、妻が店では二番人気の「ごぼう天うどん」(580円)をオーダーした。
 昼どきで混んでいたこと、オーダーを受けてから一つ一つ丁寧に仕上げることもあってやや時間をおいて二つのうどんが出てきた。

 「肉うどん」は丼の全面に牛肉が満載である。一口汁をすすってみると、牛肉の脂が溶け込んで、甘味が出た甘辛い汁が抜群である。一口で気に入ってしまった。
 うどんの方も、京風ということで、讃岐ほどコシは強くないが、滑らかで喉越しが非常に良い。

            
         ※ 増田うどんイチオシの肉うどんである。ウェフページからより美味しそうなものを拝借した。

 一方、「ごぼう天うどん」は、出てきたときのインパクトがかなりである。ごぼう天が丼から溢れるようなトッピングなのだ。他の客のオーダーをそれとなく伺っていても「ごぼう天うどん」が人気のようだった。
 妻からごぼう天の一部をいただいたが、ごぼうの甘味が出ていて、うどんとの相性は抜群だった。

            
            ※ ごぼう天の盛り付けが印象的なごぼう天うどんです。


 店は祖父、親子3世代で商っているようだった。祖父に、子供夫婦、孫夫婦といった感じだが、正確には分からない。その孫にあたる若い男性が意気が良かった。厨房から大きな声で客に声をかける。特に、店を出るとき「気をつけていらしてください!」という声が、聞いていてとても気持ち良かった。

            
            ※ 私たちが帰るころ、客がいなくなる瞬間がありました。そのときにパチリと。

 Salon du Brilliaで推薦してくれたH氏の舌に間違いはなかった。自宅からちょっと遠いのが玉に傷だが、近くを通る時があったら、また寄ってみたい店である

【増田うどん店 データー】
札幌市中央区南3条西9丁目 イオ3条ビル1F
電  話   011-231-8188
営業時間  月〜水、金   11:00〜20:00(売切れ次第終了)
        土、日、祝祭日 11:00〜17:00(売切れ次第終了)
定休日   木曜日 お盆休み8/13、14、15
座  席   20席(テーブル席とカウンター席)
駐車場    無
入店日   ‘15/08/09

出会いと情熱と翼

2015-08-09 22:52:03 | 作品展・展覧会等

 ずいぶんともったいをつけたようなタイトル名であるが、私が付けたものではない。高校生の創作折り紙展の展覧会名である。一枚の折り紙から生み出される精巧な生き物たちに見入った。 

            
        ※ 枯れ葉に佇むアマガエルといった図だろうか?枯れ葉の部分は一枚の手すき紙で作ったものです。

 今朝(8月9日)の道新の札幌圏版に、「折り紙の生き物 これぞ芸術」という見出しで、次のような記事が載った。

            
            ※ 道新札幌圏版に載った記事です。

 男子高校生3人の創作折り紙展「出会いと情熱と翼」が8日、札幌市中央区南11西23の手すき紙専門店「紙のめぐみ」で始まった。クワガタやカメ、サソリ、カエルなど、自ら考案した折り方で本物そっくりに仕上げた48点を紹介している。
 3人は札幌東雲高3年の有沢悠河さん(17)、札幌旭ヶ丘高3年の野崎翼さん(17)、関口征宏さん(18)。野崎さんと関口さんは旭ヶ丘高美術部で活動。さらに、東京で行われた折り紙関連のイベントで有沢さんとも知り合い、「高校生活の思い出づくりに」と3人で初の作品展を開いた。
 和紙など手すき紙を使い、中には半年ほどかけて複雑な折り方を考えた作品も。野崎さんは「折り紙は子どもの遊びと思われがちだが、芸術的な面を見てほしい」と話していた。
 12日までの午前10時~午後5時。入場無料。

            
            ※ 手すき紙専門店「紙のめぐみ」のエントランスです。

 記事を見て、「これは行かなくては!」と思った。
 会場の手すき紙専門店「紙のめぐみ」は、古い住宅を改装した小さな家屋を再利用したものだった。展示スペースも8畳程度のところに、渋い色づかいをした生き物たちがテーブルの上に並べられていた。カエルが、クワガタが、カメが、精巧に折られて展示されていた。そしてそこには、作品を創作した3人の高校生もいた。

            
            ※ 作品の一つ、エゾシカの頭部分が壁に掲示されていまた。

 カメの作品を見ていたときだった。制作をした高校生が近寄ってきて「これがこのカメの設計図です」と言いながら壁に貼られた紙片を指差した。そこには「ガラパゴスゾウガメ」と記され、複雑な展開図が描かれていた。
 彼らに聞くと、完成した形を頭に描きながら展開図(設計図)を書くという。何度も試行錯誤を繰り返しながら完成を目ざしたそうだ。

            

            ※ 「ガラパゴスゾウガメ」の作品と展開図です。

            

 ホッキョクグマの場合は、目の黒く見える部分も折り方で表現したということだた。また、直接は見えない足の裏の部分の凹凸も折り方で表現するという凝り方だった。凄い!

            

            

 彼らのリーダー格(?)の野崎くんと話をすることができた。いろいろ話をした後、私は「美大を目ざすのですか?」と聞いたところ、「自分は理系ですから…」という。なるほど展開図を構想するのは理系的な要素が大きいのかもしれない。野崎くんは将来は折り紙の世界を柱にしながら学んでいきたいと話をしていた。それはつまり、設計図とか、展開図について学びを深めたいということなのだろう。
 ちなみに、展覧会のタイトル「翼」は、リーダー格である野崎くんの名前と、彼らがこの折り紙という翼を得て、未来に向かって飛び立とうという意志を掛け合わせたものとおじさんは解したのだった…。
           
 野崎くんだけでなく、他の二人も聡明な感じの高校生だった。
 自らの得意分野を自覚し、そのことを徹底して追求しようとする姿勢に大きな共感を覚えた。
 無責任な言い方に聞こえるかもしれないが、彼らの興味、資質が生かされる道に進んでいくことを期待したいと思った。


ばんけいミュージックフェス2015

2015-08-08 23:47:31 | ステージ & エンターテイメント
 今年も行ってきました!ばんけいミュージックフェスティバル。多彩な出演陣の音のシャワーを浴び続けた一日だった。いつも思うのだが、お得感満載のこのミュージックフェスになぜもっと人が集まらないのだろう? 

               

 このところ私にとって恒例となりつつある「ばんけいミュージックフェスティバル(BMF)」が今日(8日)、ばんけいスキー場のゲレンデ特設ステージで開催され、参加してきた。今年で3回目の参加である。

            

 今年のラインナップを並べると次のとおりである。
 ◆札幌市立あやめ野中学校、札幌市立簾舞中学校(ブラスジャズオーケストラ)
 ◆宇野光(ギター インストルメンタル)
 ◆アンサンブルグループ奏楽(クラシックアンサンブル)
 ◆SOUL POWER with BILLY KING(ブラスロックバンド&ボーカル)
 ◆NATSUKI & ブライトサッポロ(ゴスペルソング)
 ◆ザ・キッパース(オールディズ)
 ◆ジミー東原オールスターズ(ブラスロックバンド)
 ◆ジミー東原オールスターズ With 鈴木聖美

            
            ※ 天才ギタリストと称される宇野光のステージです。
    
 昨年との違いは、宇野光とアンサンブルグループ奏楽(そら)が入れ替わったところだ。
 私から言わせれば、壮年向け、熟年向けとしては、札幌ではそれなりというよりは、かなりのラインナップといって良いのではないか思われる。これでワンドリンクが付いた入場料が2,000円である。お得感いっぱいといって良いのではないだろうか?

            
            ※ 結成52年目というザ・キッパーズのステージです。

 私の第一のお目当てはザ・キッパーズだった。実は先日の旧AMOEBAの集いでも、メンバーのリクエストで懇親交流会の後、キッパーズのライブハウスを訪れたのだった。実はそこでのミュージックチャージより今日の入場料の方が安いのだ。
 そんなキッパーズはサービス精神旺盛に、わずか30分強のステージでなんと11曲も演奏した。それもけっしてメドレーではなく、各曲それぞれ2コーラスをしっかり演奏したのだから、曲間のMCもほとんどなしに突っ走った結果だった。

            
            ※ キッパーズのの歌姫 合田千春さんのステージ姿です。

 その他で気になったのは、アンサンブルグループ奏楽のフルート奏者の立花雅和さんが披露したビートボックス奏法という演奏だった。 フルートを演奏しながらリズムを刻む演奏方法である。初めて聴いたが相当な超絶技巧である。音楽の世界もいろいろ進化しているようだ。

            
            ※ ビートボックス奏法を披露した立花雅和さんです。

 また、SOUL POWERのメンバーの年齢に似合わない(?)パワフルな演奏と、ボーカルを担当したBILLY KINGのソウルフルな声量のある歌声は会場を圧倒した感があった。

            
            ※ ソウルフルな歌声を披露した米国人歌手のビリーキングさんです。

 そしてBMFのメインアーテイスト、ジミー東原オールスターズである。ジミー東原はギタリストだが、バンドのメインはトランペット、サックス、トロンボーンなどのブラスが中心のブラスロックである。メンバーの人数を数えなったが20名前後と思われるが、その大音量がばんけいの山に響き渡った。その音は圧巻だった。彼らにとってはこのBMFが北海道ツアーの最後だということだったが、彼らのステージだけでも、ホールで聴くと5,000円前後である。

            

            
            ※ リーダーのギタリスト、ジミー東原さんです。

 毎年思う。どうしてこんなお得感たっぷりのステージに多くの人が集まらないんだろうと…。
 私なりに理由を考えてみた。

            
       ※ この写真はちょっと極端だったかもしれません。写真に写らない人たちいましたよ。それでもね…。

 一つはPR活動にあるように思われる。私が把握する範囲では、開催2週間前くらいに一度地元新聞に告知が出ただけだったように思う。ばんけいスキー場のHPにも直前までBMFの告知が掲載されなかった。おそらく各ミュージシャン(特に東原オールスターズ)のスケジュール調整が大変なのではと思われるが、もう少し早く、そしてたくさんの媒体で告知することで市民の認知度も上がり、多くのファンを呼び込めるのではないだろうか?

 次に私たち聴衆側の問題である。音楽を楽しむなどということが、私たち年代の生活からはすでに遠ざかってしまったということだろうか?だとしたらとても残念な話である。

 そしてロケーションである。暑い夏、戸外の音楽のステージとしてばんけいは最適だと思われる.しかし、いかんせん札幌都心からは離れているということが原因の一つとなるのだろうか?

 私は残念ながら途中で呼び出しがあり、ゲストの鈴木聖美さんのステージを聴くことができなかったが、来年も開催されればぜひとも参加したいと思っている。

夏はやっぱり大通ビアガーデンだべさ!

2015-08-07 22:35:36 | その他

 昨年は7月だけでも3回も繰り出した大通ビアガーデンだった。しかし、「今年はないだろう…」と思っていたのだが、先日ひょんなことから、予定外だったがビアガーデンで喉を潤すことになった。 

            

 8月4日(火)、森永卓郎氏の経済講演会を聴いたことは昨日の投稿のとおりだが、講演会の会場は大通公園に面した「東京ドームホテル札幌」だった。
 この日の講演会は友人二人と一緒に受講したのだが、講演会が終わり、「ちょっとお茶でも…」となった。その時、H氏が「黄色いお茶もあるね」と呟いた。その声に私はすぐに反応した。なにせ目の前には「サッポロビアガーデン」の大テントが建ち、多くの人たちが楽しんでいるではないか。
 私たちは迷わず「サッポロビアガーデン」に直行した。

            

 ちょっとしおっぽい話なのだが、なぜ「今年はないだろう…」と考えたかというと、大通ビアガーデンはビールも食べ物もけっこう高いのだ。我々年金族にとっては、街中の安い居酒屋の方が魅力的に映ってしまうのだ。そんなこともあり、もし何か特別なことがなければ「行かないだろう…」と思っていたのだ。

 それが意外な形で、やっぱり足を運ぶことになってしまった。
 この日は最高気温が30℃を超えていた(31.9℃)こともあり、野外はちょっときつかったので、大テントの中に席を取った。平日の日中だというのに、大テントの中はほぼ満席だった。

           

 テントの下とはいえ、戸外である。いや~、やっぱり風を感じながらのビールは最高である。この風や空気の存在が割高な価格設定を生んでいるのだろうか? う~ん…、仕方ないね。
 私は思わず呟くのだった。「夏はやっぱり大通ビアガーデンだべさ!」と…。


森永卓郎は経済評論家?それとも?

2015-08-06 22:04:57 | 講演・講義・フォーラム等
 森永卓郎氏には失礼な話かもしれないが、彼は一応経済アナリストと呼ばれているけれど、その実体は経済評論漫談家と呼んだ方が相応しいのではないだろうか? そう思わせるほど、笑いが絶えない講演会だった。 

               

 8月4日(火)午後、北海信用金庫主催の経済講演会が東京ドームホテル札幌で行われた。講師は経済評論家であり、TVタレントでもある森永卓郎氏だった。演題は「構造改革と日本経済の行方」というまともな演題だった。

 森永卓郎氏というと、私には苦い思い出がある。拙ブログを繰っていると、その時の様子をレポした2011.6.30の投稿があった。
 演題とはほとんど関係ないような内容を滔々としゃべって、あっけにとられている間に降壇して去った、というあまり良くない印象が私には残っていた。

 今回、森永氏は冒頭、一応演題を意識しながら話し始めた。日本経済の現況は、一昨年はアベノミクスが効いて絶好調に推移したが、昨年は反転してリーマンショック以来の不調に陥り、物価の上昇に賃金が追いつかない状況であった。
 今年は消費増税によりさらなる不調が心配されたが、原油価格の下落という幸運に恵まれ、物価は落ち着いた状況にある、とした。
 「お~っ、今回は、少しはまともな話をしてくれるのかな?」という期待を抱いた。

 しかし!ここからは例によって、例のとおりの森永ワールド全開だった。
 世界経済は新自由主義経済のもとグローバル競争が展開され、富の偏重が著しく、日本は「超格差社会」に陥っているとした。そして、株の譲渡益によって潤っている東京都心に住む富豪たちの生活ぶりを面白おかしく語りはじめた。

 そしてこの辺りから、演題の構造改革を意識してだろうか、日本経済(日本企業)が目指すべきは、米国や中国と競争するのではなく、イタリア企業を見習うべきだとする、氏の持論を展開した。
 イタリアには紳士服のアルマーニや車のフェラーリなど、ブランド化して収益性の高い製品を産み出している。つまりイタリアはアート的な製品づくりをしていると森永氏は指摘する。ここでも彼は笑いを取ることを忘れない。自分が着ているのは「青山」だが、久米宏は「アルマーニ」を常に身に着けていると…。

            

 森永氏は「企業はアートを創り出せ」と強調する。アートとは、美しいだけではダメで、「何だ!これは?」と離れたときに気になるもの、だと言う。
 イタリア企業にはアート的製品を産み出す風土があるという。それは、企業が生産現場への権限委譲が進んでいるからだという。だから現場自らが生産性を上げる工夫を絶えずしているらしい。
 例えば、ファッションブランドの「フェンディ」では、現場の工夫で年間1,500アイテムもの新製品を市場に送り出すという。その中から一つでも、二つでも市場に受け入れられ、ヒット製品が生まれれば、企業としてはOKではないかと強調した。

 ここまではまだ良かった。ここから後は森永ワールド全開だった。
 企業にアートを育むために、「企業はラテンで行こう!」という。つまり社内の雰囲気が明るくなくては駄目だという。「飲んで、歌って、恋をしよう!」と森永節をぶち上げる。女性社員には誕生日に1本の赤いバラを持参し、「白いバラを君に」などと言いながら渡せはウケること間違いない、などと言うにいたっては、もう漫談そのものである。
 おまけに、自分が大好きな松田聖子を持ち出し、彼女を前にして撃沈した話を持ち出し、「ダメだったときこそ真価を問われる」などと持ち出し、話を終えた。

 会場はおおいに笑い、それなりにウケたようが、はたして主催者の評価はどうだったのだろう?
 ただ、私の思いは以前に聴いたときの感想とはやや違った思いを抱いた。
 それは、我々にとって難しい経済の話を、森永氏のように面白おかしく我々に翻訳して伝える役者も必要なのかな?という思いである。
 真面目に経済を論ずる経済評論家がほとんどを占める中、森永氏のような存在もあるいは貴重なのかもしれない…。

PMF GALA Concert 2015

2015-08-05 23:07:14 | ステージ & エンターテイメント
 GALA…、それは祭典とも、祝典ともいわれるPMFを祝するコンサート。開会を告げるファンファーレに始まり、ウェルカムハーモニー(って言うのかな?)に迎えられ、華やかに始まったコンサートだった。 

            
            ※ 開演前のガラコンサートのステージの様子です。

 8月1日(土)午後、今年のPMFを締め括るガラコンサートがキタラで行われ、拙ブログでもレポした旧AMOEBAの仲間5人と鑑賞した。
 ガラコンサートは相当な人気らしく、発売当日に買い求めたにもかかわらず5人が揃って座れる席は私が入手したのが最後だった。もっともその席は最低価格(3,000円)の席で、キタラの最奥部の席ではあったのだが…。

 コンサートは前述のとおり、5本のトランペットによる開会のファンファーレに始まり、チケットチェックを終えたホワイエでは弦や管の9人の演奏者が歓迎のハーモニーを演奏して雰囲気を盛り上げてくれた。

            
            ※ ホワイエではこうして来場者向けに歓迎のハーモニーを演奏していました。
            
 コンサートは午後3時開演した。
 通常のコンサートとは違い、ソプラノ歌手の天羽明恵さんの司会でコンサートは進行した。リンクアップコンサートのときもソプラノ歌手の九嶋香奈枝さんが司会・進行したが、クラシックに疎い者にとってはコンサートをより楽しむことができるので大歓迎である。

 当日演奏された曲目も、祝祭らしく多彩なラインナップだった。プログラムを羅列した後、私の感想を述べることにする。
【第1部】
 ◇デュカス/「ラ・ベリ」のファンファーレ  PMFオーケストラ・ブラス・メンバー PMFアメリカ・ブラス・メンバー
 ◇オッフェンバック/歌劇「ホフマン物語」からオランピアのアリア  天羽明恵(ソプラノ) PMFオーケストラ・メンバー
 ◇プーランク/六重奏曲  PMFアメリカ  PMFピアニスト(南部麻里)
 ◇ヴォーカル・アカデミーによるオペラアリア  PMFヴォーカル・アカデミー・メンバー(ソプラノ、メゾ・ソプラノ、テノール、バリトン、各1人)
 ◇モーツアルト/ディヴェルティメント 第17番 K.334から「メヌエット」、「アダージョ」、「ロンド」 ライナー・キュッヒル(ヴァイオリン) PMFオーケストラ・メンバー
 ◇ホルスト/PMF讃歌~ジュピター~  天羽明恵 PMFオーケストラ PMF祝祭合唱団(北大混声合唱団、北大合唱団)
【第2部】
 ◇ロッシーニ/歌劇「ウィリアム・テル」序曲  PMFオーケストラ
 ◇ラマニノフ/ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 作品18  ドミトリー・マスレエフ(ピアノ) PMFオーケストラ
 ◇ショスタコーヴィチ/交響曲 第10番 ホ短調 作品93  PMFアメリカ PMFオーケストラ
 なお、オーケストラの指揮はPMFの芸術監督を務めたワレリー・ゲルギエフが務めた。

           
           ※ 開場前、エントランスホールで高らかに開会を告げるファンファーレが鳴り響きました。

 度々言っているが、クラシックに疎い私からみて、今回のガラコンサートを評すると、まずは天羽明恵さんのオランピアのアリアが良かった。さすが日本の第一人者といった感があった。
 また、ライナー・キュッヒル率いる弦楽器によるモーツァルトはとても心地良く聞こえた。対して、プーランクの六重奏曲は管楽器による六重奏だったのだが、管楽器だけの重奏は私の耳にあまり心地良く聴こえてこなかった。

 第1部の最後、PMF讃歌「ジュピター」はステージと会場が一体となって謳い上げる素晴らしいひと時で、まさに「これぞガラコンサート!」と言えるような瞬間だった。(ジュピターは休憩時間に天羽明恵さんがホワイエにて歌唱指導をして本番を迎えた)

            
            ※ 休憩時間に天羽さんが「ジュピター」の歌唱指導をしているところです。

 少し残念に思えたのは、第2部のピアノ協奏曲であるが、演奏したマスレエフは今年のチャイコフスキー国際コンクールで優勝したと司会の天羽さんから紹介があった。
 ところが、マスレエフの素晴らしいテクニックがバックのPMFオーケストラの音にかき消されていたように私には聴こえた。専門的には何の問題もないことなのだろうが、私のところからは(座席がステージから遠かった?)ピアノの音が良く聞こえてこなかったのが少し残念に思えた。

 と、あれこれ書き連ねたが、ガラコンサートが贅沢なコンサートであることは間違いない!
 午後3時から8時過ぎまで、たっぷりとクラシックの世界を堪能することができた。
 来年もぜひ楽しみたいコンサートである。

大学の歴史から見た学問の自由

2015-08-04 21:55:43 | 大学公開講座
 講座名から、最近何かと話題に上る「大学の自治」について、その現状を大学人から生の声で聴けるのでは、と期待したのだが…。私の期待は肩透かしを食ったようだ…。 

          
          ※ 中世ヨーロッパ最古の大学の一つとされるパリ大学の正面です。

 北大公開講座「表現の自由と秩序」の第2回講座が7月30日(木)夜にあった。この日のテーマはタイトルのように「大学の歴史から見た学問の自由」と題して、法学研究科の田口正樹教授が講義を務めた。

 田口教授は冒頭、元朝日新聞記者の植村隆氏と北星学園大学の問題に触れて、学問の自由とか、大学の自治の在り方についてクエッションを投げかけたので、「この講座では具体的事例から学問の自由や大学の自治について語られるのでは」と期待したのだった。
 しかし、その後語られたことは、中世ヨーロッパにおける大学の誕生の背景とその変遷についてであった。

 田口教授の講義の概要は次のとおりだった。
 中世ヨーロッパにおける大学の起源は12世紀末にイタリアのボローニャ(法学)とフランスのパリ(神学)がその始まりとされている。当時、学びの場の多くは地方や辺鄙な修道院などが主であったが、大学という体裁を取るに従い、大学は都市に置かれるようになった。すると、都市住民と学生・教師との対立が生まれたが、教師と学生は同業組合的にまとまりこれに対応したのが大学の始まりとされる、と田口教授は語った。
 また、当時の大学は代表の選出、内部自治、権利と自由、裁判権など全てが大学内において定められてもいたようである。

                 
                 ※ ギリシアの哲学者アリストテレスです。

 もう一つのエピソードがアリストテレスの哲学思想とキリスト教神学の対立があった。中世ヨーロッパにおいてはキリスト教神学が圧倒的な影響力をもっていたが、そこへ科学的な価値観も併せ持ったアリストテレスの考え方がパリ大学の教師、ひいては学生たちから受け入れられた。そのことにより大学とキリスト教との間に対立が生まれたが、教師や学生の粘り強い闘いの結果、アリストテレスの哲学システムをも受け入れ(二重真理説)キリスト教神学の『神学大全』として結実したそうだ。

 かなり荒っぽいまとめであるが、田口教授がこの講義で伝えたかったことは、大学が誕生した背景には、権威にも犯されない独自の存在価値があって、それが現在の大学にも脈打っている、ということを伝えたかったのではないか。
 田口教授は最後に、「大学の原像(特異性)を確認する」として、複数の教師の存在する、教師間に指揮命令の関係はない、議論が可能である、とした。
 つまり田口教授は、直截的には言及しなかったが、現在の大学がおかれている立場に対して婉曲的に危機感を言い表したのでは、と私は推測したのだが…。

グレートトラバース 2

2015-08-03 21:07:52 | スポーツ & スポーツ観戦
 8月1日、BSプレミアムにおいて田中陽希さんの「グレートトラバース2 第1集:春~初夏・北海道の山」が放送になった。今日、撮りためておいた録画を観た。改めて彼の挑戦がどれだけ過酷なのかを思い知らされた。 

               
         ※ 日本二百名山の中でも最難関の一つとされているカムイエクウチカウシ山を遠くに望んで…。

 昨日、一昨日と忙しかった(?)こともあり、気になっていた「グレートトラバース2」の第1集を今日の午後、ようやく観ることができた。
 第1集は北海道に在る日本二百名山に含まれる10座の登頂の記録だった。

 日本二百名山とは、ありていに言えば百名山からは漏れてしまった山ということだが、百名山ほどメジャーではないこともあって、アクセスが困難だったり、登山路の整備が十分でなかったり、とむしろ百名山よりは登るには難しい山が多いとプロローグ編では紹介していた。(中には反対に簡単すぎるような山も含まれてはいるのだが…)

 北海道で二百名山に含まれる山は、〔暑寒別岳〕、〔天塩岳〕、〔石狩岳〕、〔ニペソツ山〕、〔芦別岳〕、〔夕張岳〕、〔カムイエクウチカウシ山〕、〔ペテガリ岳〕、〔樽前山〕、〔駒ケ岳〕の10座である。それぞれ個性のある山であるが、やはりこの10座のうちでハイライトは日高山系のカムイエクウチカウシ山とペテガリ岳だった。

               
        ※ カムイエクウチカウシ山の雪渓を前にした田中陽希さんと、カムイエクウチカウシ山の山頂です。

 カムイエクウチカウシ山は、日高山系の山懐深いところに位置しているため、人里離れて2泊3日の行程での山行となった。道なき道のハイマツ群や藪をかき分け、登山道の消えた川を数百メートル遡行する登山だった。
 さらにはカムイエクウチカウシという名称がアイヌ語の「熊の転げ落ちる山」から由来するとおり、斜度40度という雪渓を登る田中の姿は、田中が立っていると顔が雪面に触れそうなくらい切り立った斜面を登っていくのだった。
 画面に現れなかったけれど、下山も相当に苦労した山ではなかっただろうか?

          
          ※ かつて厳冬期には難攻不落の山と言われたように、威厳を感じるペテガリ岳の山頂です。

 続く、ペテガリ岳は水場のないところを24キロにもわたって稜線を上がり下りする難コースで、田中は5リットルの水と1リットルの炭酸水を背負っての藪こぎを強いられた。
 水不足のピンチを乗り越えなんとか目的地のペテガリ山荘に辿り着くのだが、田中は「本来の自然の姿、山の難しさをペテガリ岳が教えてくれた気がする」と語っている。

 この厳しい二つの山を登り終え、田中は次のように語っている。
 「登山口までのアプローチ、ルート、情報、藪こぎ、遭難のリスク、水、食料、重装備、装備の選択、山中テント泊、気力体力、ペース配分、タイムマネージメント、予測、集中力、セルフレスキューなどなど、ありとあらゆる事が必要となった。二百名山のハードルは高い」

 この後の樽前山、駒ケ岳は私も登った経験のある山だが、おそらく田中にとって鼻歌を歌いながら、駆け足で登ったのではないだろうか?

 と「グレートトラバース2 第1集」は北海道の10座を登り、本州へカヌーで渡ったところで終わっている。しかし、田中のその後の挑戦は続いている。今日(3日)26座目の〔八海山<入道岳>〕に登頂し、さらには〔中ノ岳〕も本日登頂の予定とのことだが、本人からはまだ連絡が入っていない様子だ。
 いずれにしても今夜は、新潟県・南魚沼市の山中のどこかの山小屋などに滞在していると思われる。

 昨年の百名山のときは、徐々に北上し、北海道に近づいてくるという期待感があったが、今回の二百名山は北から九州・佐田岬に向かって南下するルートのため、北海道を終えてしまったことで、私の中でやや興味を欠いていたことは否めない。
 しかし、今日番組を視聴してみて、「二百名山恐るべし!これからも田中陽希の挑戦から目を離せないな」と改めて思った。
 次回の「グレートトラバース2 第2集」の放送日、9月12日(土)21時が今から楽しみである。

夏が往く…、AMOEBAの夏が終わった…

2015-08-02 22:36:11 | その他
 この集いを終えると、私の中では「今年の夏が往ってしまったなぁ…」という感懐を抱く…。それくらい私にとっては思い入れのある集いである。昨日、今日と私にとっては5人の仲間との至福の時間を過ごした…。

          
※ 5人の集合写真も撮ったのだが、掲載の承諾を得なかったので載せられない。写真が一枚もないのは寂しいので、ガラコンサートの開会を告げるファンファーレの演奏場面を載せました。 

 AMOEBAの夏が終わった…。
 昨日、今日と5人の旧友と過ごした時間は私にとって至福のひと時だった。
 昨日は、「PMFガラコンサート」と「懇親交流」、そして今日は「実践レポート交流」と「昼食」と、共に過ごした2日間だった。
 コンサートも懇親交流も楽しいひと時だった。しかし、この集いの最も意味あるひと時は、今日の午前中に行った「実践レポート交流」である。
 それぞれが、今抱えている課題とその解決方策を報告し、そのことへのアドバイスや感想を述べ合う場である。

 A氏は宣言した。退職まで残り1年8ヶ月となって、これまでの集大成と後世に伝えられるような大きな仕事をしたいと…。その心意気や高し、である。メンバーの中でも真摯に仕事に取り組むことでは誰もが認める存在であるA氏の健闘を見守りたい。

 B氏は○○管内において校長、教頭を指導する立場にある人である。現状を分析し、それに対する対応策はさすがと思えるレポートだった。管内教育を、ひいては北海道の教育の充実、発展を期してB氏にかかる期待は大きいものがある。

 C氏は5人の中では年少で、我々にとっては末っ子的存在であるが、校長職5年目を迎えて、いよいよその地位が板についてきた感がある。C氏の優しさが気になっていた時もあったが、毅然とした姿勢を打ち出しつつあり、大化けしそうな予感を抱かせてくれた。

 D氏は私同様、退職した立場である。D氏は退職直後にニュージーランドに語学留学するなど、退職後の人生を豊かにしようと帰国後もさまざまなことにチャレンジをしているようだ。(私は3年前、そんな彼の留学先にお邪魔させていただいたが…)D氏も私と同様、後輩諸氏に無様な生き方は見せられないと日々を過ごしているとのことだった。

 そして私である。
 私のレポートは、あることを除き日々拙ブログで綴っていることをまとめたものである。あることとは、某退職団体の任務(このことが今の私にとってはかなり大きな位置を占めているが、ブログで語る内容にはそぐわないと思っている)のことについてだが、そのことを含めて率直にレポートした。

 私のレポートに対して、某氏が嬉しい批評をしてくれた。それは、「先輩の生きざまは、前頭葉、後頭葉、側頭葉、頭頂葉、そして小脳と、全てをフル回転させているような生き方に見える」と評してくれた。これは望外の評であり、素直に嬉しかった。

 というように、我々のグループは現職3人、退職組2人の構成である。この5人の年に一度の集いが16年間も続いていることに私は大きな喜びを感じている。
 その要因について、以前にも記したように思うのだが、それは全員がフラットな関係であることが最も大きな要因ではないかと思っている。年代的には一回りも違う年齢構成なのだが、全員が遠慮なく本音で語り合える関係にあることが、それぞれにとって心地良い集いとなっているだと私は分析している。

 私はレポートの最後で、次のように述べた。
 我々は○○○小学校で懸命に研鑽に励んだ経験が確かに今に息づいているのではないだろうか。そうしたDNAが5人の中にきっと宿っているのだ、と…。

 今日の午後、共に昼食を摂り、来年の再会を約して解散した。
 私にとって夏が往ってしまった思いである…。