モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



島原の石橋は3基さがします...最後の3基めを探しています。

ポンプの横に元船津町と書いてありました。有明海に注ぐ川 海も近くです。
船津です。このポンプは防火用かな。。。ポンプじゃ間に合わないけど隣に高い
水槽らしきものがありました。でも川のほうが近いからねー。。
でも引き潮の時は水がないしねーーー。




石橋を探しながら山を見ました。これが普賢岳かと思ったんです。違うんですよ!!
昨日の記事の背景の山です。



少し近づきました。
近くのお店の方に聞きました。普賢岳はここからは方向違い。。
この山は前山といい、200年位前に爆発したそうです。




『肥後迷惑』 の話を聞きましたが、あいまいな話を紹介するといけませんので
調べました。

☆~☆~☆~☆~

寛政4年(1792年)に長崎県でおこった雲仙普賢岳の噴火およびその後の眉山の
山体崩壊とそれに起因する津波災害。津波は島原対岸の肥後(熊本県)にも大きな
被害を与えたのでこのように名付けられた。

☆~☆~☆~☆~

火山活動が収まりかけた頃大地震によって城下町の背後の眉山が大規模に崩壊し、
大量の土砂が島原の街を通って有明海へ向かって流れ落ちた。


因みに眉山とおじさんの言われた前山は同じです。




それで熊本県に迷惑料を払わなくちゃいけないけど 払えない。。。
そこでこの山を熊本県に上げたそうですよ。

だから 熊本営林署の管轄だったそうです。今は返して貰ったのかも知れない
って。

妹とふたり この方と道端で話し込みました。70歳くらいの知的なおじさん。

どこから来たのか聞かれたので北九州 県外ではそう言わなきゃ遠賀郡なんて
言っても分からないでしょ。。そしたら北九州のどこかって。。 八幡の近く。。
もっと聞かれます。最後まで言いましたよ。


数年前まで小倉の紫川近くに住んで....住金(住友金属)にお勤めだったそうです。



山は自分がどちらの県のものかは知らず昔と同じようにただここにいるだけ。。。







「島原大変肥後迷惑」というお話でした。。。。。




さて石橋ですが見つかりました。「新地橋」をご紹介します。




いい感じでしょう? 近くまで行きますね。
この石橋は昨日の津町の橋と同じく車も通ります。明治3年(1870)架橋です。



昨日今日で 島原の石橋3基(全部駅付近)ご紹介しました。
観たいなと思って頂けたら嬉しいです。

追記 多くの犠牲者のあった平成の爆発もあり 配慮が足りませんでしたので
一部削除しました。犠牲者のご冥福をお祈りします。


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