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鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

3月7日

2007-03-07 23:48:25 | 提案・要望

 今日は気象庁より桜の開花予報が出されたようです。何でも静岡が一番早く、3月13日とか。

 今日の仙台は久し振りの冬らしい天気で、昨日と比べると一気に気温は低下し、日中は一時吹雪きました。昨日の最高気温が12.5度だったので、なおのこと寒く感じます。

 

 今日の朝日新聞に「硫黄島、民間機で慰霊」という見出しで、簡単な記事と摺鉢山を背景にした飛行機の写真が掲載されていました。

 硫黄島で戦死した旧日本兵の遺族による慰霊巡礼が硫黄島であり、遺族が6日午前、日本航空のチャーター便で硫黄島に降り立った、というものです。

 国内の航空会社がチャーター便を運行したのは初めてだそうです。これまでは自衛隊の輸送機を使っていました。

 

 昭和20年3月7日の硫黄島です。「十七歳の硫黄島」(秋草鶴次著)によります。

 

 『西海岸沿いに北進した米軍は、大阪山より高千穂峡あたりまで完全に攻略したが、さらに三軒家、テーブル岩、漂流木あたりまで進撃している。先頭隊は天山に向かっているようである。中央北進軍は北飛行場の平地を利用して進撃、東方にある銀明水、双子岩に至った。』

 島を南北に分断しようとしていると悟った兵団長は、『東地区隊を北地区に移転して、北地区の防備を強化し、丸万と東地区の一部を戦車第二十六連隊に確保させ、その他の諸部隊を玉名山地区に合流させ、防備強化を図った。』(戦車第二十六連隊の連隊長は、西竹一中佐です。)

 『戦車第二十六連隊は、東山の拠点を発して各地域に分割転進し、その地区の防備につき激戦を展開したが、圧倒的多数の米軍に撃破された。爾後、南北の接点になる東山地区で最後まで激戦を続けたが、遂に米軍の分断が成功した。』

 

 この10日後の17日に、栗林中将(兵団長)は最後の総反撃を決意したということです。

 実際の総攻撃は、26日の朝です。

 

【追加】 : ~介護のコツ

 1 褒める・感謝する・善意には善意で応える。

 2 共感・同情が相手との交流を助けるポイント。説得は何の効果も  ない。

 3 こちらが謝る。

 4 お年寄りの感情や言動をまず受け入れて、それにあうシナリオを演じられる名優になる。

 

 写真は、広瀬川の標識等その4です。


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