鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

まとまりません。

2007-03-30 23:17:38 | お知らせ

 昨日は天気を褒めたのに、今日の天気は一気に寒くなり、それに雨が加わり、一体どうなっているんだと叫びたくなるような天気でした。 

 だからと言うことではないのですが、年度末の人事異動関係の疲れ?のために、気力が充実しないまま、昨日に続いて、書きたいこと、言いたいことは山ほどあるのに、何をどう書き出していけばいいのか分からず、もやもやが一杯溢れ、ストレスとなってたまっています。

 安倍のこの頃の居直りというか、やけくそと言ってもいい、むき出しの本性の現れ、、「日本陸軍」は一応撤退はしたものの、いつまでもイラクから撤退しようとしない、アメリカの追従しかできない「日本空軍」、米軍の輸送を担い、実質的にはイラク戦争に加担しているとしか言いようがない現実、イラクではいったいいつまで続くのか、際限のない自爆攻撃、その報道を聞いても何の反応も示さなくなっている現実、どこに行ってしまったのかBSEの問題、アメリカの牛肉の輸入問題、吉野家がアメリカの牛肉を使用して販売している現実、従軍慰安婦の問題、軍が関与したと言う証拠はないという浅はかな言い訳、敗戦のどさくさにまぎれて重要な書類は大半が焼き捨てられたのではないか、誰がバカ正直に証拠を残そうとするのか、なぜ現実を見ようとしないのか、なぜ現実を見ることが自虐史観になるのか、少しもはずかしいことではないではないか、東京都知事占拠(選挙)については昨日書いたので省略するとして、熊本県の恥!松岡農相がとうとう居座ってしまった現実、法律の則って処理しているからなんら問題はないのだといって松岡を弁護する安倍、この腐れコンビは最早どうしようもない、しかしそうは言っていられない、言ったら言った方の負けである、安部・松岡にしてやったり、国民なんてそんなものだと思わせてはならないのだが、そうは行かない現実、鹿児島県警の捜査に見られるような腐りきった警察権力、でっち上げがまかり通る現実、こんなことで裁判員制度が本当に機能するのか、こんなことを書き連ねていったらそのうち逮捕されかねない共謀罪の新設問題、日興コーディアルグループの悪質な会計処理、それでも上場廃止にはならない現実、社長が安倍と親密だというではないか、北陸電力から始まった原発のいい加減な操作、いつまで経っても改善されない情報隠し、ここにも見られる国民軽視という現実、如何に電力会社は独占の上に胡坐をかき、ハチャメチャナことをしているか、これでもかこれでもかというくらい知らされても、怒りはすぐに忘れ去られてしまう現実、活断層の上に作られているという浜岡原発、一体何を考えて原発を建設しているのか、最早電力を作り出すためにはなくてはならなくなってしまったのに、まことにもって心もとない原発の状況、宮城県だってしょっちゅう故障ばかりしている女川原発があり、近々100%の確立で起こるであろうといわれている宮城県沖地震、国民はあえて恐ろしい原発から目をそらして生活しているとしかいえない現実、いじめ、自殺が絶えない教育現場、決して強制はしないと国会で明言したのに、強制されている国歌・国旗の現実、今度は道徳を正式な授業科目として、評価しようとするそうな、道徳や愛国心を一体どうやって評価しようとするのか、人間の内面の自由にどこまで踏み込んでくれば気がすむのか、この恐ろしい現実、そして教科書検定、こんなことに精力をつぎ込んでいる教科書検定官、自分の仕事に自信を持って子どもに仕事のことを話せるのだろうか、権力の言いなりになって、国内で唯一の戦闘が行われた沖縄(硫黄島だって日本領土でしたが)、軍人の被害よりも民間人の被害が多かった沖縄戦、慶良間諸島等では日本軍により自決を強要されたのに、自決にせまられたとか言い逃れしようとするせこさ、いや卑怯さ、戦いに支障となるからと住民を自決に追いこんでおきながら、自分たち軍隊は戦わずに生き残った現実、腹の立つことばかりです。こんなにも日本がおかしくなったのは、小泉と安倍の意識的なアメリカ化、アメリカの属国化のせい、小泉・安倍ほどの売国奴はいない!!!こんな輩が国民に愛国心を説くなんて、これが自虐でなくてなんだというのか!!教育について語る資格ががあるのか!!国民があっての国土、国であるのに、その国民を骨抜きにして、グローバリズムの名の下にアメリカに売り渡そうとしている、何と悲しい日本の現実でしょうか。

 それを少しでも改めていく、その手段の一つが4月8日の統一地方選挙であり、6月の参議院選挙です。

 選挙管理委員会の片棒を担ぐわけではないですが、いまここで時の権力者とそれにつながる政党を議会から排除していかなければなりません。

 昔は「公明選挙」といったが、創価学会を母体とする公明党ができたために明るい選挙とか言い出した訳ですが、その公明党は一体どうしたというのでしょうか。反戦・平和が公明党・創価学会のスローガンであったはずです。それが権力の味をしめてからの変節の甚だしさ。今となっては存在そのものが害毒といっても言い過ぎではない、こんな政党ならないほうがよっぽどましである。

 と、まあ、いいたいことをいってきた(書いてきた)けど、なんにもすっきりしません。かえって空しくなります。

 読んでくれた方に感謝です。

コメント (1)
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