鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

長崎原爆の日

2012-08-09 13:43:17 | 思いつくまま

 きょう8月9日は、6日の広島に次いで長崎にも原子爆弾が落とされた日です。

  

 左が広島ウラニウム原爆(リトルボーイ)、右上が長崎プルトニウム原爆(ファットマン)の実物大の模型だそうです。

 原爆の本と言えば、一番最初に見た記憶があるのは小学校の時です。何年生か正確には思い出せませんが、高学年であったことは確かです。 小学校の図書室に原爆の大きな本がありました。昭和30年前半頃のことです。小学校で購入していたのですね。

 めったに図書室に行くような児童ではなかったのですが、なぜか目に留まり恐る恐るページを開いたのです。 本の一ページ一ページが恐かったです。 そのむごたらしい映像に、目をそむけながらも、怖いもの見たさも手伝って、開いては閉じ、閉じては開きを繰り返して見た記憶があります。

 およそこの世の物とも思われない映像に非常にショックを受け、高熱を出してうなされている感じで図書室をでました。その恐怖とショックはしばらく続いたと思います。

 あれから23,4後年になります。 今家にはこういう大きな原爆の本があります。

 最初は三省堂発行の本です。編者は「子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会」で、これは第1刷のもので、1980年8月15日となっています。 4,800円です。

 323枚の写真の内、日本人が撮ったものは30枚で、他は米軍側によって撮影されたもので、このように米軍側の写真がまとめて大量に収録されたのははじめてのこととうたっています。

  

 ボケてしまって字が見えませんが、『 あの日  この子の目の前で  起きたことを      知っていただきたいのです    あなたに   そして   日本の子どもたちに    全世界の人びとに 』

 

 次は岩波書店発行の本です。

  

 これは数十人の日本人による撮影です。 第1刷が1981年7月30日で、この本は第2刷目の本で、1981年8月15日となっています。 4,200円です。

 今ヒロシマとナガサキを扱った原爆の本はどうなっているのでしょうか。 小学校の図書室にはきちんと配本されているのでしょうか。子どもたちが自由に見ることができるようになっているのでしょうか。 中学校や高校はどうなのでしょうか。

 やはり去年の大震災による東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故同様、日本人として決して忘れてはならないことと考えます。 いやその前にこういう本があるということを知っているのでしょうか。 知っていなければ、忘れようにも忘れられません。 知り、記憶していくことが大事なことです。 去年のような大惨事があったればこそ、今こそ思い出して記憶を新たにして、原爆・原発のない国を目指して進んでいきたいと私は思っています。

 

 実は仙台にも原爆にかかわる像があったのですね。きのうまで知らなかった。か、完全に忘れ去られていました。 恥ずかしかった。 きのう交通指導隊の立哨のため集まった錦町公園の中央西側にその像はあったのです。

 宮城県原爆被害者の会による「いのり」という像です。 たしか県内にも百数十人の被爆者手帳を持って人がいたと記憶していますが。

 

 

                  

 写真の後ろの花に囲まれてというか覆い尽くされているようで公園からは直接見えないのです。 もっとすぐ目に入るようにしてくれれば、もっともっとたくさんの老若男女が見てくれると思うんですが、何かこのままではもったいないです。

         

 宇都宮徳馬参議院議員(故人)がいうように、『ノーモア・ヒロシマは民族のモラル』であり、現在 『ノーモア・原発』 も日本民族のモラルにしようではありませんか。

 

 この全面広告の新聞は、1981年8月6日の朝日新聞です。かっては、彼のような政治家が自民党にはいたのですね。自民党も懐が広かった。 絶対安定多数を誇っていたからでしょうが。

 これからの日本の国是: ① ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ  ② ノーモア ゲンパツ


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