きのうは風が強くなったり、雪が舞ったり、かと思えば陽が差したりとっても不安定な天気の一日でしたが、きょうは朝から小雨模様の天気で、空はどんより重苦しく、小雨が降ったり止んだりしています。
以下の3枚はきのうの堤防や河原で体を動かしている近くの高校生たちの様子です。
きょうのお昼過ぎの様子です。
小雨ではあっても風がなく、川面に映る中洲の木々はとっても綺麗でした。
散歩をしている人や犬の姿もほとんど見受けられませんでした。
久し振りに見ました。サギ
ここから本題ですが、この写真の少年、見たことがありありませんか? 東日本大震災の番組に何回か出たことがあると思います。 只野哲也君です。 石巻の大川小学校の卒業生です。奇跡的にあの津波から助かった数少ない子どもの一人です。
現在14歳、大震災の時は11歳でした。 成長著しく170センチ、75キロの中学生で、今は柔道部に入り初段の成長株だそうです。写真の顔つきは本当に逞しく感じます。
①
①の写真は”女性自身”3月25日号から拝借しました。 下の新聞記事の写真 ② は、2年前の2012年3月7日の朝日新聞です。親子の撮影は3月1日です。 大震災の1年後ということになります。
②
きのうの新聞記事によると、宮城県石巻市立大川小学校の津波被害で、学校管理下で教職員に従ったために犠牲になったとして、児童23人の19遺族が10日、石巻市と宮城県に対して損害賠償を求める訴えを仙台地裁に起しました。
朝日新聞と地元の河北新報の記事ではかなり大きく取り上げられました。テレビでもその様子が流れました。
大川小学校の悲劇については、立ち上げが遅かったのが悔やまれますが、第三者の事故検証委員会が「避難の意思決定が遅れ、避難先を北上川堤防付近に選んだことが直接的要因」という最終報告書を取りまとめてはいます。 遺族は検証委員会の報告書に期待をかけていましたが、真相と責任の所在がはっきりしていないということで、こうなれば裁判の場で事実をはっきりとしていくしかないと判断した遺族が提訴したものです。
私も個人的にこのあまりにも痛ましい悲劇を前に言葉を失いました。親御さんのことを思えばどんなにか悔しかったことだろう、無念であったことだろうと思わざるを得ませんし、それは当の子どもたちすべてにも言えることでしょう。 誰だってなぜこうなったのかという事実、真相を知りたいし、責任の所在はどうなるのか、すべて自然災害のせいにして済ますことが出来るのか考え悩むことと思います。
いままで3回ほど大川小学校に行っていますし、新聞記事等も集めているし、事故検証委員会のHPも見るようにしてきました。
地震から津波が来るまでの約50分間、ただ寒い校庭に集合させられていたこと、すぐそばには山があって、子どもでも登れないような山ではないこと、裏山は津波を免れ、正門前に送迎バスも待機していたこと、迎えに来た保護者や児童の一部から津波の危険や山への避難を言われていたこと、それなのになぜ教職員は早めに動かなかったのか、私でもどう考えても納得できません。
訴状の序文はこんな文言から始まっています。
『津波により死に至ったのではない。学校にいたから死ななければならなかった。もし、先生がいなかったら、児童は死ぬことはなかった。明らかな人災である。』
遺族にここまで言わせる、ここまで言わなければならなかった心情を察すると胸がかきむしられる思いがします。
子どもにとって学校の先生のいうことは絶対です。自分の二人の子どもたちのことを思っても、小学校時代は親のいうことよりも先生の言うことを信じ、優先していました。 校庭にいる子どもが先生に山に逃げよう、山に登ろうと言っても先生がうんと言わなければ動けなかったでしょうし。
②にもこういう子ども同士のやり取りの記述があります。
『早く山に行ったほうがいいんじゃないか』
『先生、何やってるのかな。先生が言わなきゃ、移動できないしな』
今後ともこの裁判ばかりでなく、その後の大川小学校を巡る動きについては注目していきたいと思っています。これだけの悲劇がいつしかうやむやのうちに忘れ去られていくなんてことは許されるものではなりませんし、裁判になったからには検証委員会以上の事実関係等が明らかになってくるものと考えますし、是非とももそうなって欲しいと思います。
とくに②に詳しく記されていますが、ただ一人助かったA先生の行動がどうなるか、裁判の関係者がA先生をどのように扱うか、A先生の証言がとられるのか、裁判の行方に大きな影響を与えそうに感じますので目を離せません。 というのもA先生はPTSDと言われていますが、津波の当日いち早く山に避難していたようで、A先生が言っていることと助かった児童の言っていることが異なっている、つまりA先生がウソを言っている可能性があるというのです。
(以下は私見ですが)もしかして一人だけ先に山に逃げていたために嘘をつかなければならなくなり、良心の葛藤に耐え切れずに精神的に落ち込んでしまったということなのかもしれませんし、どこまで先生方との話の内容を記憶していて、裁判等で話してくれるのかどうか、話せるようであれば、責任の所在もはっきりさせられるかもしれません。