いやあ、めまぐるしく変わる天気です。 きのうは夕方から小雨、夜になって本降り、朝方まで降り続き、その後止んでいまは快晴、暑いくらいの陽気となっています。 異議なしの天気です。
きょうは地元の小学校では登校日となっていたようです。先生方の離任式のようです。 もうすぐ4月、新入学児童が真新しいランドセルで登校する日が近いですね。 最初の1週間くらいは親子での登校となるはずです。 新しい子どもたちと出会えるのは楽しみです。
そうそういままですっかり忘れ去られた感のある、我が家の魚です。 どっこいしぶとく生きています。 ハヤとオイカワです。
あまりエサもやっていないのですが・・・。
ということで午後2時30分頃の河原の様子です。
かなりひどい濁りで増水しています。
子ども二人が何やら遊んでいました。 学校では増水した川には近付かないようにと言われているのでしょうか? 学校では広瀬川が増水しているか、どのくらい増水しているか分からないでしょうね。
珍しいものを見つけました。おとといから蝶を見かけるようになりました。蝶とはいっても、モンシロチョウやアゲハチョウではありません。名前が分からない、珍しいような蝶ですが。
これは何でしょうか?ここまで拡大しないと、どこになにがあるのか、いるのか分からないと思います。 バッタです、こどもの。 一見するとのノミのようにも見えます。
いよいよ生き物たちが姿を現す時期となってきました。 鳥は前からいましたが。
きょう②の『微睡(まどろみ)の海』 (熊谷達也著 角川書店発行)を読了しました。 熊谷達也の本では、①の『リアスの子』(光文社刊)が当然先に刊行されていたのですが、まだ読むことはないかと言う気持ちで、本屋に行っても素通りしていたものの気にはなっていました。
でも、新聞の広告で見た『微睡の海』、・・・海は眠っていた。わたしたちはお互いを貪った。その日まで。・・・ ・・・3・11を目前に、生命を燃やし求め合う男女三人、肉体の純愛小説。・・・ こんなコピーを見たら買いたく、読みたくなってくるではありませんか。
① ②
それで②を先に買って読み始めたのですが、数ページ読み進んだところで、いや待てよ、これはもしかして 連作みたいなもので、①から読まないと背景が続きが分からなくなってくるのでないかと思って読むのを中断し、①を買ってさっそく読み進めたという経緯があります。
①『リアスの子』は中学生と先生との葛藤、格闘を通じてお互いが成長していく物語、青春小説といってもいいかもしれません。 素直にスラスラ読み進められます。 小節(これは第9でよく使いました)ではなく、小説では場所は”仙河海市”となっていますが、気仙沼市のことですね。
私の勘は当たりました、やはり①が背景にあり、①の20年後の成人男女が過去と現在を行き来しながら男女の性を展開していきます。 物語は「2011年3月10日pm」で終わっています。 ということは当然第3弾もあるはずと思っていたら、回答はごく身近なところにありました。
きょう午前中出かけたところで地元紙河北新報をめくっていたら、何となんとナント、同じ作者が新聞小説を書いているではないですか。 何気に最初のところに目をやったところ、驚き桃の木山椒の木、見たことのある、もうすっかり馴染みとなっている名前が出てきました。
“裕樹”(ひろき) ”笑子”(えいこ)
もう作者は第3弾を新聞小説として連載していたわけです。 『潮の音 空の色 海の詩(うた)』という新聞小説で、きょうで308回目となっていました。 もう1年近くも連載していたのだ! 早く新聞連載が終わって単行本として刊行されることを待つばかりです。 ① ②はいわば序章といってもいいのかもしれません。
(PS 「微睡の海」ということは何かを連想しませんか? 「まどろみ」から、そうです、あの伊坂幸太郎の「ゴールデンスランバー」です。 これだって日本語に訳せば”黄金のまどろみ”になるのではないですか。 なんか関係があるのでしょうか?)
その間にこれを読んでおこうと思います。 ③森村誠一著 『祈りの証明』(角川書店刊)
森村誠一というとどうしても 「・・・証明」と言う語句が付きまとうようです。 「人間の証明」 「野生の証明」なんかがあげられます。 そうそう「悪魔の飽食」もあったな。 彼が3・11を、作家としてどのように受け止め、どのように表現しているのか、本の帯には”苦難との対峙と再生への意志を描く著者渾身の傑作長編”と謳っているので楽しみです。
③
④『還れぬ家』(佐伯一麦著 新潮社刊) ⑤『あなたへ』(講談社刊)
④ ⑤
④は大震災をどう描くのかと興味があったのですが、それよりはアルツハイマー型の認知症の父と介護する母、その息子夫婦の物語で、認知症の父が徐々に症状がひどくなっていき、それに伴い周りの人間がどのように振り回されていくか、そのことに私自身の体験が重なって、いちいち納得しながらときに疑問を抱きつつ読み進めました。 こういう問題は子どもが少なく高齢者ばかりの世の中となっていく日本のまさに切実な、真面目に考えると暗澹たる気持ちになってしまう大きな逃れられない問題を突き付けています。
⑤は全国から(北海道から沖縄まで)救援に駆けつけてくれた警察官の手記で構成されています。 当時は警察、自衛隊、ガス関係者、水道関係者、電力関係者の皆様には本当にお世話になりました。 改めて感謝申し上げます。
警察と言うと、地震から2週間くらいしてか、ガスが止まっていたしお風呂に入れなかったので、家族で隣県の山形県のいつも鮎釣りで利用している”湯~チェリー”へ行くことにし、久しぶりにゆったりとし体をきれいに洗い、頭もさっぱりしてようやく生きた心地になったなったものでした。 山形へ向けてR48を走っていると反対車線から ””警視庁””のパトカーが何台も何台もやってくるではありませんか。 東京の警視庁ですよ。クラウンかセドリックのパトカーでしたが、何ともかっこよく頼もしく感じられたものです。 結局街の中で一番見かけたパトカーは 警視庁 でしたね。
なにか読んでみようかなと思った本がありましたか? 図書館にはまだ入っていないかもしれません。