いやあついに来ましたか、春が! と言いたいほどの陽気でした。 春霞のような生暖かい空気だっただったのですが、ときとして風が強すぎた。 お昼前に河原に行ったのですが、途中西風に帽子が飛ばされてしまいました。
午前11時40分頃の風景です。
午後になるとどういうことでしょうか、強い雨が一時的に降ったりして、その後止み、今は午後3時20分、陽射しが強く感じられます。 気持ちは上昇ムードですが、残念なこともありますね。
一体どういうことなのでしょうか、STAP細胞の研究。 ものすごいスクープかと私も率直に喜んだのですが、その後の展開はガッカリさせられることばかりです。 いったんオカシイ?と思われると、どこまでも遡及して追及というかあら捜しをされてしまうようです。 小保方チームリーダーはどこまで真相を知っているのでしょうか。 14人も共同研究者がいるとまとめるのは大変でしょうが、はやりリーダーとしての責任はあるわけで、研究成果のなかにおかしい点、無理な点があったっとしても、そういうことは全く無視して、自分たちの研究は素晴らしいことなのだと心底から思っていたのでしょうか。 自分たち研究チームの存在を世界中に知らしむる絶好の機会であり、どうせほかの研究者たちは矛盾点等を付いてくるなんてことはできないだろうと高をくくっていたのでしょうか。 マスコミ等に大々的に登場した時の小保方リーダーの気持ちは正直なところ一体どうだったのでしょうか。それが知りたいところです。まったく疾しいと感じる余地はなかったのでしょうか。 疾しいと感じつつもどうせわからないだろうというある種傲慢な気持ちがあったのでしょうか。 佐村河内ではないですが、いつ全面に出てきて謝罪等をするのでしょうか。
またこういう小心者の市長もいました。山梨市長(山梨県に山梨市があったなんて恥ずかしながら知りませんでした。栃木県栃木市は知っていましたが。)が上野千鶴子氏の講演会を中止にしました。たった10件の開催に疑問を呈するメールによってです。 上野さんと言えば「おひとり様」ということばをつかったりして、いろいろと現在社会が抱える介護や高齢者の生き方について幅広く発言をしてきた人です。 確かにときとして過激な?発言、言動と受け取る向きがあろうかとは思うこともありますが、それはあくまでも時代を鋭く切り開くために言っているのであって、彼女の生き方や考え方は必ずやこれからの日本社会にとって有益なことと思います。 だからこそ今回の市長の決定はまったくもって愚かそのもの、恥をさらけ出してしまったものと言わざるをえません。市長の職に相応しい人間とは思われません。山梨市民にとって大きな損失となりました。 もったいないことです。
11日のことになりますが、午後からこういう講演会に参加してきました。 姜尚中(Prof.Dr.Kang.Sang-Jung)の東北学院大学の教会での講演です。新聞の記事でみてこれはおもしろそうだと思って行ってみたのですが、ちょっと戸惑ってしまいました。30分前に着いてしまったので会場に入ってゆっくりしようかなと思って入ったところ、そこで行われていたのは礼拝でした。 もともとキリスト教系の大学ですから教会があり、礼拝が行われるのは何もおかしいことではないのですが、新聞の記事では「東日本大震災3周年記念講演」ということで、演題は「犠牲のシステムを超えて ミナマタ・ヒロシマ・フクシマ」となっていたからです。
礼拝の次第というのでしょうか、A4版の紙(「東日本大震災3周年記念礼拝」)を渡されたのですが、それによると正式な礼拝というのはこういうことをいうのでしょうか。 前奏・招詞・讃美歌・主の祈り・奉唱・特祷・聖書・祈祷・讃美歌・説教・祈祷・讃美歌・連祷・献金・祈祷・讃美歌・祝祷・後奏 と続きます。今まで来たことのない宗教上のことばがあります。
戦前に建てられた教会ということです。木製の椅子が硬くて直角で窮屈でした。椅子の背にはたくさんの聖書や讃美歌が収納されています。 いい経験をさせてもらいました。
肝心の姜尚中さんの講演ですが、教会の中が暑いということはなかったのですが、やや薄暗く、とっても静かで、聞こえてくるものは講演者の声のみということのためか、正直眠くなって途中寝てしまいました。もったいないことをしたと後悔しましたが、後の祭り。 講演のレジメが詳しく、それをみてじっくり考えれば何を言いたいのか、全く分からないことはないといったら強がりでしょうか。
レジメは大きく5つに分かれ、「はじめに」 「一 3・11から3年、私たちは今どこにいるか?」 「二 フクシマは私たちに何を問いかけているか」 「三 犠牲のシステムと成長教」 「四 脱原子力国家・脱成長・脱国家への道」 「結びにかえて」 となっています。
さらに「はじめに」 は ・「フクシマ」からの問い ・「科学の子」「自然の子」そして「神の子」 ・創世記の意味 ・「科学教」と「国家教」 ・「フクシマ」「ヒロシマ」「ミナマタ」-「犠牲のシステム」を超えられるか と5つに分かれています。
「一 3・11から3年、私たちは今どこにいるか?」 は 1.「3・11」3周年と第一次世界大戦100年 2.富国強兵と文明の敗北 3.ポスト関東大震災とポスト「3・11」 4.新・富国強兵と新「原子力国家」への道
「二 フクシマは私たちに何を問いかけているか」 は 1.脱神話化された「原子力国家」の素顔 2.「国策民営」と「原子力ムラ」 3.日米同盟・日米核同盟・日米原子力同盟 4.「犠牲のシステム」と安全神話
「三 犠牲のシステムと成長教」 は 1.「ミナマタ」「ヒロシマ」「フクシマ」 2.「犠牲」による成長と平和 3.自然破壊・人間破壊・虚無主義 4.新国家主義・新自由主義・新成長教
「四 脱原子力国家・脱成長・脱国家への道」 は 1.歴史の岐路ー1930年代と現在 2.脱原子力国家と脱成長教 3.脱国家と地域破壊 4.東アジア安全共同体への道
「結びにかえて」 は 「犠牲のシステムを」を超えてーーーキリスト者の現代的使命
強風と戯れているトンビです。
という項目に分かれています。 かなり細かく分類しながら話しをしてくれましたが、途中眠ってしまったこと、具体例をあげることが少なく、すぐ結論を言っているようで、肉づけが欲しかったですね。 でもこの細かい項目を自分なりにじっくりと考えていけば、いい勉強になるのではないかと思います。 みなさんも挑戦してみてはどうですか?!
(牛越橋はこの状態です。)