きょうもきのうのような雨降りの一日。 しかも気温が上がらない。 はっきり言って”寒い”と感じます。 さっきのラジオによると、午後2時まででの最高気温は14.2度といっていました。
(午前9時20分頃 深い霧)
(水量は増えています。)
きのうは16.1度と、これまた低かったのですが、それをも下回るようです。 でも夕方にかけて雨が止むと少し気温が上がってくるとか言っていました。 何か梅雨寒といった感じになってきます。
何でも今月27日ですか、アメリカのオバマ大統領が来日して、ヒロシマを訪問するとか。ここにきてようやく実現しようとしていますが、もちろん来ないよりは来た方がいいわけですが、それならもっと早い時期にきてくれればとどうしても思ってしまいます。
だってもうすぐ大統領の任期が切れるのですよ。 これがノーベル平和賞を受賞した頃にやってくるのであれば最高の、願ってもないできごととなるのでしょうが、人気も逓減しつつあり、次期大統領候補のトランプやクリントンの動向や言動の方が目立ちすぎている状況ではこうするより他はなかった、そういう状況だからこそヒロシマに来られるということなのでしょう。
そうであっても現職のアメリカの大統領が戦後71年目にしてはじめてヒロシマを訪れることの意義は大きいでしょう。 ヒロシマの歴史に刻まれることでしょう。 そして大統領でなくなってからも、前・元大統領として核軍縮にむかって国際平和活動に邁進してくれたらありがたいのですが、果たしてどうなることやら。 大統領を止めた後の活動にも注目していく必要があるでしょう。
(カワウが居た大きな岩にいました。)
それにしても共和党でトランプが大統領候補になろうというのですから、呆れてものも言えないとはまさにこのことです。 恐ろしいことに、このままいけば十分に次期大統領になれる可能性は高い(低くはない)ように感じます。 国民の民意度が試されているように思うのですが、まさに今のアメリカの社会状況の縮図をみるようではないですか。
強欲資本主義の虜になった輩となりたくてもなれない、取り残されてしまった欲望だけは強いけどその分不平不満も強く渦巻いている大多数の国民の不満のはけ口として正にうってつけの人物が現れたということでしょうか。
アメリカ社会の病理現象といってはいいすぎでしょうか。とてもまともとは言い難い烏合の衆の欲求不満の激情がトランプに取りついてしまっている。 新自由主義経済の行きつくところを暗示しているような気がします。
それにしてもトランプの周りにいる美女軍団には思わず目を見張ってしまいますね!
また、今月も月命日がやってきました。 もうあの日から5年2ヶ月になります。 お恥ずかしながら宮城県に住んでいるのについついあの日のことが、11日ということが忘れ去られようとしていることに愕然としつつ、危機感をもっています。
たった5年前なのにもうかなり昔のことのようにさえ感じてしまうことがあります。気仙沼、石巻、東松島、そしてフクシマのことを思えば忘れさるにはまだまだ早すぎます。 忘れないようにと自分なりに、それなりに努力はし続けているつもりです。
その一つが地元宮城県出身の作家 『熊谷達也』 の動向に注目し、彼の本を読み続けることです。 かれは「気仙沼市」を「仙河海市」として、2011年3月11日を常に念頭に置きながら、そこで生活している子どもから社会人までいろいろな人たちの日常を丁寧に描写しています。
そこに出てくる人物はともに成長し続け、縦と横に複雑に?絡み合いながら、それぞれの物語の主人公として生きています。 これからどういう形でこの物語をつむいでいくのか大変興味があるところですが、また考えるのは大変だろうなとも思っています。
私が今持っている彼の著作は以下の通りです。
① 発行:2013年12月
② 発行:2014年3月
③ 発行:2015年7月
④ 発行:2016年3月
最新作は④の「仙河海叙景 『希望の海』」です。帯に曰く、「この小説は、震災から5年かかって辿り着いた私の到達点です」(熊谷達也) また、「東北に生まれ東北に暮らす直木賞作家の、『あの日を』描かない連作短編集」と。
連作短編集というとおり、9つの短編からなっていますが、いずれもみな関連、つながりがありまして、それぞれが交差しながら綾なしていくそのつくりはさすがだなと感心しながら読みました。
しかもそれぞれの物語の展開が徐々に徐々に2011年3月11日に向かって近付いていくのです。9つの短編のうち7編まではあの日の直前までを描き、後の2編はあの日のあとを描いています。 そういう構成が、帯に言う「あの日を描かない」ということになります。
興味がある、あの日を忘れたくないという気持ちがおありならば、是非とも店頭で手に取ってパラパラとページをめくってみてください。 これは是非とも読まなければいけない本だということを肌で感じることでしょう。
「ラッツォタの灯火」(8編目)と「希望のランナー」(9編目)を読むことで、作者が「希望の海」という題名にしたことが分かります。
希望ということであれば、この本も是非お勧めです。
「あの日、小学5年生だった子どもたちが見据える3.11後の未来」
この雁部那由多(石巻高校1年生)さんの語りは本当に感心するばかりです。 こういう子どもたちがいる限り忘れ去られることはないかなと思ってしまいます。