きょうは朝から秋晴れと言ってもいいような感じの天気です。 台風から低気圧に変わった名残なのでしょうか、風が強い日となっています。
台風というと、きのう夕方見た韓国の沿岸部の高波ですか、どす黒い波が防波堤を軽々と乗り越えて押し寄せている場面がありましたが、すごい迫力で恐ろしくなりました。 10月ですし、もう台風は結構ですね、もう来ないでくださいと言いたいですが、台風自体は自力では動けないというのでそこに自然界の不思議さを感じます。
この2枚は街中で信号待ちの時に撮りました。ふと見上げたらいかにも秋らしいような雲があったものですから。秋雲と目があったような感じと言ったら笑われるでしょうか。
(午前9時10分頃かな)
こちらは午後2時10分頃です。
目下の心配事は分流のこの部分を登れるかどうか、つまり故郷目指して遡上してきたサケが無事広瀬川の分流にたどり着けるかどうかということです。
本当に申し訳程度の水量しかないので、こんなに浅いところを遡上してくるのは体力的に大変です。 なんとかうまい具合に遡上する道をつくってやりたいのですが、いかんせん本流から分流に来るところは岩盤になっていて、石をどければいいというような場合ではないのです。
きょう何故朝から街中へ行ったか?そうです、映画です。新しくできた仙台駅前の東宝シネマズへ行ってきました。 「シン・ゴジラ」についで2回目となります。きょうはひとりです。 映画の題名は、ビートルズ、 "EIGHT DAYS A WEEK" です。
140分、2時間20分という長い映画となっています。レビューではちょっと長すぎるという意見もあったようですが、それにはからくり?があったのですね。 平日の早朝ということもあって、観客は10人いたかどうか。 いやあ、感想は?と聞かれても何と答えたらいいものか、悩んでしまいます。
何しろ音響が素晴らしくなっているのです。映画館用としてとか書いてあったような。映画というとドルビーステレオ?が多いように思いますが、音響が半端じゃないです。耳を通して体の中に入ってきます。
ましてや今回はビートルズという天才集団の音楽、それも1964年から1966年くらいの間の音楽活動、ライブ活動を中心としての映画ですので、映画を見るというよりは音楽を聴くというべきなのでしょうね。 50年前の映像と音響です。それがライブのように聴こえてきます。
映画の手法としても面白く、2時間くらいでエンドロールがでます。その終わりに向かって流れる音楽の音量が、広い裾野から高い頂を目指して更にさらに高く厚く重く盛り上がっていくのです。オーケストラの指揮者が最後の部分を長く引っ張るのに似ていると言っていいでしょうか。
ようやく終わりかと思いながら音楽を聴き字幕を見ていると、実は続きが出てくるのです。おまけという感じではありますが、というのも本編ににもその映像と音は出ていましたから、ニューヨークの野球場でのコンサートが出てきます。56,000人の観客だそうです。
観客も演奏を聴きに来ているというよりも、その場の雰囲気を味わいたいという感じというか、演奏風景を見ていられただけで満足とでもいうような感じなのです。何しろあの喧噪?では演奏は聞けたものではありません。
事実ドラマーのリンゴ・スターはまえの4人のギターの音が聞こえなかったために、彼らの足や腰の動きでリズムをとったとか。 普通はドラムがベースとなって演奏が行われるのでしょうが、そのコンサートでは逆になっていたようです。
この時期のビートルズははっきり言って、ジョン・レノンとポール・マッカートニーの二人で持っていたようなもので、そのコンサートにおけるジョージ・ハリスンの影の薄いことに同情を禁じえませんでした。 ジョージの担当はリードギターですか、演奏中も俯き加減なこともありますが、ステージをうろうろしているといった感じで可哀そうなくらいでした。
50年も前のことなのに、まだまだ熱く語られるビートルズ、すごすぎますね。語っても語り切れない、尽きることがない、いまだに熱中させるものがある、いわばいい意味での”ブラックボックス”見たいといったらおかしいでしょうか。
映画の途中で、何回か拍手をしそうになったし、一緒に歌い出そうとしたくらいです。 もっと若い人たちが一杯入っていたら、手拍子や拍手喝采、歌声も聞かれるのではないか、なんて思いました。だってついつい引き込まれてしまいそうになるのですから。じじつ盛り上がっている場面で、立ちあがって拍手をしても違和感はなかったのではないかと思います。
バカですかね、やはり。
ジョンが殺され、ジョージが病死し、ポールとリンゴのふたりが健在のみ。 このブログで2回くらい書いたようですが、仙台のサンプラザホールでリンゴスターとかれの息子との演奏会を聴きに行ったことがいまとなっては信じられません。