鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

広島黒田、男気は!

2016-10-25 14:41:11 | 思いつくまま

 (スミマセンね、毎度毎度同じようなことばかり書いて) 今朝はよく冷え込みました、寒かった、午前5時前には目が覚めているのですが、布団から出られなかった。30分以上悶々としていました。

 

 (変な雲ですが、飛行機雲がたくさん見られました。うろこ雲?も。10時15分頃)

 

 そうですよね、近くの本屋へ行くともう店頭に占めているのは、いろんなカラフルな暦や手帳類です。そういう時期なのですね。

         

  

 

 朝の立哨のときは合服ですが、中にちょっと薄いけれどベストを着ています。それでも寒かった。全く陽が当たらないのは辛い。 夏陽が燦々と当たって、冬は全く当たらないという望ましくない状態なのです。 子どもたちの元気な話し方や行動が支えです。

 

 次回からはシャツも長袖にし、下ズボンも着用しようかなと思っています。場合によってはネックウオーマーもしようかなと。 さすがにカイロまではいいですが。 子どもたちのなかにも手袋をしている子もマフラーをしている子もいますが、まだ夏の名残りの服装の子もいます。

 

 オートバイの若者がいましたが、夏用の白の半袖でした。見ているだけでぞっとします。びっくりしたといえば、この前こういう運転手を見ました。 ひげを剃りながらの運転は何回か見たことがありますが、この前見たのは何となんとナント”歯磨き”しながらの運転でした。 他人事ながら歯磨きが終わった後の処理はどうするのか?悩みました。のみ込むのか、外に吐き出すのか、車内にコップがあるのか。

               

 

 

 きょう見たことの中にもうひとつへえ~と驚くことがありました。 信号機のそばの電柱にカラスが止まっていました。するとそのカラスは左の足で左の首筋を掻いているではありませんか!! 河原の散歩等で生き物はたくさん見てきましたし、鳥類も見ているのですが、カラスが足で首筋を掻くというのは初めてでした。何かおえまでそういうことをやるのかと、うれしくなりましたが。さらに身近に感じられる存在となりました。(今必死に思い出そうとしているのですが、子どもの頃飼っていたインコが止まり木に止まって首筋を掻いていたようないないような・・・)

                              

  きょうの日本シリーズ第3戦はどういう展開になるでしょうか。興味津々といったところです。 何といっても広島カープの連勝を受けての第3戦です。しかも今季限りで現役を引退する黒田投手が洗髪ならぬ先発します。これが盛り上がらなくてどうするのでしょうか。

 

 広島カープも盛り上がるけど、逆に日本ハムもやる気満々となることでしょう。相手にとって不足はないですから。 堂々と黒田投手を打ち砕いて、本拠地で勝ち名乗りを受ける(相撲か)、そうなれば流れは日本ハムの方に行くでしょうから。

 (キチキチバッタ、まだいました。足もとに飛んできました。見てくれと言わんばかりに。)

           

 どっちにしても黒田投手の先発は、否が応でも日本シリーズを盛り上げますね。凄い男です。もちろん私としては広島カープに勝って欲しいところですが、接戦で勝って欲しいですね。1点を争う好ゲームにしてほしいです。

          

 そのためにも日本ハムの投手にもしっかりしてもらわなければいけません。

 

 今月の中旬頃からかな、とっている朝日新聞とネットで見ている地元の河北新報では”大川小学校の悲劇”を大々的に取り上げていました。 今までにないくらいの取り上げようで、朝日新聞は全国面と地方面と両方に掲載していました。(同じ記事ではございません)

 ≪朝日新聞≫ 大きな見出しは、『「大川小 津波訴訟」 連載第1部 家族の足跡』と題して、10月12日から16日までの5回の連載、さらに、22日からは『「大川小 津波訴訟」 連載第2部 「51分間」』と題して23日までの上下の2回、もうひとつ『あの日から 大川小津波訴訟判決へ』と題して22日から24日までの上中下の3回の連載とすごい力の入れようです。

 ≪河北新報≫ 河北新報では、『<大川小 還らぬ人へ>◎津波訴訟26日判決』という大きな見出しで、10月15日から22日までの8回シリーズでの連載がありました。 心ならずも遺族となった8家族の葛藤や悔しさが語られています。 

 また12日には大川小を設計した北沢さんの話しを詳しく載せていました。震災直後に大川小を訪ねたが、とても大川あ相の設計者だとは名乗れなかったそうです。今年になって大川小が震災遺構として保存されることになったことで、取材にも応じてもいいと思うようになったということです。

 設計に当たっては地震対策は万全を期したけど、津波については「つ」の字も思いが浮かばなったそうです。 そして裏山に散歩コースを造れなかったことが最大の後悔だといいます。裏山にあずまやを建て遊歩道でつなごうと提案したそうですが、予算面等から断念したということです。

 あした26日仙台地裁で大川小津波被害の訴訟の判決が下されます。一体どんな判決となるのか注目していますが、行政の言うように「予測できなかった」という判決になるのか、51分間で有効な対策をとれたはず、ということで責任ありという判決になるのか。

 子どもたちの裏山へ逃げようという証言がどれほど採用されるのか、でも私は思います、どうしても大人で生き残ったたった一人の先生の証言、尋問がどうしても不可欠であると。原告の請求は認められなかった。しかし、それで本当の原因究明ができるのか、可能か、私にはそうは思いません。 生き残った先生の嘘偽りのない証言なくして真の原因究明は不可能であろうと思います。ずーと前から思っていました。

 個人的にも3回は大川小へ行っていますが、現地に行けばどうしてこの学校の裏山に逃げようとしなかったのかと誰しも思うはずです。とてもじゃないけど危険な場所とはとてもいえません。 子どもたちならたやすく登れるような山です。 一年生から順番に大人たちが介添えしながら登らせていっていれば、あんな大参事が起きることはなかった・・・・。

 本当です、現場に行ってみれば何で裏山に逃げなかったのかと、誰しもが悔しさとともに思うはずです。本当に悔しさがこみあげてきました。自分の子どもが犠牲になったわけではないですが、心の底から悲しさとともに悔しさがこみあげてきました。これが自分の子供だったら親の気持ちはまさに張り裂けんばかりとなるでしょう。

 

 天気予報どおり雨が降ってきました。薄暗くなってきました。いつの間にか静かに降りはじめたようです。


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