鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

やっぱり、    でも早すぎる、

2016-10-29 16:00:28 | 思いつくまま

 きょうは風が強いです。とくに午後になってから強くなってきました。 木枯らしとまでは行きませんが強風に枯葉が弄ばれています。まだまだ落葉樹に葉っぱは一杯ついていますので、これからますます枯葉舞う日々が続くことでしょう。

   (午前9時30分)

 

      

 風、強風といえばそれを楽しんでいるのがこの鳥ですね。 不思議とカラスではこういう風景は見ませんね、そういえば。  トンビです。 上空を見上げれば見えるのはヘリコプターとトンビですか。 このヘリは宮城県が導入したドクターヘリかもしれません。慣らし運転というか操縦をしているのでしょうか。 

              

 (波乗りならぬ風乗りとでもいうのでしょうか、本当に風を楽しんで受けながら、時に抵抗しながら上空を回転しています。)

    

             

 かってはドクターカーでさえ珍しがられたのに、救急救命士の増加とともにドクターカーも整備されて、今はドクターヘリですから隔世の感がします。 個人的には普通の救急車にもお世話にはなりたくないものです。

 1回だけ母の付き添いで病院の救急車に乗ったことがありますが、信号に関係なく街中を走れるということは意外と楽しいものでした。不謹慎かもしれませんが。 普段は絶対にこういう経験はできないからでしょうが。

 

               

        

 

 きのう夜雨が降ったけれど、全く焼け石に水でした。増えるどころか減っているのではないかと思えるほどです。

     

 

 27日に三笠宮崇仁さまが亡くなりましたが、お恥ずかしながら新聞の死亡記事や関連すする記事を読んで初めてこの皇族の素晴らしさを知りました。  軍人としての経歴もすごいのです。騎兵第15連隊に入隊してから、陸軍士官学校本科を卒業し、騎兵第15連隊第4中隊長になり、アジア太平洋戦争が始まった1941年12月に陸軍大学校を卒業しています。

 1943年には支那派遣軍総司令部の参謀として中国に赴任して、現地でいわゆる皇軍といわれる日本陸軍の軍紀の乱れに愕然として激しい怒りに駆られたようです。その後もずーとそのことを「深く気が咎めて」いるたそうです。

 『旧陸軍の軍官として南京に駐在し、日本軍の暴行を自分の目で見た。今に至るまで深く気がとがめている。中国の人々に謝罪したい。』 と江沢民中国国家主席を迎えて開かれた宮中晩餐会で、国家主席に言ったといいます。

 こういう宮様が居たのだということを亡くなってから知るなんて本当にお恥ずかしい限りです。 それだけにいくら高齢とはいえ亡くなられたことは残念です。惜しい人をなくしました。(合掌)

 

 石巻市立大川小学校です。

 

                         

 大川小津波訴訟判決のあと 「市の主張が認められなかった結果について大変重く受け止めている」と沈痛な表情で発言しました。 「今後の対応は判決の内容を十分精査し、代理人弁護士と協議して決定したい。」と言っておきながら、舌の根も乾かないうちに、判決を不服として仙台高裁に控訴することを決定したということです。

 やっぱりなという気持ちです。多分そうするだろうなとは思っていましたが、まさかこんなに早く結論を出すとはちょっと”想定外”でした。

 まあ考えてみればこの市長は、想定外の天災、自然災害だから仕方がないとか自然災害の宿命とか遺族の前でも言っていたようですので、その後取り消したり、謝罪したりしたそうですが、やはり最初の気持ちがずーと残り続けていたということでしょう。基本的な考え、気持ちは全くぶれていなかった、変わっていなかったということになるのでしょう。 貴重な検証資料を破棄したりもしていますから。

 学校の管理下で74人もの児童が無念の最後を迎えなければならなかったという事の重大さ、「先生に言うことを聞いていたのに」という親の無念さをどれだけ自分のこととして考えたのか疑問です。

 でもこうなれば控訴審では、是非とも現在休職中の教務主任を法廷に呼び出して証言してもらうよりほかはありません。教務主任は少しでも先生としての矜持があるのであれば、極論すれば自分のことはどうなっても、2011年3月11日の午後2時46分以降のことをきちんと証言すべきです。 

 どんなに辛くても、人間としてあの日校庭で何があったのかを詳細に証言し、一連の不幸な経緯を後世のために、今後のそういう大惨事をなくすためにも、みんなの前で話すべきです。それしか当時の状況を知る手段は残されていません。

 石巻市が控訴するのであれば、教務主任が証言台に立つことを反対すべきではありません。 行政としては教務主任に証言して欲しくないという気がしてなりません。先生の体調云々と言いながらも。 先生にとってはきついことかもしれませんが、それだけの子どもたちひとり一人の命の重みが、思いが待っているということです。

 みなさんはどうお考えですか。現場に行ってみた者としては何としても悔しいのです、裏山に避難しなかったことが。

 


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