(午前9時頃)
午後は白熱の議論等を伴った打ち合わせ会、夜は趣味の集まりと重なったので遅くなっています。
もう完全に伏流水です。
寒かったですね。しかも午前中は風もあって余計に寒く感じられました。この時期風が加わると途端に寒さが増します。生きにくくなります。
日本海側のみなさん、雪かきや雪下ろしに四苦八苦しているようでお気の毒としかいいようがありません。くれぐれも雪の事故に遭わないように、また体を壊さないよう十分注意して生活して欲しいと思います。
寒いといえば、これもですね。皇室会議の議事録です。1日に開催された皇室会議は、非公開でしたが1時間15分にわたって議論があったようですが、また10人の会議の議員全員が発言したと言いますが、その議事録は、新聞の行でいうと、たった9行しかありません。
『天皇陛下には1月7日の御在位満30年の節目をお迎えいただきたいこと、国民生活への影響等を考慮すること、静かな環境の中で国民が天皇陛下の御退位と皇太子殿下の御即位をこぞって寿ぐにふさわしい日とすることなどの意見の表明が行われた。』
詰めれば8行にまとまるようです。そして、これ以外には記録は残さないそうです。
朝日新聞の社説では、「退位は約200年ぶり、日本国憲法下で初めてという、歴史に刻まれる出来事である。どんな道筋を経て退位に至ったのか、国民が正しく認識し、後世の人々もしっかり跡をたどれるようにする。こう文書管理法を持ち出すまでもなく、政府の当然の責務なのに、あまりにお粗末な内容ではないか。」と。
「危うさを感じるのは、退位と即位は『国民がこぞってお祝いすべき』だから、ここの意見を明らかにするのは、『好ましいことではない』と皇室会議で合意した、という政府の説明だ。」 そして結びは、「皇室は国民の理解と支持の上に存立することを忘れてはならない。退位問題で高まった関心を大切にしながら、情報を共有し、議論をおこし、深める。それが政府の本当の役割である。」と。
折角天皇陛下や皇后陛下、皇太子殿下は、象徴天皇制の下で国民とともに歩もうと、国民に開かれた皇室にして行こうと努力してきているのに、それに水を差すような、近い将来雲上人に祭り上げたいと思っているかのような説明です。不敬罪を復活したいのかなとまで勘繰ってしまいます。
こちらはうすら寒い事件です。沖縄の米軍のヘリからこともあろうに運転席いや操縦席というべきか、の窓枠が落下するなんて・・・・。こんなことありですか!!呆れかえってしまいます。口もあんぐりです。CH53Eというヘリコプターですが、軍隊のヘリですよ。
何か小さい部品等が落下したというのなら、あっまたかと思わないでもないですが、ヘリの窓、窓枠です、これが落下するのですか。そんなに古いヘリを相変わらず使っているのですか。それともアメリカ本国では使ってはいないが、日本だから、それも沖縄だから飛行を続けているのだとしたら、・・・・。日本国、日本人を馬鹿にするにもほどがある。ドナルドのことだから十分に考えられますが。
アメリカ本国では絶対にできないような低空飛行も沖縄だから、日本だから平気で実行しているようですし。やはり人種差別というかあからさまな差別ではなくても黄色人種を蔑視、下に見ているという感情はいまだに白人に共通しているのではないでしょうか、もしかして。
まあ何があっても文句は言えない立場ですし、それに甘んじている日本ですから、日本に米軍基地が居座り続けている限り起こり続けるのではないかと思わなければならないことが日本を愛する者としては悔しい限りです。
そこいくとこちらは救いです。応援したくなります。今月の12日13日の新聞に掲載された記事です。12日の河北新報は、「<大川小>『生き残ったからには友達、先生の分まで語り継ぐ』被災児童、初めて語り部ガイド」という見出し。
13日の朝日新聞は、「生き残ったから伝えなきゃ 大川小・語り部ガイド」という見出しで、東日本大震災で児童と教職員が84人も犠牲になった石巻市立大川小学校で、奇跡的に助かった児童4人のうちのひとりで、当時5年生だった只野哲也さんです。
只野さんはこれまでもいろんなところで発言してきましたが、周囲からは「テレビにでたいだけだろ」と批判されされたりもしてきたそうです。それでも、やっぱり何を言われても、当時何があったのかを伝えなければならないと考えた末の語り部の第一歩でした。彼はあの日妹・母・祖父の3人を亡くしています。
ここまでくるのに自分でかなり悩んだことではないかと思います。それでもやはり亡くなった友達や先生方の分まで大川小で何があったのかを伝え、少しでも防災の力になりたいと言っています。無理をしないで、長く勤めていってほしいと思います。
只野さんのこの決断を聞くと、やはり思い出すのは教員で唯一の生き残りの教務主任の証人喚問、証人申請という形でなくても、社会に対してあの日何があったのか話してほしいと改めて思いました。そうすることが亡くなった児童や教職員に対する鎮魂ではないかと思いますし、本人にとっても精神的に少しは楽になっていくのではないかと思うのですが。
今年は長雨の影響で、夏の気温が低かったことがシクラメンの生育にはよかったみたいです。