鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

トットちゃんも終わって、

2017-12-22 16:47:40 | 思いつくまま

   

    (午前9時10分過ぎ。雲の形が綿あめみたいでした。)

   

 朝は冷えましたが、その後はまあまあの天気でしょうか。今月に入って宮城県はほとんど雨が降りません。降っても2,3ミリ程度です。

                 

 

                

 まあ冬はもともと降水は少ないのですが、雨も雪もほとんど降っていませんからね。一日だけ雪が降ったし、雨も降っただけですか。ダムの貯水量さえ十分確保されていればまあいいのですが。

 

       

 

 トットちゃん、終わってしまいましたね。今週は最終週ということで回顧場面が多かったのですが、それでも面白い昼のドラマでした。 やっぱり黒柳徹子、只者ではありません。我々の常識を超えています。死とは無縁のような感じさえするから不思議な存在です。

 子ども時代の日常生活がとくに面白かったな。トモエ学園のことをもっと掘り下げてくれたらよかったのですが。それと青森県へ疎開したときの物語ももう少し長く展開して欲しかったかな。 次回からは越路吹雪の物語のようで、これも面白そうです。

    

  この子役、可愛いですね。

  

 

                                

 

            

 

 「交響曲『第九』の秘密」(マンフレッド・クラメス)の続きです。 12月6日と10日の続きとなりますか。斬新な解釈です。

 

Freude! 

直訳:歓喜(至福)

Freudeは、一般的には「喜び」または「歓喜」と訳されますが、ドイツ語にはもっと強い気持ちが込められている。 100%の肯定的な気分、≪心が震えるほどの至福≫に近い。

 

① Freude, schöner Götterfunken,

直訳:歓喜よ、麗しき神々の火の粉よ

Götterfunkenという言葉はドイツ語にはなく、Götter(神々)とFunken(火の粉)を合わせたベートーベンによる造語である。≪無上の幸福≫を強調したかったのでは。目の前に星がきらめくような歓喜の状態を表し、そこに彼の暗示が隠されている。

「神」を単数形ではなく、わざわざ“複数形の神”(Götter=Gods)と表現したのは明らかに意図的であり、当時のキリスト教の偏見に満ちた考え方から、人々を解放する立場にあったあかしである。

 

② Tochter aus Elysium,

直訳:理想郷からの乙女よ

Tochter(=daughter)は純粋無垢な若い女性であり天使のような存在。Elysiumはギリシャ語で、至福の島、天の人々の島の意味があり、古代ギリシャの神話に出てくる場所を指す。キリスト教的な解釈では「天国からの天使よ!」となるところだが、ギリシャ神話の力を借りて「理想郷からの乙女よ」と表現し、宗教色を排している。

ドイツ語の構造上、FreudeとTochterと女性名詞が続くと、TochterはFreudeを意味する。FreudeはElysiumからの子ども(創造物)を指し、ベートーベンが伝えたかったFreudeとは、普通の喜びより格段に上位の、理想郷からうまれた娘のような≪聖なる無限の至福≫を意味する。

 

③ Wir betreten feuertrunken, Himmlische dein Heiligtum!

直訳:われわれは無我夢中で、天なるあなたの聖域に立ち入る

Feuertrunkenも造語で、(Feuer=fire、trunken=drunk)情熱に酔いしれる、忘我の境地、恍惚、陶酔などを意味する「聖域」(Heiligtum)という中立的、非宗教的な言葉を使って、想像を超えた場所(至福、喜び、静寂だけがある場所=心の中の場所)を表す。≪この至福の場所へ、私たちはみな一緒に、歓喜や陶酔とともに入っていこう≫と呼びかけている。

 

④ Deine Zauber…..

直訳:あなたの魔法は、・・・

前述の「神」は単数形で使われていたら、ここでの「あなたの(Deine」」は「神の」を意味し、「魔法」とは「神の力」を表すことになっただろう。しかし、ここでのDeineはFreudeを意味し、「至福の」や「歓喜の」を表している。

つまり、≪至福の魔法≫や≪歓喜の魔法≫を意味する。

 

⑤ binden wieder, was die Mode streng geteilt;

直訳:再び結び合わせる、時流が強く分断したものを

当時は身分制度、性差別、人種差別が歴然として存在した上、当時の社会は完全に分断されていたため、それがとてつもない苦難を生み出していました。だからベートーベンは時代が分断したものを再び一つにしようと主張している。

「至福の魔法」にはその分断を無効にする力があり、≪人類すべてに同じ権利を与えることができる≫と説いている。

 

⑥ Alle Menschen warden Brüder, wo dein sanfter Flügel weilt.

すべての人々は兄弟となる、あなたの優しい翼が存在するところで

ベート-ベンはここで初めて「Brüder(兄弟)」という言葉を使っている。お互いに愛し合う関係(統一、調和、平和)になるということであり、それが一番望ましいと主張している。男女間の愛と誤解されないように、すべての人々に“兄弟”になるように呼びかけている。Deinも「あなたの」ではなくて、「至福の」という意味。≪至福の影響力の範囲内で、人類はみんな兄弟である≫

 

⇒ ①から⑥までは第543小節から第590小節までの有名な“歓喜の歌”として歌われます。

でも私は次の第595小節からの歌が好きです。男声合唱(テノール・バス)から始まる部分で第603小節からソプラノとアルトが加わってきます。

 

Seid umschlungen, Millionen! Diesen Kuss der ganzen Welt!

直訳:抱かせてください、諸人よ! この口づけを全世界へ!

歌詞の意味は簡単ですが、人類のなかの善と悪を区別せず、心を全開にした状態で愛を分かち合おうというメッセージは、当時においても、決して月並みではない深い表現である。

 

Brüder! Uberm Sternenzelt muss ein himmlischer Vater wohnen.

直訳:兄弟よ、この星空の上に聖なる父が住んでいるにちがいない

まず、「兄弟よ」と呼びかけ、「星空の上に」という言葉で、仮想の場所を指し示している。星空の上、つまり無限の宇宙のどこかに、「父」がいるに違いないと説く。「神」という言葉を使うと、聴き手が宗教的なものと混同する可能性があるためここでは「神」の代わりに「父」という言葉を使っている。この「父」という言葉にはわれわれの案内役や教師というニュアンスがある。宗教的な神ではなく、われわれみなの中にあって体感できるような存在。

兄弟がふたりでも、2億人いても、父はひとり。兄弟の共通点は、みな同じ父を持つことで、≪私たち人類は、同じところから来るからこそ、差別せずにみんなで助けあわなければなりません≫という意味になる。

 

 いよいよ明日は第九の本番とはいえないか、仙フィルの第九特別演奏会があります。


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