鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

あの日から 7年7か月

2018-10-11 22:18:51 | お知らせ

 今日は忙しい一日でした。 午前中はある団体の理事会、午後は別の団体の定例会、そして夕方は人と会う約束があり、夜はサークルということで、ブログもこの時間になってしまいました。

 霧雨が降ったり、小止みになったり、きょうもきのうと同じような天気で、20度にはならずでしたが、それでも平年並みとか言っていました。

 

 きょうはあの日の出来事の月命日です。もう7年7か月が経ちました。今月6日の新聞に載っていました。 「また消える傷痕 閖上の『佐々直』旧本店解体へ」という記事です。 記事によると、「10月下旬にも解体されることになった」というので、きのう行ってきました。

 「名取市が一時、震災遺構として保存を検討したが、民間施設ということもあり断念」とのこと。 確かに日々変身している閖上地区で、今となってはこの建物は何かこの場所にそぐわないとうきがしないでもありません。

 閖上地区は、一体が数メートルも嵩上げされ、高層の住宅も建ち、道路も見違えるほど広く立派なものとなっています。7年7か月前のことを全く知らない人が日和山周辺を見たら、なんでこんなおんぼろな建物がここにあるのかと思うかもしれません。

 それほどの急激な周辺の地上構造の変化です。 でもすべてが近代的になればそれでいいのか?何のための工事や建設か?そういう命題が忘れ去られていくように感じてしまいます。それでいいのか?!

 7年以上も経っているのですから、その間にいい知恵を出せなかったのか?それが残念です。 そういうこともありまして取り壊されることになった佐々直の旧工場、かまぼこの工場をしかと目に焼き付けてください。 くどいくらい写真をアップします。

 

 日和山から南方面を見たものです。↑     ↓佐々直の旧かまぼこ工場

 

 鎮魂の碑  この高さまでの津波が押し寄せたということです。 9メートルです。

 

   北側

  北西角

  西側

  西南角

 まわりの木は桜の木です。

 

  南

 

  南東角

 

 

 

 

 

 

 

 解体せずに周辺にマッチした形で、震災遺構として保存できなかったのか、悔やまれます。残念です。惜しいです。 そんなに英知、叡智、叡知を結集して将来の、未来の世代になんとかして引き継がれなかったのか。

 周辺に近代的な建物、道路、防潮堤だけが残れば、あの大災害のことを伝え続けていくことはもはや不可能となることは残念ながらもう必定です。そう思わざるを得ません。 

 でも、まあ、この周辺は震災メモリアル公園になるそうですが、それでもなんとかして広島の原爆ドームのように形あるものとして残せないものでしょうか。

 日和山、鎮魂の碑、寄り添いお地蔵さん、そして旧かまぼこ工場これをセットとして何とか工夫して残せないものか・・・・・。割り切れません。やり切れません。

 みなさんはどう思いますか。


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