鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

感動の、

2018-10-13 16:25:43 | 思いつくまま

 この前これが最後と書いたばかりばかりなのに・・・・・。

 これが最後となります。文句なしに美味かったです。 また来年、会いましょう、よろしく。

 

   甘露煮はまだあります。   

 

   

             (午前9時過ぎ)

 もう10月も中旬、秋本番。テレビのニュースで気仙沼の大川で鮭漁が始まったと言っていました。でも去年よりは1週間遅れということです。 そういえば、きょうから隣県の山形県でも寒河江川でサケの調査捕獲が始まったはずです。

 

 最上川第2漁協のホームページでは10月13日と14日、20日から22日、26日から28日が一般釣り人が調査捕獲できる日となっています。去年初めて寒河江川のサケ漁を見に行きましたが、何ともはや豪快な釣りで、見ていてとっても楽しかったですね。できたら今年も行ってみたいものです。

 

 

 きのうのことになります。夕方久し振りに映画を見に行きました。仙台フォーラムで、樹木希林さんの追悼上映をやっているからです。 「あん」 「海よりもまだ深く」 「わが母の記」 等8作品を上映するようです。

 

 きのう「あん」を見に行くきっかけというか背中を押してくれたのは、新聞の記事ですね。「社説 余滴」に高木という女性の社会社説担当者が希林さんのことを書いていたからです。「あん」のことを中心にいろんな裏の情報を知ることができました。

 

 どら焼き屋が舞台となって物語は進展するのですが、小豆をもとに美味しいあんを作るシーンが丁寧に描かれています。いかにも美味そうなにおいが画面から漂ってきます。こういうところが女性監督の腕の見せ所なのでしょうか。

 

 小豆と一対一で対等に関わり、話しをしながら聞きながら煮ていく様子は、そこまですれば自ずと美味しく出来上がるだろうなあと思わせます。 

 

 でも映画の中心はやはりらい病、ハンセン病のことです。ハンセン病ではあっても外に出て働いてみたいという「徳江」(希林)、実際に働き始めて、どら焼きのあんこの美味いという評判が広がり、売れ行きも順調でしたが、徳江の不自由な指、不自然に曲がり固まった両の手。

 

 そこかららい病ではないかといううわさが広まり、お客は遠のいていく。 ハンセン病の療養所での入所者と訪問した二人の会話、顔の表情。なかなかのものです。さすが役者、俳優はすごいなあと改めて思った次第です。

 

 「私たちは死んでもお墓に入れない」 「ひとりひとり木が植えられる」 徳江はすきなソメイヨシノという桜の木です。   神谷美恵子さんのことを思い出しました。みすず書房から神谷美恵子著作集が発行されましたが、いまは手もとにはございません。すべて手放しました。

 

 彼女も精神科医としてらい病・ハンセン病に深く関わってきました。患者のために献身的に働いてきました、瀬戸内海の療養所長島愛生園でしたか、そこの入所者(隔離者)とのことを優しいいたわりのある言葉で書いてきました。

 

 今でも忘れられないことばがあります。 『なぜ私ではなく、あなたなの?』 社会のみんながこういう気持ちを持てるようになれば、社会はいい方向に向かうと思いますが、現実はますます強欲資本主義に侵された金儲け主義がはびこり続けるでしょうね、残念ながら。

 

 思いでついでに、むかし昔のことですが西宮に住んでいた時に長島の近くの町にフラッと行ったことがありました。名前は思い出せません。昔の日記を紐解けば分かるのでしょうが、どこに仕舞われているか分かりません。

 小さな港町でしたが、海岸沿いを歩いているとなぜか?地元の青年と仲良くなり、彼の家に連れて行かれました。お互いにまったく見知らぬ同士です。そして彼の家で歓待されたのです。歓待というか、捕れたばかりの瀬戸内海の幸を出されたのですね。

 とくにその町の特産品なのかなシャコエビをいっぱい出されました。でもそれまで私はシャコエビなるものは食べたことがなかったですし、もともと食わず嫌いが多い方で、なんでも美味しく食べるということは不可能なその意味ではつまらないニンゲンでした。

 でもそこに集まった加齢がいの若者たちもいて、なぜか盛り上がったことがありました。その港町からは長島が見えたはずです。ほぼ50年前のことになるでしょうか。いやはや呆れかえられることでしょうね。

 映画「あん」のことから脱線していきました。 映画館内にあったチラシの言葉です。(フォーラムには希林さん自筆のサインのポスターが2枚あります。)

             

 『私たちはこの世を見るために、聞くために、生まれてきた。・・・・だとすれば何かになれなくても、わたしたちには生きる意味があるのよ。』

                  


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