(午前9時30分頃)
きのうほどではありませんが、きょうもとっても過ごしやすい一日でした。風もなく暖かく、かと言って暑すぎることもなく、空にも雲がありいい休日だったのではないでしょうか。
26日から博物館で始まった戊辰戦争150年の展示会に行こうかと思ったのですが、毎日が休日の身としては何も混むであろう休日に行かなくてもいいのではないかと思い直した次第です。
(これは中洲の本流側から下流を見たもの)
古希を過ぎた人間は平日にこそ見に行くべきでしょうね。自ずとそういう役割分担も、お互いの世代間の思いやり?というものかもしれません。楽しみはとっておきましょう。でも2回は行くつもりでいます。
(こちらは中洲の本流側から上流を見たものです。)
ということで午前中と午後の2回蜂谷というおおきい渋柿の皮をむく作業とビニールひもでくくって吊るす作業を行いました。これは男(夫)の仕事となっています。 でもこれは結構大変なんだな、ろくろみたいな機会があってそれでむくのであれば簡単なのでしょうが、果物ナイフで1個1個むくわけです。
(これは午前中皮をむいて干したものです。午後もほぼ同数の柿を干しました。その他に10個ほどドライアイスで渋抜きに挑戦しています。)
それでなくても左手の小指は9月28日の転倒による多分骨折で自由がきかないのです。小指が使えないというのは、不自由というのは結構不便なものです。一つ覚悟しました、もうギターは弾けないと。左小指を抑えないコードだけであればまだしも、結構小指を使う重要なコードは多いのです。
痛みは消えません。そのままにしておけばまあいいのですが、少し曲げたり、何かの拍子に逆に力が加わったり知ると、痛いのなんのって、もう涙が出てきて飛びあがりたくなります。何で病院に行かないのかというかも知れませんが、1回行ったことがあるのです。
でも1時間半以上待ってもあと4人待ちとかいう状況でしたので、帰ってきました。まったく我慢できないわけではないし、どっちみちもう治らないだろうし(なぜかそう思うのです)、このまま固定するのを待つしかないだろうという諦めの気持ちがあるのですね。
この根底には、古希過ぎまで生きればニンゲンの身体はあちこちガタがきて当然だろう、ちょっとおかしくなったからと言って、若かりしときのような身体になるなんてことはそもそも無理であろう、という気持ちがあるようです。
目だって色々症状が出てきています。時々眼を開いていられないような感じにもなるし(20分前後で戻るのですが)、飛蚊症なんてもう何とも感じないし、ときどき部分的に陽炎が漂うような感じにもなったり、・・・・。
まあ1回は眼科医で見てもらう必要はあるかなと思わないでもないですが、加齢に伴っていろいろ不都合が生じてくるのはごく当たり前と達観すればそれはそれで受け入れられないこともないようになったりして、こんなことを感じるのはおかしいでしょうか。おかしいんだろうなあと自分で思わないでもないです。
まあ何も率先して老人医療費を節減しようと思ってしている行動ではございません。面倒くさいという気持ちも少しはありますね。もう十分生きてきたという気持ちもあるのかなあ~。 何か話しがへんな方向へ行ってしまいました。
(堤防沿いの渋柿です。熟し始めています。)
いやあきのうから始まった日本シリーズ、最初から延長戦ですか、延長戦の結果2-2の引き分けなんてきょう以降どうなることやら。 何にしても広島が思った以上に善戦しているというか、伸び伸びと戦っているのでこれはもしかして?という気になってしまいます。