鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

どこ行った?鯉のぼり

2020-05-05 17:14:21 | 思いつくまま

 (今朝は6時30分頃の散歩です。)

きょうは変な天気でしたね。日中は結構暑いというか暖かかったのですが、午後4時になったらがくんと気温が下がってしまいました。風も強く吹いたり。このくらいの風があれば、鯉のぼりにとっては絶好の向い風なのになあ・・・・。

午後3時の気温が24.5度なのに、午後4時は15.8度となっています。変ですねえ。ちなみに最高気温は2時24分記録の25.0度のようです。ということは辛うじて夏日となったということですか。

きょうはこどもの日ですね。と同時に立夏でもあります。いやあ、立夏かあ~。まあこのところの気温はまさにそう思わせる気温となっています。こどもの日ということからか、きょうの折々のことばはこういうことを紹介しています。ラ・ブリュイエールという17世紀の作家だそうです。

『 子供たちには過去も未来もない。で、これは我々には殆どないことだが、現在を享受する。 』 解説は、≪成人は、・・・意識はいつも「まだないもの」「もうないもの」に向かう。子供は「現在」、つまり今ここに在るものしか眼中にない。とすれば、それがなくなるかもしれないという喪失の不安こそ、子供が子供でなくなる最初の一歩なのか。≫

確かに私はつねに過去の行為を悔いているし、よかったむかしを懐かしんだりしています。未来に夢を描くことはもほとんどないけれど、何らかの備え等はしていますね。でも子どもには常に”現在”しかない、それほど現在が大切なものであるのであれば、今の子どもの状態は最悪ということになりますね。

友達と思いっきり遊べない、みんなで一緒にワイワイと勉強もできない、まさに最悪の状態に置かれてる。どこにもエネルギーの発散をする場所がない。幸いにもこの辺には広瀬川の緑地帯があり、その気になれば思いっきり体は動かせます。でもじゃれ合ったり、大声を出したり、一緒に勉強ができない。

大人たちは子どもたちの権利に改めて思いを馳せなければなりません。「児童は、人として尊ばれる。  児童は、社会の一員として重んじられる。  児童は、よい環境のなかで育てられる。」

こどもの日といえば端午の節句、鯉のぼりですが、その鯉のぼりを今年は見ていません。この周辺で。どういうことでしょうねえ。子どもがいないわけじゃない。男の子も結構いる。でも鯉のぼりははためかない。さみしい。

家庭で持っていないわけではないような気がするのですが、出すのが面倒臭いとか、子どもがもう要らないといっているのか、何かいかにもじわじわと衰退していく日本社会を反映しているかのようです。人口減少が端的に表しています。

 

総務省の発表によると、4月1日現在の15歳未満の子どもの数は1512万人と、前年と比べて20万人減っているそうです。減少は39年連続となり、記録がある1950年以降で最少とのこと。人口に占める子どもの割合も12.0%で、46年連続での減少といいます。

 

少子化、少子化と少子化を何とかしなければと騒がれては来ましたが、どんな方策も効果はなく少子化に歯止めがかかっていません。つまりは本当に真剣に対策を考えることがないまま、経済成長、経済発展、経済効率第一主義に走り、子どもを産み育てることができない社会になってしまったということですよね。

もう今は日本民族として子どもを産み育てていこうという、民族としての暗黙の共通理解というか、DNAがなくなってきているのでしょうね。まあこれも自業自得か、なんてやけっぱちな気持ちになったりして・・・・。

 

せめて写真だけでも鯉のぼりを眺めてみたいですので、2015年の「青い鯉のぼりプロジェクト」の鯉のぼりを再掲させていただきます。このプロジェクトは、伊藤健太さんが先の大震災で亡くなった弟のために全国から青い鯉のぼりを集めて青空に泳がせたものです。

 

 

 

 


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