今午後2時30分ですが、まだ、正式に緊急事態が解除されたというラジオもニュースは入ってきていません。まあ宮城県は愛媛県とは異なり、解除は間違いないでしょうが、解除されてから日常生活が戻ってくるまでの間が問題ですね。ソフトランディングできるのであればいいのですが、そう簡単にニンゲンの楽観的な希望が叶うとも思えませんし、果たしてどう推移するのか、気が抜けません。
まずは学校が順調に再開されて、学校周辺でコロナが蔓延拡大しないように細心の注意を払ったうえで、遅れに遅れている授業を順調に消化していけれいいのですがね。元気に集団登校できるような環境が早く整ってくれればいいですね。
わたしも早く交差点に立って子どもたちと元気にあいさつを交わしたいものです。せっかく仲良くなれたのに、3か月も経ってしまうと忘れ去られないか、影の薄い存在の私としてはそれが心配です。
世界6月号 連載127 片山善博の「日本を診る」
≪コロナとの闘いから見える首相の言葉の“耐えられない軽さ”≫・・・(抄)
『 「あらゆる手を尽くします」などとする安倍さんの発言を真に受けるから腹も立つ。巧言令色鮮(すくな)し仁。首相は原稿に書かれている美辞麗句を、身振り手振りをつけながらただ読み上げているだけ。ひょっとするとその内容や意味をよく理解していないのかもしれない。理解できていない言葉に責任感など伴うはずもない 』
(左右にあるカンニング用のプロンプター、これがないとまともにしゃべられないのでしょうね。自分のことばで、抑揚をつけて、語りかけるなんて無理なのでしょう。ブログ主 注)
『 ちなみに、この会見(2月29日の会見)では、自ら発した一斉休校要請の根拠や意義についてじっくり説明するのかと思いきや、一方的に原稿を読み終わり、続く質疑の時間ではあらかじめ示し合わせた数人の記者からの平凡な質問に対して、やはりあらかじめ準備された答弁原稿を読み上げただけで、そそくさと会見場をあとにした。とにかくこの人は自分の発した言葉に対して責任ある姿勢を示すことができないのだと、あらためて多くの人が認識する機会になった。 』
『 政治家は言葉を武器に闘う。その際、自分が言ったこと、約束したことをちゃんと守ることがとりわけ重要になる。それを守らない政治家の言葉は単なる音声に過ぎず、武器ではない。模造刀のようなものだ。誰もその言葉を信じないし、その政治家に信頼を寄せることはない。 』
『 これまで、安倍政権は福島の汚染水処理問題でも森友・加計問題でも、根拠を欠くいい加減な説明を重ね、それを国民がしつこく咎めだてしないのをいいことに、言いたい放題、やりたい放題を繰り返してきた。ところが、マスクは一人一人の命と健康にかかわることだから、国民は首相のは発言を覚えているし、そのいい加減さを咎めだてせずにはおかない。 このたびばかりは首相の言葉のあまりの軽さと無責任さに多くの国民が気づいたのだろう。それが「布マスク二枚」への皮肉と冷笑だったと知るべきである。 』
この片山善博という人は、全鳥取県知事で、もと総務大臣を経験し、現在は早稲田大学の教授です。この人の言うことは誠にもって実にそのとおりであります。 その後皆さまのところにはありがたい極上の布マスク2枚、届きましたか?
またこの人の言うことも奥深いというか、時流に流されない、自分できちんと考えられたものであるがゆえに納得させるものがあります。ちょっと長くなりますが、12日の朝日新聞の記事を引用させていただきます。養老孟司さんです。
『 寄生虫は宿主が死なないように配慮している。寄生虫が宿主にとって致命的になるのは矛盾である。なぜなら宿主の詩は自分の死を意味するからである。寄生虫が致命的になるのは、宿主を間違えた場合が多い。寄生虫ほどに「高等な」生き物になると、宿主を生かさず殺さず状態にして、事故と子孫の保全を図る。ウイルスの場合も最終的には似たことになるに違いない。ヒトは適当に感染し、適当に病気になり、適当に治癒する。これならウイルスはヒト集団の中で生き続ける。ヒト集団全体を滅ぼしてしまっては、共倒れになってしまう。「新しい」ウイルスとは、新たにヒト集団に登場し、そこに適応していくまでの過程にあるウイルスである。コロナもやがてそうなるはずで、薬剤が開発され、多くの人が免疫を持ち、一種の共生関係が生じて、いわば不要不急の安定状態に入る。
ヒトとウイルスの、不要不急の関係がいかに深いか、それはヒトゲノムの解析が進んで分かったことである。・・・。ヒトゲノムをとっても、そのほとんどが不要不急である。・・・。そういうことであれば、むしろ要であり、急であることが、生物学的には例外ではないのか。・・・。コロナ問題は、現代人の人生に関する根源的な問いを、いくつか浮かび上がらせた。不要不急という言葉一つをとっても、さまざまな意味合いを含む。右(上)の内容は、この言葉から私が連想したことを述べただけで、政治家が言う不要不急と関係がないことはわかっている。さらに現在、要であり急である仕事に携わる人には、不適切な発言と思われる可能性がある。しかし人生は本来、不要不急ではないか。ついそう考えてしまう。老いるとはそういうことなのかもしれない。 』
ここまで達観出来たら素晴らしいとしか言いようがない。なんか悟りを開いたかのようにさえ感じます。