鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

またもや生演奏!

2006-10-16 21:38:14 | お知らせ

 小学校の社会学級主催の「秋のコンサート」に行って来ました。聞いてきました。ピアノとバイオリンの演奏会なのですが、バイオリン奏者には参ってしまいました。

 まだ12歳、12月に13歳になるというまだまだ声変わりもしていなくて、子どもっぽさが残る中学1年生の男の子、男の生徒というべきか。お母さんが言うには秋になって身長が伸びてきたというけど、いまどきのほっそりとしたか弱そうなやさしい、世のお母さん方の心をくすぐるような感じの、有名かつ実力があるのにとってもシャイな男の子です。

 

 経歴が凄い!2004年11月第58回全日本学生音楽コンクール全国大会第一位のほか毎日新聞賞等4つの賞を受賞、2006年4月ユーディ・メニューイン青少年国際バイオリンコンクール第一位、プラハやパリでも演奏。

 お母さんから聞いたところによると、バイオリンは親が勧めたものではなく、自分でやりたいといってはじめたとか。それも本人が2歳半くらいのときに聞いたバイオリンの旋律がいつしかインプットされていて、共鳴するものがあったのでしょう、5歳になったときに自分からバイオリンを習いたいと言ったといいます。 才能がある人はやはり違いますね。

  演奏曲目は、聴衆が幼稚園児から小学生、及び保護者(聴衆によって3つの時間帯に分類しました。)ということもあって、グノーの「アヴェ・マリア」、モンティの「チャ-ル・ダッシュ」、ヘンデルの「ソナタ1番」、J・S・バッハの「無伴奏ソナタ1番」、そしてマスネの「タイスの瞑想曲」でした。

 バッハの「無伴奏ソナタ1番」以外はピアノの伴奏つきです。当たり前か。でも、このバッハの「無伴奏ソナタ1番」は大人でも演奏するのは難しい曲とか。

 でも、もっとびっくりしたのは、「ソナタ1番」の演奏のときか、後で言われて分かったのですが、途中で4本の弦のうち1本が切れてしまったのだそうですが、その分を別の弦でカバーして演奏したというのです。聞いていた方としても、全く慌てた様子も見られなかったし、後で聞いてびっくりしてしまったという次第です。

 

 演奏後の会食のときお母さんが言っていましたが、演奏中に弦が切れたことは今までなかったが、今後のことを考えると、今日いい経験をしたと。これからの長い演奏生活で、弦が切れるということは十分にありえるわけですから。

 お母さんは面白い人で、こんなことも言っていました、「あの人は今」とかに出るようになったりして・・・とか。

 

 12歳の天才?少年バイオリニスト、その名は「郷古(ごうこ) 廉(すなお)」(1993年生まれ)。注目していきたいと思っています。皆さんも、頭の片隅にでも記憶しておいてください。

 

  写真は、家から歩いて20分くらいのところにある武家屋敷の門構えです。中は駐車場となっています。この件は、次回に。


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釣りました。

2006-10-15 22:01:55 | その他河川

 全く問題のない、文句のつけようもない、申し分のない天気。 風もなく、ほどほどに雲があって、暑すぎることもなく、絶好の釣り日和。

 親子一緒のはぜ釣り。場所は太平洋がすぐ近くの貞山掘。

 その昔、伊達政宗が藩内でとれた米を江戸に運搬するために掘り進んだ運河です。基幹の部分は建設開始から60余年で完成したのですが、最終的に石巻まで完成したのは明治に入ってからとか。

 

 はぜ釣りですが、釣り開始前の試し釣りを行ったときのことです。4.5メートルの10本組の細い渓流竿(昔のやつで、グラスファイバー製です)、ミチイト1.5号、ハリス1.0号、ハリはがまかつのはぜ8号。うき釣り。

 どのくらいの底をとればいいのか分からなかったので、はじめは1.5メートルくらいのうき下にして、餌のアオイソメをつけて投入。潮が満ちてきているためうきは北側に流される。すぐにうきがあたりを示すも、かからず。

 2回目のあたり、うきがやや大きく2回ほどピクピクと沈んだためあわせをくれてやると、大きな手ごたえ。細い渓流竿が大きくしなる。これは凄い!!超大物だ。すぐに多分ぼらか、うぐい、またはニゴイかと思いましたが、なかなか上がってこない、姿を見せない。少し手前に引き寄せたかと思うと、一気に中央に逃げていこうとする。

 大きくしなる竿を右に左に寄せたりしながらの大物との格闘。仲間も見ているので、何とか取り込みたい、子どもたちにもこんな大きな魚がいるのだということを見せて実感させたい。

 どれくらいやり取りしたか??もう嬉しくて嬉しくて、竿から伝わってくる強い引き、応えられない!!敵は右に左にまた奥にと必死に逃げようとする。そうこうするうちに何とか手前の、角ばった石が一杯入っている浅いところに持ってくることに成功。そこで網で掬ってもらう。

 ニゴイでした。軽く50cmオーバーです。

 鮎釣りをしていても何回かニゴイがかかり、格闘の末ニゴイを取り込んだことがありますが(大抵は悪戦苦闘し、引きずり回されてプッツンが多いのですが)、そのとき以上に大きいものでした。よく竿も糸ももったものです。細くて柔らかかったからでしょう。

 よもやはぜ釣りをして巨大なニゴイがかかるとは思いもよりませんでしたが、嬉しかったです、興奮しました。

 

  肝心のハゼはマハゼはほとんど釣れず、何とか言う黒っぽいハゼ?が一杯釣れましたが、まあ私としては参加者の皆さんには申し訳ないですが、5cmからせいぜい10センチのハゼはもうどうでもよかったのです。

 というか、ハゼは小さすぎるということもあるのでしょうが、合わせがこんなにも難しいとは思いませんでした。ピクピクというあたりで竿を上げても絶対に釣れません。うきにあたりがあってから5秒から10秒くらいも待たないとかかってくれません。

 ハリを飲み込めない、餌のアオイソメのハリからはみ出した部分をつついでいるためなのでしょうか??こんなにもあわせが難しかったのか・・・。完全に向こうあわせのほうが確実にハリがかりするといっても過言ではないようです。

 写真の奥の貞山堀で釣りを楽しみました。付近には乗馬コースがあります。


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昨日は・・・。

2006-10-14 22:23:34 | お知らせ

 昨日は失礼しました。どうしたのだろうと心配してくれた人がいたら?感謝します。実は何のことはない、疲れて眠くなってどうしようもなくなり、8時には寝てしまったというわけです。

 セールスや会議で午前午後ともよく歩いたので、疲れてしまったのでしょう。歳なのでしょうか?情けない限りです。これでも河原に行ったら、川に入ったらこれでもかというくらい歩き回るのですが・・・。

(歩きまわるということは、釣れていないということ、川を見る目がないということになるのかも???)

 

 今日は突然入手した(=もらった)チケットで夫婦で何とJAZZの生演奏を聞いてきたところです。「テナーサックス最高峰プレイヤー川嶋哲郎QUARTET JAZZ LIVE 2006 SENDAI」 

 もちろん我々夫婦はジャズのことなんか全く分かりません。聞いたこともありません。が、妻が町内の人から貰ってしまったというので、5000円もするチケットだし、聞きに行かないともったいないし、悪いのではないかということで、夕食後出かけたというわけです。18:30から20:50まで、途中休憩を挟んで実質二時間の演奏でした。

 

 皆さんは、川嶋哲郎というサックス奏者はご存知ですか?チラシによると、富山県出身で、スイングジャーナル誌の人気投票テナーサックス部門では1999年より現在までNo.1を独走しているという人らしいです。

 ピアノは秋田県出身の納谷嘉彦、ドラムは横須賀市出身の力武誠、ベースは当初は安ヵ川大樹でしたが、体調不良ということで佐々木悌二という仙台市出身者でしたが、いずれも経歴は素晴らしい人たちです。 ギターもあるのかなあと思っていたらありませんでした。

 会場は小さい(141(いちよんいち)6階のスタジオホール)ので、それなのにそれぞれの楽器にはマイクが備え付けられていたので、迫力は満点でした。

 聞いたことのないオリジナルのジャズにはいまいち乗れませんでしたが、日本の曲を編曲したメドレーでは十分に楽しませてもらいました。あの曲がジャズにするとこんなにも変わってしまうのかとびっくりしながら聞きほれました。

 

 「初恋」「北上夜曲」「見上げてご覧夜の星を」(これが題名?)「春の小川」あと2曲くらいあったけど思い出せません。それぞれの曲は2分もあるかないかですが、ジャズにするとそれが10分以上にもなってしまう。すごいものです。

 「見上げてご覧・・・」はつい最近書いたので省いて、今日は「北上夜曲」です。

 正統派としては和田弘とマヒナスターズですか、でも、私にとって「北上夜曲」となるとどうしても編曲というか、替え歌が思い出されます。しかもそれは私が学生時代のことです。

 青島幸夫(参議院議員になる前の)が女性(遠藤やす子(だったら永六輔になってしまうか)ともっていたラジオ番組で、多分11時45分くらいからの放送だったと思いますが、その中で「北上夜曲」が流れ、終わったあと、青島がこれにはこういう替え歌があると言っていたのを覚えて、それが今も記憶しているということになります。昔のことはよく覚えています。

 それは、「においやさしい 白百合の 揺れているよな あの瞳 思い出すのは 思い出すのは 北上河原の せせらぎよ(?)」の「白百合」「あの瞳」「せせらぎよ」(?)を全て「臍の下」にするというものです。これが実によくあっているではありませんか?

 どうですか?一回しか聞かなかったのですが、すっかり気に入って記憶して現在に至っています。

 皆様で面白い替え歌をご存知の方は、コメントしてください。

 ただし、ユーモアがなくえげつないものは遠慮します。

 

 写真は、広瀬川堤防の花です。名前は知りません。


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紙鉄砲

2006-10-12 23:06:43 | お知らせ

 写真はご覧の通り、紙鉄砲です。これも、チャカポコ同様町内のお祭りでのイベント、造作コーナーで作ったりしたものです。

 

 太くて、きれいに色が塗られているのは、お祭りの後で自宅で着色してきれいに仕上げたものです。太いので、上手く飛ぶと(なかなか上手く飛んでくれない!!!)いい音がして凄いものです。

 

 このところ子どもに作らせている紙鉄砲は、着色された太い紙鉄砲に直角に置かれている細い紙鉄砲です。竹ひごは2ミリ幅ですか。河原に自生している笹竹を材料にしています。笹竹は本当に生命力が強くて、河川敷の草木がきれいに刈られても、翌年には生えてきたものです。

 河原の笹竹を切ってきて、全体で25から30cmくらいにカットし、更に節から7、8センチ位のところから二つにカット。節のあるほうの笹竹に竹ひごを差し込んでおしまいです。

 厳密には竹ひごの方がさやというかカットされた長いほうの竹よりも1センチから1.5センチ短くします。後はそこに水で濡らしたトイレットペーパーを詰め込み、それを奥まで押してやり、二度目の紙で先に入れた紙を勢いよく飛ばしてやるというものです。

 

 飛ぶときにとってもいい音がするんですね。乾いたポンという音やカチン、パチッという音もしたり、そのときの空気圧によるのでしょうか。

 子どもに見よう見まねでやらせると、どうしても二個目を押してやるときに、手を挟んでしまうのですね。

 

 皆さんの中には、紙鉄砲ではなく、杉鉄砲で遊んだという人がいるのではないでしょうか?

 杉の実を口の中で唾液で濡らして飛ばしてやるというもの。杉の場合は、竹ひごではなく、太目の針金を使ったりしたような気がします。

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あゆチームトーナメント

2006-10-11 16:06:13 | その他河川

 今週から7070CH、釣り専門チャンネルで放送しているのですが、今年初めて開催した「オール ジャパン 鮎 チーム トーナメント 2006」、なかなか面白かったです。プロ・アマを問わず、メーカーを問わず、こういう大会を開催するのは鮎釣りを広めるためにもいいのかも。

 

 時は9月16日。「Yuji Style 3」のときに少し触れたものです。

 場所は那珂川、黒羽地区の4キロ区間。 参加者は3人一組で、144チーム、432名というから凄い。そのうち、8チーム24名がメーカー推薦のチームで、「ドリーム・チーム」といわれている。

 

 主催は、鮎釣りチーム実行委員会。大会事務局委員長はシマノ。

 個別には、主催メーカーとして、シマノ・オーナー・ホクエツ・シモツケ。特別協賛が、がまかつ・モーリス・サンライン・カツイチ。協賛は15社くらい。名前がなかったのは、ダイワくらいか。ダイワとしてはシマノ主催、中心の大会には出られないということか。残念です。

 ドリーム・チームの8チームの内訳は、ジャストワン・エクセルシオ・ACE・V-トルク・POWERS・メジャーブラッド・RSラシュラン・バリバス365。

 そうそうたるメンバーです。例えば、「ジャストワン」はオーナーのチームですか、(実際はシマノといっていいのかも)高松重春・小倉吉弘・小倉均の3人。「エクセルシオ」はがまかつですか。「ACE」はホクエツ。「V-トルク」はもしかしてダイワなのでしょうか?「POWERS」はサンライン。「メジャーブラッド」はシモツケ(下野)で、橋祐次・天野勝利・大金洋行の3人。「RSラシュラン」はシマノの精鋭で、島啓悟・小澤聡・小澤剛の3人。(どちらかが、「沢」です。)バリバスはその名のとおりバリバス。

 競技は、予選と決勝。3人の総釣果による。4キロの範囲をABCの3ブロックに分けて、3人のそれぞれが違うブロックに入って競い合うというもの。決勝には上位20%の31チーム93名が出場する。

 

  9月16日当日の那珂川は、冷え込みが厳しく、しかも平水より15㎝の増水。

  予選一位通過は、「RSラシュラン」総釣果33匹。ドリームチームはほとんど全てのチームが決勝戦に進出。

 結果は、一位は「RSラシュラン」総釣果32匹、二位は「ジャストワン」総釣果30匹、三位は「メジャーブラッド」総釣果28匹。順当なところですか。これにダイワが加われば、どうなったことやら・・・。

 この大会は、個別のメーカーを超えたメジャーな大会にしたいということで開催されたわけですが、「釣り技、マナーもさすがといわれたい」という小澤(沢)兄弟のどちらかの言葉が印象的でした。

 

 写真は、堤防の花です。

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NHK朝ドラ

2006-10-10 22:46:48 | お知らせ

 私の勤務は変則ですから、普通の人のように7・8・9日と連続した3連休ではなく、8・10・11日の休みです。それで、たまたまNHKの朝のドラマ「芋たこなんきん」を見ました。皆さんは見ていますか。別にドラマの内容について、云々言うのではなく、今日のドラマの中で出てきた「紙芝居」です。

 

  昔々自分も紙芝居を見たなあという、例によって昔の話し、思い出話しですが、まだ年齢が一桁だった時代のことです。

 家の周りには、空き地や原っぱがかなりありました。そして何よりも子どもたちが一杯いました。家の中よりは外で群れをつくって遊ぶのに忙しかった時代です。男女を問わず、また同年齢集団だけではなく、幅広い縦の集団で一緒に遊んでばかりいました。貧しかったけれども、元気がありました、活気がありました。

  そこで紙芝居ですが、紙芝居屋さんは自転車を漕いでやってきます。自転車には、紙芝居の道具一式と大きな太鼓(和太鼓ではなく、ブラスバンドにある太鼓)が積んであります。広場に到着すると、自転車を止め、太鼓を肩から吊るして、叩きながら町内を一巡します。もちろんお客(子どもたち)を集めるためです。そのときの太鼓のリズムがどんなものであったかは、思い出せません。ただ単にどんどんと叩いていたのかもしれません。

  自転車が止まっているところに戻ると、紙芝居の開始です。もちろん、無料ではありません。有料です。お金を払うと、近くで見られるということと飴というかせんべいというか、それにはっかを含んだ甘いゼリー状の物がぬられていたように思いますが、それをもらえます。(今思うと当時のことだからサッカリンとかもいパイ入っていたのかも)確か10円だったと記憶していますが。しかしながら、私は貧乏だったので、そうそう10円を払うことはできません。

 でもそこはうまくしたもので、自転車を中心にして5メートル?ほどの半円をかいて、お金を払った人は半円の中から、ただの人(ぺろんこ?でもこれは悪いイメージですね)は円の外から紙芝居を見るわけです。見るというのか見ながら聞くというべきか、とにかく熱中したものです。精神を集中して、おじさんの声を聞きながら、画面に見入っていました。

  けっこう見たようですが、今でも記憶しているのは、部分的というかほんの一部分というべきか、覚えていることがあります。

 

 ひとつは、「猿面間者」(さるめんかんじゃ)という忍者の物語。絵が上手で、猿面ということで確か豊臣秀吉のことを中心に物語が展開していったのではないかと思いますが、不確かです。秀吉の猿面がとてもうまく描けていたので、印象に残っているようです。

 

 もうひとつは、原爆です。私は原爆のことを知ったのは、本ではなく、学校でもなく、紙芝居でした。原爆の悲惨さがこれでもかこれでもかというくらい迫力のある画面で迫ってきました。また、おじさんの語り口も画面にマッチして、原爆の恐ろしさを訴えていました。あまりに強烈だったので、それだけ感受性が豊かだったからなのか?熱を出して、ふとんの中で唸っていたことがあったように記憶しています。

 当時は、原爆の悲惨さを紙芝居をとおして、子どもたちに伝えようとしていたのでしょうか。当時はそのくらい原爆は恐ろしい、もう二度と御免だという意識が国民全てに浸透していたということなのでしょうか。敗戦から10年も経っていないから、そういう空気が、そういう強い思いがあったのかもしれません。

 

  写真は、鬼畜米英からやってきたセイタカアワダチソウでしょうか。河原には一杯咲いています。

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ご存知ですか、チャカポコ。

2006-10-09 21:39:12 | お知らせ

 9月30日と10月1日の二日間、町内の縛り不動尊のお祭りがありました。このことは既にお知らせしております。30日のお祭りの前夜祭・イベントにて私は造作コーナーの担当として長年にわたり活躍してきたことも。造作コーナーのメインは竹でのものづくりで、いろんな物を作ってきました。

 

  写真は、チャカポコという、いわば竹の剣玉(けんだま)です。他の地方にもこれと似たようなものがあるのではないでしょうか?あるのであれば、是非ともこのブログにコメントをお願いします。

 考えてみると、このチャカポコなるものは私が子どもの頃からありました。木製の剣玉はとても手にすることはできませんでしたが、昔なら当然のこととして、できるものは何でも作る、自分で作って遊んだものでした。 

 チャカポコの他に、弓と矢、そり(雪と接する部分に火であぶって曲げた竹を使う)、刀、バットの代わり(三角ベースの野球がありました。ゴムのボールでしたが)、釣り竿、糸電話、ぶんぶんこま、竹馬、竹やりはないな、物干し竿、竹での柿取り、足踏み竹、・・・。

 

 このチャカポコは、よく考えられていると思います。節をうまく使っています。写真は糸、水糸がついていますが、別に糸は付けなくても構いません。なくならないためにも、首からかけられるように糸があったほうが何かと便利ですし、硬いところに落として壊れてしまうということも防ぐことができます。

 遊び方を説明するのはかなり困難です。節のあるほうを、細くした竹で受けるというのが基本ですが、その受け方は何種類もあります。基本は節のないほうの竹を手に持ちます。けれど、その逆もやってみるとおもしろいものです。その分面白くなります。

 このいわば昔からの伝統的な?遊び方を子どもたちに伝えていこうと努力しています。単に遊ぶだけではなく、自分で作らせて、自分の遊ぶものは自分で作らせるという方針で臨んでいます。

 作るためには、のこぎりを使いますし、ナイフも使います。鉈(なた)も使います。使わせるほうとしては、常にはらはらどきどきしていますが。幸いにも怪我がないのが救いです。

 

  「松の事は松に習え、竹の事は竹に習え」(松尾芭蕉) 

 「竹に上下の節あり。しなやかに生きるには人生においても節目を作っていくことが大切」(龍源寺・松原和尚)


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8日の花の訂正版

2006-10-08 21:47:57 | お知らせ

 先に書いたブログの写真は、5日に掲載していました。

 お詫びして訂正します。撮りだめしておいたために、どれを使ったか忘れてしまいました。 

 それで、花の写真を訂正します。

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心機一転?

2006-10-08 21:36:06 | お知らせ

 風は強いけど、快晴。気分がよかったので、思い切って床屋へ、散髪に行ってきました。今年からは、また、町内の同学年がやっている理容室に行くようになりました。何故か?

 可愛い娘が父親と一緒に理容室を経営するようになったためです。親父は敬遠して、娘にきれいに散髪してもらおうと思ったというわけです。

 娘は、結婚して子どももいます。彼はもう孫がいる爺いです。(とっても羨ましい!!)できることなら私も早く孫の顔を見たいものですが、まあ無理でしょう。来てくれる娘さんはいないでしょう、半ば(完全にではなく)諦めています。詳しいことは書きませんが・・・。

 それでも、孫ができたら、徹底的に可愛がって自分の味方にして、男でも女でも川に連れ出して、川に親しませ、川を好きにさせ、魚釣りを特別に伝授し、一緒に魚釣りをし、大きくなれば一緒に市外、県外に釣行したいな・・・そんなことを妄想したりしていますが・・・。

 

 今日は10月8日、前回の散髪は6月23日でした。これは神聖な鮎釣りが解禁になるために、さっぱりと髪を清めた?ものです。そして、今日はその区切りをつけるための儀式としての散髪ということになりましょうか。

 去年はどうだったか、ほぼ同じで、6月26日と10月11日でした。

 

 散髪中に聞こえてきた歌声、何と坂本九ちゃん、「見上げてご覧、夜の星を」でした。これを平井堅と坂本九が一緒に歌っているのです。もちろん合成なのですが、今の技術は凄いもので、本当に二人が一緒に歌っているかのようでした。二人の声色が何となく似ているし、丁度いいデュエットになっていました。

 坂本九が日本航空の旅客機に乗っていて、御巣鷹山で遭難死したのは22年位前ですか、丁度その時は一家4人で柏市の従兄弟の家にいて、次の日東京ディズニーランドへ行くことになっていました。ン?これは何か前に書いたことがある?ようなので、止めときます。

 

 写真は、「花は花でも堤防の名の知らぬ花われにとり」・詠み人知らず

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中秋の名月。

2006-10-07 23:03:34 | お知らせ

 昨日は中秋の名月でしたが、正確には今日だそうです。

 昨日は低気圧の影響でお月見どころか、ものすごい土砂降り、今日は午後からは晴れていい天気にはなったのですが、曇り空、月は見えません。(今日は仕事だったのですが、雨が凄かったので、妻に送ってもらいました)

 

 中秋の名月は、もともとは中国から広まったようですが、それにまつわるいろいろな行事があることを教えられました。九州は宮崎の風習が見られます。今日は、是非ともYodakinboさんのブログを開いて欲しいと思います。

  http://blog.goo.ne.jp/yodakinbog3 です。 

 一回開いたら、毎日開くことをお勧めします。

 

  今日は、メル友ならぬブロ友の紹介で終わりとします。(Yさんへ;そういうことで、紹介させていただきましたので、ご了解願います。)

 

  写真の花の名前は、例によって分かりませんが、広瀬川の堤防の花の一種です。

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雨に咲く花?

2006-10-06 21:30:29 | お知らせ

 この花も堤防に咲いていたもので、名前は知りません。今まで何回か紹介してきましたが、それらの花は自生しているわけではなく、誰かが、花壇を作ったりして丹念に丹精込めて、咲かせているわけです。タンポポとかは自生でしょうが。

  外は雨、低気圧の影響で強い雨風に祟られて?います。コスモスも背が高くなりすぎたので、風には弱く90度に咲いていたものが、45度から30度に傾いてしまったり、花も生きていくのが大変です。

 

 宮城県は明日にかけて土砂降りが予想されていますが、山形も雨で、寒さも加わり、これではもうどうしようもないなと諦めの心境へ急降下。

 でも、「及ばぬことと 諦めました だけど恋しい あの鮎よ ままになるなら 今一度 一目だけでも 会いたいの」   

 

 そういえば、さっき下で一人でテレビを見ていたとき、隣の部屋でどさっという音。なんだろうと行って見たら、中身の詰まったままのベスト、最上川用のベストが、ハンガーにかけて吊るしておいたのに、今まで一回もこういうことがなかったのに、落ちてきたのです。

 不吉。原因不明。(多分、ハンガーの左右のバランスが崩れたためでしょう。でも、ベストには肩に滑り止めがついているのですが。)早く、中身を軽くして仕舞ってくれと言うサインかも。

 

  年とともに、気力や体力も落ち、残りの人生も少なくなるのに、皮肉にも体重は増え、白髪やしみとともに欲望や不安も増えていく、気分は沈んでいく、これは一体どういうことでしょうか? 秋が物思いにさせるのでしょうか? 中秋の名月というのに。揺れ動く中年男の信条?心情。

 

 秋の夜長、これからは溜まりっ放しの、積読だけの本とじっくり付き合うことにしましょうか・・・。それにしても、この時期のテレビのつまらないこと、くだらないこと、こんなものに大金をつぎ込んで、ゴールデンタイムに放送する意味、価値があるのでしょうか?壮大な無駄です。

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落語・・・。

2006-10-05 23:23:14 | お知らせ

 この写真は例によって広瀬川の堤防の花です。名前はない、ではなく、知りません。

 

  山形釣り情報(YFN net)・・・「時期が時期だけに、今シーズンはほぼ終了と考えていいでしょう。なお、小国川での情報ですが、落ち鮎は年配の人も記憶にないほど数多いということです。来年も豊漁が期待できるのではないかと思います。」 

 出てしまった、遂に出てしまった、シーズン終了と。引導を渡されてしまいました。まだ、大丈夫かもという言葉が欲しかったのですが・・・・。

 

 先月になりますが、30日の朝日新聞。「上方落語に悲願の定席」「その名も『繁昌亭』大阪で80年ぶり」「市民の寄付で建設 小ぶり・身近な舞台」 上方落語界の悲願とも言われていた落語の定席「天満天神繁昌亭」。できてよかったと思います。

  この頃は(何十年もというべきか)ラジオやテレビで落語を聞かせるということはなくなりました。その昔、ラジオではよく落語をやっていたと思いますが。もちろん漫才もありましたが、両方セットというのが多かったかも。個人的には、落語も(上方も江戸も)漫才も大好きです。

 

 漫才コンビとしては、Wけんじ、中田ダイマル・ラケット・獅子てんや・わんや、もっといたのですが、思い出せません。やすし・きよし、ツービート、B&B、とかはその後ですね。

 今回上方落語界としては、80年ぶりに定席ができたということですが、実は私が関西にいたときに、短期間でしたが落語の定席ができていたことがあります。30余年前のことです。

 

 その頃の上方落語会の大御所は、桂米朝、笑福亭松鶴(しょかく)の二人でした。(露の五郎という艶のある噺家もいたなあ。)この二人が中心となって、上方落語をなんとか復興しようといろいろ努力していました。

 そして、南に、難波に教会を利用して「島之内寄席」を開設したのです。もちろん毎日開設ということではなく、1週間に1回くらいだったかな(もっと間隔があったかも)、若手からベテランまでが出て、熱演していました。

 今上方落語界で中心的に活躍している噺家連中は、このときは前座も前座を担当していました。桂べかことか。桂三枝だって今のようには売れてはいませんでした。

 だけど、ベテランから初心者?までが一丸となって何とかして上方落語の復興、その前に火を消さないようにしようと皆が頑張っていました。それがひしひしと伝わってきたと記憶しています。

 教会を使っての落語だから、広くはないし、音響もよくはなかったですが、それを補って余りある熱気が、演じる人からも聞いている人からも感じられました。

 平日の夜に開設したのではないでしょうか。会社を出てから、地下鉄御堂筋線でミナミ、難波へ行き、落語を聴いて、地下鉄、阪神電車に乗って西宮の甲子園まで帰ってきました。そういうこともありました。

 

 阪神と阪急が統合されることになりましたが、これについてはまた別に思い出を書いてみようかなと思っています。


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YUJI STYLE 3

2006-10-04 22:24:15 | その他河川

 この写真は、広瀬川の堤防で咲いていた花です。一見するとひまわりのようですが、なんでしょうか?

 

 FishingTV/707ch「2006鮎」の10月1日放送は、「Yuji Style第3弾」米代川の最大の支流「阿仁川」でした。彼はSHIMOTSUKE(大橋漁具)のフィールドテスターで、今回の阿仁川釣行も竿の新製品のテストを兼ねてのものです。地元のテスター後藤正博さんと二人で、渇水の阿仁川でテストを繰り返していました。

 

 時期は、9月の13日ですか。渇水ですが、平水よりも20から30cm減水しているとかで、確かに全体に浅く、石が一杯川から頭を出していました。川全体が、チャラ瀬のような感じです。

 場所は、阿仁前田地区。使用する竿は、来年発売用の9メートルの竿、248グラム。天井糸は0.8号。水中糸はナイロンの0.175号。ハナカンハリスは0.8号。ハリは7号・4本イカリ。 

 彼は、秋田県は初釣行だそうです。そのためや渇水のために、前半はかなり苦戦していましたが、パターンを掴んだ後は、さすがです。入れ掛りとなりましたが、そうなったのは、渇水で鮎がおびえていたために、ちょっとしたことで鮎は散ってしまう。だからということで、警戒心をいかにとるかが大切で、そのために彼がとった行動は、竿を10メートルのものにすることでした。

 

 それだけで、1メートルの違い、糸を入れれば2メートルか、他の仕掛けは全く同じなのに、入れ掛りを演じました。さすが、さすがです。

 しかもいい型の鮎ばかり。渇水の川から大きな鮎が、川全体を走りまくった揚げ句、水面ぎりぎり近くを飛んでくる。竿の設計は、24センチくらいまでは大丈夫ということでしたが、竿を大きくしならせ、ようやく浮いてきてタモに収まるという状況。見ているほうも手に力が入る感じでした。

 彼は若いのに嫌味がなく、好感がもてます。

  そして、翌々日の15日は那珂川に飛んで、翌16日のオール・ジャパン鮎釣り選手権(チーム対抗戦)の下見を行い、試合当日は、下見の結果が生きて3位入賞という結果でした。

 

 話は阿仁川に戻りますが、阿仁川というといい思い出はありません。米代川が大鮎の釣れる川ということで、全国に知れ渡ったころ、仲間で、3、4回釣行したことがありますが、(いずれもリバーサイドホテル泊=公園や河川敷にテント泊)そのときに阿仁川にも寄ったわけです。

 1回目はまあよかったかな、引きの強い鮎が釣れたのですが、3回目かな、わりと上流域に入ったことがあります。川幅もあまり広くはなく、大きな岩や大小の石が多い感じのところに入ったときのこと。

 全員右岸側から入川し、竿を出したわけですが、まだ1匹も釣れていないときのこと(私は)、何故か川の中ほどにきれいな青いビニール袋が見えました。なんだろう、じゃまだなあ、こんな大きなゴミを投げる奴がいるのかとあきれて、正義感が芽生えたのでしょうか?目障りだし早めに取り払っておこうと思って、ビニール袋に近付きました。

 

 そしたら、全体が青いわけではなく、半分は透明のビニール袋でした。それだけならなんのこともないのですが・・・。近付いて見てびっくり!!!

 何と赤ちゃんが入っているではありませんか!!!生まれたばかりといっていいような赤ちゃんが、裸のままでビニール袋の中に入っていました。もちろん死んでいたと思います。目をつぶって、両手、両足をがにまたの様に開いて(赤ちゃんはみなそうですが)いました。

 もう、びっくりしたのなんのって。きれいな川、きれいな流れの中に赤ちゃんの死骸が、ビニール袋に入っていた。何てことをするんだろう、生まれてしまったのであれば、捨て子として病院の前や福祉施設におくとか、そういう方法もあったろうに、最悪の場合でも、川に投げるよりはきちんと土のなかに埋葬するとかという方法もあったろうに・・・。

 釣り友にも確認してもらいました。とにかくもう釣りどころではなくなったので、早々に竿を畳みました。

 本来なら、川から引き上げたりするべきなのでしょうが、とてもそうする気にはなれませんでした。 竿を畳んで、近くの家に駆け込み、事情を話して警察に電話してくれるように頼み、そこから離れました。今のように携帯電話があれば、直接電話したでしょうが、そのころはまだ誰も携帯は持っていませんでした。

 翌日地元の新聞を注意深く読みましたが、赤ちゃん遺棄事件(堕胎事件)のことは記事にはなっていませんでした。

 そういうとても嫌な思いをした川でもあります、阿仁川は。

 合掌

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10月ですね。

2006-10-03 22:22:26 | お知らせ

 写真は例によって堤防の花です。なんと言う名前なのでしょうか?朝顔ならぬ昼顔でしょうか?

 

  私にとっては、今日3日が10月の最初の勤務日となります。7月から9月までの3ヶ月間は、いわゆるクールビズ(この言葉も、ウオームビズも嫌いな言葉ですが)ということで、ラフな格好での勤務がOKでしたが、10月からは普通に戻ります。今はどこでもそうでしょうけど。

 

 久し振りのネクタイです。何と窮屈なことか!!余計に熱さを感じてしまいます。さらに模様替えということで、夏服を止めたため、服が重く感じられ、暑苦しいです。まあ、慣れれば何てことないのでしょうが。

 

  今日はこのくらいでおしまいとします。

 明日は、1日に放送された「2006鮎」YUJI STYLE 3”阿仁川編”について紹介します。


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お祭りその2

2006-10-02 18:13:36 | お知らせ

 写真はお祭りにつき物の、子どもたちの行灯です。今はどこも子どもの数が少ないので、行灯の数もすくないのですが、その昔はこの何倍もありました。

 

 でも行灯の絵は時代を反映しているので、それなりに見て楽しいものです。この写真はまだろうそくを灯していません。夕方からは行灯のなかのろうそくに火を灯すと、夕映えに映えていい眺めです。風があったりすると、たまに火事になったりして・・・。火事といっても、行灯が燃えてしまうというだけ?ですが。

 

 昨日は、お祭り前日のイベントのことを紹介しましたが、今日は本番のおみこし渡御です。これもまたまた昔々のことになりますが、我々が子どもの頃には、それはそれは子どもたちが一杯いて、溢れんばかりといってもいいくらいですが、おみこしも稚児行列も人数が多く賑やかでした。

 

 町内会の役員は法被を着て、赤い布で襷がけをして、手ぬぐいを頭に巻いて万全の?体制で臨みます。 昔はおみこしを担ぐ子どもも一杯いて、元気なおみこしとなったものですが、今は周りの親が、親も頼りにならないので、関係者が先導役が景気をつけなければ、子どもたちもなかなか乗ってきません。

 

 単に「わっしょい!わっしょい!」いうだけではなく、昔はそれに加えて、「塩屋のけちんぼ、塩まいておくれ」なんてことも言ったように記憶しています。

 今はホイッスルで「ピッ!ピッ!」と二回鳴らした後「わっしょい、わっしょい」と同じく二回続きます。これを繰り返して、町内を巡るわけですが、大きい方のみこしは、担ぎ手は12人から14人必要です。小さい方のたるみこしは更に小さい子どもがかついでまわるものです。

 

 大人が先導役としてつくのは、大きい方のみこしです。毎年私ともう一人がが担当していますが、ホイッスルを鳴らしながら、電信柱や車等に注意しながら後ろ向きに歩くわけでかなり大変なことです。

 更に子どもの背の高さがバラバラであり、文字通り肩で担ぐ子どもは少なく、両手で持って歩くという形になりがちで、中にはおみこしにぶら下がったり、左右が均等にいかなかったりと、何かと気苦労が多いのですが、折角のおみこし担ぎ、渡御ですので、私は少々手荒く、活を入れて担がせたりしています。元気がないときは、怒鳴りつけたりもします。

 

 本当はおみこし自体を上下にゆすりながら歩きたいのですが、そこまでは到底無理なようです。 何人かはまじめに担いでくれますので、労いながら頑張らせたりしました。 約40分くらいかかって町内を回り、解散。解散の後は子どもたちにはお菓子等が配られます。

 

 そして、餅つき大会へと続きます。20キロくらいのもち米を4回から5回に分けてついて、無料で提供しています。種類は、あんこもち、黄粉もち、納豆もち、生姜もちですか。私は生姜もちが大好きです。あの辛さが大人用で、たまりません。生姜を摩り下ろして醤油をかけるだけですが、とっても上手い。お正月には生姜もちは食べませんので、年に一度だけの楽しみでもあります。

 

 その後はお祭りのあとかた付け。そして反省会。

  9月30日の午後から10月1日夕方にかけて、体力勝負といいましょうか、お祭りを盛り上げるために我々中年は頑張りました。体はがたがたです。ふらふらです。

 おまけに夜になっての集中豪雨。朝も雨。本降り。土砂降り。気分が滅入ります。さらに二人で行くことになっていたのが、釣り友が仕事の関係で急遽行けなくなったりしたため、体力、気力とも低下したままでしたので、とても山形に行く気にはなれませんでした。準備は万全でしたが。

 

 そんな訳で、最後になるかと思っていたアユ釣りは行けませんでした。これで年貢の納め時となるかどうか、諦めをつけなければならないのでしょうが、まだすっかり諦めたわけではありません。10/4~10/10までは山形県の全河川が禁漁となります、その後まだ釣れるところがあれば行こうかなと、思っている今日10月2日でした。

コメント (3)
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