第二次世界大戦後、花火が解禁された1948年8月1日と
東京の花火問屋で大規模な爆発事故があった1955年8月1日と
世界一とも言われる花火大会、教祖祭PL花火芸術の開催日(毎年8月1日)を記念して制定された。
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花火と言えば、ちょっと苦い思い出がある。
pochiko地方の温泉街、芦ノ牧温泉と言うところで
毎年、8月1日には鮎祭りと称して大きな花火が上がっていた。
今は不景気の折、花火大会が開催されなくなって随分になる。
あれは長女が生まれて一歳にもならないくらいの頃だったか
まだバリバリに若かった、じいちゃんとばぁちゃんと私ら夫婦に長女と…。
初孫に花火を見せてやりたいと、ばぁちゃんが提案!
友人が携帯で花火の写真を送ってくれた。
車に乗り込んで出かけたのだが、ばぁちゃんは張り切ってなにやら色々と作って
そうだ! スイカも持って行こうと…(おいおい スイカなんか食べないよ。)
しかし、そういう事は今だから言える事であって…(笑)
結局、私は長女のオムツやらで大荷物、夫がスイカを持っていざ出発!
すでに見処の良い場所は満杯状態で
車もトンネルの向こう側まで置いて来なければ、止める場所すらない状態。
臨時駐車場から、私は長女を夫はスイカ…ばぁちゃんは食べ物
じいちゃんはワンカップ係りか。
何とか良さげな場所を見つけて陣取って
ばぁちゃんが作った、ゆで卵だのいなり寿司だのって
お菓子やジュース…夫は運転手だったので飲めないでいるのに
じいちゃんは早速ワンカップと上機嫌。
いよいよ…暗くなって、花火が始まる合図がなって
第一発目があがった途端、あまりの轟音に長女が泣き出してしまった。
いくらあやしても泣き止まず、仕方なしなし荷物をまとめ
次々に上がっていく綺麗な花火を尻目に、大泣きする長女をおぶい、
ほとんど食べていないお弁当やらお菓子やら…しかもスイカのおまけ付きで
帰ってきた事があったっけ。。。
家に帰ってから、残ったお弁当を食べお菓子を食べ
夫もお酒にありつけた事だし、機嫌の直った長女にしてやられた思いではあったが
今考えてみれば、それもやっぱり懐かしく
あんな事があったっけ、こんな事もあったよなぁ~~って
思い出って良いもんだと、タイピングしながらニヤついている私。
あれから、すっかり懲りてしまって花火は遠くに望むもの、近くの花火は線香花火。
我が家の花火大会と言えば、お子ちゃま花火で満足で
時おり飛び交うホタルに歓声を上げ、花火の光が顔を明るく染めて
我が家の橋の上で、パジャマ姿の子等3人とランニング姿の夫の写真。
今はもうホタルさえ姿を見なくなってしまった…。
花が花火らしく見えるのはヒマワリかなぁ…。
