津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■文久三年「恕斎日録」(40)

2020-08-12 06:13:21 | 恕斎日録

298
  廿五日  昨日 平野殿へ高山秋蔵参り居候處 奥方ハ台子
       ニ被居候得とも 気付不被申躰被居候 平野殿へ
       ハ大木織部方被相見 隠宅ニ而咄被居候間 小子
       参候事申入候處 御用ニ而候ハヽ表へ被罷出可
       申 左も無之候ハヽ此方へ参候様被申候處 其内
       ニ小子者引取候間 今日ハ挨拶へ参り方可宜申
       候ニ付 今夕断ニ参り 昨夕ハ酔躰ニ而不都合ニ
       可被思召候段申向候處 酔躰とも不被存候 夫ニ断
       と申候者 兼而之庄右衛門とハ不被存候との事
299
       ニ付 頓而逢被申ニ付 右之
       段を申向候處 少しも左様不被存候 いつ帰候哉
       迚ニ而 今少し早く引留可申候物をと残念ニ被存
       候段噂ニ而一笑被致候事
  廿六日
  廿七日  今日ゟ寒入 所々廻勤
       今夕平野殿へ時候見舞参り候處 逢被申 近日ニ
       岩崎・入江・永屋同道咄ニ参り候様噂之事
  廿八日
  廿九日  今夕片山八郎兵衛ゟ猟之鴈振舞ニ而 同役中寄         片山八郎兵衛振舞
300                                                                                                                                  八郎助(後八郎兵衛)文久元年二月~慶応元年十月 八代郡郡代
       内参る事

  十二月朔日
  二日
  三日
  四日  
  五日   今夕高橋弥平ゟ時習館先生連案内ニ而 此方へ
       も案内いたし候ニ付小子も参る事
      一彦山座主 長州江一味いたし 浮浪人共集候御不         於小倉、彦山座主逮捕の風聞
       審ニ付 小倉公ゟ被召捕候段風聞ニ付 南関ゟ外
301
       聞を出候様 荒木甚四郎方ゟ演達ニ付 今日直
       早打難関江相達候事
  六日
  七日   今日日田ゟ早打着 同所百姓共御代官江不伏之         天領日田にて百姓強訴
       条有之 強訴いたし弐百人斗り豆田町ニ相集り                 参考サイト「まちあるきの考古学・日田
       其外一揆起り可申哉心遣ニ有之段申来 擁援を                 この後、肥後人にて旗本の窪田治部右衛門が代官となる。
       乞来候由なり
       右二付 今日荒木氏ゟ同役中咄合之上 奥江も申
       入 其上に而 尊聴をも可奉伺 其上に而同役中
       へも咄合可申候との事
302
       今日八ツ過 荒木氏ゟ小子を被呼立 被申聞候ニ
       者 日田百姓共騒立候儀ニ付 噂之趣夫々咄合候
       處 此方人数者 浪人躰之者共御陳屋を妨候御
       防禦として日差越置候 此前阿蘇・小国・久住在御家人之中
           五十人梅田・飯田引廻被差越置候事
間、御代官御政事苛酷ニ而
       一揆起り候 相手に成訳ハ無之候得とも 若御陳
       屋へ乱防いたし候ハヽ 下として上を犯候者を
       見逃ニいたし置候訳者無之候 乍併左様ニ成行
       候而も不相成候間 若百姓共御陳屋江押懸候埒
       ニ至候ハヽ 此方ゟ差留 庄屋共へも精々承り糺
303
       尤之訴訟ニ而候ハヽ 御代官様へ諫言いたし候
       ハヽ 御聞入ニも可相成 右ニ付同役之内一人御
       惣庄屋之内両人斗り 急々可被差立候段噂ニ相
       成候事
        右之通ニ付 翌々日 村上善九郎江日田表江御         善左衛門(善九郎)二百石、 文久元年三月頃~ 八代郡代
        用有之 容易澄次第致出立候様御達ニ相成 御
        惣庄屋之内 光永四兵衛 三村傅之助両へも同
        様被仰付 村上者 大津迄踏出候處 日田ゟ早打
        着 百姓共引取候由ニ付 村上共いつれも引返
        候様との御呼返ニ而引取候事
304
      一御触達
       今度於関東 鎖湊及談判候旨言上有之候間 攘夷
       之儀総而得 幕府指揮 軽挙暴発輩無之候様 諸
       藩家来末々迄可被示聞候事
         十日
       右之通 御所より被 仰出候間 諸藩末々迄 御
       主意之趣厚相心得候様 厳敷可被申付候
       右之趣 万石以上以下之面々江 不洩様早々可被
       相触候
         十日
305
       右水野和泉守様被成御渡候御書附写
       駄御御目附衆ゟ被差廻候
         十二月七日御達
  八日
  九日
  十日
  十一日  大濱町 一昨九日之夜九ッ前ゟ火起り 竈数三十         玉名郡大濱町火災        
       一軒焼失ニ及候處 海辺之事ニ付 今日ゟ火事跡           竈数(かまど数)=所帯数
       見分出在之事
       今日京泊り新井樋出来見分いたし候處 堅固ニ          京泊=横嶋村京泊
       而 御先代之御普請古井樋ニ少しもおとり不申
       候大石等ニ而築立候事 夫ゟ大浜町火事跡見
       分 暮ニ及小田会所泊

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■細川小倉藩(316)寛永五年・日帳(七月六~七日)

2020-08-12 06:10:11 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永五年七月)六~七日

         |              
         |   六日
         |

江戸ヘノ音信   |一、今日江戸へ被遣御鉄炮衆寺本八左衛門与河上加右衛門・桑原主殿与永嶺左兵衛・西沢文右衛門与
         |  手嶋作兵衛ニ、江戸御留守居へ被遣大成男文箱壱つ、又 三斎様御留守居衆へ貴田権内ゟ御用之
自徳院      |  儀被申遣候しふかミ包ノふはこ壱つ、式ア殿ゟ自徳院へ被遣文箱壱つ、我々ゟ三右衛門・織ア・
江戸御留守居へ  |  次太夫、此三人へ遣状壱つ、唐人三官ゟ、江戸ニ而三官宿へ銀子壱包、右三人ニ相渡申候、
         |                              寺本八左衛門与
         |                                 河上加右衛門 (花押)
         |                              桑原主殿与
         |   右之前、慥請取申候、以上                  永嶺左兵衛 (花押)
音信物請取    |                              西沢文右衛門与       (黒印)
         |                                 手嶋作兵衛 〇
         |
上方諸方ヘノ音信 |一、右三人乗せ上り候御船頭井上十右衛門ニ渡、大坂御普請之四頭■衆へ被遣 御書弐つ、又我々共
         |               (慰英)(氏次)          (加藤)(栗野)
         |  ゟ書状壱つ、文箱一つに入、仁保・田中所へ我々ゟ状壱つ、新兵衛・伝介ゟ右両人へ之状壱つ、
         |
         |  寺嶋へ我々ゟノ状一、伊崎半丞方へ坂清左ゟノ状一、西郡刑ア方へ同長次ゟ之状一つ、矢野甚五
         |  兵衛方へ宿ゟ上せ被申候銀子一包持上り申候、慥ニ相渡可申候、以上
         |   右之前、慥請取申候、以上               御船頭         (黒印、襷掛ニ抹消セリ)
         |                               井上十郎右衛門〇
         |                 矢野甚五兵衛方ヘノ銀子被届、則甚五兵衛うけ取切手被物下候を、二郎兵衛うけ取、甚五兵衛
         |                 □□ニ渡ス、
         |  (寒田、築城郡)   (上田)
寒田牧山ノ馬頓死 |一、沢田御牧ノ御番忠左衛門参候て、申候ハ、小野比母馬弐疋・駒弐疋死申候、煩も不仕、俄に五日
         |  野内ニ死申候由、申候事、
         |一、長崎ゟ飛脚参候、木村忠右衛門と申もの也、言状斗差上候、我等共ヘハ條不参候事、
忠利長池ニ遊漁ノ |一、殿様今日長池ニ而あミ被成御引せ候、左候て、御戻ニ、直ニ川口へ被成御出候事、
後川口へ赴ク   |
         |一、木下右衛門尉様ゟ、自飛脚ニて御返書参候事、

         |              
         |   七日
         |

         |一、一昨日、吉田喜運儀病死仕由候事、
忠利泰勝院前ノ舟 |一、泰勝院之前之舟入之口ニ、すを立きり、魚を被成御取候事、
入ノ口ニ簀立遊漁 |
ス        |
         |  (林)
簀立ノ常設化   |一、弥五左衛門被申候ハ、右ノす御たて被成所ニ、不断柱を立置、貫を取置ニ〆、すを重而ハ可立
         |  旨、被 仰付由候事、
製網ノ命     |一、高原茂兵衛申候ハ、右ノ所ニて魚を被成御取せ御用ニ、十五間ニ廿間ノ持あミを、急度すかせ可
         |  申旨、被 仰付通被申候事、
              

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■熊本史談会8月例会は

2020-08-11 08:43:25 | 熊本史談会

                    恕斎日録「文久三年」原本表紙

 8月の熊本史談会例会では、「恕斎日録未刊行原稿から、文久三年のあわただしい幕末熊本の一年」を取り上げる。
恕斎のご子孫、肥後金春流のご当主中村勝様から、釈文のご提供をたまわり、その内容は現在当方ブログでご紹介している。
あと数回で完了の予定だが、余りの面白さにタイピングのスピードも上り予定より早く完了の予定である。

        ・文久二年の改革に伴う藩主夫人・子女の相次ぐ帰国
        ・京都よりの良之助(護美)一行の帰国と京都情報
        ・幕末情勢の緊迫に伴う大砲の鋳造や西洋式訓練の開始
        ・京都守護の為の農兵組織編制の建議や御家人等の訓練強化
        ・生麦事件を原因とする薩英戦争や下関戦争勃発とその対応
        ・同上 援助の申し入れ(薩摩)や、ことわり(長州)
        ・横嶋干拓の大決壊と復旧
        ・藩主・慶順(韶邦)の遊漁の準備・随伴、振舞参加、御重箱拝領の顛末
        ・従兄弟筋・吉弘家の養子縁組や当主の死去、庄右衛門岳父の死去
        ・高瀬(玉名)奉行の死に伴う、仮支配役仰出

思い出すままに書きだしたが、大方このような内容である。それぞれ大変興味深く、個人の日記であることから、公式文書には伺えない記述があり、タイピンしながらおもわず手を止めて笑ったりしたことも度々である。
このすべてを二時間弱でお話することは容易ではない。一年分を一日毎の大方の様子を表にまとめている。
精々前期6ヶ月分を取り上げてお話しようと思っている。それぞれの事件の背景なども急きょ勉強しなければならず、相変わらずの泥縄ではある。

                  熊本史談会8月例会
                  令和2年8月22日 9:50~11:50
                  熊本市民会館 第6会議室(40名収容可)
                  参加自由(資料代300円)

        

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■文久三年「恕斎日録」(39)

2020-08-11 07:01:01 | 恕斎日録

291
  十六日   右御礼之心得に而 鼈を御台所迄差上申度 大木        龞(スツポン)を御台所に上ぐ
        織部方へ参り 其段内々申入候處 鼈者 御好物        龞は殿様の御好物
        二被為在候ニ付 差上候ハヽ可被遊ぶ 御欽候間
        自身さし遣し置候との事に付 極御内二差上度
        私名前出し不申候とも宜候段申向候處 自身出
292
        勤之上程よく取斗 小子宜名前を以可申上候と
        の事 且又頃日之御重箱ハ被下候様ニ相成居 自身
        方へ下り候筈に付 自身ゟ引渡可申候ニ付 其
        節可申遣候との事
  十七日   今日ゟ病風邪
  十八日   同
        大木織部方ゟ申達候筋有之 自身宅へ罷出候様
        申来候處 小子儀ハ風邪ニ而罷出不申候ニ付
        嘉一郎を差出 名代ニ而も不苦候ハヽ被申聞度
        申越候處 伊倉ニ而被下置候御重箱を引渡被申         ようやく重箱拝領
293
        候ニ付受取直ニ御受申上候事
         頃日差上置候龞も 差上候段も演舌ニ成候事
        今日進士方出府ニ相成居候ニ付 右之次第申遣         中村本家当主=中村進士・7代孫平太か
        右拝領之御菓子二ッ差送り候事 在別
         永野芋弐百目猪肉添遣候事
  廿日    病中
  廿一日   今日ゟ上妻半右衛門同道 高瀬御蔵御米納見分
        として坂下へ出在之事
         去ル十八日ゟ上妻申談致出在筈之処 風邪
         二而差延 今日者長髪なから出在いたし候事
294
         明廿二日ハ 神谷矢柄ゟ自宅へ松野殿・平野          神谷矢柄振舞を職務の為欠席す
         殿を初 頃日之伊倉連中へ招待いたし候ニ付
         小子へも是非繰合せ参り候様 頃日ゟ追々約
         束いたし置候得とも 御蔵納見分 先日ゟ差延
         候ニ付 不得已今日ゟ上妻同道出在いたし候
         段をくれ/\も相断 紙面を以申遣置候事
       一今晩四ッ頃千衛殿被致病死候事                  上村千衛(岳父)死去
         頃日以来心下ニ塊差登り 折々塞被申候処 漸
         々疲労に而危相見候得とも 未タ危篤と申迄
         二者至り不申 併甚心遣候間 上妻・岩崎へも今 
295
         朝参り 今日ゟ之出在如何哉之段咄合候處
         用向之事に而 日限も有之候ニ付 出在者見合
         候ニ者及間敷との事に付 今日ゟ出在いた
         し 今朝出懸ニ見舞候處 言語も丈夫ニ有之 差
         迫候容躰とも相見不申 其身も今日中も心遣
         之様子ニハ相見不申 小子帰府を被相待候と
         の噂被成候處 今晩尚差塞 死去ニ相成候段 誠
         ニ以上残懐之至存候事なり
  廿二日   今日上妻同道高瀬御蔵見分之事
        今日一條様先月七日薨去ニ付 今日ゟ日数十日                                一条関白忠良(室・細川齊茲女・峯姫)死去の報
296
        穏便之段御達之事
        今晩九ッ前干衛殿病死之段嘉一郎ゟ知セ書状         
        仕出相達候事
  廿三日   今日上妻同道帰府之事
       一今朝八ツ過頃 寝覚ニ何角甚心懸りニ而 おそわ
        れ候様ニ而 若党吉富□太郎を起し 何角参候ハ
        セぬかと尋候處 右之書状を先時相届候得とも
        忘し置候段申出候而出し候處 右知セ状ニ而候
        同叱り候而披見いたし候處 物書濱田要之助御
        惣庄屋養子木下初之允も聞付尋向いたし候事
297
       一今夕帰り懸 干衛殿葬式ニ而候得とも 先日ゟ風
        邪未タ透ト無之 月白も出来かね 其上草臥ニ而         月白=月代(つきしろ)→さかやき
        上村方江強而立方ハ相断 留守番被相頼候黒川
        才右衛門と留守いたし候事
  廿四日   今日ゟ出勤之事
        今日帰り懸 阿蘇殿見舞として溝口殿へ参り候
        處 酒を振舞被致 大分酩酊ニ及 平野殿へ立寄 来
        客有之 台子之間迄申入置引取候處 奥方被居候
        も存不申 無礼ニ相成候間 跡ゟ断ニ参り候事
         刑部殿へも頃日之礼ニ参り候得とも逢不申候
         而引取候事

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■御恵贈御礼「隣人・第33号」

2020-08-11 06:24:18 | 書籍・読書

                  

 東京在住の近世史家・佐藤 誠氏との長いお付き合いは、此の同人誌を12年にわたり御恵贈いただいている事が証明している。
切っ掛けは多分私の「赤穂義士」に関する記事に応えていたことであったろう。氏は赤穂大石神社の学芸員を勤められておられるが、まさに赤穂事件の研究者である。
今般の33号においても「赤穂義士 潮田又之丞とその一族・2」を書かれている。
史料を発掘してその人物の人となりを調べることは、その苦労と共に大いなる達成感に満たされるものだが、今回もまた見事にその成果が表れている。
ご努力に敬意を表したい。そしていつも変わらぬお心遣いに感謝申し上げる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■細川小倉藩(315)寛永五年・日帳(七月四~五日)

2020-08-10 14:33:31 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永五年七月)四~五日

         |              
         |   四日
         |

         |           (一通)
日出臼杵ヘノ飛脚 |一、木下右衛門様、又稲葉民ア様へ被遣候御飛脚、御小人弥左衛門与久太郎ニ持せ遣候。但、右衛門
         |  様へ御文箱を上、それゟ御返事を取不申候とも、すくニ臼杵へ廻り、民ア様へ御書上可申旨申
         |  付、遣候事、
         |   (久重)
         |一、中川内膳様へ遣候御飛脚ハ、久昨与半右衛門と申御小人遣候事、
         |                            (富田)
金具ノ用ニ金子ヲ |一、御金具ノ御用ニ、金子四十四匁五分ふかせ申候、奉行ニハ十太夫与筒井半七、横目ハ横田権佐与
吹カシム     |  渡辺八左衛門也、
下関へ人返シ   |一、囚、昨夜下関へつれさせ遣之歩之御小姓菅野八左衛門、其外御鉄炮衆罷戻候、返事ハ式ア殿・頼
         |  母殿へ相渡由ニ候事、
         |  毛利秀元ノ家老   以   (毛利元親) (伊秩元恵)               (ママ)  
毛利秀元ノ家老  |一、細川宮内・西意節・森大学・伊鍬采女、右四人中国の御家老 
         |   (元董)   〃(清房ヵ)
         |                  (蛙、焼物ヵ)

上野焼売三足ノ蛙 |一、当町ノ上野やキうり申もの、三足のかいるを壱つ、上ヶ申候由ニて、吉田少右衛門持参被仕、上
ヲ上グ      |  ヶ被申候事、
町人矢ヲ進上   |一、東小倉米町ニ居候町人九左衛門と申もの、矢一箱上ヶ申候へ共、今迄たしなミ置上ヶ申候、可
御礼ヲセザリシ者 |  被 召上候へ共、皆迄無御用候間、御返し被成候、終御礼不申ものニ候ハヽ、重而御礼か申上
         |  候、其時其方能様と存候を、壱本上ヶ候へと、被 仰出候、則かいる上ヶ申ものニ、御帷子弐
         |  つ被遣候事、やき物や五郎左衛門と申もの也、
         |
三斎すきと快気  |一、竹原清太夫、中津ゟ被罷帰候、 三斎様御気色弥すきと御快気之由、被申候事、
町奉行ノ居宅ノ借 |一、吉田少右衛門尉今迄被 召置候屋敷、西ノかと御借家の内三間、糸や吉左衛門尉ニ被遣候、就夫、
屋を糸屋ニ与フ  |  差図をお大工松原二郎右衛門ニ仕せ、懸 御目、相済候処ニ、二間ニ弐間半ノ間弐つ、壱間半ニ
         |  弐間半ノ間壱つ、又壱間半ニ弐間半ノ間壱つ、さしつニまかせ、被遣候ヘハ、吉左衛門申候ハ、
差図ニ違う    |  右之間付差図とハ違、事外せまく、其上家もひきく御座候、今之分にてハ、何共罷成間敷候、迷
         |  惑之由申候ニ付而、河田八右衛門ニ、右之間積りを申渡、見せ遣候処ニ、間積りハ書付ニ相違ハ
京間ト田舎間   |  無御座候へ共、京間といなか間とノわけにて、本六尺三寸にてハ無之、少せはく御座候由被申
         |  候、右ニ差図を仕せ候時、二郎右衛門ニ重畳念ヲ入、両度迄二郎右衛門を見せニ遣申付候ニ、か
大工ノ無念    |  やうニ違候様ニ仕候儀、二郎右衛門無念ニ相究候、
         |            (政時)     (政成)
披露状      |一、中津ゟノ緒返書、幷貴田権内方ゟ坂崎清左衛門ニ当り申披露状、又江戸 三斎様御留守居衆へ御
         |  用之儀被申遣状、しふかミ包壱つ、次飛脚にて九つ時分ニ参候を、修理登城仕、上申候処ニ、又
         |  次飛脚にて、江戸 三斎様御留守居衆へ之状とそへ状壱通、次飛脚にて被差越候事

         |              
         |   五日
         |

         |一、長崎へ御飛脚ニ遣候御小人半三郎・久右衛門、此弐人ニ長崎へ之状、又かちの御小姓山本喜兵衛
         |  へ之状とも被遣候事、
糸屋ヘノ借家ノ検 |一、吉田少右衛門尉今迄被罷居候屋敷之御借家之内、かど三間糸屋吉左衛門ニ被遣候処ニ、差図之間
分        |  ゟも間せばく御座候而迷惑仕由、吉左衛門申ニ付、弥々吟味仕候、冣前之さしつ、御大工松原ニ
         |  郎右衛門ニ仕せ申候ニ、左様之相違有之ハ、御大工仕様さたのかきりにて候由申ニ付、又、二郎
         |  右衛門、其外和斎弥左衛門なと参候而、吟味仕候処、かど之壱間、二間半ニ壱間半と■差図ニ書
         |  付有之ニ、壱間半と有之分、七寸五分せはく御座候、是ハ松原無念ニて、かやうニ仕そこない申
         |  由申候
筑後ヨリ来ル牢人 |一、昨日筑後ゟ参候牢人、生国御国之ものゝ由申ニ付而、爰元ニも有付居可申と申候ハヽ、其分ニ可
生国ハ豊前之者  |  被仕之由、五家老衆ゟ御郡奉行ニ被仰渡ニ付、在所のものニも様子被相尋候処ニ、高橋殿御代之
高橋ノ代ニハ徳光 |  時、規矩郡徳光村ノ給人原掃アと申ものゝ子、二郎右衛門と申仁之由、徳光村之ものとも申候、
村ノ給人     |  此段御郡奉行衆ゟ御家老衆へも被申入候ヘハ、何方可被参も、又ハ爰元ニ逗留可被仕も、かの
居住ハソノ者次第 |  仁次第ニ可被仕通、被仰由、御郡奉行被申候、尤候間、其分ニ可被仕通、申渡候事、
豊後横目ヘノ音信 |一、豊後苻内御横目衆へ被成御音信候、御小人里右衛門・三四郎・久蔵・作右衛門、去ル廿九日ニ遣、
         |  今日罷帰候、御返書文箱弐つ持来候、永良長兵衛ニ渡ス、
         | (長門豊浦郡)
毛利秀元使者   |一、長苻ゟ今日御使者参候事、
         |
烏丸使者中川伯耆 |一、烏丸宰相様ゟ御使者として、伯耆被罷下候ニ、御かたひら弐つ・単物壱つ、御使者ハ永良長兵衛、
へ帷子等与フ   |

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■「山の日」の散歩

2020-08-10 07:42:00 | 徒然

 オリンピックが開催されていれば昨日は閉会式だったそうな。コロナ騒ぎで忘れ去られてしまった。
今日の「山の日」なる祝日も、オリンピックに絡んでいる。本来は11日なのだそうだが、オリンピックに絡ませて前日の日曜日に引っ付けた。
爺さまはそんなこととは露知らず、「原爆が落ちた日でもなく」「終戦記念日でもなく」考え込んでしまう。

 私が住まう「尾ノ上」という町名は、一帯が小高い丘陵地であったことに由来しているらしい。
近世に於いては「小峯山」と読んでいたらしいが、藩の軍事訓練(下図)などが行われる場所でもあったらしい。
東西に長い丘陵地でその場所がどこであったのかを知ることは出来そうにない。今ではすっかり宅地化されている。
今日は「山の日」だからという訳ではないが、そんな丘陵地を散歩のコースにしてみた。
歩く目線の先には真っ黒な雲が、太陽に輝く真っ白な雲に重なり合いながら、東から北へ凄い早いスピードで流れている。
台風の所為だろう。九州の西海上を進んでいるが、大きな暴風域に入っているから午後には少々影響が出てくるのだろう。
今年は長梅雨の所為で、この時期になっての初台風である。
最近の気象の変化を見るにつけ、台風もBIG化するのではないか?ただただお静かに願いたいと思うばかりである。

          

                          小峰山調練高覧之図

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■文久三年「恕斎日録」(38)

2020-08-10 06:47:09 | 恕斎日録

281
  十一日  今日ゟ明日迄 妙応院様御百五十年御忌に付
       於妙解寺御法会ニ付 今日八ツ頃ゟ明日迄 一統
       参拝被 仰付候御達ノ事
  十二日  今晩九郎右衛門殿ゟ拝領之鴨莵振舞ニ而 頃日         中老 平野九郎右衛門の振舞
       之連中案内ニ付罷越候事
282
        今日柄ニ候得とも 拝領之御品古ひ申候而
        者不相成 且御遠忌と申晩方ニ付 無遠慮参
        候様との事ニ付 尊者之命 且ハ伊倉連中之訳
        ニ而被招候事ニ付晩方ゟ罷越候事
         来客     松野亘殿                   家老
                神谷矢柄                   小姓頭
                松野亀右衛門                 小姓頭
                三宅藤右衛門                 御取次組脇
                元田傳之允              (永孚)中小姓頭
                安東弥八郎                  歩頭
283
                取持
                歩御使番野々村源之允             歩ノ御小姓
                同   高山秋蔵               同上            
                同   松岡玄良               医師
                       妻
        九郎右衛門殿奥方も被出 取遣等被致候事
        献立
         吸物 拝領之鴨  大鉢 鯛さしミ・海老
         太平 拝領莵 のつへい  丼 釣柿・からし入
         丼 芹こま醤油  菓子 干菓子
284      
         右之通拝領之品迄位ニ而至而簡易也
        右咄之内 九郎右衛門殿ゟ三宅藤右衛門方へ拝
        領御重之事催促ニ相成候處 大木織部病ニ付 同
        人出勤之上取斗可申との返答也
  十三日   今日嘉一郎儀於講堂御用有之候間 少子同道ニ        庄右衛門嫡子嘉一郎、時習館にて御紋附上下一具被下置
        而罷出候處 文武芸出精仕候ニ付 御紋附御上下
        一具被下置候事
                    中村嘉一郎
        其方儀 学問多年不相替出精相進 算学数年出精
        天元術相傳相済 測量術茂出精相進 勝剣術槍術
285
        数年出精 藝術相進候段達 尊聴候處 心懸宜儀
        と被 思召候 依之目録之通被下置旨被 仰出
        候 弥以出精禍有之候
         御紋附御上下一具 献立等ハ献立帳記
        右為吹聴 興所々廻り方いたし 九郎右衛門殿
        へ同道参り候處 留守ニ而逢不申 亘殿へ同道参
        候處 直ニ今へ被呼入 欽をも不申候上ニ而者
        嘉一郎へ被申聞候ニ者 少子儀 今度伊倉ニ而者
        冥加之仕合 御手自ら御重箱乍ら御菓子をも
        拝領ニ相成 自身さへ左様之拝領ハ容易ニ無
286
        之 至極之首尾 家之面目と存候段噂之事
         明後日者快復之内祝いたし 旁九郎右衛門初
         頃日之連中 此方へ参り候間 少子へも参候様
         案内被申候事
  十四日
  十五日   去ル十日 岩崎物部 根取井上勝蔵 甲斐半太御咎         岩崎物部以下御咎
        有之 薩摩森山嘉左衛門ゟ過分之音物を受用い        岩崎物部・庄右衛門前任者、現飽田郡代
        たし 旅人相手之儀者御外聞ニ差障り申候事ニ
        候處 同人御国中ニ而不正之申答いたし候を不
        心得と者乍申 不行届筋ニ付 以来心を用候様と
287
        の御達 右ニ付いつれも同日ゟ身分伺を差出候
        處 差扣居候との御達ニ付 いつれも引入居 右之
        外永山甚記者百笞ニ七里追放 其意可御役人も
        夫々御咎仰付候事
        右ニ付 今日詰間ニおゐて段々評議之中 蒲池太
        郎八ゟ申候ニ者 岩崎御咎之御辞令之中ニ 過分
        之音物受用 且又御外聞ニも差障り候との御文
        言者不容易筋と申 養民之職其身安心いたし候
        哉 差扣御免之上直ニ出勤も如何 其段ハ岩崎へ
        咄合見可申欤との存付ニ付 いつれも同意いた
288
        し 今夕直ニ入江次郎太郎同道ニ而参り咄合候
        處 自身ヘハ安心之様ニも有之候得とも 小子ゟ
        荒木氏迄内分相伺呉候ハヽ無此上候との事ニ
        付 夫ゟ直ニ小子一人同方へ参り 右御文面之次
        第を以相伺候処 右音物ハ過分ニ候得とも返礼
        いたし候事ニ而其所□たり不申 御外聞ニ差障
        候と申事ハ音物を受候ニ付而之事ハ無之 旅人
        相手之事ニ付 不正之事ニ心附不申候段不行届
        候との意味ニ而 少しも無懸念出勤いたし候様
        若引入候ハヽ小子ゟ相進メ 差扣御免次第直ニ
289
        出勤いたし候様との返答ニ相成候ニ付 帰り懸
        直ニ松野殿へ参り候間 吉弘宅ニ而書状相認 右
        之大意岩崎へ申遣候 同人ハ日数十日を過 差扣
        御免ニ相成 井上列も同様之事
         右帰り懸 九郎右衛門殿へ塗中ニ而行逢候處
         同殿ゟ自身も松野方へ被参候ニ付 小子へも
         追而参り候様との噂相成候付 小子儀も直ニ
         罷越候事
        亘殿者 今度在江戸中ゟ大病快復 且又孫殿今日         家老松野亘快気及び孫子髪置、併せての祝の振舞
        髪置之祝共取束宴会ニ付 縁家衆も相見家内衆
290
        も被出候事
         右連中伊倉御供先日之連中
         其外早川十郎兵衛 長谷川勝次郎 奥田小左衛
         門 奥山静叔列石三人 早川娘
       一右之中ニ 九郎右衛門殿ゟ小子を近く被呼立候          重箱拝領についての尽力
        而被申候ニ者 自身機密を洩候事ハ嫌候得とも
        別段之事ニ付内分申候 頃日之御重箱者 別段之
        事ニ付被下置候方ニ相成候間 安心いたし候様ニ
        との事ニ付 小子ゟ夫ハ誠ニ難有仕合奉存候 家
        之重寶永く子孫ニ相傳候段を申向候事
291
         三宅藤右衛門方ゟも 自身ゟ右御品ハ被下候
         様ニ取斗置候 御請之儀ハ大木織部方へ参り
         候様との噂ニ成候事
        右宴会席之中 小子へ仕舞所望ニ相成候ニ付 田          所望により「田村」を舞う
        村之曲等舞候事  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■お騒がせします

2020-08-09 17:57:52 | 徒然

  わ~、芋虫苦手・・・と仰る声が聞こえそうですが・・・
 
散歩の途中、見かけない野草などに出くわすと、引き抜いて持ち帰り鉢に植えてみます。

花が咲いたり、種子をつけるのを楽しんでいます。
植えるときは気付かなかったのですが、こんな芋虫?がへばりついているのに気が付きました。
長さは約4㎝、御覧の通り真っ黒で、不思議な斑点が色を替えながら連なっています。
朝から全く動きません。さなぎになって羽化するのでしょうか。しばらく観察が続きますが、チョウチョだと季節的に遅そうだし、蛾でしょうか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■細川小倉藩(314)寛永五年・日帳(七月三日)

2020-08-09 10:18:54 | 展覧会

                      日帳(寛永五年七月)三日

         |              
         |   三日
         |

         |        12時      9時
三斎鷹狩ノ報   |一、中津郡ゟ夜前子之刻之状、今朝辰ノ下刻ニ参着申候、 三斎様今日ひよりよく候ヘハ、御鷹野ニ
         |  被成御座候由ノ注進也、
忠利六郎渕ニ遊ブ |一、今日六郎ふちへ被成御出、被成御慰候事、
         | (豊後速見郡)
木下延俊へ紙合羽 |一、日出へかミかつは持せ被遣候御小人、御返書持帰申候、又中津ニ山田喜斎彼付置候、 三斎様御
進上       |  気色如何御座候由、喜斎ニたつね罷帰候へとの 御意ニ付、喜斎方へ書状事伝遣申候、此返事も
         |  取参候、 三斎様御気分一段能御座候由、被申越候事、
         |                     同所
下関ノ傾城ヲ盗ミ |一、下関ノ左兵衛と申けいせいやノけいせいを、久右衛門と申もの盗候て走申ニ付、肥後迄追かけ参
去ル者アリ    |           (規矩郡)                                     追かけ参候久七
同心シテ走リシ者 |  候而、罷帰候とて、徳力村ノ前ニ而、右ノ久右衛門同心仕走申候善七と申候もの〇とらへ、徳
を捕ウ      |
         |                   (規矩郡奉行) (同上)
ソノ後之処置   |  力村之庄やニ預ヶ可申由申ニ付、庄や平井五郎兵衛、小崎與次兵衛所へめしつれ参候ニ付、右両
         |  人様子被相尋候ヘハ、本庄久右衛門儀ハ中津表へ可参由、申たる通、善七申候、如何善七儀被返
         |  遣候哉と、書付を以、被得 御諚候処、追かけ参候もの壱人ニて成間敷候間、人を相添、式ア・
         |  (有吉英貴)       (伊藤)                       (伊秩元恵)
         |  頼母所ゟ、下関ノ杢・隼人所へ可遣候、則隼人・杢所ゟ采女所へ、此■分ニ而小倉ゟ被遣由、申
         |  理候様ニと可申遣旨、被 仰出候、則五郎兵衛・與次兵衛両人、式ア殿へ参、此段可被申由、申
         |      〃
         |  渡候事、
         |
江戸邸門番    |一、江戸ノ御門番中尾二郎右衛門、又江戸御六様御台所ニ居申候 御六様御台所ニ詰居申候久左衛門
光尚ノ台所ノ者  |                              〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
         |  両人、江戸を六月十五日ニ立、大坂を同廿四日ニ出船、但、船頭宮崎孫左衛門舟ニ而、今夜下着申
光尚ノ賄銀ナシ  |  候、 御六様御息災ニ被成御座由、其外下々迄無事之由申候、御六様御賄銀無御座ニ付由而、
         |                                        〃
         | (岩間正成)(遠藤)                      (町)    (小篠)   (松野親英)
         |  六兵衛・安斎方ゟ右ノ久左衛門被差下候、又三右衛門・次太夫・織アかたゟも被申越候、又方々
江戸方々ヨリノ状 |  ゟノ御返書之由ニ而、しふかミの大キ成文箱壱つ下申候事、
走者ニ付遣ス人数 |一、右之書付候下関ゟノ走者追かけ参候もの、幷走者ニ被付遣人数覚
覚書       |       井門武右衛門与長留七左衛門
         |       佐分利作左衛門与村上一右衛門
         |                                                   (つなもち)                                                     
         |       御小人弥左衛門与兵七
         |       歩之御小性菅野那智左衛門
         |       小早之船頭■作内也
         |    右分ニ申付、遣候事
後藤定林院子預リ |一、後藤定林子志水安右衛門尉ニ預置候処、主も働ふちかた取ノ儀ニ御座候付、覚悟も難成由申候、
幷扶持方     |  尤ニ候間、御ふちかたを可渡由申候ヘハ、忝存候、さりながら、在所へ遣置申度候、ともかくも私
在所ニ置ク    |                (破損)
         |  預分ニ御座候上ハ、御ふちかた□取不申、国東へ遣度由申候、いかやうニ成共、其方心儘ニ可被
         |  仕由、申渡候事、 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■文久三年「恕斎日録」(37)

2020-08-09 06:35:10 | 恕斎日録

273(十月)
  九日   出勤 今日御小姓頭初歩頭以上 今度世話ニ成候
       段礼廻りいたし候事
  十日   今朝亘殿ゟ自筆之紙面ニ而 一昨日約束之通 鴨
       拝領被 仰付候ニ付 神谷列案内申置候間 永屋
       誘引 七頃ゟ参り候様申来 右直当ニ而返書仕出
       右刻限ゟ永屋同道罷越候事
        右案内衆 御中老 平野九郎右衛門殿
             御小姓頭神谷矢柄
             右同  松野亀右衛門
             御用人 三宅藤右衛門
274
             御歩頭 安東弥太郎
                 歩ノ御小姓高山秋蔵者跡
                 ゟ取持ニ被呼出候
       右亘殿居間ニ而拝領之品饗応 家内衆も被出 真
       情之馳走 小子幷永屋も銅座ニ而相伴いたし候

         右献立
       一吸物 拝領鴨 一坪 竪貝 一太平 拝領之莵
       一大鉢 塩ふりさしみ 一丼 漬あみ 同 ミかん
           堂崎ゟ到来
       一菓子 釣柿      酒 浪速酒
           せん餅 まん中   地酒
275
        右之通当時柄ニ而簡易之料理也 故ニ記
       右咄之中ニ 九郎右衛門殿ゟ 頃日者誠ニ冥加至
       極ニ被存候 然処其節拝領之御菓子ハ 御重箱共
       ニ戴たる哉との噂ニ付 右者私も御器乍ら拝領
       仕候心得ニ而居り申候處 旅宿へ引取 右御菓子
       之事を問合せ候處 私いまた引取不申候内ニ 御
       次より八寸斗之大重箱を御次へ出候様申来候
       ニ付 重箱者脇方ゟ借用ニ而出し候處 右之御菓
             移か
       子右之重箱ニ写し下り申候段申向候處 右者御
       別段之拝領被 仰付候ニ付 自身ゟも御重箱共
276
       ニ被為拝領候様申上候處 直ニ御重箱共ニ 御手
       自ら被下置候事ニ付 拝領被致候方宜候處 其儀
       御次迄ハ申達届かね間違たると存候 右者節角
        御直ニ被下置候御品を拝領不仕候而ハ不相
       成候との事と被申候處 脇ニ三宅氏被居候ニ付
       同方へ被申候ニ者 右之御品ハたとへ分りかね
       候而も 外之品たりとも宜候 其元取斗を以 被下
       置候様可被致と被申向處 同方ゟ出勤之上直
       ニ夫々取斗可申候段返答ニ相成候間 小子ゟ右
       之御品者 御前様ゟ 御見舞ニ被進候哉ニ奉
277
       拝承り候 若御裏之御品欤も難斗 いつれの御品た
       り共拝領さへ仕候ハヽ 家の面目難有仕合ニ奉
       存候段申向候處 三宅方ゟも委細致承知候 自身
       ゟ夫々取斗可申候との事
       九郎右衛門殿ゟ拙者も今度自身ニ打候鴨を差
       上置候處 御猟之鴨莵を拝領いたし候間 明後十
       二日夕 此連中不残様七ツ頃ゟ参り候様との噂
       相成候事
       右之中亘殿娘養子之妻なり被出候而いつれへも取遣
       被致候節 同殿より娘殿へ被申聞候ニ者 庄右衛
278
       門殿ヘハ此節結構御菓子頂戴ニ相成 右之御品
       者自身共も容易頂戴なり不申候間 冥加之御品
       ニ付 少し斗貰拝見いたし候様被申候ニ付 翌
       日右御品之中少々小重ニ入梨子を添進し申候
       事
       夜ニ入何れも興を被尽引取候處 塗中ゟ俄ニ三
       宅方へ立寄 同方も不取敢有合之酒肴ニ而饗応
       ニ相成候事
                                      御猪口ニ而被 召上候御盃之図
               大サ絵柄図之通                     原本ー差し渡し62㎜、全高95㎜、縁高49㎜
279                                                                                                                          拝領の御品
        桜餅   御菓子之図
       大サ図之通
        (原本 径40㎜)         (竪21㎜ 横40㎜)
       右米之粉を砂糖ニ而煉り□候様ニ拝見御台
       所製之由
       右之御品一ッ完干候而御重ニ入置也
      右御菓子配当左之通                            拝領の御品を配当す
      一小重 桜丸十ヶ 角五ツ  松野亘殿
                  御郡方御奉行
      一右同           荒木甚四郎
      一桜丸一ッ 角一ッ        中村進士方
280
        右冥加之次第委敷申向贈る事
      一小重一ッ右荒木氏同様   上村
      一壱包右同様        魚住
      一小重一ッ右同様     小田手永御惣庄屋
                    丸山平左衛門
      一壱ツ完         南関手永右同加勢人
                    多田隈丈左衛門
                   坂下手永右同断
                    木下初太郎
                    内田手永右同断
                     松尾又之允
281
                    中富手永右同断
                     服部與助
                    河野太郎助ハ病中
                    ニ付罷出不申候間
                    遣し不申候事
        


        

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■細川小倉藩(313)寛永五年・日帳(七月朔日~ニ日)

2020-08-08 20:26:32 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永五年七月)朔日~ニ日

         |              
         |  (前欠)
         |                         (松井興長)
麻生某初見    |一、麻生二郎兵衛子、今日初而御礼申上候、年ハ十八也、式ア殿御取次、

加判人ナキ扶持方 |一、土佐新太郎与之坊主衆、新太郎 御前を損居申ニ付、御扶持方ノ加判人ム御座候故、請取由儀不
ノ請取      |  罷成、いかゝ可仕哉と申ニ付、皆川治ア・林隠岐可判可然候、則両人へも其段可申候間、加判を
         |  取可申通、申渡候事、
歩小性溺死ス   |一、歩之御小性谷小八郎、六郎渕にて水をあひ候とて果申由、河上七右衛門被申来候、
         |                              (松本)(豊岡)
扶持方ニ忠利ノ印 |一、吉田太郎介・同十介 御印出申ニ付、よひよせ、頂戴させ、則彦進・甚丞へ相渡候事、
出ル       |
馬標持      |一、御馬印持之 御印も出申候、是又上野角左衛門・貫覚右衛門をよひ、頂戴させ、右両人へ相渡候        
         |  事、

         |(ママ)
         |一、

         |              
         |   二日
         |
         |一、山田喜斎ゟ飛脚、昨日申ノ下刻と書付在之状、夜ノ四つ過分ニ参着申候、 三斎様御気色いよ
         |  /\能御座候との添状参候ニ付、昨夜上ヶ不申との様子、平野九郎右衛門方へ申渡、喜斎ゟノ言
         |  状上ヶ申候事、
         |            (田中氏次)
田中氏次茶碗ヲ渡 |一、渡辺喜斎ちやわん壱つ、兵庫可取由ニ而、とり置候へ共、気ニ不入ニ付、真斎へ戻くれ候へと、
辺真斎へ返ス   |  被申置候、今日真斎ニ相渡候事、
進上ノ焼米時分過 |一、下ノ北方村百性藤五郎と申もの、 御前へ上り申やき米こしらへ持来申候、時分過たる米をこし
タルハ無用    |  らへ、其上むさき入物ニ入、持来候間、御郡奉行被申付様さたのかきり候、殊ニ時分過たる米ハ
ムサキ容器    |  御用ニ無之候間、いそき藤五郎ハ罷帰、可成ほとあをき米をこしらへ、上可申候、此方ゟ御重箱
青キ米ニテ作ラシ |  を持せ可遣候間、其内ニいそきこしらへ候へと申付、戻候、庄やノ名ハ二兵衛と申由申候事、
ム        |
         |一、井谷喜左衛門昨日病死致仕由、庄村五郎右衛門被申来候事、
         |               (気)                     (惟英)
三斎へ雲雀ノ叩進 |一、山田喜斎中津ゟ、 三斎様御機色弥能御座候由、次飛脚ニ而注進被申上候、明日竹原清太夫御使
上        |  ニ可被遣由、被仰出候事、御音信ニハ、雲雀のたゝき被進之候事、
         |一、沢少兵衛所ゟ、酉上刻之御状、次飛脚被申越し候ハ、 三斎様明日天気能候ヘハ、御鷹野ニ被成御
         |  座候由、中津御奉行衆ゟ被申越由、注進被申越候、子刻ニ次飛脚持参候事、

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■4年4ヶ月振り、豊肥線開通

2020-08-08 09:49:36 | 熊本

 熊本地震の復旧状況 
                                             国土交通省サイトから引用

 熊本大地震で阿蘇地区で大被害を受けた豊肥線が、今朝ほど開通した。
9時過ぎには特急「あそぼーい」も出発したようだ。阿蘇観光にもうれしいニュースだが、通勤通学の足が復活したことも喜ばしい。
加えて国道57号線や、北側復旧ルートが10月には開通の予定だし、明けて来年3月ころには阿蘇大橋が完成開通の見通しであり、国道325号線がようやくつながることになる。
熊本大地震からようやく立ち直りつつある阿蘇観光は、コロナ禍で又大打撃を受けた。
鉄道・国道・阿蘇大橋などの復旧完成をうけて大いなる期待があるが、コロナ禍の一日も早い終息を願いたい。

全国の皆様に「お出でまっせ」と大声でご案内出来ないことがもどかしい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■細川家家系図

2020-08-08 07:13:04 | オークション

              「細川家系譜」熊本細川藩 細川藤孝 細川幽斎 細川忠興 細川忠利 古文書

      

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■文久三年「恕斎日録」(36)

2020-08-08 06:50:25 | 恕斎日録

261
  八日晴  今朝 御発駕前 昨日被遊 御覧候馬之内 御
       目留り迄 二ノ鞍被仰付被遊 御覧候事
        乗手ハ昨日之面々也
       上江も 今川善七郎馬 御目留二付 御前へ
       引出候様被 仰付被為 召候事
        夜前被 召出候節 御家老衆ゟ 今朝者 上江
        茂被為 召候而も御宜被為在候筈之段被申
262
        上候處 乗りたくも存たれとも 餘り見物人多
        些おくして乗不申との被遊 御意候處 今朝
        之冷御酒に而餘程 御元気被為附 中嶋九兵
        衛ゟ朝御湯を差上候節ハ同人も酔躰二而 漸
        差上候様二有之候二付 上江も今朝者拝上
        人をも無御構被為 思召候段 跡達而御取次
        浅山左柄より噂いたし候事
       右馬 御覧被為済 昼頃に相成 直ニ同所被遊
       御発馬 小子儀者 夜前被 仰付之趣二付 松尾次
       郎昨馬無事に有之候由二付 此馬を借 騎馬ニ而
263
       御跡ゟ御供申上候 御道筋者 伊倉町ゟ東江御下         殿様帰館のルート
       り 夫ゟ桃田前塘筋御通り 向津留塘筋木葉町
       原又次郎宅 御小立 植木御茶屋 御昼休 出町
       口御入ニ而 御帰座
        右之通ニ付 御跡ゟ松野殿江附 御供申上居候
        處 中々御馬早く被為 召候ニ付 漸々引下り
        候處 桃田前塘筋ニ而 御次之内ゟ 召ます/\         殿様からの召し出しの連絡
        と被相傳候ニ付 御前江馬上乍ら罷出候處
        先に乗れと被遊 御意候間 直ニ御先ニ乗り
        候處 御左右之馬ゟ追懸候ニ付 小子乗り居候
264
        馬ハ若馬ニ而直ニ左ニ切れ□塘際ニ至り片
        足ハ踏はつし危く候處 漸右ニ引直し候處
         上江も御気遣候御模様ニ而 尚又御次
        ゟ召ます/\と被申傳候ニ付  直ニ 御前へ
        罷出候處 跡ゟのれとの 御意ニ付 尚又御跡
        へ下り 松野殿と一所ニ而御供申上候處 漸々
        おくれ 木葉 御小立ニ而於追付申上 御次衆
        へ挨拶いたし 御供中江元気付 下り酒もそへ
        猪肉の抔出し候處欽ニ相成候 暫ニ而被遊                                   =あつもの
         御立候間 直ニ御供申上候處 頓而 御乗切
265
         りニ而 中々御速ニ被為在 田原坂ニ而上り立
         少し斗御地道ニ被遊 中程ゟハ尚又坂をも御
         追上ヶ被遊候ニ付 漸々御跡へ下り 松野殿同
         道ニ而植木 御昼所ニ而御追付申上候 植木
         ヘハ永屋猪兵衛罷出御待受居申候事
        植木御茶屋ニ而 昼御休之節 永屋猪兵衛一同         植木御茶屋、昼休みでの団らん
        ニ尚被 召出候處 今朝ハ樽を遣したんと直ニ
        たへたそ 大ふんよふたそと被遊 御意候ニ付
        難有仕合奉存候と申上候處 嚊とハおまいの事
        との 御意ニ而 大ニ被遊 御笑候 御左右之
266
        衆ゟ永屋へ向 猪兵衛ゟ樽ハ上げぬかと申聞候
        處 猪兵衛江者約束ハないと 御意候處 猪兵衛ゟ
        申出候ニ者 猪兵衛儀ハ一向存不申候と申候ニ
        付 御側ゟ庄右衛門儀者帳口ニ而 猪兵衛ヘハい
        また相傳不仕候と相見候と申上候ニ付 小子ゟ
        ハ一子相傳ニ而 いまた相傳仕不申候と申上候
        處 大ニ被遊 御笑 そふてあろうとの 御意ニ
        而大なる杯を出セとの 御意ニ付 御側ゟ盃ハ
        有合不申候而大成茶漬茶碗を持出し候處 庄右
        衛門へ遣せとの 御意ニ付 直ニ手元へ遣候處
267
        爰へ参れと 御意ニ付 御間近罷出候處 御酌
        ニ而一盃被下候間 庄右衛門は此様大成物ニ而
        者たへ得不申と申上候處 夜前者なぜたへたそ
        の被遊 御意候ニ付 夜前ハ別段ニ而たへ申候
        と申上候處 今日ハ別段てハないかとの 御意
        難有奉存候と申上 直ニ頂戴仕候處 猪兵衛へ差
        と被遊 御意候ニ付 同人江尚又 御酌ニ而
        都合七杯頂戴いたし 小子ヘハ尚小サキ御盃ニ
        而被下候處 庄右衛門ハ爰へ参れ用が有と 御
        意ニ付 御側へ罷出候處 今少こゝへこひとの
268
        御意ニ付 御膝本ゟ訇寄り申候處 背中之紋所程
        之所を 御手ニ而暫御おさへ被遊候ニ付 如何
        被遊候哉と奉存平伏仕居候處 今一ッたへよ
        の 御意ニ而 尚又 御酌ニ而被下候而 既ニし
        たり候所ニ今一ッ重ねよがわるひとの 御        =験(げん)か
        意ニ而 尚又 御酌で頂戴仕候處 猪兵衛者供を
        セよとの御意ニ付 猪兵衛儀ハ歩行ニ而罷出候
        段申上候處 爰ニも馬がおろう 此方カ借て遣
        の 御意ニ付 猪兵衛夫ハ奉恐入 猪兵衛儀借用
        仕御供可申上段申上候 夫ゟ下り 小子者猪兵衛   
269 (欠)
270 (欠)
271
        者共へも奉存候事ニ而 先年 霊感院様御代
        御漁向ニ而 其所之御郡代某とか申物を被 召
        出候節 当年作方を被遊 御尋候處 豊年ニ而民
        喰も 御心遣不被遊候様申上候處 其以前 常並
        被 召出候節ハ 当年者作方不宜 下方も難澁仕
        候段言上いたし居候ニ付 君上ニも甚御不審
        ニ被 思召上 其子第被遊 御尋候處 頃日者常
        並之被 召出ニ付 御政事ニ預り候事ニ付 現実
        之所を以有躰ニ申上候 今日者御漁先之儀ニ付
        御慰之場ニ付 御慰ニ不被為差隙候様奉申上候
272
        段御返答ニ申上候處 君上ニも御感心被遊候
        との事を承り居候處 此節も御慰ニ被為在候様
        申上候段ハ 右之事 符合いたし感服被致候と
        之事 夫ゟ元気付共被出候 段々熟話ニ相成候未
        此節自身も猟之鴨を差上置候間 定而明日共ハ
        可被為拝領候間 明後日九郎右衛門初此身之御
        供伊倉連中案内いたし候心組ニ付 永尾も同道
        いたし罷越候様被申候事      

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする