津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川小倉藩(312)寛永五年・日帳(六月廿七~廿九日)

2020-08-07 13:17:26 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永五年六月)廿七~廿九日

         |              
         |   廿七日
         |

         |       (鮬)スズキ・セイゴ         
上野ヨリ鱸鮬進上 |一、田川上野ゟ、鱸二・せい壱つ持せ上申候事、
忠利坂崎一角邸ニ |一、殿様、今朝ハ一角所へ被成 御座候事、
臨ム       |
瓜進上      |一、山路太郎兵衛所ゟ、うり一籠さし上候事、
惣銀トシテ六十貫 |一、為惣銀、六拾貫目借用 御袖判壱枚被成下候様ニと候て、中神與兵衛書付ニ、式ア殿・頼母殿御
借状之袖判ヲ乞ウ |  判候て被上候処ニ、則 御袖判壱枚被成御出候、則右ニ書上被申書付之裏ニ、御袖判壱枚慥ニ致
         |                                        
         |  頂戴候由書付、判仕可上旨、被 仰出ニ付、式ア殿・頼母殿右分ニ書付、判形被成御成候、皆川
         |  治アを以、上申候事、                            〃
         |      いけ         (潮)
東溜池ノしほり戸 |一、東之ため〇水はきニ、高塩之入用様ニ、しほり戸を、今ゟ八月十日比迄ハ毎年あて置申候、さ
高潮ノ入ラザル様 |  候天塩引次第ニ、戸をも時々ニとり置申候、当年ハ伊佐権七申候間、如前々被 仰付被下候様ニ
ニ当置ク     |  と、吉田少右衛門を以、田作其方ゟ申上候、如前々仕候へと、可被申付通、申渡候事、
銀三十貫積下ル  |一、乃ミ十左衛門今日被罷下候、御銀三十貫目積下由被申候、又寺嶋主水御請之文箱壱つ、内ニ天野
         |  (長信)   (茂)    (重宗)
         |  豊前様・渡辺山城様・板倉周防様ゟノ御返書有之由之書付有之、持下申候也、
三斎ノ見舞ニ明寰 |一、三斎様御気分無御心元被 思召ニ付、明寰を明朝八つ時ニ、御■馬ニ乗せ被遣候、御小人も三人
ヲ進ム      |                                           (寰)
         |  付遣候、又歩之御小姓瀬崎左之介ニハ、十右衛門・権内所への御書箱持せ被遣候、但、明官ニ付
         |  候て可参旨ニ候事、
         |(ママ)
         |一、

         |              
         |   廿八日
         |                            (三淵之直)

宇佐宮ヨリ田植神 |一、宇佐ゟ、御田植御神事之御酒・御洗米、使者持参被仕候事、左膳殿御披露被成候事、
事ノ供物来ル   |                           〃
布木綿ノ尺ノ触直 |一、布木綿の尺之儀、触直可申達、式ア少輔殿ゟ被仰候事、
         |                                 文右衛門
宇佐郡中出入ノ書 |一、宇佐郡津房ノ甚左衛門と平井五郎太夫兵衛下代文右衛門と出入ノ書物、有馬刑ア上ヶ申度由、申
物ハ郡奉行取次グ |                 〃〃
筈故聞届ズ    |  候ニ付、惣別御郡之儀ハ、御郡奉行衆ゟ被取次はすニ候間、其方ハ取次被申間敷由、先日申渡
         |                            ニ而
         |  候、其分文右衛門ニ申渡候へ共、合点不仕候、とかく爰元書物御上候て給候へと申候、何ヶ度申
         |  候ても、御郡奉行不被取次所を、直ニ此方聞届候儀ハ不相成由、重々返事申候事、
         |                        (宇佐郡奉行)               刑ア
         |一、右分ニ申候処、文右衛門ゟ刑ア所へ之状壱つ、又杉無兵衛ゟ文右衛門所へ之状壱つ〇持参申候、
         |  いよ/\文右衛門きこへさるよし申候ヘハ、さ候ハヽ、うさへ罷帰、御郡奉行衆ゟハ書物上ヶ申
         |                         (ママ)
         |  間敷との一筆を取来候へ、無左候ヘハ、何ヶ度申上候而、取次不申由、申渡候事、
         |一、神足八郎右衛門、中津ゟ被罷帰候、 三斎様御気色さして悪敷ハ無御座候、
         |         (酒井忠知)(能勢頼重)
豊後横目等ヘノ進 |一、明日豊後御横目五郎介様・次左衛門様へ、被進物之覚、切のし一箱・銀杏一箱宛、 御書被遣御
物        |  使飛脚四人、
木下延俊へ紙合羽 |一、明日、木下右衛門様へ紙かつはノ入たる箱壱つ、飛脚ニ持せ被進之候、 御書も参候事
ヲ進ム      |
         |一、與介与ノ久七ニ、右衛門様へ被進之候かつは箱持せ遣候、又左衛門ニ、山田竺印への状を渡、返
         |  事を取来候へと、具申付候事、
問紹甫船頭朝ノ報 |一、長崎ゟ、問紹甫舟帰国仕由ニ而、紹甫飛脚差越申由ニ而、書状紹甫もの持参候事、
         |

         |              
         |   廿九日
         |

三斎ノ病状    |一、三斎様、御気色一段能御座候由之御返書、十右衛門・権内・山田喜斎ゟ之言上、以上三通、夜前
夜中ニ快方之報ナ |  八つ時分ニ参候、御気分能御座候と申来候は、夜中ニハ不申上、やふり候て上ヶ可申旨、 御意
レバ開封シテ明朝 |  ニ付、見申候処、御気色能御座候由申来ニ付、夜中ニハ不上、今朝上ヶ申候事、
上グベキ命    |
庄屋入牢中不食  |一、御しちへやの御番松田五郎右衛門申候ハ、下毛郡曾木村ノ庄や與左衛門御籠にて此中不食仕候、

         |                            (塩噌)  
塩噌ノ差入願   |  然処、かの與左衛門せかれ、そき村ゟ見廻ニ参、申候ハ、ゑんそ少入候て、遣し申度、いかゝ
         |  得御意申度通、申候由ニ付而、今迄左様のもの入申たる例も候ハヽ候哉と、相尋候処ニ、入申
         |                             〃〃〃
         |  たる儀ム御座付、御尋申由申候、薬をさへたへさせ候事候条、ゑんそハ入候てもくるしかるまし
毒味セシメ入ルヽ |  き儀候間、入可被申通申渡候、左候而、どくミニ、ゑんそを持来候ものニたへさせ候て、入可被
ヲユルス     |  申候由、申渡候事、右之段、御籠口屋の御番林勘介ニ申渡候事、
         |                      
三斎ノ気色好シ  |一、三斎様御気色、夜前ゟすきと能御座候而、御小院にて、喜斎・明寰ニも御茶被下、上下悦申儀無
         |  斗由、御注進被申上候処ニ、則被成 御書、次飛脚にて被申上ニ付而、則次飛脚ニて被成 御書
         |  候事、

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■文久三年「恕斎日録」(35)

2020-08-07 07:33:29 | 恕斎日録

251
     庄右衛門はいくつニなるかとの被遊 御意候
     ニ付 是ハ毎年御奉公附を差上申候 乍恐 上江
252
     者可被遊 御知と申上候處 おれは知らぬと被 
     遊御意候間 乍恐いくつニ相成候と被 思召
     上候哉と申上候處 五十位ニもなるかと被遊
     御意候ニ付 乍恐壱升差上可申と申上候處 御
     笑被成 夫者何故欤と被遊 御尋候間 在中ニ而
     下方之者共 年を実の年より若く被申候得者 大
     ニ相欽 一升買ひますと礼を申候習ハしと申上
     候處 大ニ被遊 御笑 宗沢ハいくつニなると
     見候哉と被遊 御意候ニ付 同人ゟ五十四五ニ
     も相成可申すと申上候間 小子より宗沢ニも壱升か
253
     ひ可申と申上 隣座之事ニ付 宗沢へ竊ニ指を六
     本出し見候處 同人ゟ 庄右衛門者六十歳ニ罷
     成候と申上候處 上ゟ六十ニ者若ひとの被遊
      御意候ニ付 乍恐又壱升差上可申と申上候處
     大ニ被遊 御笑候事
     御前様ゟ為 御見舞御差上被遊候御重之御菓
     子を 一重御器乍ら 御手自御取被遊 是者庄右
     衛門被下 持帰り家内江たへさセよと被遊 御
     意 御直ニ被下候ニ付 御側ニ罷出頂戴いたし                     
     以難有仕合冥加至極ニ奉存候 持帰り嬶へも為
254
     戴可申段申上候處 何人居る欤との 御意被遊
     候間 一人居申候と申上候處 また外ニもおる
     ろう是て者たるまいと被遊 御笑候間 いへ外ニ
     者居不申 たり申候と申上候處 亘殿ゟ 加々と
     ハ 上ニ者乍恐御存知被遊候哉と被申上候處
     夫者おまいの事と被遊 御意 大ニ御笑被遊候
     九郎右衛門殿より 右御品者御重乍ら庄右衛門へ
     被下置候様被申上候間 小子ゟがわ乍ら戴可

     段申上候事
     右之御中ニ 庄右衛門ハ何ニ乗参りたそとの
255
     御尋被遊候ニ付 馬ハ繋居申候得とも未タ口入
     り不申 其上少病馬ニ而も御座候ニ付 案駄へ乗
     り罷越申候と申上候處 此元へも馬も段々居る
     そ借而明日先乗りセよ 其方心配ならハオレ
     か借りやらふと被遊 御意候間 奉恐入候 庄右
     衛門借用可仕奉存候 併乍恐 御先乗者御免被
     仰付被下候様申上候處、なせカとの 御意ニ付
     先年菊池 御巡在之節御先乗被 仰付候處 乍
     恐 上ニ被召候御馬 生月摺墨之様成御名馬ニ

256
     御先乗は御断申上候と申上處 此節之馬者た
     るくて其節之様ニ者ないそとの被遊 御意
     右衛門儀乗馬不調法ニ御座候間 若 乗付不申
     馬ニのり申候ハヽ落申候も難斗申上候處 其節
     ハ宗沢静叔カ居ぞ 亘と九郎右衛門か間ニ乗れ 
     と被遊 御意 御家老衆ゟも御受申上候様被申
     候ニ付 難有仕合ニ奉存候段申上候處 先ニ而者
     臨機応変ぞと被遊 御笑ひ御意候間 夫ハ奉恐
     入候段申上 右之通り 上よりも御慰ニ被 仰
     聞候御模様ニも被為在 誠ニ以 御懇意ニ被
257
     仰付候處 御家老より 今晩ハ 御懇意ニ被
     仰付 何れも誠以難有仕合ニ奉存候 最早遅刻ニ
     及 乍恐 上江も被遊 御屈託候と奉存候間 何
     れも下り可申と被申上候處との御意ニ而
     いつれも一同順々下りニ相成候事
      小子者直ニ御用人迄御礼申上 宿ニ引取候事
     右帰り之節 亘殿と同道いたし候處 塗中ニ而噂          亘=松野 亘 2,000石  文久二年五月~元治元年十一月 家老
     ニ 今晩ハ誠ニ無比類 御懇意ニ而冥加可存 此
     節ハ久振之 御出漁ニ而 上ニも 御興ニ被為
     入 奉恐悦候 然處 先時申上置候御噂ハ 差上候欤
258
     と被尋候ニ付 右者御一座之御興迄ニ御わやく
     ニ申上候事ニ付 差上候而者甚以奉恐入候段申
     向候處 いや家様御混迷を蒙りし末ニ付 差上候
     方却而宜 嘸々被遊 御笑御興ニも可被在 是非
     差上候様との事ニ付、宿所ニ帰り 御惣庄屋江右
     之次第申聞 直ニ今晩中ニ樽三ッ詰せ 翌早朝ニ
     壱升樽二ッニ上ミ酒を入 焼鯛壱ッ完相添 御次
     江差出 又壱升樽一ッニ焼鯛一ッ添 寺嶋宗沢
     宿所へ遣し置申候處 宗沢ハ右受取 直ニたへ候
     上 御前江罷出候節 庄右衛門ヵ約束通り宗沢
259
     へも一升かひ申候間 直ニたへ申候と申上候處
     オレニ者いまたやらぬ やりそうなものと被遊 
      御意候内 御次ゟ右之御樽肴を持出し候處 不
     怪被遊御笑 直ニ御開セ冷酒之侭 樽より直ニ
     御盃ニ御継セ被遊候處 樽口ハふとく 御盃ハ小
     サク 酒こほれ候ニ付 御側ニ有合候丸盆を御取
     御継セ被遊候而 壱盃被 召上 御残者 右丸盆ニ
     而 御近習中へ御酒有限り迄御廻させ被遊候處
     いまた早朝 乍恐 上江も御空腹ニ被為仕 御
     元気も被為附 御次中も餘程たへ酔被申候ニ付
260
     是又大分之 御興ニ被為在候段 御近習詰合之
     中嶋九兵衛ゟ内分噂いたし 誠ニ以難有 冥加無
     此上仕合ニ奉存候事
      右之次第ハ 御漁向ニ而 御別段被遊 御甘折
      柄ニ而者候得とも 外様之身分として御前ニ
      而右様御わやくをも申上候段ハ 甚以奉恐入
      候得とも 当春以来ハ 乍恐 公武之御際不一
      片被遊 御配慮 誠ニ以奉恐入居候處 近日ハ
      京都も大分静り お久し振之 御出漁ニ而 殊
      更御遠方被遊 御出候御事と而 御別段之
261
      御懇意ニ被仰付候御事ニ付 少しハ 御興も
      被為在度恐奉存候間 不憚候事をも申上候段
      ハ如何敷候得とも相記置候事
          

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■「禍なきを以て福と為す」

2020-08-07 06:53:35 | 徒然

 朝から散歩に出ようと外を見ると、お湿りの雨が降っています。
折り畳みの傘をもって出発、通りまで出ると傘を持たない散歩の人に二三であいました。
雨が降り出したのは私が出かける直前だったのかもしれません。

数日前資料の山をかたずけようとカラーボックスを二つ購入、三階まで運び上げたり、組み立てたり、思わぬ筋肉をつかい少々悲鳴を上げています。
資料は仕分けもしないまま、放りこんでいてしまいましたから、まだ仕分けの作業が大変です。

猛暑日寸前の毎日で、爺様の身体は悲鳴を上げていて、フルコースの散歩を追えて帰りついついぼやきが出ると、奥方が「散歩の距離を短くしたら」と助け舟をだしてくれます。
今朝は、雨の中ということも有り助け舟にのって35分ほどの短距離コースとしました。
いろいろ言い訳をしながら、短距離コースが正式コースになりそうな気がしています。

             言志四録に曰「禍なきを以て福と為す」

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■細川小倉藩(311)寛永五年・日帳(六月廿四~廿六日)

2020-08-06 14:35:19 | 恕斎日録

                      日帳(寛永五年六月)廿四~廿六日

         |
         |    四日              

         |   廿六日         
         |   〃〃
         |
         |             (愛宕権現)
愛宕権現へ新銭奉 |一、御小々性衆ゟ、ため池のあたこへ奉加ニ新銭拾貫文、 殿様ゟ被遣候、皆川治ア奉ニ而候付、則
加        |  治アに相渡候事、
懐硯銀ニテ作リシ |一、御懐硯、銀にて被 仰付候処ニ、御用ニ立不申ニ付而、下関へ申遣、御硯屋ニ石にてきらせ可申
モ用ニ立タズ   |                   高並権平
石ニテ下関ニテ作 |  旨、道倫奉にて候つる、則歩之御小姓山本喜兵衛ニ申付、右之銀ノ硯を本ニして、きらせ候へ
ラシム      |  と申渡、下関ニ遣候事、      〃〃〃〃〃
         |  (高木千久浦)
高木千久浦へ刀小 |一、ちくらニ、せいしつノまきさしの刀一こし、銀打さめの小わきさし一こし被遣由、治ア被申候
脇差ヲ与フ    |  事、
井原十三郎へ小サ |一、井原十三郎ニ、ちいさ刀一腰被遣候由、治ア被申候事、
刀        |
船頭へ給与ノ礼状 |一、御船頭重田吉左衛門、先度上方へ芳長老・春首座・小池右京乗せ上り候ニ付、右三人ゟ、かミ・
         |  扇・かたひら・たはこ共、吉左衛門ニ給候由、書付を以、懸 御目申候処ニ、坂崎清左衛門と当
         |    (松井友好)                                                   (渡ヵ)
         |  番ノ宇右衛門ゟ礼状遣可申旨、治アを以被 仰出候、則清左衛門・宇右衛門ゟ、伊勢因幡殿□ニ、
         |  上方へ書状上せ被申候事、
         | (規矩郡)                                       (郡奉行)
里落ノ猪ヲ差上グ |一、貫山ゟ、猪壱つ里をち仕候を、犬其外人おち相、打ころし申由ニ而、小崎與次兵衛所ゟ人を付、
明寰ニ遣ス    |  被差上候、其段申上候ヘハ、明寰ニ可遣旨、被 仰出候事、

         |
         |                  
         |   廿五日         
         | 
瓜進上      |一、山路太郎兵衛所ゟ、うり廿五、次飛脚ニ而差上候、則治アを以、上ヶ申候也、
奥方ノ番人    |一、奥方の為御番、甚兵衛・久右衛門両人、皆川治ア方へ引合、渡シ申候事、
走者ノ処理ニツキ |一、田川郡弁城村之小左衛門と申もの、銀子三枚・御帷子弐つ拝領仕候を、御郡奉行釘本半左衛門・
賞与ス      |  御惣庄や上野之清兵衛ニ渡候、子細ハ、筑前へ走越候者を、出合、留申御褒美也、右之子細ハう
ソノ実否     |  そ也、筑前ゟ走来候女を、筑前ゟ夜中におしかけ、取に来候を、かの小左衛門出合、女を遣し不
         |  申候御褒美也、
         |  闕所物ノ内、
忠利闕所物ノ銀鍔 |一、銀つはの中わきさし、 御前ゟ御用之由に而上申候、御使ハ皆川治ア、
ノ中脇差ヲ求ム  |
三斎へ干蒲鉾干馬 |一、昨日 三斎様へ、ほしかまほこ・ほしまて、為御音信被進之候、御返書今日持テ帰由候事、
蛤貝をヲ進上ス  |
中川久盛ヨリ道明 |一、中川内膳様ゟ、御使者被参候、 殿様へ道明寺の袋廿、又小谷忠二郎方へ御帷子・御単物ニ三つ
寺糠袋ヲ贈ラル  |  被遣候、忠二郎ハ先度内膳様へ御使者ニ被参候時、何も不被遣候ニ付テ、被遣候哉と之事也、則
使者へ帷子ヲ給ス |  内膳様ゟ之御使者ニ、 殿様ゟ御帷子弐つ被遣候事

         |
         |    (ママ)                  
         |   廿六
         |         
         |  切米人数 五石弐人 味噌奉行(於豊前小倉御侍帳)
吉田太郎介兄弟歩 |一、吉田助右衛門尉子、兄太郎介・弟十介弐人共ニ、昨日助右衛門 御前ニ而、子ハ無之哉と被成
小姓に召出サル  |  御尋候間、これ/\御座候由申上候処ニ、急度御礼申させ可申候、かちの御小性ニめしつかハれ
初見       |  可申候、くミはいつれへ成共、助右衛門尉望次第ニ入可申旨にて、今日御礼申上、御礼取次ハ
         |  (松井興長)
         |  式ア少輔殿也、
         |   (安長ヵ、寛永四年四月廿五日歿)
佐久間安長飛脚  |一、佐久間備前殿ゟ参候御飛脚ニ、御帷壱つ被進之候事、

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■今日も熱そう・・・

2020-08-06 07:41:14 | 徒然

                

                  6:30頃 フルコース3キロ地点 人影なし

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■文久三年「恕斎日録」(34)

2020-08-06 06:18:51 | 恕斎日録

    今回分から藩主慶順(韶邦)庄右衛門(恕斎)の軽妙な会話が登場します。
 上記の如く色分け表示をしてみました。お楽しみください。
 殿様が自らのことを「おれ=俺」と言っていることを、この資料によって知りました。

 

245
     是より海迄者何里あろうとの 御意ニ付一里           殿様と庄右衛門の「かけ」
     程も可有御座候かと申上候處 事之外 御笑被遊
     おれかまけたそとの御意ニ付 九郎右衛門殿ゟ
     上ニ者何を被遊 御笑候哉と被奉伺候處 先刻
     是ゟ海の遠さをかけニいたし おれハ二里あろ
     ふと申 あれともハ一里と申候處 庄右衛門ハ一
     里と申候間 おれハまけたと尚被遊 御笑候ニ
     付 小子より夫ハ少右衛門申上違ニ而奉恐入候 新
     地を加申上候得共二里余も御座候かと申上候處
     九郎右衛門殿ゟ庄右衛門ゟ一里と申上候者京
246
     泊迄之所を以申上候かと相見申候 然處昨年八月
     迄者 新地之崎江井樋御座候而 海迄ハ二里余も
     御座候処 大風ニ而右井樋を打崩し居 只今者京
     泊迄海ニ相成居申候間 一里と申上候得とも去
     八月迄ハ善京泊り以下も川ニ而御座候ニ付
     御勝ニ相違もム御座候 然處当時者 右之新地と
     新地之間者甚せまく相成 川之様ニ御座候ニ付
     以来者唐人川と相唱させ可申 左候ヘハ乍恐全
     御勝ニ而被為在候段申上候得とも 上ゟ者聊
     と御勝とも被遊 仰替候 乍恐御わやく乍らも
247
     難有 思召と奉存候事なり
       尚小子ゟ申上候ニ而
     来春ニ相成候得者 弥以御漁も多可被為在 乍恐
     彼岸ニ御献上之鮒を取申候間 乍恐尚其頃被遊
     御出度申上候處 此間亀之助へも申傳置候通り
     随分簡易ニいたし候様との被遊 御意候間 委
     細奉畏候間 何卒尚被遊 御出度申上候事
      右之節 茂見亀之助事を尚被遊 御意候而 兼
      而懇意いたし候哉との御尋被遊候間 亀之助
      儀者以前ゟ懇意ニ仕候 然處御次へ被召仕候
248
      節恐れ憚り居候得とも 当時者同役ニ被 仰
      付 新参ニ而御座候得者 万端庄右衛門ゟおし
      え申候段申上候處 夫ハ左様ニもあろふとの
      被遊 御意候事
     右央頃ニ至 亘殿ゟ被申上候ニ者 今日者御漁向
     之御事ニ付 乍恐 上江も些御甘被遊 御袴を御          御甘=おゆるみ→ゆっくり、くつろぐ
     取被遊度との言上ニ付 御近習ゟ御袴取差上候
     事 上ゟ御上段際ニ被遊 御出 御家老衆初一
     人宛銘々ニ御上段下ニ被 召出 いつれも御酌
     ニ而一献完被下候 其節小子より申上候ニ者 今晩
249                                  庄右衛門、殿様に酒を進む
     者御漁向ニ而被為在候ニ付 乍恐 上江茂少し
     御進ミ被遊度 乍恐庄右衛門御酌申上度と申上
     候處 おれも今迄段々たべたれとも酌いたセ
     の被遊 御意候ニ付 御側罷出 御挺子を取候處
     小サキ御猪口盃を被遊 御取候ニ付 乍恐今少
     シ大成御盃ニ而被 召上候様申上候處 御側ニ
     有之御肴の漬汁を入居候代なり猪口を御打返
     えし被遊是ニ継ケとの被遊 御意候ニ付 右御
     猪口を拝見いたし候得者 下ニ醤油のこり居候
     間 右御盃ハ乍恐御すゝかせ被遊候様申上候處
250     
     御近習ゟ直ニ洗ひ差上候間 八合斗り差上候處
     今少し継と被遊 御意候ニ付 大謄ニ張込 満酌
     御手ニ懸る斗りニ差上申候處 御一息ニ被
     召上 直ニ其盃被下 其方も一ッのめと被遊 御
     意 御酌ニ手真月事之程被下候ニ付、一ト息ニ頂
     戴仕 乍恐此御盃ハ庄右衛門直ニ拝領仕候と申            庄右衛門盃の拝領を願う
     上候處 御手自ら御鼻紙二枚被下候間 夫ニ包            殿様包紙として鼻紙二枚を下さる
     直ニ懐中いたし候處、段々頂戴仕 たへ酔たると
     欤被 思召上候哉 われぬ様持帰れとの 御意
     ニ付 難有奉存候 庄右衛門拝領仕候上ハ 庄右衛
251
     門家之面目 永く相傳可申候間 われぬよふニ仕
     り可申 乍恐被遊 御安慮候様申上候而 右之御
     品者持帰り 家之重宝ニ相傳候事
      右之通段々 御懇之御意ニ手 御酌をも度
      々被下置 乍□ 御前も 餘程元気付候上 乍
      恐御漁向ニ而 上ニも少し者御慰ニも被為
      在奉存候ニ付 是より段々と乍恐御わやく交り
      ニ申上候事
     

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■細川小倉藩(310)寛永五年・日帳(六月廿一~廿三日)

2020-08-05 10:06:10 | 展覧会

                      日帳(寛永五年六月)廿一日

         |              
         |   廿一日
         |         

         |     馬廻組二番組 二百石(於豊前小倉御侍帳)天草島原乱、手負い死亡 
瓜進上      |一、此中、山路太兵衛うりを上ヶ申ニ付、又二度か三度ほと可上候、被 仰出ニ付、 御意ノ旨申
         |  遣候ヘハ、次飛脚を以、瓜一籠拾五被差上候、皆川治あを以、上申候事、
中津郡種籾ノ借状 |一、中津郡種米籾之借状、今日加判を取ニ、持せ差越候、借状之日付ハ、何も統二月之日付にて候、
ニ加判      |  兵庫上方へ御使者ニ被罷上候ニ付、今日は道家左近右衛門被相詰候、前之日付にて候へ共、左近
         |  右衛門ニも判形をさせ申候事、
坂崎一角邸作事出 |一、小林久助・杉山伝介、此中坂崎一角家作事奉行被 仰付、今日仕廻候て、渡申由被申候事、
来        |
早鞆明神社修理料 |一、昨日ハ大工作右衛門・嘉右衛門七十二石ニ請申候へ共、彦左衛門・次右衛門と申大工、七十壱石
競落シ七十一石  |  ニせり申ニ付、七壱石ニうけさせ申由、弥五左衛門・八右衛門ゟ被申越候、以上、

         |              
         |   廿二日         
         |
         |          御機嫌ニ違、御知行被召上、三ヶ年御扶持方迄被下置候、忠利君より寛政二年御知行弐百石被下、
石寺加兵衛暑気当 |一、竹田了由申候ハ、石寺加兵衛儀、夜前登城仕、申上候ハ、今朝食過ニ可罷上通、御約束申候
腹中ノ断     |  處、昨日日ニてられ、道を参候故か、又腹中差発、煩悪敷成申候間、食過ニ登城仕儀成申間敷
         |  候、此段我等ニ罷上り、様子申上くれ候へと申ニ付、如此之由、被申候事、
         |一、今日は、坂崎清左衛門尉当番にて被■■相詰候事、
森忠政飛脚    |一、森美作様ゟ御飛脚参候、横田権佐所迄参候御文箱、私持参可仕候へとも、卒度気相悪敷御座候
         |  故如此、持せ上申由にて、被上候事、
         |   〃〃
         |                竹田定賢ヵ)竹田永翁と兄弟とも?
         |一、森美作様へ之御返書出申候事、慶安法橋へ之 御返事も、同前ニ被遣候事、
飛脚へノ給与   |一、美作様ゟ之御飛脚ニ銀子壱枚被遣候事、
         |  右之 御返書幷御銀子、歩之御小姓赤尾茂兵衛ニ持せ遣候事、
         |               (泥 障)
泥障       |一、塩田少斎御奉行所ニ持来置候あをりを、御細工之片山久蔵取ニ参候間、渡申候事、
         |                  (林)   (河田)
小人繕作事手伝  |一、御小人ノ内拾人、小頭久作ニ申付、弥五左衛門・八右衛門繕作事之手伝出候へと申付候事、
         |   (延俊)                (久盛)  (一通)
         |一、木下右衛門様ゟ、御飛脚一人ニ御文箱参候、中山内膳様・稲葉民ア様ゟ之御返書之御文箱弐つ、
         |  以上三つ上ヶ申候事、
         |一、右衛門様へ之御返書、則出申候、新や與左衛門所へ持せ遣候事、
藺田ノ仕立ヲ畳屋 |一、藺田被成御作せ 御意旨、御畳屋h置三郎二申渡候、被成御抱候ヘハ、いつれ成共見立、野山ニや
二命ズ      |                 (国遠)
         |  しきを渡候へとの儀迄、申渡候、道倫も同前ニ被申渡候事、
         |           〃
         |        (湯浅ヵ)
紫染ノ奉行    |一、紫そめ奉行、角兵衛与水木理右衛門也、
         |
仙石政俊使者   |一、仙石兵介様ゟ、浅村伝兵衛と申仁、〇御使者ニ被参候、但、先中津へ被参ニ付、 三斎様ゟ小倉
仙石忠政遺物持参 |  無案内たるへく候間と、被為 思召旨ニ而、石田作右衛門方被付遣候、但、御使者の様子ハ、仙
         |          〃
         |  (忠政)
         |  石兵ア様御遠行ニ付、御形見なと被進之御使者の由候、右作右衛門被申候事、
         |                         〃

         |              
         |   六月廿三日         
         |
仙石使者乗船ノ賄 |一、右兵介様ゟノ御使者、乗せ上り候御船頭加来久二郎と申者也、船中十日分ノ賄被遣、久二郎ゟ米
賄に遣ス物数ノ覚 |  ・樽・肴、其外相渡、切手取下候様二との 御意に付、其段久二郎二申渡候、御賄被遣物数覚
白米黒米酒干鱧鮑 |  一、白米一俵五斗 一、黒米五升 一、酒樽弐斗入弐つ 一、味噌一樽 一、干鯛十五 一、干はも三十本
薪等       |  一・こんふ弐束 一、あわひ十五 一、薪廿束
「得御諚相済」袋 |     右ノ前可被遣哉と、書付を以、得 御意申候処、書付分二可遣旨、 御意ニ候、書付ハ
         |            (ママ)  
         |     御諚相済との袋入置候也、
伊勢貞重へ音信  |一、伊勢因幡殿へ御帷五つ、御銀十枚被遣候事、
忠利成敗ス    |一、今日角介・角内被成 御成敗候事、
         |一、永良助丞書物 御前へ上申候処ニ、主次第ニ勝手能様ニ可仕旨、御自筆之 御書付出申候、林弥
         |  五左衛門書物ハ、我等共書付上申候を、 御前へ留申候、弥五左衛門自身之書付ハ、為算用、松
         |  本彦進ニ相渡候事、
         |     (安岐)
安岐浦詰ノ船頭加 |一、国東郡あき浦ニ詰居申御船頭・御加子ニ、来月之御扶持方、麦を半分可相渡通、御代官被申候、
子旅中扶持方ニ麦 |  旅ニ居申、麦をうけ取候てハ、何共迷惑之由申越候、いかゝ可有御座哉と、御船頭衆被申候間、
ハ迷惑      |  尤候条、米を渡可被申通之切かミ遣被申候へと、彦進・甚丞ニ申遣候事、
         |一、大坂御普請之御侍衆ゟ、 御六様御疹輙被成候為御祝、御状被差下候事、
         |


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■リスク4・特別警報

2020-08-05 09:20:31 | 熊本

               猛暑お見舞い申し上げます。

熊本は昨日、最多の37名のコロナ感染者が出たことで、最高リスクであるリスク4の「特別警報」が発出されました。
企業や老人施設でのクラスターなどが顕著ですが、他県由来の広がりが懸念されます。人の動きがもたらしたようです。
過去1週間の推移を見ると、10,000人当たりの数では東京・北海道・福岡・愛知などに迫る勢いです。
特別警報の発出もこれを受けてのことでしょう。

お盆の帰省の時期ですが、これも懸念されますね。
熊本市内の公民館など、高齢者の使用頻度が多い施設は使用禁止となりましたが、史談会の会場としている熊本市民会館の使用が制限されるのではないかと心配しています。
問い合わせをして、例会の開催ができるかどうか検討する必要が生じるかもしれません。
巣ごもり状態が続きますが、いろいろ忙しいことです。

 おまけに昨日の猛暑日に続き、今日は36℃の予報が出ています。
朝の散歩も6時半過ぎに出発しましたが、まとわりつくような暑さに3キロほどで済ませました。

今日はクーラーの下で、一日タイピング等で過ごしましょう。

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■文久三年「恕斎日録」(33)

2020-08-05 07:29:56 | 展覧会

237 
  七日    今日尚又尾田池漁被遊 御覧御立懸馬被遊
        御覧 莵狩をも相催候様御用人ゟ被申達候事
         今早朝ゟ 小田御家人坂下御家人二手ニ而莵
         狩 山北方角ニ相催候而 野辺田山辺へ罷出候
         様申付置候
        今朝四頃ゟ御門前江被遊 御出 市中ニ而馬乗
        被遊 御覧
         馬十六疋 乗手御馬役  久保田典八
              在御中小姓同所居住荒木哲之助
              右同内田林兵衛三男内田三左衛門
238
              沖須寸志御中小姓 岡村喜弥太
        右相済 直ニ 御小昼被 召上 尾田漁被遊 御
        覧 此節者御小姓頭御用人御歩頭御次之面々江
        茂網被 仰付 銘々打方を 御小立之中ゟ被遊
         御覧 其中ニ被 召出 段々被遊 御尋候ニ付
        夫々言上仕候内 今日莵狩相催置候次第を申上
        候處 何方へ参り居候哉との被遊 御尋ニ付 山
        北方角を追せ候而 追上りニ御向之山へ参り可
        申候筈ニ御座候と申上引取居候處 尚又被 召
        出 莵狩ハいまた参らぬかとの被遊 御意候ニ
239
        付 最早先時ゟ度々人を遣 呼せ置申候得とも未
        タ参り不申 案内ニ一ノ池ニ而も被遊 御覧候
        様申上候處 直ニ被遊 御立 御供し御間ニ逢不
        申候ニ付 小子も走り付御供申上 一ノ池之漁幷
        生簀をも被遊 御覧 尚御小屋へ被遊 御引返
        候得とも 今日者漁も聢と無之 莵狩茂隙取 乍恐
        被遊 御退屈候哉ニ奉伺候ニ付 御用人迄 最早
        被遊 御帰座候而も御宜不被為在哉と申向候
        處 直ニ被遊 御立候御保養ニ被為在候處ニ 野
        辺山江勢子声聞候ニ付奉伺候得者 最早被遊
240


        御立出 池ノ上之手迄被遊 御出候得とも 俄之
        事ニ付 御先拂も御道具持も御間ニ逢不申候ニ
        付 御惣庄屋手附横目役共へ申付 御先を拂セ御
        供申上候處 野辺田山之様ニ御入被遊候處 其内
         御走り被遊候ニ付 漸御追付御供申上候 山下
        ニ而暫御休被遊 火を焼セ御あたり被遊 夫ゟ直
        ニ山へ御入被遊候ニ付、御小姓頭御用人ゟ山ニ入差図
        ニ而 杯張せられ候との事ニ付 小子直ニ山へ
        走り入 上手之様ニ追上候様との爭ニ付 夫々差
        図いたし 小子も勢子ニ加り追申候處 上江者
241
        少西手あみ□迄被遊 御上 御床机ニ手被遊
        御覧 右相済直ニ被遊 御帰座候事
        御門前迄御供申上候而 宿へ帰り羽織袴ニ而
        御機嫌伺罷出候處 御用人長岡衛門方ゟ今晩被
        召出候ニ付 其心得いたし居候様口達ニ相成候
        事
         右相済 夫々宿等見舞候而宿所へ引取候事
         今日莵狩者小田御家人一手 坂御家人一手 内
         田御家人一手 三手ニ分れ三方ゟ追廻し狩立
         三手ニ而七疋取差上候事
242
        今晩被 召出候との御用人ゟ口達ニ相成候ニ
        付 夜ニ入御次江罷出居候處 四つ頃被 召出候
        一座之衆左之通
         御左り側一ノ座 御家老衆 松野亘殿
         右同  ニノ座 御中老衆 平野九郎右衛門殿
         右同西側ニ折曲
             三ノ座 御用人大頭列 木下織部方
         右同  四ノ座 御用人 長岡衛門
         右同  五ノ座 御取次組脇着座
                     三池尉右衛門
         右同  六ノ座     中村庄右衛門
243
         一同 御意被下 御取次ゟ 今晩者 御前ニお
         ゐて御酒被下候旨 一統江演舌ニ相成 直ニ御吸
         物御膳ニ而被下 御盃銘々御膳ニ引付 御皿二種
         御天塩三種御吸物引替 御漁鮒味噌ニ而 右配膳
         一通り御酒等頂戴相済候處ニ而 御匕助勤ニ
         而寺嶋崇沢江相伴被 仰付 小子次座ニ罷出相
         伴 其跡ニ而御取次浅山左柄被召出候而 向座ニ
         罷出 御膳なしニ而相伴なり
           小子ゟ言上
         今日茂昨日同様寒気ニ而 乍恐御気削被遊候た
144
         ると申上候處、此節者 段々せわいたしたるとの
         火遊 御意候 小子江 此方へ参れとの被遊
         御意候ニ付 御上段下」へ罷出候處 近く参れとの
         御意ニ付 御上段の上ニ罷上り候處 大なる杯を
         出せとの被遊 御意候處 御小姓役ゟ茶呑茶碗
         をさし出候處 おれカ酌いたすとの 御意ニ                        殿様の言葉遣い・・「俺が」次回以降たびたび登場している
         付 畏り御前へ杯を差出候處 御酌ニ而拝領
         仕 座ニ下り頂戴いたし候處 尚又爰へ参れとの
          御意ニ付 御側へ罷出 都合三杯 御酌ニ而頂
         戴被仰付候
        

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■地震にあらず「地籍」

2020-08-04 16:53:11 | 徒然

                                                               

   今日の散歩の途中、市道の数ヶ所に直径10センチほどの写真のような鉄蓋を見つけました。
過日 ■街角風景「地震の爪痕」で書いた「地震■■」は多分これだろうと、再び現物を確認するとまさに同じものでした。
こんなものがあるんですね~。しかし現役のものは中央部の小さな円形のなかに、何やらナンバーが打たれたプレートが張り付けられています。
プレートがないということは御役御免ということでしょう。

地籍調査のポイントが地震で動いたために掘り起こされたのかなと、首をひねりながら退散しました。
帰り道、注意して歩いていると、いろんなマンホールに出会え、マニアが沢山おられるということも知り、少々興味が湧いてきたことでした。
報告おわり。

 

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■文久三年「恕斎日録」(32)

2020-08-04 13:46:40 | 恕斎日録

229
      御前通ニ者 差身一重 にしめ一重 上ミ酒を奇麗
230
      ニ拵御取次迄差出候處 被 召上候後様子なり
      其外御家老衆以下ニ茂 同様の品ニ にきり飯を
      そへ差出 上ミ酒ハ濁酒の上ハと申而地酒ニ
      相添差出候處 いつれも欽被申候事
       下方ヘハ相応ニ品下ニ而出し候事
      右支度相済 漁師共へ綱被 仰付被遊 御覧候
      上江者右御小屋前ゟ直ニ被遊 御乗船 御取次
          (ママ)
      幷御小姓数御同舟 其外銘々乗舟ニ而御供被 
      申上 小子茂乗舟ニ而御供被仰付 歩御小姓高山
      秋蔵と同舟いたし 御用弁之ため御跡ニ付参候
231
      候事
      右御小安見所ゟ被遊 御乗舟候節 被召出候ニ
      付 御舟前ニ平伏いたし候處 此節ハ役々世話い
      たしたてあらふとの被遊 御意候ニ付 此節者 
       (遊脱ヵ) 
      被 御出難有仕合奉存候 惣庄屋以下所柄者共
      迄茂難有奉存候と申上候處 此間亀之助江伝言
      いたし候通り 諸事簡易ニいたし候様被遊 御
      意候間 委細 御意之通ニ相心得可申 難有仕合
      奉存候と申上候處 池之様子共委敷被遊 御尋
      候ニ付 一通り申上候上 尚申上候ニ者 先日迄者
232
      物部ゟも申上候通り □の根等水中ニ沈ミ 網も
      沈ミかね可申見込ニ御座候處 此節ニ至り□の
      根ハ大方腐れ葉数ハ少々沈居可申 格別網の障
      りニも相成申間敷 被遊 御延引候而却而者御
      都合御宜敷相成候段申上候
      夫ゟ直ニ乗舟 漁師一人高山秋蔵と同舟ニ而御
      跡へ奉附候處 御舟近被 召出 いつ方ヵ取れる
      との被遊 御意候ニ付 此所二ノ池と申第一之
      取れる所ニ而御座候 其後度々御舟近被 召出
      種々被遊 御尋候ニ付 夫々御返答申上 下手之
233
      様被遊 御下 井樋口ゟ被遊御上 同所ニ而漁
      師共漁之品々被遊 御覧候事
       右漁之品々大鮑数十本 大鯰数十本 大鮒小鮒
       五六荷も取れ 且又歩打之者共すみ漁之者共
       よりも差出候間 大分之御得物弐相成 中ニも
       鯰ハ御好物ニ被為在被遊御満悦 其内大ふり
       之品を御先ニ御台所へ御遣ニ相成候事
      右上り場ニ者小サク□□ひ菰ニ而風除 置座薄    
      縁ニ而拵有之候處 今日風強く上 寒気強有之 中
      之御供衆ニも寒気ニこまり候程ニ有之候處 何
234
      そ焼物ハ無之カとの被遊  御意候ニ付 高山秋蔵
      馳廻り 下小屋え麦柄荷を取出し焼付候得とも
      夫位に而者火気薄候處 幸に其側に唐芋かつら
      の枯たる有之候ニ付 御次手ゟ銘々手ニ/\曳
      参り 小子茂曳参り 御前に而大分焼もへ上り候
      處 不怪煙り申候得とも 却而 御笑被遊候而
      御興ニ被為入 是而よひとの被遊 御意候 右之
      内両度被 召出 是ゟ宿江者何方へ参る欤 何里
      程有之と 御尋被遊候ニ付 御道筋ハ夫々申上
      里数は三四合も御座候段申上候 夫ゟ田表通り
235
      御歩行被遊候處 餘り寒有之候故ニか 俄ニ御走
      り出し被遊候處 中々 御速ニ被為在 御供面々
      漸走附候 内田林兵衛宅江被遊 御着座候御
      門前迄 御供申上候事
      右相済 小子宿所着 羽織袴ニ着替ニ而 直ニ御泊
      所内田林兵衛宅御小姓頭詰間へ罷出 御機嫌
      奉伺候事
       右宿所者 伊倉町御□会所も一所ニ而 御惣
       庄屋中其外役々相詰候事
      右相済 松野亘殿宿今川善之助宅 平野九郎兵衛
236
      殿宿荒木哲之助宅見舞申候處 両殿共逢被申候
      而 此節心配之挨拶等被申候事
      夫ゟ御用大木織部方・長岡衛門方宿今川善七郎
      宅尋向右同断 夫ゟ御小姓頭両人宿善七郎惣屋
      敷見舞候處 酒肴出し居候ニ付相伴いたし酒興
      ニ入 わやくを申一笑いたし候而引取候事
       贈大鉢さしミ同頭付 丼
       酒は地酒を出し □ゟ酒を濁酒上澄と申
       出し候處いつれも欽候事

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■ご近所さん・建築散歩

2020-08-04 13:26:32 | 熊本

             

 散歩コースから外れてとある道筋で見つけた住宅です。
南面した正面は車が二台於けるスペースを確保してゆとりある敷地です。
この格子の中は中庭があるらしく、4メートルほどの高さの木が格子のすき間から枝を延ばして面白い造詣を作り出しています。
設計者が意図していたかどうかは判りませんが、結果的にユニークなファサードになっています。
そのうちに夜景を見てみたいと思いますが、さぞかし豊かな表情を見せてくれるのでしょう。
現役引退した私ですが、まだまだ設計に携わってみたいなーと思っています。

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■細川小倉藩(309)寛永五年・日帳(六月廿日)

2020-08-04 06:08:52 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永五年六月)廿日

         |              
         |   廿日         
         |
         |  (田中氏次)                    (可政)  (成政)   (立政)
田中氏次上京中ノ |一、兵庫為御使者、京都へ被罷上候ニ付而、被罷下候間ハ、加々山主馬・坂崎清左衛門・道家左近
代番三人ニ命ゼラ |            (浅山)
ル        |  右衛門かわり/\ニ、修理相番ニ被相詰候事、
         |  一番 加々山主馬  二番 道家左近右衛門  三番 坂崎清左衛門尉
         |                            (九郎兵衛カ)
伊勢貞重出府ノ人 |一、伊勢因幡被上ニ付、人数之覚、上下拾弐人、外ニ門川阿心上下三人、因幡殿荷物ハ半長持拾ヲ
数之覚      |  有之候事、
蜂須賀忠英飛脚町 |一、松平阿波守様ゟ御飛脚壱人、御文箱持下申候、三丁小■早ニ而下申由申候、則町宿申付候、賄ノ
宿に宿ス     |    (住江)
         |  儀、甚兵衛方へ申遣候事
         |       (相貞)
苅田茶屋ノ修繕完 |一、中村兵介・牧猪介方、かんだ御茶屋つくろひノ尾奉行ニ、五月朔日ゟ被遣候処、御つくろひハ
了        |  仕廻被申、今日罷帰候事、
         |                                    (芳)
船頭へ方々ヨリ給 |一、御船頭重田吉左衛門へ方々ゟ被■遣候物数之覚、一、紙一束・扇子五本、法長老様ゟ被遣候、一、紙
                      (春)
与ノ覚      |  壱束・たばこ壱斤、圭主座ゟ被遣候、一、帷子壱つ、小池右京殿ゟ被遣候、
         |    集中を
         |  右は〇今度上方へ乗せ上り候に付、重田吉左衛門ニ被遣候事、
阿波ノ飛脚へ京銭 |一、松平阿波守様へ之 御返書、式ア殿御持出被成候、幷京銭弐貫文、■■■阿波守様ゟノ尾飛脚ニ
給与       |                         御 衆
         |  被遣候を、御返書に相添、歩之御小姓山本喜兵衛幷横目〇御小人源三郎与孫介、則此孫介
         |  せ、山本喜兵衛相そいへ遣候事、
         |           〃
早鞆明神社修理ノ |一、隼友明神廻廊・廊下・橋懸り・ひさし・塀・同こしかけ・井かき・鳥居ノ立直・御料理間之た
入札    請切 |  な、此分請切に申付、入札之覚
         |  一、米九十九石六斗      二左衛門・孫四郎
         |  一、同九十八石五斗      又兵衛・六左衛門
         |  一、同九十七石六斗      作右衛門・喜右衛門
         |  一、同九十七石        彦左衛門・次右衛門
         |                                       ハ
修理料ノ交渉   |  右ノ文に書上申候内を、高八十石ニまけ候へと申付内候ヘハ、作右衛門・喜右衛門御まけ可仕と
         |  申候、内四十石只今御米、残分ハ銭を可渡と申候へにても可被げ由申候、又此方ゟ申候ハ、七十
         |                  〃〃〃〃〃〃〃      (林)   (河田)
         |  石にまけ候へと候ハヽ、御米斗可渡と申候、左様ニハいや申候、弥五左衛門・八右衛門まけ候へ
         |      〃〃〃
米ノミニ而支払ヒ |  と被申候ヘハ、左候ハヽ、七十二石ニ御まけ可申候間、御米斗可被下由、申候ニ付、七十ニ石ニ
七十二石に決定  |  定申候、内三十五石ハたゝ今、残分ハ新米出来次第可渡と、堅約束逢究候事、
         |   日  (加々山可政)
         |一、今■ゟ、主馬被詰候事、
忠利客人屋へ赴ク |一、殿様御客人屋へ被成御座候、
         |                  ニ而、山川惣左衛門
         |一、御六様はしか輙被遊、目出度奉存由〇被申上候処、被 召出、早々罷帰、甘候へとの 御意之
         |  旨、被申候事、

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■文久三年「恕斎日録」(31)

2020-08-03 06:38:26 | 恕斎日録

222
  十一月朔日 今晩上村千衛殿俄ニ塞キニ相成 中風之様相見        上村千右衛門=中村恕斎室の父
        候ニ付 急ニ深水東吾を相招 診察為致候處 中風
        ニ而者無之 塊込ミ上り候而之塞と見込候事
  二日    
  三日    今朝ゟ胸痛ニ而引入保養之事
         昨日も差起り 今朝両度起り候ニ付 東吾を相
         招見せ 薬用いたし候事
        今朝小田京泊江 新井樋明方之事ニ付 役人を東
        妙寺へ遣 御祈祷相頼候事
        右石塘者 清正公御築立之場ニ而 其節御普請
223
        之井樋とも引そへ 新ニ井樋明方いたし候間
        神慮之程も恐多奉存候 且者永代不朽のため
        祈祷相頼候事
         右御札者 新井樋之上ニ 石之ホコラヲ拵候而
         祭り置候筈
        今夕御達左之通
        来ル六日四時之御供揃ニ而 被遊 伊倉御滞留
        尾田池被遊 御漁 同八日被遊 御帰候旨被
        仰出候段御達之事
  四日    今日御殿へ罷出 御小姓頭神谷矢柄方へ対談 今
224
        度 御出ニ付 御出迎を初 夫々伺取候事
          御供極迄茂問合候事
          (老脱ヵ)
        一御家衆両人 松野亘殿 御中老 平野九郎右衛門殿

        一惣御供弐百人程 馬上三十四五人
        一御小姓頭弐人 神谷矢柄・松野亀右衛門
        一御用人弐人 大木織部・長岡衛門
        一御取次組脇一人 三宅尉右衛門 御取次浅山左柄
        一御小姓頭両人 藤吉弥次兵衛・井関熊次郎
        一御近習御目附一人 中嶋九兵衛
        一歩頭一人 安東弥太郎
225
        一御医師二人 寺嶋崇沢・奥山静叔
        一御駕役二人 田上素左衛門
        一歩ノ御小姓 高山秋蔵外ニ五六人
         漁師共用意 御目通不苦候との事
         すみ漁師も右同断
         七日ニ莵狩用意 御供之家来共 在御家人も手当
         生簀用意 水浅ニ簀を建置候との事
  五日    今日ゟ出在
        御道筋 御漁場御休所御漁之手配 下小屋 御
        泊所内田林兵衛宅御下宿等見分之事
226
  六日晴   太守様 今日五時之御供揃 御馬上ニ而 伊倉被        今日六日、尾田御池にて漁等遊ばさる
        遊 御出 四時頃被遊 御着候事
        御注進者 一領一疋騎馬ニ而 木留尾田迄早打
        乗付 御注進相勤候事
         早天ゟ差出置 継々馳付候事
        今朝五頃ゟ野辺田村御家人宅江参り 御待受申
        上候處 頓而御先番中嶋九兵衛列両三人同所へ
        来着いたし 暫ニ而 木留ゟ之騎馬御注進来着 御
        用人等江相伺 此節ハ御漁之事ニ付御郡境ニ者
        出方ニ不及 御野入之場所へ罷出居 御目見申
227
        上 御案内ニ不及 直ニ御供申上候様 自身共一所
        御跡ニ附 御漁場迄御供申上候様との事ニ付 同
        所野辺田出小屋ゟ少し東ノ方ゟ御左御野入
        込之所 往還筋ゟ御野入ニ付 其曲角迄罷出居
        候處 頓而わくとふ石御小立之御注進来着 同所
        ニ而ハ餅・唐芋等差上 御供衆へも茶ニ右之品々
        出し候間 暫御隙取 同所ゟハ御漁場之池も御目
        下ニ相見候ニ付被遊 御覧 同所ゟハ 御歩行
        ニ而被遊 御出 四ッ頃野辺田村被遊 御着 御
        目見申上候處 出たいとの被遊 御意 直ニ御跡
228
        へ御供申上 御小姓頭・御用人・歩頭之間二附 尾田
        池御漁場二ノ池前 御小立迄御供申上 小子者
        休所二着 此節ハ御漁に付 上江も御股引二御
        手切被為召 御供中も御同様に付 小子も其侭ニ
        而 御小姓頭へ 御機嫌奉伺 夫ゟ家老衆・御用人
        御取次休息所江挨拶へ罷出 献上物山芋・生うな
        ぎ大ふり 鼈を差出候處 御用人より取継ニ而直ニ
        献上ニ相成候處 右之内鼈ハ別而御好物ニ被為
        在被遊 御欽 直ニ御台所へ御料理被 仰付候
        との段申聞ニ相成候
229
         右鼈ハ品柄ニ而 兼而極御内々ゟ差上来候ニ
         付 内々御取次江差出候處 御用人江差出候様
         返候間 直ニ御用人へ右之通差出候處 御小姓
         頭も一所ニ居候而 右品ハ何ニして自身共ゟ
         差出不申候哉との事ニ付 以前ゟ如何ニの品
         ニ付 ケ様ニいたし差上来候段申向候處 夫ハ
         昔の事と被申候間 誠ニ御時節ニ而鼈本往還
         をそでふり返候哉と申向候處 いつれも笑ニ
         相成候事

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■細川小倉藩(308)寛永五年・日帳(六月十八日~十九日)

2020-08-03 06:20:07 | 細川家譜

                      日帳(寛永五年六月)十八日~十九日

         |              
         |   十八日         
         |
         |          (南条元信室、細川興秋女)
忠利鍋ノ振舞ニ臨 |一、今朝ハ、 殿様御なへ殿へ、御振舞ニ被成御座候、
ム        |
         |  新任長崎奉行
水野守信使者来ル |一、水野河内様ゟ御使者御座候、長沢十左衛門と申仁也、御音信物ハらうそく百挺入り弐箱、五拾目
音信物ハ蝋燭塩白 |  と書付在之、又塩白鳥壱つ、塩雁五つニ而候、則書付候而、 殿様へ上申候處ニ、かたひら・単
鳥塩雁      |  物之間ニ、五つか三つか、其使者ニ見計可遣旨、被 仰下ニ付、式ア殿へ談合申候ヘハ、三つ被
         |                      (友好)                    有吉英貴
使者ニ帷子ヲ給ス |  遣可然由、被仰ニ付、帷弐つ・単物一つ、松井宇右衛門ニ持せ遣候、左候而、頼母殿にて御振舞
饗応       |  候事、
         |  (築城)
百姓佳例ノ焼米ヲ |一、ついきの郡熊谷九郎兵衛百生藤右衛門と申もの、新米ノやき米ノ小俵弐つ上申候、毎年上ケ申由
進上ス      |  申上候、平野九郎右衛門上ケ被申候事、能やき米上ケ申由、被 仰出候、則百生ニ御意旨申渡、
         |  返し申候事、
         |   (広門)肥前国勝尾城主広門の子(同名)、細川藩士同姓重門の兄
筑紫広門知行三千 |一、筑紫主水殿へ御知行三千石被遣候間、御渡可被成との江戸御奉行様ゟ之御奉書壱通、又右之御知
石拝領      |                                      (三淵之直)
         |  行所わけの儀、被為得 御諚、片付御渡可被成との 御奉書壱通、合弐つ共ニ、左膳殿を以、御
         |   前へ被 召上候事、
         |   (直時)大坂町奉行                  大坂城普請の四組の頭衆
嶋田直時書状等来 |一、嶋田越前様ゟ、 殿様へ被進候御状壱つ、又四頭之御衆ゟ言上之状、重田吉左衛門持下候事、
ル        |
         |一、かり小早ノ船頭吉兵衛と申もの、江戸ゟノ御飛脚乗下候事、

         |              
         |   十九日         
         |
         |           (氏次)旧久留米藩主・田中吉政弟
京江戸ヘノ使者  |一、京迄之御使者ニ、田中兵庫被遣候、又長谷部文左衛門ハ江戸へ御使者ニ被遣候、両人共ニ同船■
長講堂出船ス   |  ニニ而上り被申候、船頭ハ南次兵衛也、又此舟ニ長講堂も御上り候也、
家光ヨリ三斎ノ帷 |一、御上様ゟ三斎様へ、 御かたひら被進之候御返書、此中参居申候、今度長谷部ニ渡し、江戸へ差
子進上ノ返書   |  上ヶ申候事、
         |                    六百石・物奉行(於豊前小倉御侍帳)
光尚へ小判五百両 |一、御六様へ、金小判五百両被進之候、是も長谷部被持下候事、
ヲ送ル      |
         | (長浜顕長室、沼田清延女)(宗珠院)
宗珠院ヘノ音信物 |一、いよ殿ゟ、庭田そうしゆいん殿へ小箱壱つ参候、内ニ銀子在之由書付、苻ノ儘うけ取申候、大坂
請書       |          (ママ)                                (黒印、印文宗□)
         |  ニ而寺嶋主水ニ、大坂可申由候、慥相渡、切手とり可申候、南次兵衛〇
         |                   (飯田)
         |一、重田吉左衛門罷下候ニ、寺嶋主水所ゟ才兵衛方へ当り候文箱壱つ、則才兵衛ニ渡候、其外ノ状も
         |  渡申候事、
使番馬標持    |一、飯田才兵衛方より、仁保太兵衛・寺嶋主水方へ御用之儀被申遣状、御使番七左衛門ニ持せ、南次兵
         |  衛ニ渡させ申候事、
         |(墨線ニ而抹消)
         |「一、大坂ニ而寺嶋主水方へしゆろほうき五拾本可被買下之切手候て皆川治ア・林隠岐方ゟ之
         | ______              (ママ)
         | 切手ニ日之下印判付御船頭南次兵衛方へ御使番   」
         | 〃〃〃〃〃〃〃〃〃
         |
寒田矢山ノ牧馬望 |一、寒田・八山之御牧馬御取よせ被成候を、ほしきと申もの候ハヽ、とらせ可申旨、被 仰出候、就
ム者ニ払下ゲヲ命 |  夫、上田忠左衛門被申候ハ、ほしきと申衆も御座候間、遣可申候、しかしなから、当分代銀をた
ゼラル      |  て■候て、取申儀不相成衆可有御座候、左様之衆ニハ、代銀くれ迄のへ候ても遣可申候哉と、被
代銀納入ハ年末迄 |  申候間、くれまてのへ候ても遣可被申通、申渡候事、
延スルモ可トス  |
長崎ヘノ使者   |一、石寺加兵衛長崎へ御使者ニ、今月廿一日ニ被遣候間、早々可被出由にて状遣候、前かとも河内
         |  様御通被成候ハヽ、追付可被遣由候間、其御心得候て状遣候、申遣候へ共、余之延引ニ而候
         |  故、又如斯状遣候事、
棕櫚箒五十本買入 |一、大坂ニ而、寺嶋主水方へしゆろほうき五拾ほん可被買下との切手m皆川治ア・林隠岐方ゟ遣候、切
小間物奉行墨買入 |  手ノ日ノ下ニ印判付上せ候、又御こま物奉行野口久五郎・上塩京右衛門方ゟ、墨弐拾丁買可被下
レノ切手     |  との切手ニ、日ノ下ニ印判付、お使い版寺尾左介与植木勘丞ニもたせ、御船頭南次兵衛方へ遣候
         |  事、
忠利屋形北絹ヲ染 |一、やかたほつけん九端ノ内、六端ハちや染、残ル三端は紫ニ染させ可申旨 御意、奉竹原少大夫・
メシム      |  安田甚九郎・南畝小兵衛にて、出候を染させ可被申由申付、杉本左介方へ相渡申候事、
         |                  (芳)
芳長老      |一、かミ一束、扇五本       法長老ゟ
         |                 春首座ゟ
春首座      |一、かミ一束、たはこ壱斤     春長老ゟ
         |                 〃〃〃〃
小池右京     |一、かたひら壱つ         小池右京
         |  右ノ衆、重田吉左衛門舟ニ乗上り候処、吉左衛門ニ給候由、申候事、

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