津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川小倉藩(324)寛永五年・日帳(七月廿ニ~廿五日)

2020-08-20 10:19:10 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永五年七月)廿二~廿五日

         |   廿二日 
         |
三斎ノ急用    |一、三斎様ゟ御急之儀、次飛脚を以、被 仰進之候、昨いぬノ刻之木田権内送状、今朝卯ノ下刻二参

         |                                        (皆川)(大塚)  
         |  着、則中津ゟ参候御文箱上ヶ申候処ニ、以之害之御急に候間、早々次飛脚二而可進旨、治ア・長庵
         |  被持出候事、            
         |                    (俊治)
木下延俊ヨリ返書 |一、木下右衛門様へ、去十八日ニ 御書幷木下左兵様 山田蔵人所ゟ参候状共、御飛脚二持せ被遣
         |  候、今日罷帰候、則御返事参候事、
忠利松井興長邸ニ |一、今日は式ア少輔所へ被成御座、終日被成御遊山候事、
遊ブ       |
長崎ヨリ羊皮幷へ |一、長崎ゟ、御飛脚弐人参候、壱人ハ此方ゟ遣候御飛脚、壱人ハかの地ゟ付遣被申候、ひつじのかわ
るとわん     |  又へるとわん壱巻調、持せ被越候事

         |
         |   廿三日 
         |
鉄炮足軽中ニ犬皮 |一、御鉄炮衆之内ニ、犬之皮所持仕もの有之哉と、月行司ニ申付、相改させ申候処ニ、壱枚もム御座
ノ有無詮索ス   |  候由、松尾彦兵衛申来候事、
申上覚      |    申上覚
古船ノ売払ヲ船頭 |一、御早舟九端帆壱艘、御荷舟九端帆一そう、都合弐艘古ク不立御用候間、御うり被成可然奉存由、
惣奉行具申ス   |  鏡善右衛門書付被上候間、判形仕、遣候事、
古船解体ノ奉行ヲ |一、横田権佐与安松茂左衛門、御古舟とき申奉行弐申付候事、又富田十太夫与南五兵衛も申付候事、
命ズ       |
小堀長左衛門花畠 |一、小堀長左衛門申候ハ、御花畠ノ草木ニ、御馬やのこへを取置申候ニ、小舟入申候間、被仰付被下
ノ用ニ廐肥運送ノ |  候へと申候、又若ふとめし候時、まいり申候ヘハ、おそく御座候間、ぬしものり可申由申候間、
舟ヲ願ウ     |  其方のられ候事ハ先無用候、こへをまハし候ハ渡可申由、申渡候事、
口ノ番所ノ当番高 |一、口之御番所にて、今晩大勢にて高声被仕候、 殿様口ニ被成御座候処ニ、何とて高声被仕候哉、
声ヲ筈メラル   |  各御番被仕かいも無之由、当番之歩之御小性山本安太夫・瀬崎左介・山路勘左衛門・井田小兵衛
承服ス      |  ニ届申候処ニ、右両人被申候ハ、御尤之被仰様、行当申候、以来ハ其心得可仕由、被申候事、
         |  (南城元信室、細川興秋女)
鍋付ノ侍女事ニツ |一、御なへ殿ニ被為付置候末岡小介、女事ニ付、今晩しちへやニ御入被成候事、
キ質部屋入    |

         |
         |   廿四日 
         |
         |一、竹内吉兵衛与嶋田與兵衛・伊藤金左衛門与山田十三郎、七月十五日ニ江戸を立候由ニ而、罷下
         |  候、大坂ニ廿一日ニ着仕由、申候事、
         |一、御船頭井上十右衛門舟ニ乗下候事、
         |                            (守信)   (政信)
長崎諸方ヘノ書状 |一、波賀小右衛門、長崎ゟ参候を、今日長崎へ戻し申候ニ、水野河内様・末次平蔵殿へ之 御書箱弐
         |             (飯銅)                      (坂崎成政)    (問)  
         |  つ相渡申候、又式ア殿ゟ上右衛門・五郎兵衛所へ被遣状一つ、清左衛門所ゟ紹甫所へ之状一つ、
         |  (沢村大学)        (へ脱)
         |  大学殿ゟ上右衛門所之状一つ、星野半大夫所へ、続平右衛門ゟノ状一つ、我々共ゟ上右衛門・勘
         |  右衛門所へ之状一つ、上右衛門・半大夫へ被遣 御書一通、慥相渡候事、
         |
鍋島勝茂ヘノ急飛 |一、鍋嶋様へ 御書被進之候御使ニ、御小人半七・市介両人ニ持せ遣候、但、遣銀等つねゟ過分ニ
脚        |  遣、片時も急参着仕候様ニと、皆川治アを以、被 仰出候事、
         |              與吉
         |一、日出へ被遣候御書、御小人作左衛門遣候、此御飛脚ニ、山田喜斎へ被遣 御書も可遣旨ニ付、其
         |  段申渡、遣候事、    〃〃〃〃
         |               作兵衛と
         |一、臼杵へ被進候御文箱、御小人久介と申ものニ持せ遣候事、
         |               〃〃〃
寒田牧山ノ馬数  |一、馬大小三拾八ノ内、九つは死、残而廿九、今日まで居申候分也、但、沢田のまき馬也、
服忌届      |一、山内三太夫、八朔ノ御礼ニ可罷出候へ共、岡本新兵衛女房相果申候、三太夫為ニハしうとめニて
         |  候ニ付、いミ御座候ゆへ、不罷出通、林久太夫を以、被申し越候事

         |
         |   廿五日 
         |                                 (古沢)
上林甚介茶壷   |一、上林甚介仕候ちゃつほ壱つ、治ア所ゟ御奉行所へ遣被置候を、御茶道之真斎ニ渡候事、
         |一、御小人作介、江戸ニ詰居候請人無之段、可申遣候事
         |一、広吉半右衛門、御長持からけ申御奉行申付候事、
         |                    (台所奉行)
         |一、西沢文右衛門与之樋田少三郎被 召上、浦上瀬兵衛ニ引合、今日より御台所へ通り申候事、

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■細川小倉藩(323)寛永五年・日帳(七月廿~廿一日)

2020-08-19 06:13:15 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永五年七月)廿~廿一日

         |   廿日 ニ上ス船頭中都留二左衛門弥吉、此舟ニ、江戸ゟ参候御飛脚久左衛門も上せ候也、
         |              〃〃〃〃

         |
江戸詰鉄炮足軽交 |一、江戸替番ニ、今日遣御鉄炮衆名付、佐分利兵太夫与広石半介・明石源左衛門与筏次兵衛、芦田
替        |                            (細川光尚)  
光尚ノ腰桶    |  與兵衛与吉川源兵衛・牧丞太夫与高橋少右衛門被遣候ニ、 御六様へ被進之候御こしおけ壱つ、
         |  持せ上せ候事、
江戸道中十三日分 |一、右四人之御鉄炮衆、江戸道中十三日之遣銀ハ、此地ニ而被遣候、九月九日ノ呉服、京ニ而うけ
ノ遣銀      |  取ニ、若ひま入候ハヽ、京逗留分遣銀わたし可被申通、京衆へ書状遣候事、
中津ヨリ絵書三人 |一、中津ゟ、ゑかき三人ゟ越候返事、亥ノ刻ニ中津出申由、書付在之、此地ニ卯ノ下刻ニ参着、但、
         |  次飛脚ニて参候事、         (大塚)
大塚某八朔ニ初見 |一、大塚忠兵衛弟、来ル八朔ニ御礼申上度候、長庵・忠兵衛同心ニ而被申候事、
ノ願       |
親ノ病気見舞ノ届 |一、福田甚太郎被申候ハ、親善右衛門煩申由、申来候間、見廻ニ参度申候、相使源次方へ被申候
         |  間、可被参由申候事、
         |一、野瀬甚介儀、此中眼相煩候へとも、快気仕由ニ而、登城被仕候事、
台所ノ者ノ用   |一、御台所へ可被 召上との、西沢文右衛門与樋田少三郎儀、松尾彦兵衛を以、伊藤金左衛門方へ相
         |  尋候ヘハ、文右衛門与留守之儀を万事我等を被頼置ニ付、一通りハ如何由申上候へ共、御意ニ
         |  而、被 召上候ヘハ、我等申分少も無之由、返事被申候事、

         |
         |    廿一日
         |
         |    (正慶)                                             (寝)
         |一、加賀山権左衛門・春木金太夫所ゟ、廿日ノ日付之状、同夜四つ過はや 御宸成候て、修理宿へ持
         |  来候ニ付、夕ア上不申候事、
初メテ役ニ付キシ |一、当七月十八日より、国遠道倫奉ニ而、初而御用被 仰付ものニ、銀子壱枚被遣候、請取切手ハ此方
者ニ銀子一枚ヲ給 |          (へ脱)
与サルニ請取切手 |  ニ取、則証拠ノ段包印判をして入置、御銀奉行ヘハ修理一判ニて切手遣候事、
証拠ノ段     |
         |              何年ぶりニ
林弥五左衛門借米 |一、林弥五左衛門御借米返上、〇すミ、不済との書物弐つ、証拠之段に入置候事、
ヲ返上ス     |
         |                                    (政時)  (坂崎成政)
中津ヨリノ音信  |一、源三郎与ノ御小人三蔵、中津へ被遣候、又弥左衛門与十三郎両人罷帰候、貴田権内ゟ坂崎清左ニ当
         |             (飯田)           (長舟)
         |  言上状一つ、山田竺印ゟ才兵衛ニ当言上壱つ、十右衛門・権内ゟ御請ノ文箱壱つ持来候、左膳殿
         |  を以、上ヶ申候事、
         |           
間小左衛門長崎ヨ |一、間小左衛門より上ヶ〇物数覚 当町ノ廻船次右衛門舟ニ而、積上せ候、
リ上グ物数ノ覚  |
孔雀       |    一、くじやく四つ、
雉ノヨウナル鳥  |    一、きじの様成鳥壱つ、
釈迦ノ頭     |    一、しやかのかしら壱本、
檳榔樹      |    一、ひんろうじ  壱本、
木槿赤八重    |    一、むくけ    壱本、赤キ八重
同 白      |    一、むくけ    壱本、白キ八重
         |  右ノ前、小左衛門送状ニ而積来、吉田少左衛門持せ被上候、
枯シ釈迦ノ頭   |    外ニ、しゃかのかしら壱本かれ候を、土きわよりおり候て、土ニさし入、上せ申ニ付、御せ
         |    んさく被成候ヘハ、かれ候ニ付、御用ニ立間敷とて送状ニハ書のせ不申候間、若重而若ばへ
         |    も可出哉とて、小左衛門口上ニ申聞候由、船頭申候ニ付、被成御赦免候事、
岩男嘉入屏風ニ書 |一、岩男嘉入儀、中津ニ而、御屏風ニ書付をさせ可申旨ニ付、明日被遣候、脚気此中さし出、参難由
付ノ用  脚気中 |  申ニ付、次馬ニ而遣候、以来ノ例ニ成儀ニ而ハ無之候事、
故継馬ヲ与ウ   |
大阪城普請ノ横目 |一、大坂御普請横目ニ被遣歩之御小性十人、大坂ゟ被罷下ニ付、上下廿人に、七端ぼの御はや舟を、
帰国ノ用ニ七端帆 |  (寺嶋)
ノ町船ヲ廿八匁ニ   |  主水渡被申候、然共、上下廿人ノ荷物、幷御加子十八人、飯米旁ニて、中/\乗下候儀不相成
借用       |  付、主水へ御舟を戻し、七端帆ノ当町舟をかり、弐十八匁にかり、下被申候、主水所ゟうんち
         |                     〃〃
         |  ん大坂ニ而不相渡候間、爰元吟味被仕ノ上可相渡由、被申越候付、其時之御船頭加来久二郎ニも
         |                 〃〃
         |  たつね候ヘハ、中/\のれ不申儀無紛由申ニ付、右ノうんちん渡させ候事、
忠利西ノ茶屋ニ遊 |一、殿様八つノ下刻ゟ、西ノ御茶屋へ被成御座、六つ時分ニ被成御帰候事、
ブ        |

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■虫も疲れる夏

2020-08-18 10:46:35 | 徒然

                                                           

 昨日の熊本市内は37.8℃になった。爺様はばて気味で、真夜中には左足が猛烈な「こむら返り」
これは熱中症の典型的な症状だそうだが、クーラーは8月に入ってからは真夜中でもつけっぱなしなので熱中症はないと思うのだが??
今朝ほど起きだしても、左足に違和感があり、少々歩行困難気味である。
それでも朝から自転車を引っ張り出して、宅配の営業所まで往復4キロほどを走る。(歩くほどの充実感はない)
帰り着いて駐車場に体長3センチほどのクワガタがひっくり返っているのを発見、こちらは間違いなく熱中症のようだ。
保護して我が家の植木鉢において、霧吹きをしてみる。
しばらくすると捕まらせた葉っぱからもんどり落ちた。相当な重症らしい。一時間ほど経過するが臨終が近い感じ。
虚空をつかんで青空を見上げるセミの死骸もあちこちで見られる。今年の猛暑は昆虫の寿命もちじめているような気がする。
爺様もくたばらぬよう、コーヒーをやめて水を十分に飲み、塩飴を口に放り込んで生き永らえようと心掛けている。

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■細川小倉藩(322)寛永五年・日帳(七月十九日)

2020-08-18 06:57:41 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永五年七月)十九日

         |              
         |   十九日
         |

間紹甫書状案浅山 |      長崎ゟ来状写
修理宛      |   先月廿九日之御状、忝令拝見候、先以唐船無事ニ喜朝仕候由被仰上、一段御機嫌能御座候由、
         |   忝奉存候、買物之儀、先書ニ申上通ニ御座候、然は、伽羅之儀、小篠角太夫殿へ上せ候へとの
伽羅壺      |   御定之由候間、則伽羅壺壱つ相渡申候、別帋ニ小左衛門所ゟ、注文仕上候俵物之儀、上右衛
         |  門殿ニ申談、重而可申上候、伽羅壺之苻〇印判是ニ而御座候、小左衛門儀も、少峯薬ニ而大か
         |  た快気仕候、頓而罷上、御礼可申上候間、可然様ニ 御前御取成可忝候、恐惶謹言
         |     七月九日                       間紹甫判
         |      浅山修理様
間紹甫追而書案浅 |
山修理宛     |
唐木ノ板     |   尚々、唐木ノいたニて、もく見事ノ由申候、交□ゟ、庄左衛門調参申候、以上
黒檀ノ木     |  追而申上候、 殿様御用候而、右ニ被 仰付間、こくたんノ木壱本、爰元ニ而調進上仕候、
鉄刀木ノ板    |  則小篠角太夫殿へ相渡申候、早々上せ可申を、船便無御座候て、延引申候、又たがやさんノい
         |  た、あつさ四寸程、はゝ壱尺五六寸、長サ壱間余御座候、御用ニも立申候ハヽ、重而之御舟ニ
         |  上せ可申候や、御さしつ候て可被下候、以上、
         |     七月九日                       間紹甫判
         |      浅山修理様
         |
交̪趾ヨリ購入ノ伽 |    交̪趾ゟ調参申御伽羅注文
羅ノ注文     | 一、御伽羅拾三斤四十三匁五分
         |      貫目ニテ、弐貫百弐十三匁五分
         |    右代銀五貫七百六匁九分 壱斤ニ付、四百卅目宛
         |                百目ニ付、弐百六十八匁七分五リン宛
間小左衛門書状案 |    右之御伽羅上中下も可有御座候へ共、上斗ハはなし申候てハうり不申ゆへ、右之通ニ買調、
浅山修理宛    |    上ヶ申候、 御前可然様ニ、被仰上可被下候、以上
         |     七月九日                       間小左衛門
         |      浅山修理殿
         |      田中兵庫殿
         |
長崎買物奉行等用 |
状写浅山修理宛  |  小篠角太夫方被成御下候ニ、御状令拝見候事、
銀三十貫     | 一、御銀三十貫目請取候事、
         | 一、御買物調置候分上せ申候、送状之前、御うけ取可被成候事、
長崎ノ相場付   | 一、爰元双場付仕候て、上せ申候事、
ばれいだヲ平戸ニ | 一、ばれいだの儀被仰下候、此表ニ一円無御座候間、岩田甚太郎相添、御銀持せ、平戸へ遣候事、
求ム       |                                急度
長崎蔵屋敷建設ノ | 一、此表ニ、御蔵やしき之御立置御損得之様子可申上由、被仰下候、〇先度申上度候へ共、御買物
         |                                 〃〃
損益       |   急上せ申度候間、追而紹甫と吟味仕、頓而可申上候、恐惶謹言
         |      七月九日                        (飯銅)
         |                                 上右衛門
         |   尚々、爰元双場付、節々可申上候、以上                            (岩田)
         |       浅山修理殿                     甚太郎
         |                                (嶋田)
         |                                 助右衛門
         |
巻物之注文    |    御巻物注文
紋天鵞絨     | 一、もんびらうど  八端 代壱貫弐百目、壱たんニ付、百五十目宛、
天鵞絨      | 一、びらうど    八端 代七百目、但、壱たんニ付、八十七匁五分宛、
黒繻珍      | 一、黒しちん    八端 代七百六十目、壱端ニ付、九十五匁宛、
         |                 百廿目
色繻珍      | 一、色しちん    拾四端 壱貫弐百、壱端ニ付、八十め宛、
         |                 〃〃
鱗縮緬      | 一、うろこちりめん 六端ハ九百目、壱端ニ付、百五拾目宛、
おくさるぜ    | 一、おくさるぜ   五間三尺 代百三十目
         |      右壱箱ニ入
黒繻子      | 一、黒しゅす    六十六端 代五貫六百四十三匁、壱端ニ付、八十五匁五分宛、
黒茶宇      | 一、黒ちやう    十一端 代四百九十五匁、壱端四十四匁宛、
厚手ノ繻子    | 一、あつでのしゅす 拾端 壱貫弐百三拾目、壱たんニ付、百廿三匁宛、
         |      右壱箱ニ入
白繻子      | 一、白しゆす    七十端 代五貫弐百五十め、七十五匁宛、
色茶宇縞     | 一、色ちゃう縞   三十六端 壱貫五百十二匁、四十二匁宛、
         |      右壱箱ニ入
黒繻子      | 一、黒しゅす    六十端 代五貫百六拾目、八十六匁宛、
唐布       | 一、唐布      弐百端 弐貫八百六十め、拾四匁三分宛
         |      右三包
唐くらげ     | 一、唐くらげ    百五十五匁、五分五リン宛、
         |      右かこ弐つニ入
広東緞子     | 一、かんとう段子  九十端 弐貫三百四拾目、弐十六匁宛、
         |      右しふかミ包壱つ
         |     銀合、弐拾九貫三百五十匁
         |      右しふかミ拾三枚
忠利ノ道服ノ用  |   右之前、小篠角太夫被上候舟ニ、調上せ申候、うろこちりめん・おくさるぜハ、 上様御道服
         |   之御用にも成可申哉と存、買調申候、以上
         |     寛永五年七月九日                    上右衛門
         |                                 甚太郎
         |         浅山修理殿                   勘右衛門
         |
         |一、水野河内様ゟ、小篠角太夫ニ御帷子弐つ・単物壱つ被下候由、被申候事、
長崎升ト豊前升ノ |一、飯銅上右衛門所ニ在之、長崎升之写と、御国升とやめし候ヘハ、壱斗ニ付六合五勺、長崎升大ク
相異石ニ六升五合 |  在之由、御蔵奉行衆申候、石ニ付、六升五合ノ違也、
         |一、長崎ゟ小篠角太夫持上り被申御物、 御前ニ而角太夫ニ被成御渡候、何も角太夫ゟ御納戸衆江渡
唐布三反不足   |  被申候処ニ、唐布三たん不足仕由候、其外ノものハ、送状ノニ合申由候、不足ノ布ハ如何候由、
         |  長崎へ角大夫ゟ被申遣候、長崎ゟハ、苻儘角太夫うけ取、被参候事、
唐人焼物ノ日雇米 |一、間太郎介被申候ハ、唐人共ニやき物被 仰付候時ハ、上ハ一日ニ七升三合、中ハ一日ニ六升三合
上中ノ位     |  宛被遣候、併、其時ノ七升三合取ハ年罷寄、やき物も悪敷、其上数も前之半分ほと仕様ニ御座  
         |  候、此直段如何可仕哉と、被申候事、
囮雀ノ札ノ書直シ |一、しゝめおとりの札、明日廿日ノ日付ニ〆、拾枚書直シ、河井権丞ニ相渡候事、
焼物薪ノ奉行   |一、やき物奉行ニ、橋本惣右衛門申付候事、則薪ノ奉行をも同前ニ申付也、
         |        弐貫文ハ浦ノあミニ被遣、
漁網ノ料     |一、銭拾貫文内 六貫文ハ町あミニ被遣、
         |        弐貫文ハ御郡あミニ被遣、
         |  右、三枚ノ切手調、御使番七左衛門ニ持せ、河野新右衛門所へ遣、慥うけ取申由、返事在之也、
         |一、明日長崎へ被遣御飛脚源三郎与作兵衛也、則状三つ、源三郎ニ渡、遣候事、
江戸大坂京ヘノ書 |一、明日ノ便ニ被遣 御書数ノ覚
状数ノ覚     |  一、江戸御留守居衆へ、大文箱一、
         |  一、大坂四頭衆へ之 文箱一、
         |   (飯田)才兵衛、(永良)長兵衛ゟ上せ被申状壱つ、
         |  一、京ノ三人へ被遣申 御書一通
         |         〃〃〃 〃〃〃〃
中津ヨリノ継飛脚 |一、山田喜斎ゟ、次飛脚ニ而言上状被差上候、午ノ上刻之状、申之上刻ニ参着、則上候処、さて/\
ノ速キヲ賞セラル |                (波多)
         |  はやく参由、御褒美被成候、奉中庵也、
               

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■細川小倉藩(321)寛永五年・日帳(七月十六~十八日)

2020-08-17 08:23:38 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永五年七月)十六~十八日

         |              
         |   十六日
         |

忠利川狩     |一、今日も御川狩に被成御座候事、
         |    (松井興長)(有吉英貴)(三淵重政)
三家老取勝ノ川狩 |一、式ア殿・頼母殿・右馬殿、此三人ヘハとりかち二魚可被取旨二而、御取候事、
川狩ニ町在ヨリ漁 |一、町人在々ゟ、あミ其外ノ道具を持出申人数之事<
具持出シノ人数  |            (規矩郡)
 投網      |   一、唐あミ三てう ■当郡ゟ出ル、
 鰻掻      |   一、いなきかき壱本  同
         |              (小倉)
         |   一、唐あミ七てう  当町ゟ
鵜飼ノ鵜二羽ヲ一 |   一、鵜二羽 老人ニ而遣    
人遣       |
漁具ニ銭十貫ヲ給 |  右野あミ共ニ、銭十貫文被遣候
ス        |
         |      内
         |    壱貫文ハ、 (小倉町奉行)       鵜遣ニ被遣、
         |         吉田少右衛門ニ渡ス、 町あミ七てうニ被遣、但、此中ノ御かりニも罷出候あミ
         |    五貫文ハ、           打二ハ其かけん候て、後割苻佳有由、申渡候、
         |          (規矩郡奉行)
         |    弐貫文ハ、小崎與二兵衛二渡ス、 御郡ゟ出申候あミ三てうと、うなきかき壱本持出候もの
         |                    ニ被遣、
         |    弐貫文ハ、           此中ノ御川狩ニ、浦々ゟあミを出申候ニ付、被遣候、
         |
         |一、明日ハ秀林院へ、五つ時ニ御参可被成旨、被 仰出候事、

         |              
         |   十七日
         |

鉄門番ノ代リ   |一、北村平右衛門被申候鉄御門番長右衛門儀、永々相煩申候間、かわりのもの壱人申付候儀ニと、被
         |  申ニ付、津留田久左衛門明日ゟ可遣由申候、則久左衛門ニも申渡候事、
秀林院法事用具  |一、秀林院ゟ御屏風弐双半・もうせん十枚、内四枚ハ新敷也、■■何も御そうち坊主休心・宗喜二渡
         |  ス由、今池作右衛門申候事、
         |(黒引ニテ抹消セリ)
         |「一、一両日中ニ、江戸へかわりニ被遣御掃除坊主見達・宗印・久羽・久清、此四人也、
         |一、右同道ニ而、被遣御鉄炮衆明石源左衛門与池田次兵衛・芦田與兵衛与吉川源兵衛遣候、此弐人と
         |  坊主四人と合六人、九月九日之呉服、京ゟ江戸へ差下奉行旁々二、其上坊主も御鉄炮衆も彼地久
         |  々詰居ものゝかわりに遣候事、                             」
         |                      (三淵之直)
         |一、三斎様ゟ、次飛脚二而、 御書被進之候を、則佐膳殿を以上申候事、
江戸詰鉄炮足軽交 |一、江戸ニ詰居候御鉄炮衆ノかわり、来ル廿一日ニ四人差上可申候、則九月九日ノ呉服、京ゟ江戸へ
替  重陽ノ呉服 |  下候間、此御物を、右四人うけ取、奉行仕、可罷下通申付候、此段得 御意如此候也、
江戸へ運送    |

         |              
         |   十八日
         |

忠利西溜池ニ鵜飼 |一、殿様、今日は西之ためいけ中橋にて、鵜を被成御遣せ候也、
セシム      |
         |一、大坂ゟ、御小早罷下候ニ、木下右衛門様御内山田蔵人所ゟ、中沢市丞へ之状披露状ノ文箱壱つ、
         |   (米田是季)
         |  監物殿ゟ御下候ニ付、様子書付、清左衛門方へ当テ、ためいけへ進上候処ニ、清左は不被有相
         |  ニ付、左膳殿御披露被成候処ニ、我々所ゟ、市丞へそへ状仕可遣旨、被 仰下ニ付、則御飛脚
         |  申付、遣候事、
         |      (間)
入牢人ノ煩ニ土々 |一、籠者赤熊村之與吉、此中相煩候ニ付、土々呂木以心くすりを用させ、此十日已前ゟに快気仕ニ
呂木以心ニ投薬ヲ |                                      〃
命ズ       |  付、薬を引由申候、然処、一昨日相■めしをたべ不申由、番衆申来候ニ付、又以心被見廻、薬

         |  可被与由、申渡候事、
         |   (俊治)       父・延俊
木下俊治書状同延 |一、木下左兵衛様ゟ、右衛門様へ被進之御状一つ、右ノ蔵人所ゟ、右衛門様へ被上条一つ、 殿様
俊宛       |                              (へ脱)
         |  ゟ右衛門様へ被進の 御書壱つ、以上三つ御鉄炮衆ニ持せ、日出遣候、我々ゟ、中沢市丞所へそ

         |  へ状仕、遣候事、
         |                                        (白井)
泰勝院前舟入ニテ |一、泰勝院前ニ而、あミを可被成御引せとて、今日たて切置候へ共、 殿様ハ不被成御座、兵介・
立切網漁     |  (鏡)
         |  善右衛門あミを引せ、魚可上旨、真下七兵衛奉ニ而、申渡ニ付、引せ申由ニ而、ぼら其外魚八十

         |  三取上候、則治アを以、上申候事。
三斎羅漢寺へ参詣 |一、山田喜斎ゟ 三斎様らかん其外へ被成御座由、次飛脚を以、書状被上候、我々方へも書状参候、
ノ報       |  但、酉ノ下刻と在之状、子ノ刻ニ参着候事、
長崎へ小麦ヲ積下 |一、長崎へ、小麦積下候御船頭上田惣吉罷上候刻、小左衛門舟ニ参候鳥・花木共積上り候へと、河村

ス  鳥花木ヲ小 |  弥右衛門を以、慥ニ申渡候、但、廻船ニはや積上せ候へば無申事由、星野半太夫所へもきり遣候、
倉へ廻漕セシム  |  但、弥右衛門ニ持せ遣候事、


 

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■只今「クーラー風邪」にかかって居ります。

2020-08-17 07:24:05 | 徒然

 お盆の期間中、熊本は猛暑日が続き、一昨日昨日は36.7とか36.8とか耐え難い暑さである。
今日明日は38℃の予報が出ていて、これでは一歩も外へは出られない。毎日外出は早朝の散歩のみである。
クーラーは随分以前から24時間付けっ放しでフル稼働状態で、過日はこれが壊れて動かなくなった夢を見た。
分りもしないのにあちこちを点検して、やけくそで室外機を蹴り上げたら動き出したというのが落ちである。
今、クーラーが故障したら、死に直結するな~と実感する。

私のデスクは、クーラーの吹き出しにもろにあたる為、長そで・長ズボンのいでたちで過ごしているが、27度程をキープするためにフル活動していたら、鼻水たらたらでティッシュの山が出来、完全にクーラー風邪に懸っている。
頭痛がするが、熱発はなくこの時候柄、コロナと間違われることはなさそうだ。
熊本では連日の感染者が続出している。お隣の福岡や宮崎が数が多く、油断が出来ない状況である。
22日は史談会の例会だが、市民会館から会場使用禁止の連絡が入りはしないかとヒヤヒヤしている。
あと5日ばかり、資料の作成や勉強をしなければならないが、強いられている巣ごもり状態で、何とか乗り切ろうと思っている。

散歩の跡のシャワーをあびて、さて今日も一日頑張りましょう。

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■細川小倉藩(320)寛永五年・日帳(七月十四~十五日)

2020-08-16 09:48:21 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永五年七月)十四~十五日

         |              
         |   十四日
         |
忠利泰勝院ニ法事 |一、今朝六つ時ニ、 泰勝院へ被成御参候、御家中下々迄、御法事ニ相詰候、
ヲ修ス      |
         |一、伊勢因幡乗上り候御船頭十三郎罷下候、因幡無事ニ上着被仕候由候、
飛脚へ給与ノタメ |一、御船頭上田十三郎舟ニ、京銭弐拾貫文つミ下申候、方々ゟ御飛脚ニ可被遣ため也、
ノ京銭二十貫文ヲ |
積下ル      |
長崎ノ買物 巻物 |一、長崎ゟ、歩之御小性山本喜兵衛被罷戻候、御かい物ハ小篠角太夫舟ニつミ上せ申由ニ而、まきも
羊腹籠ノ皮九十九 |  の壱つ、ひつしのはらこもりの皮九十九枚持せ被戻候、則御納戸之吉山熊介ニ相渡候事
枚        |
         |一、御小人弥左衛門与勘介、長崎へ御飛脚ニ遣候事、
忠利燈籠幷花火ヲ |一、今晩は街中之燈炉を被成 御覧、花の火を被 仰付、被成 御覧候事、
見物ス      |

         |              
         |   十四日
         |
服忌欠礼ノ届   |一、岡本新九郎母相果申ニ付而、御礼ニも登城不仕候、中津へ罷越度由ニ候間、可被参由申渡候、右
         |  之様子ハ岡本源次申来候事、
金具屋長七初見  |一、金具屋長七、今日初而御礼申上候事、
飛脚ニ京銭二貫文 |一、魚住半右衛門尉所ゟ之飛脚ニ、京銭弐貫文可遣旨、被 仰付候事、
中瀬左太郎知行ヲ |一、中瀬左太郎殿へ、御知行被進之候事、
受ク       |
         |            御折かミ
竹田了由知行折紙 |一、竹田了由ニも、御知行〇被遣候事、
京都借銀ノ袖判  |一、寛永四年分、京都御借銀 御袖判拾六枚、宗像清兵衛・富嶋弥兵衛うけ返、被持下候を、 御前
寛永四年分十六枚 |         (皆川)
         |  へ差上申候処、治アを以被 仰出候ハ、菊野伊織・飯田才兵衛、此儀被為 仰付置候間、かの両
袖判ヲ消ス    |  人引合吟味仕、 御判をけし可申 御意ニ而、無相違ニ付、右両人 御判をけし被申候、
銀子百貫目借用ノ |一、保利與兵衛寛永四年 御袖判壱枚頂戴仕、京都にて銀子百貫目借用仕候、同年之暮ニ宗像清兵衛
利銀ヲ返弁シ元銀 |  ・富嶋弥兵衛利銀を返弁仕、元銀百貫目は其儘借用ニ仕、 御袖判かへ申、四年分之 御袖判
借用ノ袖判書替  |  壱枚差上、是も伊織・才兵衛御判けし被申候事、
袖判       |
京都借銀寛永五年 |一、寛永五年京都御借銀之御用ニ 御袖判弐拾枚、宗像清兵衛・富嶋弥兵衛請取申、 御袖判払方之
分払方案     |  事、
袖判二十枚    |
         |  一、拾三枚ハ、寛五ノ御借銀ニ渡申候、
利銀安キ方ニ借替 |  一、壱枚ハ、右十三枚ノ御袖判ノ内、高利御座候を、利足やすき銀ニかりかへ、御借状を仕直、取
         |       かへ申候、右高利之御袖判ハ取戻、只今上申候、
借銀去年分請戻シ |  一、壱枚ハ、保利與兵衛寛四ニ 御袖判壱枚頂戴仕候を、当年かりかへ申ニ渡、去年ノ 御袖判ハ
         |       請戻、只今上候事、
京都買物代銀   |  一、弐枚ハ、京都御買物ノ代銀御国御小遣銀、其外俄ニ御銀子入申儀可有御座候間、残置可申旨、
忠利在国中小遣銀 |       修理・兵庫申越ニ付而、小野九右衛門・佐藤少三郎・黒川甚左衛門ニ相渡置申候、則右   
俄ノ用      |       三人ノ請取切手、伊織・才兵衛両人ニ渡置候事、
未使用分ハ返還  |  一、三枚ハ、御用ニ罷不申ニ付、只今上申候
         |        以上
         |     寛永五七月十三日             宗像清兵衛
         |        浅山修理殿             冨嶋弥兵衛
         |         (氏次)
         |        田中兵庫殿
         |一、右弐拾枚之 御袖判、浅山修理・田中兵庫請取切手 御前へ上置申、宗像清兵衛・富嶋弥兵衛ニ
奉行ノ請取切手ヲ |  御袖判相渡、弐拾枚之払方、右両人被仕上ニ付、修理・兵庫請取切手被返下候を、才兵衛・伊織
破棄ス      |  被見候所にて、やふり申候事、
金山ノ欽箱    |一、御小人弥左衛門与久三郎ニ、御金山之御金箱持せ遣候、それニ、田川御郡奉行へ菊野伊織知行三
菊野伊織知行三百 |  百石被 召上候間、御代官可被申付候との状持せ遣、
石ヲ召上ゲラル  |
         |                            (台所人)
善徳寺酢醸造ニ蒸 |一、善徳酢を、来月五日時分ニ作り申候間、むし米壱石入申由、伊藤甚左衛門被申来候事、
米ヲ要ス     |
忠利川狩ス    |一、御川狩ニ被成御座候事、

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■植物採集「グレープアイビー・シッサス」

2020-08-16 09:47:38 | 徒然

                                       

  ちょっと郊外へ出て見たいという願望があるが、暑さと、コロナ禍と寄る年波と、交通手段がままならず、緑を楽しむのはお決まりのコースの朝の散歩だけである。
毎日スマホを首に下げて、植物観察をしている。
これは、シッサスの仲間のグレープアイビーとよばれるブドウ科の植物である。
自衛隊の東側側道のツツジの植え込みの中に、あちこちに顔を出している。根からこいで持ち帰り、鉢植えにして三週ほどになる。
すっかり根も活着したらしく、元気でつるを延ばし始めた。もう少し成長すると小さなブドウ状の実がつく。
観葉植物として大変人気のあり、グリーン・ハンギングで楽しまれたりする植物である。路傍の植物採取もなかなか楽しいものではある。

                                                                  

                                                                         某花屋さんのサイトから

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■詰め込み勉強中

2020-08-15 21:22:24 | 書籍・読書

                                  

    来週末の史談会例会を前にして、資料作成と共に詰め込み勉強中である。
文久三年の「恕斎日録」を取り上げるが、これは未刊行のものである。
内容は吉村豊雄元熊大教授の「幕末武家の時代相」にも詳しいが、これとは別に写真の四冊を只今「詰め込み勉強中」である。

私の中では幕末の取らえ方は「小説的」であり、詳しい資料を追ったことがない。
文久三年とはまさに幕末激動の時代であり、史談会を前に泥縄・急拵えために、鋭意読書中である。
巣ごもりの状態はなかなか良い環境である。

       

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■細川小倉藩(319)寛永五年・日帳(七月十二~十三日)

2020-08-15 14:06:58 | 展覧会

                      日帳(寛永五年七月)十二~十三日

         |              
         |   十二日
         |

刀屋竹屋喜兵衛ノ |一、竹屋喜兵衛、中国ゟ弐腰取よせ申、被 召上候刀・わきさしの内、兼光ノ御わきさし、下とき
下研鑑定     |  仕、見申候処ニ、おもわしく無御座候間、かへし可申由申候処、よく申上候、おもわしく無
兼光ノ脇差ハオモ |  之候ハヽ、かへし可申候、以来もかやう之儀ハ不及申上候、竹屋次第弐思召候間、其通ニ可仕
ハシカラズ 竹屋 |  旨、被 仰出候事
ノ鑑定次第トス  |
三斎山田喜斎ヲ呼 |一、三斎様ゟ、山田喜斎御用ノ由ニ而、次飛脚にて 御書 忠利様へ被進之候、則被 仰付、喜斎中
ブ        |  津へ被遣候、御乗物かき六人、幷宿々ゟ乗物かき十人宛出置、宿送ニ而、中津へ送届可申由、申
駕籠ヲ宿送リトス |  付遣候也、右ノ中津ゟノ御文箱、夜前戌之刻ニ時付ニ而候処ニ、巳之下刻ニ着仕候ニ付、次飛脚
         |                                   (黒原、規矩郡)
継飛脚大水ニ遅引 |  手前せんさく仕候ヘハ、事外大水出候て、河越不罷成候通、宿々ゟ申来由、くろ原の次飛脚申候
ス        |  事、
         |(一脱ヵ)
         |  盆之御悦ノ外ニ、三荷三種被進之候事、右之荷物次夫二而遣候、さい料ニハ、御鉄炮衆弐人遣候
         |  事、
         |                                    (ママ)
三斎等宇佐ヨリ帰 |一、明石権太夫・山路太郎兵衛、うさへ御掃除奉行として被遣候、 三斎様御機嫌、昨十一日に中津
着ス       |  へ被成御帰由、右両人被申候事、
         |一、続権六 三斎様へ之御進物被進御使者被遣、是又右両人同心に而被罷帰候、則 御返書持参被申
         |  候、何も奥へ被参、 御返書を上、又様子可被仰上由、申渡候事、
         |一、江戸へ被遣候御鉄炮衆を追付候て、遣候小早之御船頭中靏二左衛門、備前之内出崎うらにて、去
         |                (延俊)   (俊治)
         |  十日之巳ノ刻に追付、江戸へ木下右衛門様ゟ同左兵衛様へ被遣候御文箱相渡、切手を取、下申候
         |  事、

         |              
         |   十三日
         |

京大坂ヘノ音信ノ |一、小早ノ御船頭桑田左兵衛、詰小早に上せ申候ニ、上せ申 御書数 其外ノ状数之覚
覚書       |      (米田是季・小笠原長元・沼田延之・志水元五)
         |  一、大坂四頭■衆へ被遣 御書箱壱つ、
         |  一、御文箱四つ、又しふかミつゝミ之文箱壱つ、一からけニして有之、
         |  一、小倉や二兵衛・木や理右衛門・石原久左衛門三人へ、被成 御書候御書数三つ、
         |  一、四頭衆へ、修理・兵庫ゟ上せ申状壱、
         |  一、四頭衆へ、修理・兵庫ゟノ状一、是も源左使ニ渡ス、
         |  一、明石源左衛門方へ、両人ゟ之状一、源左使ニ渡ス、
         |     (元五) 
         |  一、志水伯州へ、兵庫ゟ之状一、
         |
         |  一、京へ遣状三つ、寺嶋ゟ可被届由ニ而上ス、但、壱つ、我々両人・御納戸衆ゟ弐つ、
         |                                       (黒印)
請取       |                         右之前、慥請取申候、桑田左兵衛〇
         |   ル    (三斎室)    (ママ)
秀林院法事ノ準備 |一、来十七日、秀林院御法事之ニ付而、御掃除繕之儀、上林甚介に申渡候事、
         |        ガラシャ・28年忌 
呼野金山米銀幷金 |一、呼野金山御米銀幷御金子御算用被相済、返号取被申由、右田三右衛門・夏間少三郎被申候事、
子算用済ム    |
         |〇コノ間落丁アルカ、
京都借銀利足下ル |一、京都御借銀、利足去二月ヨリ壱朱通りさけ申候との書物、以上五通、宗像清兵衛・富嶋弥兵衛ゟ
京ノ段      |  被持下候を請取、京之段ニ入置也、当暮御借銀為御返弁、御上被成仁ニ持せ可差上書物也、
         |  (烏丸光賢室)中津滞在中
         |一、御万様御留守ゟ、御万様へ上り申しふかミ包之小箱壱つ、宗像清兵衛被持下候間、則一昨日中津
         |  へ持せ進之候処ニ、貴田権内被請取、則御万様へ上被申候処ニ、被成御満足返事被差越候事、
         |  (久留島越後守通春)
久留島通春使者  |一、来嶋右衛門市殿ゟ御使者被参候事由ニ而、御状吉田少右衛門持被上候事、
         |                〃
京都借銀寛永四年 |一、寛永四年分京都御借銀のため被成候 御袖判十七枚之内、壱枚ハ保利與兵衛頂戴仕、平野屋仁吉
分袖判ノ内訳十七 |            〃〃〃
枚        |                   (富嶋)(宗像)
二十五枚     |  銀をかり申由候、〆而拾六枚ハ、去年弥兵衛・清兵衛 御袖判弐拾五枚持参仕内之由候、廿五   
         |  枚之御袖判払ハ、去年深野二郎右衛門江戸へ罷下候時、二郎右衛門ニ払仕上被申由候事、右拾七
         |  枚之被請届候 御袖判、我等共請取、 御前へ差上申候事、
         |                                        
京都借銀寛永五年 |一、寛永五年京都御借銀ノため 御袖判弐拾枚、清兵衛・弥兵衛請取被申候内、拾四枚ハ寛五の御借
         |         御袖判     (ママ)
         |  銀ニ相渡候、内壱枚分ハ利足申さけ候ニ付、又壱枚書直、前かとのと取かへ申被申候而、右利足
         |                                    〃
         |                       外ニ
京都買物ノ代銀  |  たかく候 御袖判を取もとし、只今被差上候、又弐枚ハ、京都御かい物ノ代銀幷御国之御小遣不
         |  足之時、為御借用、小野九右衛門・佐藤少三郎・黒川甚左衛門ニ相渡置申候、又外ニ三枚ハ余り
         |  申ニ付、只今上ヶ被申分、都合弐拾枚請取被申、 御袖判請払相済申候、
         |  右之前、我等共請取 御前へ差上申候事、
         |(ママ)
         |一、
      

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■文久三年「恕斎日録」(42・了)

2020-08-15 06:18:58 | 恕斎日録

315(十二月)
  廿一日  今日御先祖祭之事
       吉弘・山形・宮部・戸嶋・魚住家内共案内 例年之通献
       奠饗応之事
       御献立等献立帳ニ記例年之通
        今日者千衛殿初命日ニ而候得とも年内ニ者
        無余日 且ハ追善之事ニ付今日相供候事
  廿二日
  廿三日  今夕藤本兄弟方長屋笠隠居忘年会案内之事
        藤本兄常記ハ差懸病中不参 依而薬用ニ龞一
316
        ッ送候事
  廿四日  公参湧泉庵参拝之事
       今日岩崎物部御用有之 多年帳口ニ而出精いた
       し候ニ付 御足高五拾石 且二ノ丸宮内御作事御
       用出精ニ付 御小袖一銀三枚被下置候ニ付 夕方
       同役同道欽ニ参る事
  廿五日  今日者被 召出候筈之處 明日ニ御延引被 仰
       出候事
  廿六日  今日被 召出出勤之事
      一御米柄等大濱町出火之事言上
317
       右御用勤相済候上ニ而被遊 御意候ニ者 其後
       者いまた逢ぬが 伊倉へ参り候節者セ話ニ成候
       ぞとの 御意ニ付 御意之趣誠ニ以難有仕合ニ
       奉存候 其節者御別段之御懇意ニ被 仰付 御品
       々器共ニ拝領被 仰付 誠ニ以冥加之仕合ニ
       奉存候と申上候処 菓子ハ家内共へたへさせた
       るか 少なくてたりたかとの 御意ニ付 沢山被下
       置いつれへも為戴申候 誠以冥加之仕合ニ奉存
       候と申上候處 其節之樽ハ二ッ共ニたべたぞ 大
       ニ酔たるそとの 御意ニ付 是又冥加之仕合ニ
318
       奉存候 庄右衛門儀も植木ニ而者 大きなる御盃
       を 御借ニ而被下候ニ付 大ニたへ酔 漸もて御
       共申上候と申上候處 其節之同役者何とか申ぞ
       との 御意ニ付 永屋猪兵衛と申候 是へも数杯
       被下置 大ニたへ酔申候 併猪兵衛儀者酒量庄右
       衛門ゟも餘程強 且者いまた年若御座候ニ付 庄
       右衛門程ニ者酔不申候と申上候處 否ヤ庄右衛
       門茂餘程強そとの 御意 尚 上ゟノ御意者 其
       節伊倉ニ而春毛の馬目ニ付 おれも春毛の馬持
       ぬニ付 今日典八を引せニ遣し□たが 追而筋々
319
                     (ママ)
       相達可申候 迷惑ハせまいかとのとの 御意ニ
       付 嘸々難有奉存可申候段申上候處 庄右衛門か
       乗たる馬は孰か馬ニ而候哉との 御意ニ付 松
       尾二郎作可春気の馬ニ而御座候と申上候處 お
       れか乗たる馬ハとの 御意ニ付 上の日為召
       候馬ハ篤斗存不申と申上候處 大木織部宿亭
       之馬との御意ニ付 夫ハ今川善七郎馬ニ而御
       座候と申上候處 迷惑ハセまいかとの 御意ニ
       と申上其外段々被遊 御意候事
320
  廿七日
  廿八日  小倉村上新蔵ゟ早打ち書状着
       去ル廿四日 薩州蒸気船大坂ゟ長崎へ通船 下関
       向田浦へ碇泊いたし候處 下関ゟ相図数発放し
       懸候ニ付 蒸気船者郡浦を引退候節 竈ゟ火然出
       悉焼失いたし 乗組六十八人之内四十人助命 其
       外は相分不申候 右数発之相図暴発之実丸当り
       焼失の風聞之事
       右ニ付 荒木氏ゟ外聞出し候様との事ニ付 今日
       午刻仕出 南関江人撰を以 至急ニ外聞を差出候
321
       佐馬御惣庄屋へ早打仕出候事
  廿九日  伊倉 御出之節入目銭 御郡中割願出済達
      一銭四拾貫百三拾五匁壱厘
       右者六手永割出 其外自手永諸雑費茂有之 六
       貫目も入り候由なり
  晦日   詰間歳末之寄合 一統無事ニ而異聞も無之候事
       今晩家内中歳暮之祝儀嘉例之通相済候事
       家内中へ銘々歳暮遣し家来共下女共へも手拭
       一筋完遣し候事

 
                (了)

        文久三年「恕斎日録」は今回をもって終了いたしました。
  50回を予定していましたが、内容があまりにも面白くタイピングも順調に進みました。
  一日平均7.6頁毎日二時間ほどを要しましたが、コロナ禍と猛暑による巣ごもりも関係したようです。
  畏友S氏が「恕斎日録」全巻のコピー版を熊本県立図書館に寄贈され、近々公開の運びとなります。
  他の巻もご紹介できる日が訪れることを期待しています。       
       

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■細川小倉藩(318)寛永五年・日帳(七月十日)

2020-08-14 11:25:49 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永五年七月)十~十一日

         |              
         |   十日
         |
大坂城普請ノ横目 |一、大坂へ被成御上せ候御普請御横目之歩之御小性衆、十人不残かわり候て、今朝被罷下候事、
十人全テ交替帰着 |
         |一、永田左平次、今日罷下候事、
         |   (定芳)    (忠政)
諸方ヨリノ書状  |一、菅沼織ア殿、本多美濃守殿ゟノ御返書、歩ノ御小性被持下候事、
         |  (米田是季・小笠原長元・沼田延之・志水元五)
         |一、大坂四人衆ゟ言上之書状、式ア殿迄参候を、御持せ越候を、則同前ニ上申候、是も歩之御小性衆
         |  被持下候事、
絹縮ノ道服    |一、宗珠院殿ゟ、きぬちゝミの御道服ノ由ニ而、箱壱つ、是も式ア殿へ参候を、同前ニ上申候事、
         |一、臼杵へ被遣候御小人弥左衛門与之久太郎、御返事を取、罷帰候事、
         |(一脱)
大坂ヘノ書状ノ覚 |  大坂へ詰御小早上り申候ニ、渡遣申 御書数之覚
書        |  一、田中兵庫へ之 御書一通、
         |  一、大坂御横目之歩之御小性へ之 御書一通、
         |  一、築山兵庫へ之 御書一通、
         |  
         |  一、井源三郎へ之 御書一通、
         |  一、大坂御普請ノ頭衆へ之 御書一通、
         |  一、九鬼四郎兵衛殿へ之 御書一通、
         |一、右之外、京・大坂へ之書状とも、御船頭野間惣兵衛ニ相渡、遣申候事、
忠利泰勝院ニアリ |一、久作と申御小人、中川内膳様へ御状被進之候御返事取来候、則泰勝院へ 殿様御座候間、直持参
         |  仕候へと、申付候事、
上野皿山唐人甚兵 |一、上野皿山甚兵衛と申唐人、かり畠を仕、くわニて打申候処ニ、当四月ニ、ちいさき花入之様成も
         |                        何ニても
衛借畠ニテ壺を発 |  の壱つほり出申候由ニて、上ヶ申候、つほノ内ニハ無之由申候、つほノふたニハ、ちゃわんの様
掘ス       |  成ものをふたニして有之、右甚兵衛上ヶ申候を、間太郎介ことつかり候て参候事、
         |                                      (松本)(豊岡)
八並市右貸米元利 |一、八並市右衛門ニ、去年御かしなされ候米、元り共被成御赦免ニ付、被取立間敷由、彦進・甚丞へ
共免サル     |  きりかミ遣候事、
         |        (倉)                                                                                                                ヲ    
大橋ノ矢倉ノ番交 |一、大橋之御矢念之御番北村三右衛門かわりニ、下田源右衛門遣候、三右衛門はおく方の御番申付候
替        |  事
         |                       
泰勝院施餓鬼ノ紙 |一、靏田久左衛門ニハ、泰勝院おせかきのかミそめ奉行申付候事、
染奉行      |
金具屋長七扶持方 |一、金具や長七ニ、三人ふちニ十石宛遣との 御印、是又彦進・甚丞へ渡候事、
十石三人扶持   |
         |一、村松長右衛門子久五郎ニ、三人ふち被遣 御印、是も右両人ニ渡し候事、

         |              
         |   十一日
         |
大嶋喜右衛門黒瀬 |一、大嶋喜右衛門儀、今日ゟ黒瀬九郎右衛門相使ニ被 仰付候、則奥方のさた依怙、又ハたれニよら
九郎右衛門ト相使 |  す御法度を背申もの御座候ハヽ、急度可申上との誓帋を仕せ候事、
ニ任ゼラル    |
奥方之沙汰    |
田中氏次等京ヨリ |一、田中兵庫・宗像清兵衛・富嶋弥兵衛被罷下候事、
帰着ス      |
宇佐善光寺掃除ノ |一、善光寺御さうぢ奉行被遣安井太右衛門・平野治ア左衛門登城候而、様子被申上候事
奉行       |
         |一、善光寺へ被遣候歩之御小性吉村次左衛門・吉谷平太夫罷帰候、 三斎様御機嫌能御座候由、被申
         |  候事、
         |一、修理銀子壱枚壱枚請取、道倫ニ相渡候事、
         |        〃〃
烏丸万留守居ヨリ |一、御長柄惣左衛門与助右衛門ニ、御万様御留守ゟ下り申しふかミ包ノ箱壱つ、中津へ持せ遣候也、
ノ音信      |
         |  (智仁親王)
生嶋秀成書状   |一、八条御内生嶋玄蕃殿ゟ、 殿様へ上り申文箱、幷しふかミ包ノ箱壱つ、田中兵庫言伝り、披罷
         |  下申にて、持せ被差上候事、 

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■文久三年「恕斎日録」(41)

2020-08-14 07:57:28 | 恕斎日録

306(十二月)
  十二日  今朝七頃 従熊本御郡使被差立 於小田会所封着        高瀬(玉名)町奉行・佐分利権平死去の報
       御達左之通
        各儀 佐分利権平儀病死ニ付 跡役引越候迄支                             庄右衛門に高瀬支配役仰付
        配被 仰付候旨 従御奉行所御達有之候条 可
        被奉得其意候 以上
         十二月十一日    荒木甚四郎
         玉名御郡代家中
307
       右御受之返書仕出 相役高橋二助へも右御達仕
       出候事
      一高瀬町御横目永谷権蔵 今朝御達と一同小田会
       所へ参り 昨日熊本へ罷出候處 昨日直ニ同役へ
       右之御達出候由承候たる二付 直ニ是迄罷出候
       差寄 御条目之儀 空堂に者難閣候間 小子直ニ
       受取可申哉と伺出候二付 今朝帰り懸 直ニ高瀬
       へ廻り 官宅ニ而受取持帰可申候段申聞候事
        右佐分利病死之儀者 一昨十日実ハ自刹いた        佐分利権平の死は自殺
        し候由 権蔵ゟ極秘申出候事
308
        右子才ハ 権平ハ祖父以来之豪冨ニ而 大振廻        同上原因・貨殖の不手廻
        いたし候處 貨殖くり不手廻ニ相成候末相迫
        り 嫡子も参り居候處 鷺打ニ遣し 妻も田表へ          同上   嫡子・妻を外出させ自殺
        菜摘   遣候而 昼内自殺いたし候由ニ承
        り候事
      一今朝五頃小田会所出立 高瀬町へ廻り 同所官宅
       ニ而永谷権蔵出迎 玄関ニ而 御条目受取持帰
       り候 帰府之上直ニ荒木甚四郎方へ罷越 今朝達
       之御受且又 御条目受取候段申向候事
      一今日小山一太郎同役ニ被 仰付候事            同役ニ小山一太郎
309
        飽田所附上下益城兼
  十三日
       今朝出勤 御條目御奉行所江持出候處 当番御
       奉行より 当番柱に而御目附立会受取相済候事
       高瀬兼勤之方ハ一人完張詰之由二付、段々御奉
       行中へも咄合 此節ハ初メ事二付 明日ゟ小子へ
       罷出 御用物等夫々受取候様との事
         委細ハ達物帳ニ記
  十四日  今日ゟ坂下出在 高瀬町支配兼勤之事
         今晩繁根木詰所泊
  十五日  今日ゟ高瀬町官宅江罷越御用相勤 右初入込之         高瀬奉行所初入り
310
       次第者 動向町御奉行新役被 仰付候節ハ 一反
       御用宅見繕として罷出候節之見合を以取斗候
       事
       今昼九ッ頃 高瀬町廻役斎藤欽多 鬼丸源作 町別
       当三人幷助勤両人 詰間迄迎ニ参り候間 直ニ町
       御奉行官宅江出勤いたし 町方御横目官宅門前
       ニ出迎 丁頭共左脇ニ居並挨拶いたし 直ニ玄
       関ゟ通り候事
        直ニ機密間ニ入り休息 役々相揃対面之上 御
        用物目録引合 夫々受取候事
311
       同所ニ而出会之役々名前
        歩御小姓列町方御横目根取相勤
        右之外御用懸数稜者達物帳ニ記畧之
                   永谷権蔵
        諸役人段御横目廻り役兼帯
        右之外稜右同断    斉藤欽多
        町廻役ニ而入銭諸官宅取■等御用懸
        右同断        鬼丸源作
        高瀬町別当津方請込
         町独礼       荒木新之丞
312
         右同断       渡辺繁左衛門
         右同断       高津民次郎
         右同助勤      吉田嘉左衛門
         右同御取■請込小物成歩方受込
                   荒木小八郎
      右夫々相済 祝酒取遣之事
       献立 吸物 鮒 茶碗 鴨茶わん蒸
          硯蓋 一 大鉢 ニ さしみ・頭付□付
          太平 のつぺい

       権蔵列御家人三人初ニ同間ニ而取遣相済 別当
313
       共町役人五人同間ニ呼入取遣
       物書牧重左衛門幷木下初太郎養子同助之允両
       人跡ゟ町方ゟ呼出し饗応いたし候事
      配下寺院其外身分有之町人等小札ニ而欽ニ参
      る事
       此節ハ見繕之式ニ而本式之対面ハ見合候事
      右相済 日暮過繁根木詰所へ引取候事
      右兼勤ハ詰所ゟ懸勤ニ而相済 尤年頭ハ官宅専
      ニ罷出 同所ニ而相詰候筈之事
  十六日 今日石貫村社参之事
314
      高瀬町役人共同道 帰りニ鳥井八郎右衛門宅立
      寄 夫ゟ在宅見繕候事
  十七日
  十八日 今日相役高橋二助為交代出在いたし候間 町方
      御用勤申継相済候事
  十九日 今日帰府
      吉弘力童家督無相違被 仰付候ニ付 懸り懸直
      ニ欽ニ参る事
  廿日  今日ゟ出勤
      今日者干衛殿明日之初命日を取越 蕎麦切りを
315
      拵相供 上村方へも贈候事
        

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■細川家のリボルバー

2020-08-13 17:16:38 | オークション

 ヤフオクにすごいものが出品されている。細川家の家紋と十字架が彫刻されたリボルバー拳銃だ。
【LIG】二度と出ない逸品 肥後細川家伝来 キリシタン九曜紋リボルバー古式銃 一式 総彫金装飾 可動品 登録証付 [QEPP]07櫻
残り4日で195人が応札し、現在の価格は615,348円、落札価格は数百万になるのではないか?
家紋入りの拳銃でも珍しいのに、十字架が彫刻してある。大いに首をかしげざるを得ない。
何方が持っておられたのか、昭和41年の銃砲刀剣類登録書がついている。出品者は名前を伏せているようだが、判っているのだろう。
落札者には当然傳らえるのだろうが、教育委員会に問い合わせればわかる物だろうか?

随分以前に十字架が刻まれたお位牌がある御寺様から出てきたが、これとて何方かが判らないでいる。
細川家とキリシタン、なぞは深い。

  

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■細川小倉藩(317)寛永五年・日帳(七月八~九日)

2020-08-13 08:47:10 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永五年七月)八~九日

         |              
         |   八日
         |

         |             (烏丸光賢室、三斎女)                                                                                                               側小姓・御扈従役歟 百石「一書二歩小姓頭・実也」 (於豊前小倉御侍帳) 
三斎等宇佐善光寺 |一、宇佐善光寺へ 三斎様・御万様・浄勝院殿被成御座ニ付、為御宿奉行、善光寺へハ安井太右衛門
へ参詣ノ予定   |                 (吉田兼治室、三斎妹伊也)
         |
   供之者・御扈従与也 二百石 
         |  ・平野治ア左衛門、歩之御小性吉谷平太夫・吉村次左衛門被遣候事
         |       馬廻組二番組 二百石
         |一、宇佐ヘハ、山路太郎兵衛・明石権太夫・蒲生猪左衛門・松岡九太夫被遣候事、
         |              供之者・御扈従与也 三百六十六石余
         |一、御使ニハ、崎村三郎兵衛被遣候、御■音信物ハ、永良長兵衛ゟ渡ル、
上方ヨリノ音信  |一、小早之船頭徳嶋八兵衛、当二日ニ出船仕由ニ而、罷下候ニ持下物之事、
         |             上
         |   一、大坂四頭衆ゟノ言状壱つ、
         |      (氏次)
         |   一、田中兵庫ゟ言上之状壱つ、
         |     (九)(広隆)       (可政)
         |   一、丸鬼四郎兵衛ゟ、加々山主馬所へ之状、持せ遣候、
         |   一、丸鬼四郎兵衛ゟ言上状壱つ、進上ノ由ニてこもつゝミ壱つ下ル、但、宮崎粉十袋と、書付
         |     有之箱壱つ也、
         |            (鱈ヵ)    
         |   一、井上源三郎ゟ□壱つ下ル、則上申候事、
菜種       |   一、築山兵庫ゟ、しふかミ包壱つ、進上と書付在之候も下ル、但、なたねと札有之、
         |                                    (へ)
湯帷子      |   一、野下杢所ゟ、御ゆかた三つ入一箱上ヶ被申候、但、清左衛門方へそ状状ニ而下ル、
京菜之種子    |一、京なノたね杉箱壱つ、築山兵庫ゟ、進上被申候、則上林甚介ニ蒔せ可申旨ニ而、林隠岐被持出候
         |  事
         |一、大嶋喜右衛門儀、此地ニ而御用被 仰付、よつてかわりを、御金山へ遣、気右衛門よひよせ候へ
         |  と月行事彦兵衛ニ申渡候事、
         |  切米人数 八石二人 花畑 (於豊前小倉御侍帳)
小堀長左衛門ノ礼 |一、小堀長左衛門儀、昨日御礼弐罷出候、御礼ニ罷出候へと、たれ申付候哉、主心得ニ而罷出候哉
ニ出様      |
         |  と、林隠岐を以被成 御尋候、正・五・九迄ニ弥五左衛門・八右衛門与ニ居申候候間ハ、御礼申
         |  上候へ共、御花畠ニ被遣置候、ひまも御座候ニ付、御礼ニ罷出候由、御請申上候事、
         |
質部屋入リノ山岡 |一、書鑑煩申ニ付、竹田了由被遣候、脉を取被申候か、余りさしたる煩ニてハ無御座由、了与被申
書鑑煩ウ     |  候、併昨日ゟ今日迄めしをたべ不申由候とて、薬三服遣被申候、御遣番岡嶋市兵衛ニ持せ、しち
         |  へやへ遣候事、
烏丸資慶等ニ饗応 |一、生源寺少九郎、中津ゟ罷帰候、中津ニ而花火仕候処、殊外 三斎様御意ニ入申由候、就夫、 御
ノ花火三斎事ノ外 |  帷子壱つ被下由被申候、則 御前へも申上候処ニ、御応之 御之由、地アも被申候、少九郎も
気ニ入ル     |  申候事、

         |              
         |   九日
         |                         (伊予)

中瀬左太郎ノ付人 |一、菊野伊織ゟ、林隠岐を以被申越候ハ、中瀬左太郎殿いよゟ御下候時、下ノもの四人ましつれ被下        
ノ増減      |  候、十人遣せ可申旨、被 仰出付、都合十人ニて居被申候へ共、去年ハ御留守ニ被居ニ付、人も
         |  さほと入間敷存、左太郎殿ニ□見仕、四人ふちをはなし申候、然処ニ、今度片山示庵家ニ被遣
         |                          被下候
         |  候、余人なく候て、事かけ申候間、今弐人ほと御付候て■■■様ニと、被申越候事、
布木綿尺ノ規定  |一、布木綿尺之儀、去年ハ弐丈六尺五寸と仕候へと、御国中可申触由ニ而、御年寄衆ゟ御触状参
二丈六尺五寸ヲ  |  候、則ふれ候処ニ、式ア殿此中被仰候ハ、弐丈六尺五寸に而ハ、きたけ無之由候間、弐丈八尺
二丈八尺トス   |                               〃
屹度触ㇾシム   |  弐仕候へと、可申触由被仰渡候、吉田少右衛門も被申候ハ、急度申触候へと被申候事、
塗師屋ノ奉行   |一、ぬしやノ奉行ニ、横田権左与渡辺八左衛門・富田十太夫与中尾五右衛門今日ゟ付候事、今迄ハ下
         |  田源右衛門・靏太久左衛門取替返候事、
         |               〃
竹流金      |一、竹なかし之御金子廿九匁四分壱つ、
         |
吹直シ      |一、三十六匁四■分壱つ・砂金七匁、右之分御ふき直させ可申旨にて、杉本左介弐被成御渡候、相奉
         |  行ハ宮部権三郎也、是も吹直、又 御前へ上ル、
         |
間歩金之覚書案  |    御間歩金之覚
         |高四百五拾八匁壱分之内、弐拾三匁三分ハ、御山ゟノ吹ぬき金、御前に有之
砂金       |一、四百拾八匁七分        砂金
出目       |   内弐匁弐分         出目 加々山権左衛門印
         |                    春木金太夫印
だうてん     |一、拾禄匁壱分ハ         だうてん
出目       |   内壱分ハ 加々山権左衛門印       出目
         |        春木金太夫印
         |  二口、合四百三拾四匁八分は砂金・たうてん共ニ、
請取       |  右之前、請取申所如件、
         |    寛永五年七月七日                      杉本左介
         |                                  宮部権三郎
         |        浅山修理殿
         |          (成政)
         |        坂崎清左衛門殿
         |  右之切手前、 御前ゟ請取、杉本左介・■宮部権三郎吹せ申候而、則宮川治アを以、又 御前へ
         |  上ヶ申候、右之請取切手ハ左介ニ戻申候事
山田喜斎三斎ヲ療 |一、山田喜斎中津ゟ被罷帰候、御道服壱つ・御帷子壱つ拝領仕由、被申候事、
治シ小倉ニ帰着ス |
上方へノ音信   |一、明日、上方へ上り申詰御小早ニ、
         |   一、大坂四頭衆へ之 御書壱通、
         |   一、田中兵庫方へ之 御書壱通、
         |   一、井上源三郎へ之 壱通、
         |   一、築山兵家へ之  壱通、
         |  右持せ可遣旨、被 仰出候事、
三斎診療ノ明寰中 |一、三斎様御煩ニ付、明寰中津へ被召寄、京罷帰候、御道服壱つ・御単物壱つ・御帷子壱つ拝領仕
津ヨリ帰着ス   |  由申候事、
大坂ヨリ書状   |一、大坂詰小早ノ御船頭河村喜左衛門罷下候、大坂四頭衆ゟ言上、幷式ア殿へ之状持下申候、則式ア
         |  殿へ持せ遣申候、又田中兵庫方ゟ、状被差下候事

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